第118話 相思相愛になれたら

 それからの日々は、慌ただしく進んでいった。

 朝起きて、慎二さんの手料理を食べる。そして東堂組に向かって、彼らが求めるわたしの役割を教えてもらう。それと、最低限の護身術も教っていた。

 体中に痣を作りながら、慎二さんの家に帰る日々。その日々を繰り返す。


「っ、いったぁ」


 湯船に浸かり、わたしはそう嘆く。全身に出来た切り傷や青あざは、手当こそされているものの、お湯につけると痛い。

 全身にお湯が沁みるような感覚がして、顔が歪む。

 基本的に攻撃をいなす訓練を重ねている。殴りかかられ、それを体をずらしながら掌で逸らす。当然素人にはそんな事できず、傷だらけになる。だけど、それでも良かった。あくまでも主目的は、実戦に慣れる事だったから。

 これは、わたしから申し出たことだ。仮に澪おねーさんを助けて戻ったとしても、繁華街は安全とは言い難い場所だから。万が一に備えて、ある程度身を守れるようにしておきたいという気持ちもあった。


「これで五日、かぁ」


 東堂組に入り浸るようになって五日。わたしの体は青あざだらけだ。


「いつになったら、澪おねーさんと会わせてくれるんだろう」

 

 湯気でぼやける天井を見つめる。

 龍さんは、まだ時期ではないという理由で動き出さない。今どうなっているのかを訊いても、急いては事を仕損じると言って教えてくれない。

 裏で何かをしているのはわかるんだけど――。


「会いたいな、澪おねーさんに」


 その気持ちは募るばかりだ。早く彼女の無事を確かめたい。


「……自殺していないといいんだけど」


 という懸念もあった。澪おねーさんは精神的に脆い所があり、このように追い込まれた状況下では自分を殺しかねないのだ。

 もちろんそれはただの懸念でしかない。実際に観測していない以上、心配ではあるけれど知るすべはないのだ。

 もし、澪おねーさんが死んでいたら。そうしたらわたしはどうしてしまうのだろう。


「……そうなったら、わたしも死のうかな」


 無意識に、ぼそりと呟いてしまっていた。

 澪おねーさんが死んでしまっていたら、わたしも死ぬ。それほどまでに澪おねーさんという存在は、わたしの根幹に食い込んでしまっているのだ、と改めて自覚した。


「……さ、もう寝よ」


 湯船から出る。体は休息を求めているし、このまま考え込んでいたら、澪おねーさんが自殺してしまっていないかという心配が胸中で暴走してしまいそうだし。というか、実際暴走している。

 思考を冷ますという意味でも、一度睡眠を取る事は大事だろう。

 タオルで軽く水気を拭きとってから脱衣所に。バスタオルで全身を拭いて、ドライヤーで髪を乾かす。普段は三つ編みにしている髪は、それなりに長いから大変だ。

 澪おねーさんを思い出す。彼女の髪はわたしみたいに長くないから、そこまで髪を乾かすのに時間を要していなかった――というか、髪を乾かしている所を見た記憶がない。あの人はとことん自分の容姿というものに興味を抱いていないのだな、と思った。


「せっかくの美人なのにもったいないなぁ」


 一通り髪を乾かし終わったら、寝巻きに着替える。

 着替えながら、澪おねーさんの寝巻き姿を思い出した。安物のパジャマで、サイズも合っていなかったと記憶していた。

 そう、サイズが合っていない。少しダボっとしていて、胸元とかがちらりと見えたりもした――。


「――っ」


 なんでもっと堪能しておかなかったんだ、わたしは。もっとしっかりと網膜に焼き付けておかなければいけないものじゃないか。

 澪おねーさんのそういう姿をしっかりと記憶に留めておきたかった。好きな人の事なら、どんな姿であっても記憶にとどめておきたいと、そう思うのだ。

 特に、無防備な姿なら猶更。


「澪おねーさんを助けたら、いっぱい見れるから」


 わたしはそう言って、ドライヤーの電源を落とした。

 そうだ、澪おねーさんの髪を乾かしてあげるのはどうだろうか、とかそんな事を夢想したりする。

 湯上りの彼女の髪を乾かしながら、たわいもない話をする。その途中で見える、少し赤くなったうなじにドキリとしたりするのだ。


「そんな事ができたらいいなぁ」


 それはきっと、凄く素敵な事。澪おねーさんの何気ない仕草にドキドキしたりする、それはきっとわたしの新しい当たり前になるのだ。

 着替え終わったわたしは、脱衣所を出て居間に向かった。


「お風呂、先にいただきました」


 そう言いながら入った居間では、慎二さんの膝に美咲さんが乗っかっていた。膝枕というやつで、二人でくつろいでいるのがわかる。


「ん、わかった」


 美咲さんは目を閉じて、慎二さんに頭を撫でられている。幸せそうな表情で、溶けていると形容できるだろう。寝息を立てている事から、眠っているのだとわかった。

 わたしも、澪おねーさんにあんなことをされてみたいなと思う。澪おねーさんの太もも――あ、想像しただけでもヤバい。


「美咲? あー、寝てるのか」


 取り立てて焦る様子もなく、慎二さんはのんびりと構えていた。


「仲、いいんですね」

「そうだね。俺は美咲の事が好きだし、美咲も俺を好きで居てくれる。ありがたいことだな」

「相思相愛……羨ましいな、それ」


 ボソリと呟いた。澪おねーさんがわたしと同じく女性が好きだっていう確証はないし、仮にそうだとしても、わたしが好きであるという保証はどこにもないのだ。

 そりゃあ、家族や友達として好きなのはわかっているけど。

 だけどわたしは、澪おねーさんの恋愛的な好きが欲しい。


「まぁ、喧嘩もするけどね。けど、なんだかんだで一緒に居る。エリナにとって、澪って人はそんな人なのか?」

「そうですね、そうなります」


 それは紛れもない本心だ。


「そっか、なら助けられるといいな」


 そう言って慎二さんがはにかんだ。


「んみゅ……あっ、ごめんなさい。寝ちゃってましたね」


 それと時を同じくして、美咲さんが目を開ける。


「いや、大丈夫。こっちこそ、話し声で起こしちゃったな。先風呂行ってこい」

「はい、行ってきます」


 美咲さんが慎二さんの膝から頭を離して、わたしとすれ違って廊下に出た。まだ寝ぼけているみたいで、ぼんやりとした顔つきだった。


「じゃあ、わたしも寝ますね」

「そっか、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 わたしも頭を下げてから廊下に出る。

 わたしもいつかは、澪おねーさんと恋人になれたらいいな。本心からそう思ったのだった。

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