第102話 もう一つの屋敷(1)

 東堂組の屋敷を出て、街をひたすら歩く。当てはない。当てはないけれど、とりあえず歩いていた。

 ……この街にはもう二つ、大きな屋敷があったはずだ。そこに行ってみようかな。

 木城市にある三つの屋敷のうち一つは洋式だ。ここには有名企業の社長が住んでいるらしい。そっちはおそらく、門前払いを食うだろう。

 そして門前払いを食う可能性で言えば一つの屋敷も同様だ。同様だけれど、そこは個人の邸宅らしく、話を聞いてくれる可能性は高いだろうと考えた。

 とはいえアポなしで行ってもいいのか、という懸念がないわけではない。


「何を今更」


 澪おねーさんを助けると誓ったのだ。世間一般の常識なんてかなぐり捨ててしまえ。

 わたしはスマホを取り出し、地図アプリを起動する。充電が心許ないが、まだ問題はないだろう。

 地図で当たりをつける。個人の邸宅なので、当然検索しても出てこない。だけど、建物の形は見る事ができる。それと記憶を頼りに、その屋敷を探した。

 その屋敷は昔、幽霊屋敷だと言われていたっけと思い出したのだ。人が住んでいるのか否か、それがわからないから。


「よし」


 場所は意外と近く、商店街の外れだった。子供の頃の記憶ではもっと遠い場所にあったと思うのだけど……まぁ、子供の頃は行動範囲も狭かったし、仕方がない。

 それに、子供の頃って世界がやけに広く感じたものだし。

 しかし不幸な事に、今向かっている方向はその屋敷とは逆側だった。わたしは踵を返して屋敷への道を歩き出した。

 疲労からか足取りは重く、それでも前へ。歩きはいつのまにか走りに変わっていた。

 体力は温存しなくてはならないはずなのに、なんでか知らないけど走っていたのだ。本当にわたしはバカだと思う。

 いや、それだけ必死なのだろう。澪おねーさんを助けたい、その一心だけでここまで必死になれるのだから狂っている。

 商店街を抜ける。道ゆく人がわたしを見ているような気がしなくもない。もちろん気のせいかもしれないし、それを議論するのは無意味だ。

 今のわたしには、澪おねーさんしか考えられない。澪おねーさんを助けるためなら、恥も外聞も捨て去って、たとえ汚泥に塗れようとも──。


「はぁ、はぁ、は──」


 着いた。もう一つの屋敷に。

 そこは大きな武家屋敷だった。門構えは東堂組の事務所とそっくりで、しかし威圧感は感じられなかった。その違いがなんなのかはわからない。

 表札には『桐山』と書かれていた。

 はぁ、はぁ、はぁと息を何度も整える。そんなに長い距離を走ったのではないのに、肺や脇腹が痛くて運動不足を痛感した。

 門を潜って敷地内へ。インターホンを鳴らす。屋敷の中から、少し高いチャイムの音が鳴った。


『はい、どちら様でしょうか?』


 意外なことに、聞こえてきたのは女性の声だった。若い女性なのか、柔らかな声に聞こえた。


「すみません急に。少しお訊きしたい事がありまして」

『訊きたい事、ですか。なんでしょうか?』

「その、アマシロファイナンスっていう金融会社についてなんですけど……」


 言ってから、この少女? が知っているかどうかはわからないということに気がついた。だけど、口から出た言葉は取り消す事ができない。


『アマシロ……ちょっと待っててもらえますか』

「はい」

『慎二さーん、アマシロファイナンスって知ってます?』

『アマシロ? あぁ、親父が言ってたなぁ。なんだってまたそんなこと』

『お客さんが知りたいんだって』


 インターホン越しに、男性の声と女性の声が聞こえた。


『ふーん。わかった、出るよ』


 という男性の声がして、インターホンの通話が途切れる。ややあって足音。木板を踏み締める音だった。

 そして玄関の扉が開けられた。


「お待たせしてすみませんね……子供?」


 出てきたのは、優しげな顔つきの男性だった。頬に切り傷があるのが印象的だ。歳の頃は二十代になったばかりぐらいか。


「すみません、アポも取らずに」

「構わないけど……ま、とにかく上がって」


 彼はそう言ってわたしを屋敷に迎え入れる。

 屋敷の中は、東堂組の事務所と違って穏やかな空気が流れていた。そこで初めて、東堂組の事務所は殺気立っていたのだと気がついた。

 廊下を突き当たりまで歩いて、右に曲がる。そこから一番近いところにある襖の部屋に案内された。

 その部屋は、中央にちゃぶ台が置かれていた。向かって左にある厨房と直結している構造だ。


「美咲、悪いんだけどお茶を淹れてくれないかな」


 厨房には一人の少女がいた。さっきインターホンに出てくれた子だろうか、と推測する。


「はい」


 と振り向いた少女の顔を見てギョッとする。髪で隠してはいるけれど、顔の左半分に大火傷の痕が残っていたから。

 私の動揺に気がついたのかどうかは定かではないが、少女はいたって平静だった。悟られなかったのか、動揺されるのになれているのか。さてどっちだろう。


「緑茶と紅茶、コーヒーとありますけど、どうしますか?」

「じゃあ、コーヒーで」


 さっきは緑茶だったから、とコーヒーを選んだ。


「わかりました」


 と少女がコーヒーの準備を始めた。

 わたしは目線を厨房から外す。それを見てから、


「さて、君が訊きたいことは、アマシロファイナンスについてだったね」


 男がちゃぶ台の前に座りながら、そう言ったのだった。

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