第98話 輝子

 わたしが通された場所は、屋敷の奥の方にある和室だった。高そうな掛け軸とか、年季の入った背の低い卓とか、紫の座布団とか、とにかく見たことのないもので構成されていた。物珍しさから、わたしはついキョロキョロとしてしまった。わたしを案内してくれた、スーツを着た若い男性が怪訝な目でわたしを見る。


「お嬢、ここはワシらが応対しますんで」

「あのね、子供なんでしょ。怖がらせちゃうじゃない」


 引き戸の向こうから、男の人と女の人の声が聞こえた。


「そういうわけだから、あたしが応対する。いい?」

「まぁ、お嬢が言うなら……」


 どうやら話はまとまったようで、引き戸を開けて一人の女性が入ってきた。かなり美人さんだ。


「驚いた……美咲ちゃんと同じぐらいの子供じゃない」


 その女性は、やや茶色がかった短髪。ボーイッシュな印象を受ける人だった。わたしの知り合いにはそんな人いないから、新鮮だ。


「初めまして、輝子しょうこよ。よろしくね」


 その輝子と名乗った女性は、穏やかに微笑んで軽く会釈をし、わたしの対面に座る。

 穏やかな人、と言う印象を受けるのに、なんでか知らないけど威圧感がある。


「は、はい。松本エリ──恵美です」


 だからわたしは強張ってしまった。この人は紛れもなく本物だと思ったから。


「緊張しないで。別に手を出しはしないから」

「は、はい」


 輝子さんは、まるで実家だと言わんかのようにリラックスしている。胡座で座り、ふにゃりと背中を丸めている。


「それで、人探しをしているんだって?」


 彼女は卓上に置かれている急須からお茶を注ぎ、啜った。まったりとした動きなのに、なぜだかキビキビした印象を受ける。チグハグで気持ち悪い。


「は、はい。この人なんですけど」


 動物園の時に、澪おねーさんと一緒に撮ったツーショットの写真を見せる。


「こっちの、女の人です。名前は──」


 とそこまで言って、どっちの名前を伝えればいいのか迷う。雨宮か天城か。

 逡巡してから、


「天城澪です」


 隠さずに告げることにした。本名──だと思われる──の方が、混乱を避けられるだろうと思ったから。


「天城澪……」

「はい。同居していたんですけど、二日前に連れ去られてしまいまして。人伝に、東堂組なら助けてくれると聞いたので、来ました」

「なるほど、誰に連れ去られた、とかわかる?」

「天城家の人間だと名乗っていました」


 なるほど……と輝子さんが考え込む。天城家がらみか、とか呟くのが聞こえた。


「天城家はウチの傘下ではあるんだよね、だけど……ウチの問題児の集まりでもあるのよねぇ」


 輝子さんは立ち上がり、部屋の外に顔を出す。


「誰かいる?」


 そう声を掛けると、数人の足音が聞こえてきた。この屋敷には何人の人間がいるのだろうか、と疑問に思った。


「天城家からのレポートって上がってる?」

「天城家からのレポートですか? そういえば、昨日の夜に送られてきましたけど」

「今すぐ見せてくれる?」

「わかりました、すぐ持ってきます」


 数人の足音が遠ざかっていく。その間に、と輝子さんがこちらに向き直り、


「正直に言うわ。今回あたし達が手を貸せるところはほとんどない」


 その言葉にわたしは落胆する。が、それは想定内だ。

 そも、東堂組の人間からしてみれば天城家は身内だ。どちらに肩入れするべきかは、考えなくともわかる。

 だから、今ここでそれでも、と食い下がる理由も特にない。


「お嬢、持ってきました」


 扉が開けられ、一人の男が入ってくる。彼は手に持っていた紙を輝子さんに渡して退室する。

 男も確かにすごい威圧感を持ってはいた。だけど、輝子さんほどではなかった。どうやらこの屋敷内でのパワーバランスのかなり上位に彼女はいるらしい。多分だけど。


「ん、ありがと──なるほどねぇ」


 その紙に目を通した輝子さんが、少し考える素振りを見せる。


「どう伝えたものか……うん、天城澪はとりあえず無事ではあるわ」


 その言葉に安堵する。彼女はまだ無事なのだ、とそれが知れただけでも一安心だ。

 でも油断はできない。天城家がどういう風に行動するかはまったくもってわからないのだから。


「レポートによれば、パールミュージアムで発見した天城澪を追跡し、身柄を確保したとあるわ」


 あぁ、なるほど。それに関しては巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。大橋さんのせいだ、と責め立てることは簡単だけれど、それでは根本的解決にはならないし、そもそも本当に運が悪かっただけなのだから。


「天城澪には当初の予定通りに婚約者と結婚させる、とそう書いてあるわ」

「婚約者……婚約者がいたんですか、澪おね──澪さんには」


 それは初耳だ。婚約者、将来を誓い合った人が、澪おねーさんにそんな人がいたなんて。

 胸の奥がチリ、と痛んだ。なんでだろう。


「澪さんはそれに同意しているんですか」


 不意に口をついて言葉が出る。それは、同意していないで欲しいという願いだった。


「同意しているとか、していないとか。議論するだけ無駄よ。天城澪は天城家の政治ゲームのコマなのよ。東堂組は本来それを許してはいないけれど、天城家に関しては実質的に黙認されている。言い換えれば、証拠がない以上、無理に止めることもできないってわけ」


 その言い方は、言外に同意してはいないと言っているも同然だった。

 証拠、難しいことを言う。結局のところ本人が納得しているか否かで、それは心の内の問題だから。他者からは推し量ることはできても断言することはできない。

 だとするのなら、澪おねーさんに直接問いただすしかないだろう。


「澪さんは今どこに?」

「会いに行くつもり?」


 質問には質問で。それに少しむっとする。そんなの訊かれるまでもない。澪おねーさんにあって、婚約の件を問いたださなければいけない。


「ありがとうございます。天城家の場所を教えてもらってもいいですか?」

「それは無理ね。あなた、無茶しそうだから」


 キッパリ断られた。ので、


「わかりました。じゃあわたしはこれで。失礼します」

「えぇ、送っていくわ」


 一人で天城家の事務所を探さなければいけない。今後の方針が少しだけ見えたのでそれだけでも今のところは良しとしよう。

 地道に、少しづつ追っていくことが肝心なのだから──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る