第45話 報復(1)

『やっほ、この前ぶり。実は、この前の先輩さんから連絡があって、会社で酷い事言われたって泣いていたんだけどさ、何があったか知ってる?』

『もし何か知っている事があって、わたしにどうにかできる事があるんだったら教えて欲しい。知り合いが辛そうにしてるのは嫌だから』


 そのチャットがエリーから飛んできたとき、最初に感じたのは嫉妬心だった。

 エリーと雨宮先輩に繋がりがある事は知っていた。知っていたけど、こういう時に頼る相手があたし大橋かな子じゃない事に嫉妬した。

 どうして、先輩はあたしじゃなくて売春で出会った少女に泣きついたのだろうか。それが納得いかなくて、面白くなかった。


「なんでなのぉ」


 と、声を出してみても答えは出てこない。


「て、それよりも……」

『あるよ、心当たり。ウチの課長が、先輩にキツイ事を言っているのを聞いた』


 あたしは返信する。すぐに既読が付き、返信がある。


『それ、止めてくれなかったんですね』

『止めたけど、間に合わなかったの……』

『それで澪おねーさん、死にたいって言ってたんですよ』


 その文字を見た時、わたしの思考は止まった。後悔が押し寄せてきたからだ。

 先輩が、死を願う? 課長のあの言葉を真に受けて、そこまで追い詰められていたなんて。わたしがもう少し早く行動できていれば、そこまではならなかったかもしれないのに。

 そう、止めはしたのだ。言いすぎです! と叫んで止めはしたけど、


『さっさと死ねよ、お前』


 要約すればその言葉になる課長の発言には間に合わなかった。間に合わずに、先輩にその言葉を浴びせてしまったのだ。

 動けなかった理由はある。スマホの録音アプリを立ち上げ、課長の暴言を録音していたのだ。ある程度の長さを録音したかった。


『そう』

『そうって、それだけですか⁉』

『そんなわけないに決まってるでしょ。とにかく、課長に関してはこっちで何とかするから。エリーは先輩を出社しないように説得して』


 こうなったら、証拠が集まるのを待ってはいられない。

 チャットを切り上げて、あたしはノートパソコンを立ち上げる。

 あたしは実家暮らしだ。実家にはWi-Fiも通っているし、自由に使えるお金も多い。

 ここで大事なのは、Wi-Fiの存在だ。あたしはスマホにかきあつめた証拠を、クラウドストレージに一括アップロードする。そしてノートパソコンでワープロソフトを立ち上げる。

 まずはファイル名を決める。いくつかの候補を出して、その中から最もシンプルなモノにした。


『当社社員に対するパワハラに関する報告書』


 そしてそこに、今まで目撃した課長の言動を一つ一つ記述していく。そして、そこに証拠となる音声ファイルや画像ファイルを紐づけしていった。最後にUSBメモリに保存して終了だ。

 もしこれを見て、なお動かないとあればあたしは会社を辞めるだろう。半ば強引に先輩も辞めさせて。

 勝負は明日。このUSBメモリを人事部に提出する。後は彼ら次第だ。




 あたしと雨宮先輩の出会いは偶然だった。高校の時、電車に乗っていた時の事だった。あたしはその日、学校の授業で足を挫いていた。でも、電車は満員で。辛いなぁ、と思っている所に、


「ねぇ、そこの君。ここ、座らない?」


 と言ってくれた人がいた。その人も疲れているよう見えたけど、それでもあたしに席を譲ってくれたのだ。


「あ、ありがとうございます」


 お礼を言ってあたしは彼女のいた席に座る。その時に、彼女の横顔が見えた。



 カッコいい人だ、とそう思った。



  立ち居振る舞いもそうだし、顔も良い。とにかくその存在全てがカッコよく見えたのだ。しかも優しい、とくればあたしがその人に一目ぼれするのは当然と言えた。

 それぐらい、運命を感じたのだ。女性同士、というところはそもそも気にならなかった。気にする意味もないぐらいに、彼女に惹かれていたのだから。

 それからの日々は、ずっとその人の事を考えていた。電車の中で出会えないかな、と思って同じ電車に乗り続けてみたりもした。けど再開することは叶わずだった。

 それから時が経ち、あたしは高校を卒業して就職することになった。その時に合同説明会へ参加したのだけど、そこであたしは彼女に再開したのだ。向こうは覚えていなかったけど、あたしはすごく嬉しかった。

 それから、あたしはその会社に入ろうと頑張った。その甲斐があって、あたしは憧れのあの人と同じ会社に入る事ができた。それどころか、幸運にも彼女の部下にも慣れたのだ。

 彼女――雨宮先輩の下で働くうちに、どんどん彼女の事が好きになっていった。それはもう恋愛感情と呼んで差し支えないものだった。

 そう、あたしは雨宮先輩の事が好きだ。好きだからこそ、彼女を傷付ける存在を排除したい。だけど、今のあたしは完全に無力で、だからこそ証拠集めに精を出していたのだ。だけど、遅かった。先輩がそこまで追い詰められているなんて、思いもしなかった――。




「と、いうわけです。証拠は全てここに収められています」


 次の日、出社したあたしはすぐに人事部に行き、USBメモリを提出した。


「わかりました。報告ありがとうございます」


 人事部の社員さんがそれを受理し、あたしができる事は終わった。とはいえ、あの課長が降格かあるいはクビになる可能性は低いかもしれない。

 この会社は身内経営で、課長は身内の一人なのだ。だから、あたしの思惑通りに事が動き、課長が居なくなるかどうかは微妙なラインだ。

 それでも、ここまではやった。ついにやったのだ。


「あ、くれぐれもあたしが報告したという事は内密にお願いしますね」

「もちろんです。これは匿名の報告――という扱いに」


 保身も忘れない。好きな人を助けるためだからと言って無茶をするのは良いけど、それで自分が狙われるなんてことになったら大変だし、結果自分が追い詰められるなんてことになったらそれこそ本末転倒というものだ。

 しかし、無事に受理できてもらえてよかった。身内経営を理由に、するわけがないだろうと突っぱねられる可能性を考えていなかったわけではないし。


「かな子くん! 人事部に何かようでもあったのかね⁉︎ まさか辞めるとか、言わないよな!」


 焦った様子でこちらに駆け寄ってくる課長に吐き気がする。こいつがいなければ、先輩がこんなに追い詰められる事もなかったのに。

 こいつの思考回路はだいたい理解している。自分は楽して美味しい思いをしたい。それは良い。それは誰しもにある欲求だ。だけど、そのために他者を利用する。壊れるまで。それが気に入らない。

 叶うなら今すぐ殺してやりたい。先輩が苦しんだ分の苦しみを与えて、それから残酷に殺して──だけど、それじゃ何も解決しない。

 今は彼に罰が与えられるのを待つだけだ。しかるべき罰で、ここを去ってもらう。

 あたしは課長を無視して自分の机に座る。

 確実性が欲しい。より確実に、この男をここから去るように動かなければ。

 ……しかるべき機関の窓口に行かなければならないよね。

 とはいえその時間はない。悟られないように事を進めなければならないから。


「あ、そうだ」


 弁護士を介してなんとかしてもらうように、先輩に言ってみよう。そうすればより的確にあの男をここから消す方法を教えてもらえるだろうし。

 おそらく明日先輩は出社するだろう。となれば。そうあたしは考え始めた──。

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