第43話 モノクロ

 かつての乃亜ちゃんは、クラスに馴染めない子だった。いっつも教室の隅っこで本を読んでいるような、そういうタイプの子だった。

 時々彼女の教室に遊びに行くと、いつも犬みたいに駆け寄ってきたものだ。

 そんな彼女を、わたしもまた可愛がっていた。

 学校が終わると、どちらかの家で遊ぶこともあった。懐かしい記憶だ。

 あの頃は彼女といる時間が輝いていた。毎日がワクワクしていたのだ──。



「うわぁ、綺麗! めっちゃ映える!」


 彼女が調べたというお花見場所──公園に着いた乃亜ちゃんは、スマホを取り出して自撮りを始める。

 わたしに自撮りをする文化はないので、その光景を眺めるだけだったけど。

 こうしてみると、乃亜ちゃんのコーディネートは気合が入っている気がする。金髪に合わせた黒いジャケット、その下はモノトーンのしましまシャツ。下は少しダボっとしたデニムジーンズで、これがまた似合っている。

 お化粧は濃いめ。鮮やかなリップが目立つ。でもケバいわけじゃない。可愛い範囲内だ。


「ほら、えっちゃんも写ろ!」

「わたしはいいよ。恥ずかしいし」


 断ると、つまらなさそうに口元を歪め、


「恥ずかしいって、SNSとかやってないのー?」

「やってないよ。やっても面白さがわかんないし」

「えー、もったいない。えっちゃん可愛いんだからイングラやったら絶対バズるよ」


 バズる。ワードの意味は知っている。そしてそれは避けたい事態であるということも理解している。

 今まで関係を持ってきた相手に見られたらどうなるか──想像もできない。特定されて、襲われるかも。


「やー、別にそういうのは」


 わたしはそうやって誤魔化した。


「そっかぁ。あっ、あっちもっと桜あるよ!」


 乃亜ちゃんがわたしの手を取る。澪おねーさんの手と違って、ひんやりと冷たい手だ。

 そう言えば昔っから彼女は冷たい手をしていたっけなと思い出す。冷たくて、夏場なんかは心地よかったのを思い出す。


「懐かしいなぁ、この冷たい手」

「へへ、懐かしいっしょ。夏ん時よくオデコに当ててたの覚える?」

「覚えてるよ。冷たくて気持ちよかったなぁ」


 ニッと乃亜ちゃんが笑う。その笑い方はわたしの知らない笑い方だった。


「変わったね、笑い方」

「そう? あー、そうかも。昔みたいな地味な笑い方だと、クラスで埋もれちゃうじゃんね」

「なんか、本当に変わったね。昔は目立ちたがらなかったのに」


 教室で本を読んでいた彼女は一体どこにいったのだろうか。


「人は変わるもんだよ」

『でも、人の本質ってそんなに簡単に変わるものかな』


 澪おねーさんの言葉が脳内でリフレインする。

 乃亜ちゃんの本質は変わっていないのだろうか。澪おねーさんのその言葉を今は信じられないでいた。


「そういうえっちゃんも変わったよね。垢抜けたって感じがする」

「そうかな」


 そりゃあわたしだって変わる。けど、乃亜ちゃんほどじゃない。乃亜ちゃんは変わりすぎで、わたしはそれに比べたらわたしは全く変わっていないような気がする。

 けど、子供の頃の親友にそう言われると、変わったんだろうなぁと思わざるを得ない。

 と、そこで気がついた。再開してまだ二回しか会っていないのに、そんな事がわかるのだろうか。彼女のようにがっつり髪染めて──とかじゃないのだから。


「まー、でも今のえっちゃんもいいと思うよ。むしろステキになってるって感じ」

「あ、ありがとう」


 なんか、そう言われると照れる。照れてしまったので、


「そっちも……うん、今の乃亜ちゃんも素敵だと思うよ」


 なんて口走っていた。

 一時、乃亜ちゃんの言葉が途切れる。どうしたんだろう、と思って彼女をみると、


「つぁ……」


 彼女は顔を赤くしていた。もしかしてこれは──。


「照れてる? 人には素敵とか言っておいて、自分が言われると照れちゃうの?」


 意地悪く笑みを浮かべてみる。今の彼女なら、きっと「んなことないよ!」とか返してくるんだろうなぁと思う。けど、


「ぁ……その、……うん」


 なんて、純真な少女のような反応を返された。

 その姿はまるで恋する乙女で、いやまさかと思う。だけどその反応は、じゃあ彼女が好きな相手って──。


「あっ、売店あるよ! ほら、行こ行こ!」


 誤魔化すように彼女は走り出す。わたしは慌てて追いかけていった。

 ──まさか、ね。

 胸の奥に浮かんだ疑問は、そのまましまっておくことにした。




「うっま、このケバブめっちゃうまいんですけど!」


 ベンチに腰掛けた乃亜ちゃんから、焼けた肉のいい匂いがしてくる。わたしの手元には、オレンジジュースが握られていて、二人で桜を見上げている。

 いや、乃亜ちゃんはケバブに夢中みたいだけど。その姿を横目に、いざこうしてお花見をしてみてやっぱり思った。

 ……何もワクワクしないなぁ。

 桜は綺麗だ。ピンク色に染まった公園に、美しさを感じるのも事実だ。だが、それだけ。そこに感動はない。

 だからだろうか。気を抜くと、桜の色がモノクロに見えてしまう。


「……えっちゃん? どうかした?」

「あー、ちょっと寝不足で」

「なーるほど。ちゃんと寝なくちゃダメだよ。そういやさ、今何してんの? 高校行ってる?」

「高校は──行ってない。無職。知り合いの家で家事してるって感じかな」


 嘘は言っていない。知り合いの部分がぼやけているだけで。


「そっちは?」

「あーし? あーしは高校行くよ」

「そっか。いいなぁ」


 彼女は変わった。明るいギャルになり、高校に行くという。

 わたしも変わった。両親がいなくなって、売春するようになって。そして澪おねーさんに出会った。

 会話が途切れる。積もる話は山ほどありそうなものなのに、会話は本当に短かった。

 わたしは桜を見つめる。やっぱりワクワクしない。

 こんなにもいい天気で、桜も綺麗なのに、楽しめない罪悪感から心は沈んだままだった。

 それから、わたしたちはのんびりと桜を見て、それから帰ることになった。その間も、景色は色褪せて見えていた。


「ふぃー、つっかれたぁ」


 伸びをする乃亜ちゃん。最寄駅に着いて、彼女が最初にした行動がそれだった。

 改札を出て、街に出る。夕方ぐらいの時間、赤く空が焼け始めていた。


「今日は楽しかったね!」

「う、うん。そうだね」


 正直に言えば、これが楽しかったかと言えば微妙なところだった。昔みたいに、乃亜ちゃんと遊んだのに楽しみきれなかった。

 やっぱり昔には戻れないんだなぁ、と思って嫌になる。昔のように、無条件に楽しめていた頃には戻れないのだ、と。


「その、さ。えっちゃんが良ければまたどっか遊びに行こうよ」

「そうだね、うん。お誘い待ってるね」


 口ではそう答えながらも、感情はもういいか、と思ってしまっていた。嫌な子だ、と自己嫌悪に陥った。


「約束だよ、じゃあね!」


 乃亜ちゃんが手を振って、繁華街の方に歩いていく。わたしもそれに倣って、手を振ってからアパートに向かった。


「……はぁ、なんでだろう」


 なんでこうなったのか。それが分からなくて、苛立たしく感じられたのだった。

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