第39話 変化

 家に帰ると、すぐに澪おねーさんに連絡する。


『今日はできるだけ早く帰ってきてね』


 と。少しして、


『わかったわ。頑張る』


 と帰ってきた。チャットアプリを閉じようとして──新しく追加された名前が視界に入る。"NOAH"と書かれたアカウント。それは、乃亜ちゃんのアカウント。


「まさかギャルになっているとは思わなかったなぁ」


 昔は、わたしの後ろが定位置だった。人見知りをして、ほかの子とは遊ぼうとしなかった。そんな彼女が、ねぇ。


『やっほー、久しぶりだね。会えて良かったよ!』


 そう思っていると、チャットアプリに通知。チャット上の乃亜ちゃんの口調も、やはりギャルっぽい。

 なんか、本当に変わっちゃったなぁと思った。


「……なんて返信したらいいんだろう」


 昔はあんなに簡単にいろんな事を相談したりしていたのに、今はもう何を話せばいいのかがわからない。


『うん、会えて良かった』


 とりあえず、無難な返信をして考える時間を稼ぐ。

 時間の流れとは残酷なものだ。無垢な子供だったわたしは大人になり、彼女もまた大きく変化した。

 断絶した関係性を修復するのは難しい。きっと、それは変わってしまった事で噛み合わなくなった歯車なのだろう。

 ……なんだろう。この再会を素直に喜べない。あの時の知り合いには、汚れたわたしを見て欲しくなかった。

 ただ、同時に安堵している自分もいた。この街に来て初めて、昔の自分を知っている人に出会えたのだから。

 彼女と再会した事で、わたしは過去の自分と繋がれたのだとも思う。汚れる前のわたしを知っている乃亜という人物を介して。


『えっちゃんは変わらないね。安心したよ』

『そっちは、なんか派手になったよね』


 変わっていないように見えるのは、わたしがやってきた事を知らないから。だからそんな事を言えるのだ。


『来年高校だからね。校則緩いところだし、髪染めちゃった』


 そうか、彼女は高校に行けたのか。それが羨ましいと、そう思った。わたしも高校に行きたかったなぁ、とも。


『えっちゃんはさ、どっちが好き? あーしの髪色』


 最も大きな変化について、彼女は訊いてくる。彼女は自分の変化を受け入れているのだろう。だからそんな事を訊ける。

 わたしとは違うのだ。どちらが好きと言われても、それを受け入れられるからそう訊ける。過去の自分でも、今の自分でも。


『正直、印象に残っているのはやっぱり昔の方だけど、金髪も似合ってて可愛かったよ』

『ほんと⁉︎ 嬉しいなぁ!』


 返信が早い。ずっと張り付いているんじゃないかと思うほどに。それか返信の言葉をしっかり考えずに、フィーリングで返しているのかも。


『そろそろ色々やんなきゃだから、またね』


 わたしはじゃあねのスタンプを押して会話を切り上げる。すぐに、


『そっか、わかった。またね』


 と返信が返ってきた。


「……乃亜ちゃん、か」


 再会は実に突然で、過去が今のわたしを覗きに来たように思えた。

 だから、過去から今に続く間にやってきた事が、わたしの胸にしこりとして残ったのだった。




「て事があったんだよ」


 旧友と再会した事を、食事を終えた澪おねーさんに話す。胸の奥にあったモヤモヤをなんとかしたくて、誰かに話をしたかったのだ。

 とはいえ、流石に売春云々の話をするのも躊躇われたので、そこは濁してだ。まぁ、それが一番のモヤモヤではあったのだけど。

 だからもう一つの、ギャルになってしまった乃亜ちゃんとの付き合い方について相談した。

 ……あれ、今なんで売春云々を濁そうって思ったんだろう。澪おねーさんとはそもそもその過程で出会ったというのに。


「そっか。それは嬉しい事だったの?」

「それは、もちろん嬉しいよ。だってずっと元気にしているかなぁって思ってたんだから」

「そうだよね。じゃあギャルになっていたぐらいじゃ、そんなに変わらないと思うな、私は。話聞いてる分には、向こうも嫌っているわけじゃなさそうだし」

「そうだけど……いきなり再会して、相手はギャルになってましたーって、面食らうっていうか……」

「それは、そうだよね。うん」


 澪おねーさんは同意して、


「でも、人の本質ってそんなに簡単に変わるものかな」

「え?」

「見方を変えてみたらどう? たとえば、彼女なりにクラスに馴染もうとしているとか、さ」


 なるほど、と思う。確かにそうかもしれない。ギャルとして振る舞う事が、明るい子として見られたいという欲求の結果だったりするのかも。

 さすが、年齢を重ねているだけはある。澪おねーさんは大人らしくわたしの思い付かない視点をくれた。


「なるほど……うん、確かにそうかも。そう考えると納得できるかも」

「でしょ? まぁ、本当にそうかは本人にしかわからないけれど」


 澪おねーさんはそう言って、食事に手をつける。

 やっぱり大人だ、とわたしは思う。決めつけず、あくまで仮定の一つとして提示するという事をごく自然にやってのけている。

 これが、意外と難しいのだ。なぜって、人は未確定な情報をさも真実かのように思い込むから。噂が発生すれば、それに尾鰭おひれがついて、結果ありもしない事実で責め立てられる──という光景は学校というコミュニティ内で何度か見た。


「まぁ、そういうわけだからあんまり距離を取らない方がいいと思うわ。昔と同じようにってのは、時が経ち過ぎていて難しいかもしれないけどね」

「そうだね……うん、ありがとう」

「どういたしまして。解決した?」

「解決したよ」


 まぁ、もう一つのモヤモヤは残ったままだけど、とりあえずそこは保留で。


「そっか、よかった。そうだ、お土産があるんだけど」

「えっ?」


 ガサゴソと澪おねーさんがカバンを漁り、紙袋を取り出した。白字に黒い文字だった。


「今日ホワイトデーでしょ? コンビニに寄ったらもう夜だしってことで値引きしてたの。あげる」

「うわぁ、ミロゾフのチョコレートだ!」


 こんなにいいチョコレートなんて食べた事がない。貧乏だったし、そも、コンビニで売っているのがこの時期だけってのもあった。


「いいの?」

「いいわよ。ずっと家事やらせてるから、そのお礼」

「そういう事なら貰っとく」


 えー、本当に食べていいの! と内心では大喜びなわけだけど、それを表情に出していると卑しいやつだと思われそうだったからやめておいた。


「じゃあ、わたしからも。ちょーっと待っててね」


 立ち上がって、コンロのところに。フライパンを乗せて火をつけ、油を引いてから脇に置いておいたタネを流し込む。


「ラジオでホワイトデーだって聞いたから、わたしもちょっとお菓子に挑戦して見たんだ」

「ほんとに⁉︎ そっかぁ、早く帰ってきっていうのはそういう事だったのね」


 澪おねーさんはワクワクと顔を綻ばせた。わたしはそんな彼女の表情を見て嬉しくなった。その顔が見れただけで、このサプライズを実行した甲斐があったというものだ。

 工程は料理本に書いてあった通りに焼き上げていき、ひっくり返して最後の焼きに入った。その間に買っておいたメープルシロップを取り出して、お皿を用意する。


「……と、これぐらいでいいのかな」


 フライパンからパンケーキを引き上げる。上手にできたかどうかはわからないけど、写真通りにできた。


「はい、お待たせ」


 澪おねーさんの前におく。メープルシロップを上から掛けると、鼻腔をくすぐる甘い匂いがした。


「美味しそうね。いただきます」


 澪おねーさんが箸で器用にパンケーキを切り分け、口に運ぶ。

 少し荒れた唇に、メープルシロップがついて艶やかになった。


「うん、美味しいわ」


 そう言って幸せそうに微笑む澪おねーさんを見て、頑張った甲斐があったなぁとか思ったのだった。


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