第6話 後輩の手当

 電車は混み合っていた。いつもの光景、いつもの圧迫感だ。時刻は八時過ぎ。電車が駅に滑り込む直前だ。


『まもなく、名古屋、名古屋です。お降りの際は──』


 アナウンスを聞き流しながら、窓の風景を見る。ビルに紛れて全国チェーンの映画館、同じく全国チェーンのライブハウスも見えた。

 それから、ホテル。昨日泊まったラブホテルではなく、あくまでもビジネスホテル。

 いつもより少し遅い時間の街並みは、活気付いているように感じる。車の量とかが多いのだ。

 まぁ、微々たる差だけれど、それが新鮮に思えた。あと、いつもより多い乗客も。


 電車が甲高い音と共に、駅舎二階の薄暗いホームに停車する。

 私は押し出されるようにして、下車した。流れに身を任せ、駅舎の一階に降りる。流され続けた私の人生がここにあったような気がした。

 地面を見つめるようにして、歩く。改札まで行けば、そこでこの人混みからは解放される。

 ICカードをタッチして改札を出る。広い通路を東西に分かれて人が散っていく。私は東に向かっていくのだけれど──。


「おわ、あわわわわ!」


 一人の女性が、私の目の前で転びそうになっていた。通路脇に置いてあったコンビニの番重に足を引っ掛けたみたいだ。

 慌てて腕を掴む。周囲の視線を感じながら、彼女の腕を引っ張って転倒を阻止した。


「──っと、大丈夫?」

「あっ、はい。大丈夫です」


 うん? どこかで聞いたことあるような声。このちょっとおっとりした感じの声は、もしかして。

 彼女は振り返り、


「ありがとうございま──先輩⁉︎」


 往来で叫んだ。いや、普通に迷惑だから。


「大橋さん?」

「やっぱり雨宮先輩じゃないですかぁ!」

「声、大きい」


 しまった! というような表情で大橋さんは口を押さえた。よくできました、と褒めてから、


「大橋さん、駅使ってたんだね」

「はい。家遠いので」

「そうなんだ。一緒ね」


 そう言うと、大橋さんは嬉しそうに笑った。なぜそこで笑うのかは理解できなかった。不思議だ。

 駅舎の外に出ようとすると、違和感に気がついた。大橋さんの歩きが遅い。


「大橋さん、どうかしたの?」

「い、いいえ。なんでもないですよ」


 んー? と目を向ける。何か理由があるのか、単純に彼女の歩みが遅いだけなのか。


「……ああ、そういうこと」


 目線を下げて、その理由を察する。右足を引きずって歩いていたのだ。


「足、痛めたの?」

「えっ? いやいや、全然ですよ」


 両手を振って否定する大橋さん。カバンが揺れる。

 ため息を吐いて、駅舎から出る。

 駅舎の外には交番がある。無論お世話になった事はない。


「すみません」


 と今まで一度も世話になったことのない交番に入る。女子高生を買ったという後ろめたい事があるからか、心臓が締め付けられるように緊張する。

 机に向かっている警官が顔を上げる。


「はい、どうされました?」

「この人がちょっと怪我しちゃいまして、今から必要な物買って来て治療するので、それまで居させてもらってもいいですか?」

「あぁ、なるほど。いいですよ。今椅子を用意しますね」


 警官がパイプ椅子を用意してくれる。


「先輩、あたしは大丈夫ですから。ほら、ご迷惑ですし」

「それ、足引きずってる人に言われても説得力ないわよ。いいから、ね」


 半ば強制的に大橋さんを座らせる。


「じゃ、すみませんがちょっとの間お願いします」

「はい、お任せください」


 頭を下げて交番を出る。

 近くにコンビニがあるので、そこに入って必要な物をカゴに入れていく。冷却シートと、ハンドタオル、靴下とあとは警官へのお礼に大袋のお菓子。

 会計を済ませて交番に戻る。


「お待たせ。さ、タイツ脱いで」


 大橋さんは、警官が後ろに向いたのを確認してから黒タイツを脱ぎ始めた。


「ほら、腫れてるじゃない。痛い時は我慢しなくてもいいのよ」

「ごめんなさい」


 冷却シートの箱を開けて貼り付ける。


「謝る必要はないわ。ただ、我慢しても辛いだけよ」

「はい……」


 ハンドタオルをその上から巻きつける。本当は包帯が良いのだけれど、コンビニじゃあなかなか売っていない。


「っと、よし。走ったりしなければすぐに治るわ。タイツ履けないでしょ? これ使って」


 靴下を手渡す。大橋さんは封を開け、履き始めるだろうと思って……。


「大橋さん?」


 彼女はぼうっとこちらを見つめていた。手には未開封の靴下。どこかトロンとしたような表情だ。


「あっ、ごめんなさい。ぼーっとしてました」


 大橋さんは慌てて目を逸らし、靴下を履き始める。その間に、


「どうもご迷惑をおかけしました。これ、お詫びの品です」

「いえいえ。これぐらいどうって事ないですよ。それと、ありがたく受け取りたいんですが、規則でして……お心だけいただきます」

「あっ、そうなんですね。わかりました」


 お菓子を下げる。そんな規則があるなんて知らなかった。知らぬは一生の恥とはよく言ったものである。


「先輩、お待たせしました」

「じゃあ、いきましょうか。どうも、ご迷惑をおかけしました」


 最後に一度頭を下げて交番を出た。




「先輩、優しいですよね」


 昼過ぎ。仕事をしながら、大橋さんが話しかけてくる。ちなみに位置関係としては、私の真後ろの席が大橋さんだ。


「そうかしら?」

「そうですよ。面倒見がいいっていうか、なんだろう……」


 大橋さんが考え込む。


「今日の事もそうですし、いつも仕事で困ってたら助け舟出してくれるじゃないですか」

「まぁ、仕事が早く終わるに越した事はないし。それに、助け舟っていってもアドバイス程度で、肩代わりしてるわけじゃないでしょ?」

「そう、そこなんですよ。ダメな人は、仕事を奪う。けど先輩は、あくまでもアドバイスに留める。それって、相手が成長するように、自力でクリアできるようにしているんでしょう?」

「まぁ、それはそうだけど」

「おかげであたし、成長できたんです」


 こんなブラック企業で成長しても碌な事ないと思うけど、と内心で思う。

 というか、課長は今日来てないのか。平和でいいなぁ。ま、課長がサボった分の仕事は私が肩代わりするんだけど。

 コーヒーを口に含む。苦味が口内に広がっていく。


「先輩モテません? 絶対モテてると思うんすけど」


 コーヒーを飲み込む。さて、仕事をするかな。


「せんぱぁい。無視しないでくださいよ」

「はぁ……別にモテないわよ、私」


 学生時代も、そして今も私は一度もモテたことがない。


「嘘ですよね。先輩優しいし美人だし、絶対裏で彼女にしたいランキング上位にいれられてましたって」

「でも、告白された事一度もないわよ」

「うーん、なんでですかねぇ」

「さぁ。愛想悪かったからかもしれないわね」

「あ、それはわかるかも。先輩いつも難しい顔してますし。あ、でもそこも先輩の魅力ですけどね」


 後輩よ、それはフォローにはなっていないと思うのよねぇ。


「っていうか、今先輩付き合ってる人とかっています?」

「いないわよ」


 付き合っている、健全なお付き合いをしている人はいない。エリナは──まぁ、お金で買ってるわけだし、手を出したわけじゃないから、全く別種の関係性だし。


「そうなんだ……今先輩フリーなんだ。そうなんだ……」


 ちょっと声が弾んでいる気がする。何が嬉しいのだろうか、と純粋に疑問が湧き出てくる。

 それにしても、誰かと付き合うか。一度も考えた事がなかった。

 こうして考えると、寂しい人生だなぁ。


「そうだ、先輩。朝のお礼もしたいんで、終わったら二人でご飯行きません?」


 唐突に大橋さんがそう言った。

 外食かぁ、どうしようかな。


「エリナにもご飯食べろって言われたし……」

「先輩?」

「いいわ。楽しみにしているわね」


 返事をしてパソコンに向かう。さっさと仕事終わらせて、ご飯食べに行こう──。

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