第3章 ネブラ編 2

 僕の道って、なんだろう。ミカは夜中自問したが、朝になっても答えが出なかった。一度寝ようか。そうしたら、頭がすっきりしてなにかがひらめくかもしれない。そう結論付けて毛布を被ろうとした時、リリアーナが部屋に入ってきた。

「おはよう、ミカ。よく眠れて、なさそうね」

 リリアーナが、腫れぼったい目をしたミカに苦笑した。

「ご飯食べに行こうよ」

「カーラは?」

「早朝からお稽古に行っちゃった」

「そう……」

「ほら、早く起きて。お腹空いてるんだから」

 リリアーナは、ミカの毛布をひっぺがした。

「昨日のこと?」

 食堂に行く道すがら、リリアーナが尋ねた。

「うん……」

 ミカは言葉を濁してから、続きを口にした。

「カーラは昔から、仕事を嫌がっていた。体調を崩すことも、しょっちゅうあったんだ」

「傍から見てて、無理してる感じはするよね」

 リリアーナは頭の後ろに手を組みながら、天井を仰いだ。

「ミカが心配してるってのは、伝わってると思うよ。それでも、自分がやらなきゃ、っていう使命感だか、強迫感だかが勝ってるっていうか」

「リリもそう思う?」

「思う。だけどさ、誰でもない、カーラが決めたんなら、尊重しなきゃだよね」

「……」

「あんまり思い詰めないで。相談なら、いくらでも乗るからさ」

 リリアーナは白い歯を見せて笑った。

「あたしはミカもカーラも大好きだから、ギクシャクして欲しくないんだ」

「ありがとう、リリ」

「どういたしまして。ところで、食堂ってこっちで合ってる?」

 リリアーナは立ち止まると真顔で言った。

「僕も知らない」

 自信満々な様子だったので、なにも考えずに付いてきてしまった。

「弱ったな。誰かいないかな」

 二人は周囲に首を巡らせるが、こういう時に限って誰とも出くわさない。

「まあ、いいや。そのうち会えるよ」

 気を取り直して、リリアーナはまた歩き出す。

「食事が終わったら、リリはどうするの」

「あたしはね、セラスさんのところに行くんだ。ミカもどう? って、そんな気分じゃないか」

「ごめん」

「元気出す!」

 リリアーナはミカの背中を叩いた。

「言い方はきつかったけど、カーラはミカを大切に思ってるよ。昨日、シャロッシュ様と一緒にいた人達も相当強そうだし、ミカが嫌なら無理に戦わなくても、だいじょうぶじゃないかな」

「僕は嫌じゃないんだ。だけどその、なんのために、っていうのが分からなくて、それで悩んでるんだ」

「なんのため? イマーゴとナハル・ニヴを倒すためでしょ」

「もちろんそうだよ。ただ、それだけだと、結局同じなんだ」

「なにが?」

「与えられた仕事を、ただこなすっていうか……」

「つまり、意義が欲しいってことかな。なんだろう、憎たらしいから復讐してやろうとかじゃなく、もっと大きな、大きな? 違うな。大切な、かな。うーん、合ってる?」

 リリアーナはミカの言わんとすることを汲み取ろうと、考え考え言った。

「うん、リリの言う通りだ」

 ミカは少しだけ心の霧が晴れた気がする。だが、まだしっくり来ない。

「それなら、答えは出てるんじゃないの」

「どういうこと?」

「自分で考えて。それにしてもなんなのよ、このお城。あ、ベー様だ。やった!」

 前方から現れたベヘモドに手を振りながら、リリアーナは駆け出した。

「どこへ行くつもりだ?」

 じゃれついてくるリリアーナの頭を撫でながら、ベヘモドが尋ねた。

「食堂ですよ、食堂。お腹空いて死にそう」

「食堂はこっちじゃないぞ」

「ええ!」

「お前達の気配がフラフラと動き回っているからなにかと思えば、迷っていたのか」

「助けに来てくれたんですね。さすがベー様」

「付いて来い」

「言われなくても、行きますよ」

 リリアーナはベヘモドの腕に自分の腕をからめた。 


「それじゃあ、あたし、セラスさんのところへ行って来ますね」

 食事を終え、木製のトレイを配膳カウンターへ戻したリリアーナは、食堂を駆け足で去っていった。

「べへモドさんはどうして戦うんですか」

 二人きりになると、ミカが向かいで薬草茶を飲むベヘモドへ話しかけた。

「この前話しただろう、気に入らないからだ」

「それだけですか」

「私には十分だ。ロクでなし集団の分際で、自分達が秩序を守っているんだから協力しろだのなんだのと偉ぶる奴らに、どうして従わなくてはいけない」

「戦うのが辛くなる時はありませんか」

「お前はなにか悩んでいる様子だが、要領を得ない質問と、関係があるのか」

 ベヘモドの真っ直ぐな問いに、ミカは一瞬言葉に詰まってから、正直に打ち明けた。

「僕は、戦う理由を考えています」

「なるほど。それで?」

「イマーゴにこんな姿に変えられて、手先として利用されたのは赦せません。だけど、憎しみで頭の中がいっぱいかというと、違うんです」

「お前は本当に優しいのだな。あの時も、カーラを必死に庇っていた」

「気が弱いだけかもしれません。カーラのように、大勢の犠牲の下に立っているから、後には引けないという使命感もありませんし、中途半端なんです」

「半端者なら、今頃土に還っている。自己卑下はするな」

「あの、僕がネブラで戦うので、代わりにカーラに別の仕事をしてもらう、というのは可能でしょうか」

 勢い余って、ミカが抱えていた思いを口にする。

「それが、カーラの意思なのか」

「いえ、僕の判断です」

 べへモドの視線は、普通にしているだけで圧力がある。

「なぜ、お前が勝手に決める」

「カーラは、本心では戦いたくないはずです」

「カーラが戦いたくないと思いつつも、敢えてその道を選んだ理由を、今口にしたばかりだろう」

「分かっています。でも……」

「ならば、話は終わりだ」

 ベヘモドは素っ気なく言った後、悄気るミカをしばらく見つめ、言葉を付け足した。

「カーラのように考える者は珍しくない。シャロッシュ様もそうだし、他にもいる。お前はあの子が安全な場所で、他の仕事に就けば幸せを得られると思っているようだが、果たしてそうなのか。どこにいようと、波立つ心は抑えられまい。むしろ、戦いに身を投じるほうが、穏やかになれるかもしれない」

「カーラは、戦闘狂ではありません」

「そうではない。イマーゴやナハル・ニヴを叩き潰さなければ、葛藤は終わらないだろう。だから、という意味だ」

「しかし、また新たな葛藤が生まれませんか」

 自分が積み重ねた死者の数だけ、罪の意識に苛まれたら、精神が保たない。

「恐らくな。決着が付いたからといって、すっきりとはするまい」

「だったら……」

「カーラが自分で選んだのだ。にも関わらず、あの子の意思を尊重せず、自分の望む方向へ変えようとするのは、ただの押し付けではないのか。お前が考えなければいけないのは、自分に何ができるか、それだけだろう。逆の立場ならどうだ。勝手に自分の道を決められて嬉しいか? 思いやる心も表現を間違えたら、不快な押しつけになるだけだぞ」

 ミカは目を伏せた。ベヘモドの指摘に、自分の一方的な思い込みを恥じる。

「私は思うのだが、答えは……いや、これはお前が考えるべき領域だな」

 ベヘモドは途中まで言いかけて、口を閉ざした。

「リリと同じことを言うんですね」

「親切とお節介を履き違えた奴でもなければ、誰でもそうだろう。私とお前とではそもそもの境遇が違うから、一括りに語るのは無理がある。だが、覚悟を決めるという一点は変わらないのではないか。たとえ、その動機が他人の理解を得られなくとも、な」

「覚悟……」

 ミカは顔を上げた。その言葉に、心に漂うもやを払われた気分だった。自分に足りないものが、ようやく見えた。

 戦うことを選べば、時にイマーゴやナハル・ニヴにいる、自分と同じ境遇の者を屠らなくてはいけない。苦しみは積み重なり、止むことはない。自分の掲げた大義も、詰まるところ、自己満足なのかもしれない。たとえ、そうだとしても、やり遂げたいなにかがあるかどうかだ。

「ありがとうございます、ベヘモドさん」

「役に立てたか」

「はい!」

「なら、伝えてこい。ただし、今は修練の最中だから、終わったらな」

 ベヘモドは、あるかなきかの笑みを浮かべて立ち上がった。

「私はリリの様子を見てくる。セラス共があの子を解体しないか心配だ」

「解体? なんですか、それ」

 不穏な響きに、ミカは思わず腰を浮かした。

「冗談だ」

 ベヘモドはそう言うと、自分のトレイを持って去っていった。


「セラスさん、セラスさん」

 リリアーナは鼻歌を歌いながら、迷宮城を歩いた。ベヘモドが言うには、セラス達が暮らす区域は、城で唯一、迷わず行けるらしい。なぜならば、ひたすら奥へ進めば辿り着けるから。

 作成者が異なるのか、他になんらかの理由があるのか、増築した部分毎に、様式が異なる。簡素かと思えば装飾過多、まるで統一感がなく、分裂気味の様相だ。

「ふむ?」  

 リリアーナはやがて、長い連絡通路に行き着いた。天井から、円の中に交差するカナヅチと木を削るノミが描かれた札が下げられている。

「この先、だろうね」

 リリアーナは呟くと、先を進んだ。通路を抜け、羽根を広げて向き合うコマドリが彫られた両開きの扉をくぐり、中へ入った。広間には、棒切れに手足が付いたような姿をした鈍色の金属の物体が数十、忙しなく動き回っていた。顔にあたる部分には目だけしかなく、黄色く光っていた。

 大きさに違いがあり、リリアーナの倍ほどの者、彼女と同じくらいの者、彼女の半分くらいの者がいて、一様に材木やレンガといった、建築資材を携えている。

「ええと、あの人達がセラスさん、かな……?」

 そうとは思えない。とはいっても、他に生き物の影は見当たらない。

「こんにちは」

 リリアーナは広間に響くような挨拶をした。

 その途端、異変が起こる。棒切れ達が一斉に彼女を見たのだ。目の色が赤くなり、示し合わせたように彼女へ迫ってきた。

「ひえ!」

 リリアーナは畳んでいた羽根を広げ、宙に舞い上がった。斬新な歓迎もあったものだ。

「おや、空を飛んだ」

 棒切れの一つが感心した。中性的な声との落差に、リリアーナが戸惑う。

「あたし、今度ネブラに入ったリリアーナです。ご挨拶に来ました」

 リリアーナは羽ばたきながら呼び掛けた。

「新入りさんか。挨拶に来てくれるとは、嬉しいじゃないか」

「というわけで、襲わないでください」

「分かった。今行くよ」

 返事を受けた途端、棒切れ達の目は再び黄色に戻り、リリアーナなどいなかったかのように、動き回り始めた。

「ああ、驚いた」

 リリアーナは床に降り立つと、胸を撫で下ろした。なんとも警戒心が強い。

 ややあって、広間の奥に並ぶ部屋の一つから女性が現れた。顔立ちは整っているものの、化粧気がなく、度の強いメガネを掛け、長い髪の毛を無造作に背中で束ねた姿は、なんとも野暮ったかった。

 その上、大きさの合っていない薄汚れた衣装を身に纏い、工具を刺したベルトを腰に巻き、更に色気の欠片もない、実用一辺倒なサンダルを履いているのだから、目も当てられない。

「やあ、私はグリシナだ。一族の長をしている」

 グリシナはにこやかに言って、手を差し出した。

「よろしくです」

 リリアーナは硬い皮をした手を握り返した。

「こちらこそ。それにしても、きれいな羽根だね。ちょっと見ていいかな」

 挨拶もそこそこに、グリシナはリリアーナの羽根を熱心に触り始めた。

「おーい、みんなもおいで」

 そう呼びかけた途端、どこからともなく人が集まり出した。皆、グリシナ同様見た目は悪くないのに、もっさりとした髪型をし、長と似たり寄ったりの垢抜けない格好をしている者ばかりだ。

「え? え?」

 たちまちのうちに取り囲まれたリリアーナは、目を丸くした。ある者は彼女を採寸し、またある者は、彼女の写生をする。

 一番興味を持たれているのは羽根だった。一斉に触るのでくすぐったい。せめて一言、声掛けするのが礼儀だと思うが、誰一人としてそれがない。どうやら少々、常識に難を抱えているらしい。

「いやあ、羽根の生えた子なんて珍しいから、興奮しちゃうよ」

 グリシナは羽根に鼻面が当たりそうなほど顔を近づけながら言った。手には、いつの間にか取り出した紙に、木に挟んだ黒鉛で何かを書き付けている。

「そうだ、君達の鱗粉は調合すると薬になるよね。私達は仕事柄、怪我が多くてさ、鱗粉が欲しいんだけどいいかな」

「ええ、いいですよ。調合の仕方も教えましょうか」

「本当? 嬉しいな。是非頼むよ」

 グリシナは目をキラキラさせた。

「誰か、なんか敷くもの持ってきて」

 年若い男の子が、すかさず懐から布を取り出し、床に広げた。

「……」

 なぜ用意しているのか、と問いたいのをリリアーナは我慢して、羽根をゆっくりと動かした。黄身がかった光を帯びた鱗粉が、布の上に柔らかく落ちていく。

 セラス達は、その様子を大きく目を開いて、じっと観察する。

 やりにくいなあ、とリリアーナは思った。しかし、研究熱心なのは伝わる。

「素晴らしい。いいものが見れて嬉しいよ、リリアーナ!」

 グリシナはリリアーナに抱きついた。

「君は最高だ!」

「あ、ありがとうございます」

「取り敢えず、お茶でも飲もうか」

 リリアーナは内心、ほっとした。ようやく解放されると思いきや、グリシナに付いて移動すると、他の者まで着いてくる。その間も髪の毛や羽根を触られっぱなしだった。

 案内された部屋は、一応客室らしいが、四方を本や帳面が山積みされ、長椅子とテーブルの置かれた部分だけが、辛うじて使えた。

「あんた達、もう十分調べたでしょ。戻りな」

 グリシナがそう言うと、他の者は一斉に不満そうな顔をした。

「だいじょうぶ、このお嬢さんはいつでもいじらせてくれるよ。そうだろう?」

「ええ、まあ……」

 どうやら、来るたびに取り囲まれるのは確定らしい。

 その答えに満足したのか、他の者は大人しく引き下がった。同族だけになると元気になるらしく、にわかに騒がしくなる。

「お茶を持ってくるから、ちょっと待ってて」

 グリシナはぺたぺたとサンダルを鳴らして、応接室を出て行った。

 リリアーナは長椅子に腰掛けようとして、うっすらと積もった埃に気が付く。

「うーん、これは」

 仕方がないので手で埃を払い、浅く腰掛けた。どうやら、掃除は得意ではないようだ。「お待たせ」

 出て行ったと思ったら、グリシナはお茶を乗せた木のトレイを持って戻って来た。

「早いですね」

「はは、お湯を沸かすなんて、私達には造作もないよ」

 グリシナはトレイを応接テーブルに置くと、リリアーナの対面にある長椅子にどすんと腰掛けた。もうもうと舞い上がる埃には、頓着しない。

「ごめんね、リリ。色々驚いたよね。あ、そう呼んでいいよね。好きに調べさせてくれるから、あの子達とっても喜んでたよ」

「そうなんですか」

 無言、無表情で不気味だったが、楽しんでいたのか。リリアーナはお茶の入ったカップを手に取って口を付けた。

「……?」

 なぜか味がしない。よく見ると色も薄い。まさか、出涸らしではないだろうか。グリシナを見ると、美味しそうに飲んでいる。

「リリはどうして、ネブラに来たんだい。良かったら聞かせてよ」

「はい……」

 リリアーナは自分の生い立ちから、今に至るまでを手身近に話した。母親は早くに亡くなり、暴力的な父親から逃れて家出をし、一人でスリをしながら生計を立て、イマーゴの構成員に運悪く捕まった後、無理矢理組織に入れられ、下っ端としてこき使われている間にミカと出会い、闘技場の一件で仲間達とアルバに拾われた。口にしてみると、結構、劇的な気がしないでもないが、大きな視点からすれば、特に珍しくもないだろう。

 グリシナは相槌を打ちながら、前のめりでリリアーナの話に聞き入り、最後に大げさなくらいの身振りを交えて感心した。

「若いのに、凄い生い立ちじゃないか」

「凄い、でしょうか」

「大したものさ。そうだ、今度、みんなの前でスリの実演をしてよ。面白そうだ」

「誇れる技ではありませんよ」

「何が役に立つかなんて分からない。だから、ありったけ知識を広げよう、というのが私達の信念なんだ。……その割には、籠りきりなんだけどね」

「お役に立てるなら」

 内気な知りたがり。聞いたとおりだ。

「私達の身の上は、ある程度聞いてるよね」

「イマーゴとナハル・ニヴの勧誘を断って、酷い目に遭ったとか」

「そう。腐った奴らの手先になんてごめんだからね。だから、先代の長である父は、どっちの誘いもつっぱねた。結果、イマーゴとナハル・ニヴの連合に、一族皆殺しにされかけたんだよ。そういう時だけは手を組むんだ、あいつら。男は一族を守るために犠牲になって、運良く生き延びたのは、女、子供だけ。さっき広間にいたのが、ほとんどさ」

「え……」

 リリアーナ絶句した。よくは見ていないが、数十人程度ではないだろうか。

「私も父の補佐をしていたから、責任はある。適当になびいて、隙を見て逃げるのも一つの手だったんじゃないか、って今になって思うよ。私達は戦うのに長けていないけど、技術には覚えがある。だから、追い払えるって過信してしまったんだ。蓋を開けてみれば、あいつらには知恵も力も及ばなかった。ダメだね、理屈ばっかりでは」

 グリシナは手の甲に残る傷跡をさすりながら、しんみりした。

「ナハル・ニヴを脱けたアルバに出会えたのは、幸運だったよ。私はあの子に一族の復讐を託した。全力で支援することと引き換えにね」

「そうだったんですね……」

「はは、湿っぽくなっちゃったな、ごめんよ。話を替えよう。リリは戦いに参加するの」

「直接はしません。支援だけです」 

「そうか。支援でもいい、一人でも多く連中を叩き潰してくれたまえ。助力は惜しまないから」

「お願いします」

「また懲りずに来てよ。慣れればみんな普通に話をするし、人懐こいんだ」

 明るさの中に陰を感じさせるグリシナの笑みに、リリアーナは惹きつけられた。

 話を終えて戻ろうとすると、広間にセラス達が集まっている。まだ調べ足りずに待っていたのかと思いきや、どうやらお目当ては他にいるらしい。

「あれ、ベー様どうしたんです?」

 セラス達が関心を向けていたのは、ベヘモドだった。黙って突っ立つ彼女は、採寸をされたり、体や髪の毛を触られたりと、されるがままになっている。

「お前が無事かどうか、心配になってな」

「ベー様の方が心配ですけど」

「全くだ」

「ベヘモドじゃない、珍しい。巨大化してよ」

 見送りに付いて来たグリシナが、ベヘモドに手を挙げて挨拶をする。

「お前達の住処が壊れてもいいのならな」

「それは困るな。外にしてもらえる? でも、お日様が眩しいから嫌だなあ」

「吸血鬼じゃあるまいし」

「ところでベヘモド、この子から聞いたけど、戦士が入ったんだって? どんな子なの」

「一人は洗礼者、もう一人はシャロッシュ様と同じく、イマーゴとナハル・ニヴを巡った経歴の持ち主だ」

 ベヘモドの説明に、セラス達がどよめいた。

「凄いじゃない。紹介して、紹介して」

 グリシナが鼻息荒く言った。どうか、お手柔らかに。リリアーナはセラスの長を横目で見ながら祈った。

「いじりすぎるなよ」

「もちろんさ。リリ、今すぐ連れて来て」

 リリアーナはベヘモドに目をやった。わずかだが、首を横に振っている。

「今日は、忙しいんですよ」

「じゃあ、明日ね。絶対。忘れちゃヤだよ」

 グリシナに懇願されながら、リリアーナは内心困惑した。ミカとカーラにどう説明したらいいだろう。彼女達の関心の高さから察するに、先が見えている。

「出向く度に採寸をされるが、どんな意味があるんだ?」

 帰る道すがら、ベヘモドがぼやいた。

「健康管理、でしょうか」

 取り敢えず、どんな情報でも仕入れようというだけで、大した意味はない気がする。

「大事だな」

 真に受けたベヘモドは考え込んだ。

「行ってみた感想は」

「面白いと思いました」

「それは良かった」

「けど……」

 リリアーナは言っていいかどうか考え込む。

「けど?」

「ちょっとずつでも、礼儀とか常識を身に付けた方がいいんじゃないかな、って」

 残念な要素が多くてもったいない。あれでは、無駄に損をするだけだ。

「なら、教えてあげてくれ」

「わたしが?」

「これから、彼女らと関係を深めたいのだろう? 適任だ」

「うーん」

 しまった。リリアーナは背負った重荷にめまいがした。

「まずは、信頼関係を作ることだな。いきなり偉そうに指摘しても、耳を貸してもらえない上に、反発を食らうだけだ」

「そうですね」

「つまりは、何を言うかではなく、誰が言うか、だ。自分に置き換えれば、よく分かるはずだ。お前の主張に利益があると分かれば、自然となびく」

「ベー様、案外策士ですね」

「……そうかな」

「あ、悩まないでください。褒め言葉ですってば」

 むつかしい顔をするベヘモドに、リリアーナは慌てて言葉を継ぎ足した。この組織は面白くて温かい。ようやく、居場所を手に入れることができそうだった。


 ミカは迷宮城の裏手にある、ネブラの修練場へ足を運んだ。大きさはカーラと戦った闘技場の半分ほどだ。彼が門を潜ると、戦士達が広間にいた多頭蛇から、講義を受けている最中だった。その中には、カーラもいる。邪魔にならないよう、客席に移動して見守る。

 講義の後は実戦が始まった。多頭蛇が、首をくねらせながら、戦士達に攻め方を教える。尾の一振りで遠くへ跳ね飛ばされそうな相手に対し、カーラは果敢に木剣を振るっていた。

 やがて休憩に入り、戦士達が汗を滴らせながら修練場を出ていった。多頭蛇は大きさを変えられるらしく、人間と同じくらいの大きさになって後に続いた。

 カーラは一人修練場に残り、壁に背を預け、地面に足を投げ出して、火照った体を冷ましていた。

「お疲れ様」  

 ミカはカーラに近づいて声を掛けた。

「ミカ」

 カーラは突然現れたミカに、少し驚いた様子だった。

「ちょっといいかな」

「どうぞ」

「稽古はどうだった」

 ミカは隣に腰を下ろして問いかけた。 

「楽しいよ。こんな気分は、ミカ以外では初めて」

 カーラは広げた手を空へ向けて言った。

「私を説得しに来たの?」

「違うよ。押し付けはもうしない」

 想定が外れたからだろう、カーラが意外そうな顔をする。

「僕も戦うって言いに来たんだ」

「無理しなくていいんだよ。ミカは戦うのが嫌いでしょ」

「違うよ。どうして戦うんだろう、って悩んでたんだ」

「答えが見つかったんだ」

「うん。僕は、大切な人と一緒に戦いたい」

 ミカの告白に、カーラが目を丸くする。

「……私が死んだら? もう戦わないの」

 カーラは頬をうっすらと染めながら、すげなく尋ねた。

「戦う。たとえそうなっても、カーラの意思は残っているから」

「今、考えたでしょ」

 カーラが疑わしそうに目を細めて、ミカに顔を近づけた。

「なんか、嘘っぽいよ」

「仕方ないよ。そんな意地の悪い質問されるなんて、思わないもの」

 ミカは開き直った。決まった、と思ったら外してしまった。物事はうまくいかない。

 カーラは眉を釣り上げて何か言おうとし、その前に吹き出した。

「適当なんだから」

「悪くないと思うけどな」

 ミカも一緒になって笑い出す。ようやく、飼育場の頃に戻れた気がする。

「ダメ。全然、説得力ない」

 カーラは腹を抱えて、その場に倒れた。

「そうかな」

「ミカは変わらない」

 カーラは目尻の涙を拭いながら、立ち上がった。

「ごめんね、嫌なこと言って。私、嬉しいよ」

「カーラ」

 ミカは起き上がると、カーラと向かい合った。

「また、よろしくね」

 カーラはミカに手を差し出した。

「僕の方こそ、よろしく」

 ミカはカーラの手を強く握り締めた。新しい関係が始まる。そんな予感がした。

「一件落着、だな」

 物陰から二人を見守っていたベヘモドは、表情を和ませた。


 その晩、べへモドは報告のためにシャロッシュの自室を訪れた。アルバの部屋はまた別にある。今の上司の部屋は、落ち着いた雰囲気の家具で、白を基調にしている。

「……というわけで、懸念は払拭されたかと」

 ベヘモドは、長椅子に腰掛け、蒸留酒のグラスを片手に、今日の出来事を語った。

「ご苦労様でした」

 シャロッシュは、向かい側で羽根のクッションを敷いた椅子に座り、ベヘモドを労った。アルバの時は酒好きだが、人格が変わると共に、趣向も転じる。彼女の前にあるのは、支援者からもらったハーブのお茶だ。

「楽しかった?」

「ええ、充実していました」

 ベヘモドは率直に答えた。イマーゴやナハル・ニヴで虐げられた子は心に傷を負い、世の中に対して斜に構える傾向がある。けれども、二人は不思議なほど純粋さを失っていないので、見ていて気持ちがいい。陽気で親しみやすいリリアーナは、一緒にいて気持ちが和む。

「優しい子達です」

「そうね。ネブラにいい風が吹きそう。引き続きお世話をお願いね」

「承知しました」

「面白くなってきたわね」

 シャロッシュは膝の上に肘をつき、顎を乗せた。

「早く、決着を付けられればいいのだけど」

「焦っているのですか」

 窓の外のおぼろ月を見つめるシャロッシュは、深い憂いを感じさせる。

「少しね」

「私達がいます」

 改造を施された人間は寿命を縮める。シャロッシュほど過度であれば、更に短い。ミカとカーラはそのことを知っているのだろうか。

「もちろん、信じているわ」

 シャロッシュはうなずいた。

「後どれくらい、殺し合ったらいいのかしら」

「……さて」

 答えの出ない質問だった。

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