第2章 戦士編 3

 イマーゴとナハル・ニヴが第七小区と呼称する地の果てに、かつてアヒントという名の人間の港町があった。そこには数千人を収容できる闘技場があり、遠方からも人が集まって賑わいを見せていた。だが、繁栄は一時に過ぎなかった。国同士の戦に巻き込まれ、交易路が変わり、いつしか人々は町を捨て、廃墟と化した。

 そんな町の歴史を知る者は、人間にもほとんどいない。唯一闘技場だけは、時代を経ても使われ続けている。犯罪組織の代理戦争にあつらえ向きの場所として。

 陽が沈み、風が肌寒く感じる頃、闘技場に明かりが灯った。早い時は数ヶ月、遅い時は数年に一度起こる謎の現象を、近隣に住む人間達は、悪魔の集会と噂していた。まれに物好きが正体を確かめに行くものの、誰一人として還らないのがその証しだった。

「うわあ」

 布製の白いリュックサックを肩にかけたリリアーナは、天蓋付きの馬車から降り、石造りの闘技場を間近に見上げて歓声を上げた。

 二段組のアーチを楕円形に組み合わせた建物は、所々が崩れているとはいえ、あちこちに掲げられた松明に照らされ、かつてと同じ威厳を感じさせた。

「こんなに派手にやって、だいじょうぶなの」

 闘技場の周囲には、ビールや蒸留酒を売る店や、串焼き肉や魚のフライといった食べ物の屋台が出ており、食欲をそそる匂いが漂っている。

「問題ありませんよ。辺り一帯はイマーゴとナハル・ニヴ、両方で警護しています。関係ない人間が近づいたら、捕まってしまいます。地元の領主にも話は付けていますから、兵隊がやってくることもありません」

 後から降りて来たアピスが言った。

「あれ、もう騒いでるけど?」

 リリアーナは、闘技場から聞こえる歓声に耳を澄ます。

「前座の試合をやっているんですよ。言わば、ミカ君の引き立て役です。そうそう、あなた達にはこれを渡しておかないと」

 アピスは穴が開けられ、紐が通された鈍色のメダルを二人へ手渡した。

「なにこれ?」

 リリアーナは紐を持って目元に掲げながら尋ねた。ハイフンで繋がった二桁の番号が刻まれている。

「入場券の代わりですよ。闘技場の出入り口の上に番号が刻まれているでしょう? イマーゴはイマーゴに割り振られた番号のところを使うのです。ナハル・ニヴと無用な対立を起こさないようにね」

「なるほど。後の番号は席を指してるのかな」

「ご名答。私達は代理人の介添えなので、一般の席ではありませんがね。首に掛けるなり、腕に巻くなりしておいてください」

 二人はアピスに倣って首に掛けた。

「我々が向かうのは地下ですが、少し闘技場の雰囲気を感じてみますか」

 アピスは二人を伴って闘技場へ入ると、回廊を歩き、観客席へ向かった。光の差さない通路を抜けて、客席へとたどり着く。 

「凄い、凄い」

 リリアーナは興奮して、握り締めた拳を振った。階段状に組まれた客席には、イマーゴとナハル・ニヴの様々な種族が集っていた。彼らの姿を全て書き留めれば、ちょっとした図鑑が出来上がるだろう。

 人間も少なからずいる。彼らはどちらかの組織と提携する領主や貴族、犯罪組織の長とその構成員、それに商人達だ。

「どうです。ミカ君が戦う場所ですよ」

「広いですね」

 ミカは知らず、腕をさすった。暗殺と違い、無数の目に晒される戦いは初めてだ。

 闘技場では、兜と胸当てを付けた人間同士の戦いが繰り広げられていた。片方は三又の槍を両手に構え、もう片方は剣と盾を携えている。長く戦っているのだろうか、双方とも全身が傷つき、肩で息をしていた。

「あの人達も、組織の関係者?」

「必ずしも、そうとは言えませんね。金で引き抜いた一般の者や、借金のカタに引き摺り出されたロクでなしもいますよ。名を上げたくて、進んで出る組織の者もいます。代理戦の前座は、色んな事情を有しているのですよ」

 アピスが話をしている間に、闘技場の戦士達に動きがあった。三又の槍を構えた方が、相手の喉元を狙って得物を突き出した。剣を持つ方がそれをかわすと、槍の柄を脇で挟み、相手を地面へ倒した。そして、盾を捨てて組みつくと、胸に剣を突き立てた。苦鳴が闘技場に響き渡り、勝敗が決した。

 剣を持つ戦士に賭けた観客は手を叩いたり、指笛を吹き鳴らしたりして喜び、三又の槍を持つ戦士に賭けた方は、がっくりと肩を落とした。

「うわ、止めまで刺すの?」

 リリアーナは眉を寄せて口に手を当てた。勝った方は、客席に向かって両腕を突き上げ、返り血を浴びた顔に得意げな笑みを浮かべている。

「もちろん。だから、盛り上がるのですよ」

「決まりを分かってて、わざわざ出場するわけ?」

「知らない者も中にはいます。騙されたと気がついても、もう遅い。勝つ以外に選択肢はありません」

 戦いを見守るミカの額に、うっすらと汗が浮かぶ。もう少ししたら、自分も闘技場に立って殺し合いを演じるのだ。

「そう気負わずに」

 ミカの心中を察したらしいアピスが慰める。

「ミズラッハ様直々に稽古を付けてもらったのですから、自信を持ちなさい。空気に飲まれてはいけませんよ。そのせいでろくな実力が出せず、つまらない死に様を晒す家畜が結構います。単なる力量だけでは計れない要素が加わるからこそ、面白いと言えば面白いのですけどね。さて、行きましょうか」

 アピスは踵を返すと、地下へと向かった。地下はあちこちにランプが灯されているものの、なお薄暗かった。全ての通路が、ちょうど半分のところで厚い板に遮られ、その先へ進めないようになっている。向こう側が、ナハル・ニヴの控え室なのだ。

「どんな対戦相手なんだろう」

「後で、挨拶がてらに確かめに行きますよ」

 アピスは要所要所で警護をしているイマーゴの者に、代理抗争の戦士とその担当者である旨の書類を見せながら、控え室へと迷いなく向かう。

「お二人は、声掛けがあるまで、ここで待っていてください」

 控え室の出入口に扉はなく、黒い覆いがかけられていた。アピスは布をめくってミカとリリアーナを中へ導き、自分はどこかへいなくなった。

 室内にはベンチ、木の椅子とテーブル、それにベリーやイチゴといった果物や水が備えてあった。

「備えてある物は、食べちゃだめなんだっけ」

 リリアーナはテーブルの上にある水差しや果物を、部屋の隅に片付けた。ナハル・ニヴ側が、体調を崩す程度の軽い毒をこっそり盛っているかもしれない、とアピスが言っていたからだ。

「何か食べたくなったら言って」

 リリアーナは背負っていたリュックサックをベンチに置くと、音を立てて叩いた。

「水をくれるかな」

「任せて」

 早速リュックサックを漁り、水が入った皮袋をミカに手渡す。

 ミカは礼を言って受け取り、皮袋の口を開けて水を飲んだ。一度飲み始めると、中々止まらない。

「やっぱり、恐い?」

「試合を見たら、余計にね」

 ミカは皮袋をリリアーナに返してベンチに腰掛けた。

「だいじょうぶ、ミカは強いよ」

 リリアーナはミカを励ました。

「客席の声がここまで聞こえてくる」

 リリアーナは耳に手を当てた。新たな試合が始まっているのだろう、観客の興奮する声が、ひとかたまりになって闘技場を揺るがせている。他人の生き死にが娯楽。地元住民が噂するとおり、集っているのはまさに悪魔だ。

「引き分けはない、か」

 ミカは汗で湿り気を帯びた手を握り締めた。


 アピスは地上に出て闘技場を半周し、ナハル・ニヴの陣営へ出かけて行った。普通なら対立する組織の者は追い返される。だが彼は、公式訪問のごとく堂々とし、調子良く挨拶をするので、怪しまれなかった。

「やあ、トルキー君、ご機嫌いかがかな」

 地下に降りたアピスは、廊下にいた七面鳥そっくりの顔をした種族へ手を振った。既知の相手は渋面を作って応じる。もちろん、その程度の拒絶で怯む彼ではない。

「あれ、もしかして、対戦相手の調教師はトルキー君だったんですか。それなら、早く教えてくれればいいのに」

「だからどうした。そんなことよりなぜ、貴様がここにいる」

「皆さん親切な方ばかりなので、問題なく通してくれましたよ」

「警備は能無しか。おい、誰か……」

「まあまあ、そんなつれない態度を取らないで下さいよ。そこですか? あなた達の家畜の控え室は」

 トルキーを宥めすかしながら、アピスは入り口に白い覆いのかかった部屋を指さした。

「入るな」

 アピスの前にトルキーが立ちはだかる。

「挨拶くらいさせてくださいよ」

「集中を乱すつもりだな。貴様らしい姑息な戦法だ」

「裏なんてありませんってば」

「貴様は信用ならん」

「つれないですねえ、私達は親友でしょう?」

「捏造するな!」

「まあまあ、そんなに照れないで」

 相変わらず、からかい甲斐のある奴だ。アピスは、赤らんだ頭部を更に赤く染めるトルキーをなだめすかしながら、話題をすり替えた。

「お強いんですが、そちらの家畜は」

「彼女は私達が作り上げた、最高の商品だよ。これがお披露目になる」

 気を取り直したトルキーは、顎の下の垂れた肉を揺らしながら、自慢げに語った。

「彼女ですか。女の子なんですね」

 その程度はミカから聞き出して知っているが、アピスはすっとぼけて言った。

「む、まあな」

「お披露目なのに、最高の商品とは」

 下手に出つつ、アピスは皮肉を口にした。最高と言うからには、イマーゴの構成員相手に、相当腕試しをしたのだろう。ミカと同じく、他の区で暴れ回っていたとすれば、被害が耳に届かないのも無理はない。

「もう少し遊ばせてやりたかったが、頃合いだと思ってな」

 トルキーもさるもの、悪びれた様子がない。

「訓練と実戦は天地の開きがありますけど、だいじょうぶですか? 観衆に見られていると、落ち着かないんじゃありませんか」

「それは、貴様の商品も同じであろう」

「うちは度胸がありますから」

「度胸共々、瞬殺してやる」

「大した自信だ」

「そろそろ消え失せろ。本当に警護を呼ぶぞ」

「おお怖い。分かりました。お互い、公正な戦いをしましょう」

 差し出されたアピスの手を、トルキーが指先で摘んだ。

「分かっていると思うが、ネブラに注意しろ。必ずいるぞ」

「引き抜きですか、それとも撹乱? 精が出ますな」

「悠長に構えている場合か。なにかあったらどうする」

「改めて、警護を徹底させ、不審な者はひっ捕らえましょう」

「ならば、貴様も即刻立ち去れ、不審者」

「それを言いたいがために、ネブラの話を持ち出したのですか。まだるっこしいですね」

「違う!」

 トルキーが裏返った声で怒鳴った。


 ミカがベンチに腰を落とし壁にもたれていると、銅鑼が打ち鳴らされた。本戦前の余興でも行われているのだろうか、笛や太鼓の騒々しい音楽が始まると共に、観客のわっという声が重なる。

「そろそろ時間ですよ、ミカ君。準備はいいですか」

 アピスが覆いをめくって現れた。

 ミカはイマーゴの黒を基調とした戦闘服に身を包み、黙って立ち上がった。

「この前は、狭っ苦しい場所だったから、本領を発揮できなかっただけですよね。今回は闘技場ですから、好きにやってください。ただし、貴賓席だけは間違っても巻き込まないように。一般席なら、多少の死人が出ても構いません」

 ミカは無言で立ち上がると、控室を出た。リリアーナとアピスが後に続く。

「待ってください、ミカ君。こちらですよ」

 階段の方へ行きかけたミカを、アピスが呼び止めた。彼が指差す先には、昇降機が設置されている。

「あれに乗れば、そのまま闘技場へ行けます。演出は大切ですからね、古の人間が作った機材を、わざわざ修復しているんですよ」

「ミカ……」

「行ってくる」

 ミカは心配そうなリリアーナにうなずいた。彼が昇降機に乗ると、ワニの顔をした種族と、甲羅を背負い、亀そっくりの容貌をした種族が、滑車のハンドルをえいさ、えいさと回し始めた。幾層にも組まれた土台の間を、昇降機が揺れながら上がっていく。やがて動きが止まると、眼前の天井が斜めに降りて、視界が明るくなった。

 ミカが落とし戸を上り切ると、観客が拍手喝采で迎える。見回すと、そこは闘技場の中心だった。彼は思わず足が止まった。正面には、ナハル・ニヴの白を基調とした戦闘服を身に付けた、カーラが立っていたのだ。向こうも驚いているのだろう、目を大きく開いている。

「カーラ……」

 ミカは、ようやく声を絞り出した。

「控え室にいた時、対戦相手がどんな人か聞いて、まさか、って思った」

 カーラは沈んだ調子で返事をした。

「当たらなければ、よかったのに」

「あの時以来だね」

 テオドール暗殺のときは、変身していたから分からなかったが、今のカーラは、自分の頭の中に残っている姿より、大人びていた。

「ペンダント、まだ付けてくれていたんだ」

「うん」

 カーラは胸に手を当てた。

「今日は外してる。激しい戦いになるから」

 カーラが話し終わる前に、戦いの開始を告げる銅鑼が重なった。それを聞くと、彼女は速やかに鎧姿に変わった。手を武器に変えないのは、力の消耗を抑えるためだろう、腰に下げた剣を抜き放つ。

 ミカもまた、剣を抜いて構える。力は浅く解放し、相手の出方を待つ。

 観客はやっちまえ、殺せ、と口々に囃し立てた。最前列中央に設けられた貴賓席では、隣同士でイマーゴとナハル・ニヴの区の責任者が腰掛け、周辺にはとりわけ組織と関わりの深い人間達が集っている。

 先に仕掛けたのはカーラだった。上段の一撃をミカが受け止める。

「ミカ、本気を出しなさい」

 鍔迫り合いをしながら、カーラが言った。

「カーラこそ」

 ミカも言い返す。飼育場にいた時、数え切れないくらい稽古をした仲だから分かる。カーラは力は出し切っていない。

「ミカがそうしないからでしょ」

「してるよ」

「嘘吐き」

 カーラはミカを蹴って後退させると、再び踏み込んで剣を突き出した。

 ミカは自らの剣で軌道を逸らし、カーラの胸を斜めに切り下げる。難なく弾かれ、彼は再び距離を取った。


「今のところ、互角かな」

 客席の通路でアピスと並んで立ちながら、リリアーナは戦いの感想を述べた。観客は総立ちで騒いでいるので、自分の声もよく聞こえないくらいだ。

「思ったんだけど、ナハル・ニヴの戦士でも、髪の毛が白くて目の赤い人がいるんだね」

 返事がないのでアピスの方を向くと、なぜか口をわななかせている。

「ちょっと、あれ、カーラさんじゃないですか……」

 リリアーナの隣にいたアピスはそう絞り出すと、すぐにどこかへすっ飛んでいった。

「へ? カーラさん?」

 背中を見送りながら、リリアーナがぽかんとした。

「どういうこと?」


「なんという……なんという!」

 アピスは居ても立ってもいられず、ぐるりと半周してナハル・ニヴ陣営に行くと、観客席の通路に立っていたトルキーへ詰め寄った。

「ちょっと、トルキー君!」

「なんだアピス、また来たのか」

 トルキーは横目でアピスを見ると、わずらわらしそうに言った。

「なんだじゃありませんよ! あの娘は、私達の飼育場から逃げ出した子ですよ!」

「今は、うちの商品だ」

「また性懲りもなく再利用したのですね!」

 アピスは足を踏み鳴らした。

「逃げたのはカーラの意思、ナハル・ニヴへ来たのもな。私達が唆したわけではない」

「よくも、そんな詭弁をしゃあしゃあと」

「商品は大切に扱いたまえ。雑な扱いをするから、愛想を尽かされるのだよ」

 小憎らしい表情でトルキーが笑う。

 ぬぬ、とアピスは口惜しがりながら拳を固めた。できるものなら、垂れ下がった顎の肉を引き千切ってやりたい。

「なあ、お前の上司が気づいたらどう思うかな」

「あなた達の卑怯さに憤るでしょうね」

「憤るだけだろうか。この事態を招いた者への咎めはないのか。その憤りようから察するに、貴様が担当者だったのだろう?」

「な、なぜ私が責任を負わなくてはいけないのです」

「カーラはイマーゴとナハル・ニヴ、両方から改造されて生き延びたのだぞ」

「だからなんです」

「成功例が互いの均衡にどういう影響を及ぼしたのか、知らないわけではあるまい?」

「そうですね、一人はあなたの組織を裏切って、ネブラを立ち上げましたっけ」

「ぬ……」

 痛いところを突かれて、トルキーが言葉に詰まる。

「今度も裏切られないといいですね」

「しつけは厳しくしているよ」

「どうでしょうか。あの子のことは、私もよく知っていますよ」

 アピスはトルキーに顔を近づけ、ねちっこい口調で反論した。

「あなたこそ、牙を抜いてやったなどと、勝手に思わない方がいい」

「……」

「どうしました、急に無口になって」

「ふん、貴様の忠告、ありがたく受け取ってやろう。だが、不利なのはイマーゴだぞ」

「おっと、言い忘れましたが、ミカ君は洗礼者ですよ。そして、ミズラッハ様から直々に手ほどきを受けました」

「なに!」

「さあ、楽しくなってきましたね」

 トルキーを嬉々として追い込む裏で、アピスはカーラの力に脅威を感じていた。小さい頃から才能は感じていた。その上、ナハル・ニヴに改造されたとあっては、洗礼者のミカすら危ないかもしれない。

「貴様らの商品ごときに、カーラが負けるか」

 トルキーはそう吐き捨てた。

「万が一にもあり得ん。もういいから消えろ」

「ええ、ええ、そうしましょう」

 アピスはトルキーの前から立ち去った。イマーゴの陣営へ戻る道すがら、事態の深刻さが身に染みてきて、胃がキリキリと痛んだ。いっそ、逃げるか。それで、どこへ。行き場などなかった。


「いつまで遊んでいるの!」

 苛立った様子のカーラは、地面の砂を巻き上げて踏み込み、ミカとの距離を一気に詰めて攻撃を加える。受け止め切れないと判断した彼は、横っ飛びにかわした。

 ミカは状況をなんとかしたかった。考え得る作戦は一つ。引き分けに持ち込むことだ。

 自分もカーラも、組織にとって利用価値がある。互いに疲れ果ててなお、無理に勝敗を決しようとはしないはずだ。その、あるかなきかの可能性に賭けたかった。

 だが、それを成功させるには、彼女の助けも必要になる。

 ミカはカーラと力の均衡が取れるよう、調整しながら戦っていた。彼女は感情的な態度を取る割に、耐えられる程度の攻撃しかしてこない。

 多分、カーラは力を出し切っているつもりでも、その実、抑えている。いや、抑えてしまう。真意はどうあれ、ミカにとっては悪くない状況だった。詰まるところ、戦いたくないという気持ちは同じなのだ。

 互いに激しく打ち合うものの、致命傷は負わない、まるでよくできた演舞のような戦いが続いた。

 先に力尽きたのはミカの方だった。力の解放時間が限界まで達し、血が抑えられなくなり、元の姿へ戻る。もはや、立っているのがやっとだった。

 対するカーラもまた、ミカへ止めを刺そうとして足元がふらつき、変身が解ける。

 二人は距離を取って睨み合った。両者の瞳の奥にもの悲しさを見出す者は、当事者以外では、リリアーナくらいだろう。 

 観客はざわめき、困惑した様子で互いに顔を見合わせた。


 最初に動いたのはミズラッハだった。席を立ち、審判として待機していた鶴の頭と人の体をした種族へ片手を上げた。

 鶴人間は闘技場へ飛び出すと、備えていた赤い旗を広げ、観客席に向かって振りながら走り回った。中断の合図だ。珍しい事態に、闘技場全体からどよめきが起こる。

「問題ないな、フスフ」

 ミズラッハは隣に座る、ナハル・ニヴの代表へ声をかけた。

 フスフは髪の毛がなく、頭が大きく、目がギョロリとし、子供のような背丈で、肌には体毛一つ生えていなかった。表皮のつるりとして硬そうな質感といい、総合的な外観は、陶器でできた赤ん坊の人形を彷彿とさせた。

「仕方ないでしょう」 

 フスフは椅子に腰掛け、胸の前で手を組みながら、甲高い声で応じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る