第2章 戦士編 2
テオドール暗殺阻止に失敗した後、ミカは第三区にある古巣の飼育場へ戻された。干された彼は、リリアーナと人間の町へ出かける以外、することのない日々を過ごしていた。
「今日も暇で結構、結構」
リリアーナはブナの木の下で寝転びながら、大きく伸びをした。
人間がおいそれと近づかない飼育場の周辺は、開発されていないため、豊かな自然が広がっている。
少し離れたところで、ミカは木剣の素振りをしていた。性格なのだろう、暇ならば暇を存分に楽しもうという相棒とは違い、なにかをしていなければ、落ち着かなかった。
「お給金もちゃんともらえるし、ずっとこのままがいいな」
「……」
ミカは木剣を地面に突き刺し、その場に座り込んだ。額から流れる汗が顎を伝い、下草へ落ちる。
「カーラさんのこと?」
「うん」
ミカはずっとカーラのことが頭から離れなかった。暗殺者が彼女だったと、イマーゴには報告していない。リリアーナも黙っていてくれた。明かそうが隠そうが、事実は事実だが、言えなかった。
いきさつは判然としないが、カーラは自分よりも厳しい道を辿ったようだ。彼女だけでも自由になって欲しいと願ってした行為が、裏目になってしまった。それが、胸を締め付ける。
「確かめたい」
うなだれながら呟くミカの隣へリリアーナがやって来て、しゃがみ込んだ。
「どうやってさ」
「分からない。けど、僕は……」
ミカは指を地面に突き立てて、草の根と土をえぐった。
「煮つめちゃダメだよ。ろくなことになんないから」
「もどかしいんだ」
「そうだね」
リリアーナはミカの頭を優しく撫でた。
「せっかく、見つかったんだもんね」
「会って、話がしたい」
「うん、うん」
「どうすればいいだろう」
「今は無理だよ。ナハル・ニヴにいるんだもん。ミカだって分かるでしょ」
リリアーナは穏やかに諭した。
「機会を待とう。後先考えない行動は厳禁、いいね」
「機会って?」
ミカはつい、きつい口調で尋ねてしまった。リリアーナが悪いわけではない。分かっていても、苛立ちが抑えられなかった。
「お仕事をするのが一番かも」
気にしたふうもなく、リリアーナが語る。
「仕事、か」
ミカは顔を上げた。単純だが、説得力がある。
「楽しい解決法じゃないけど、外に出てナハル・ニヴの情報を集められるのって、それしかないじゃない。イマーゴの中で嗅ぎ回ったら、怪しまれちゃうし」
「リリの言う通りだ」
「正直言うと、あたしはヤだけどね。恐いのも、気持ち悪いのも勘弁だし」
リリアーナは冗談めかして言った。
「ね、気晴らしに、美味しいものでも食べに行く?」
「そうしようか」
微笑んで、ミカは立ち上がった。リリアーナの気配りが心に染みる。
「どうした、休んでばかりでは腕は上がらないぞ」
「ミズラッハ様」
振り返ると、ミズラッハがミカの背後に立っていた。普段の威圧的な気配は微塵も感じさせなかった。
「うわわ」
リリアーナも慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「かしこまらずともいい」
ミズラッハは二人に鷹揚さを示した。
「ミカ、暗殺者はどうだった」
「はい、僕の手には余る存在でした」
「アピスの報告を聞く限り、そいつはただ者ではなさそうだな。目的を果たす以外、頭になかったのは運が良かった。もしも、ナハル・ニヴが皆殺しを命じていたら、貴様は死んでいたかもしれないぞ」
ミカはミズラッハの容赦ない指摘に打ちひしがれた。反論の余地もない。
「私の血を分け与えた者が、容易く殺されては恥だ」
「申し訳ありません」
「貴様はまだ力を使いこなせていないようだから、私が稽古を付けてやる」
「ミズラッハ様が?」
「メランの力を教えるのだ、メラン以上の適任はおるまい」
ミズラッハは当然だ、とばかりに顎を逸らした。
「向かってこい」
「しかし……」
緩衝材が付いていない木剣で打ち据えていいものか。それに、ミズラッハは丸腰だ。
「遠慮など無用だ。貴様ごときの攻撃、素手で十分。さあ、時間を無駄にするな」
ミカは力を解放して、ミズラッハに向かい合う。
「リリ、離れて」
ミカが言うよりも早く、リリアーナは飛ぶように二人から遠ざかった。彼の戦いを誰よりも知る身として、妥当な判断だ。
ミカが胸目掛けて振るった剣を、ミズラッハは素手で受け止めた。装甲のような肌には傷一つない。
「貴様は強大な力を恐れている。違うか」
「その通りです」
「無理もない。暴れ馬を乗りこなせ、と言われているようなものだからな。加減をするのが難しい。そうだな? 力を抑えつけようとするのではなく、一体になれ」
「一体に?」
「理屈ではなく、体で覚えろ」
ミズラッハはミカの胴に掌底を食らわせた。彼は吹っ飛び、地面を無様に転がる。全身に走る衝撃で、彼はしばらく立ち上がれない。
「寝ている場合か。立て」
ミズラッハに促され、再び打ち込む。
「相手を見て、どれくらい血を解放すればいいか常に考えろ。むやみに力を解放するな。機を見て使い、また抑える。要は緩急だ。慣れれば意識しなくともできるようになる」
ミズラッハはミカに訓辞を垂れながら、攻撃を全て受け止める。
「雑念を持つな、恐れるな。まがい物とはいえ、貴様はメラン一族の血を受け継いだのだ。一族の端くれとして、恥じない戦いをしろ」
ミカが力量の差に恐れを抱いて集中力を欠いた途端、ミズラッハに頬を殴られる。目から火花が散り、口の中が切れて血が広がる。
「どうした、腕が止まっているぞ。やり返してこい」
ミズラッハはミカを殴打しながら話し続ける。
「貴様が手に入れたメランの血は、深い可能性を秘めている。掘り下げるんだ」
稽古はミカの力が尽き、地面に這いつくばるまで続けられた。
「今日はここまでだ。明日もやるからな。小娘に薬を多めに用意させろ」
返事をする気力もないミカを残して、ミズラッハはその場を去った。
「だいじょうぶ?」
駆けつけたリリアーナが、ミカを抱き起こした。
「なんとか」
腫れて膨らんだ顔で、ミカがもごもごと応じた。何回殴られたのだろうか。回復が早いこの体をもってしても、まだ治らない。
「滅茶苦茶だよ。稽古っていうより、しごきじゃない」
リリアーナは腰に下げた皮袋から、貝殻を容器にした練り薬を、ミカの傷ついた体に塗っていった。彼女の羽から採れる鱗粉は、調合次第で毒にも薬にもなる。先のベールとの戦いでミカを支援した時に使った粉も、彼女が作った。
「いいんだ。僕もずっと、この力をどうにかできないか悩んでたから」
「だけど、やり方ってものがあるでしょ」
「イマーゴらしいよ」
意地でも付いていく。ミカは腹の中でそう心を決めた。組織のためではない。自分のために腕を磨きたかった。
ミズラッハの稽古は、連日続いた。彼は彼なりに加減をしているらしく、瀕死まで追い込むことはなかった。ミカは彼のやり方に慣れるにつれ、安心して力の使い方を学んでいった。
飼育場の管理者と、彼に買われ、無理矢理体を作り変えられた、家畜と呼ばれる者。心の繋がりなど、到底生まれるべくもない関係。しかし、二人が真剣に向き合っていたのは、紛れもない事実だった。
そして、瞬く間に一月が経つ。
「もう十分だ。後は自分で磨きをかけろ」
ミズラッハは突然終了を告げた。
「ありがとうございました」
ミカは元の姿に戻りながら礼を言った。メラン一族の血はだいぶ制御できるようになり、姿を維持できる時間も、稽古を始める前の倍は長くなった。
「最後に一つ、とっておきを教えてやる。力は制御不能になる際が一番強い。今のお前では、そのまま振り切って自滅するだけだろうから、勧めはしない。そういう使い方もある、という知識だけ持っておけ」
「分かりました」
「リリアーナ、ミカの面倒を頼んだぞ」
「あ、はい」
ちょこちょこと近づいてきたリリアーナに、話を振る。いつの間にか、彼女もまた名前を覚えられて、声を掛けられるようになっていた。
「しかし、逃亡を図った者が洗礼者になるとは、面白いな」
ミズラッハは機嫌がいいらしく、声が弾んでいた。両腕を広げて空を仰ぎ、深く息を吸い込む。
「ミカ、私はポロスになりたいのだ」
「ポロスとはなんでしょう」
「一族を取り仕切る存在だ」
「つまり、一番偉い人です?」
「そうだ」
ミズラッハはリリアーナの答えに、満足げにうなずく。
「そのために、貴様らには役立ってもらうぞ」
ミカはリリアーナと視線を交わした。彼女もまた、微妙な表情をしている。
「どうして、僕達にそんな大切な話を?」
「分からないか? 貴様らだからこそ、だ」
親しみが籠もっているようだが、本質的に違う、とミカは感じた。自分達はただの道具か、良くて愛玩動物だ。であればこそ、安心して本音を吐露できる。
「ミカ、貴様には近々、代理人として立ってもらうぞ」
「え……」
「意外か。貴様がただの家畜なら、とうに代理人にしていた。貴様はメランの血を持つ特別な者だから、調整に時間をかけたのだ。だが、力を使いこなせているかどうか、ずっと気になっていた。だから、私自ら指導して仕上げをしたのだ。次の代理戦は賭ける領土が広く、イマーゴとナハル・ニヴ双方にとって重要だ。決して、私の顔に泥を塗るなよ」
「……」
「どうした、覇気がないぞ。今から怯えてどうする」
ミズラッハはミカの肩を叩くと笑った。
「詳細はアピスに聞け。調整を怠るな」
「そういう裏があったんだ」
リリアーナは立ち去るミズラッハを見送りながら言った。
飼育場の門をくぐった当たりで、二人はアピスと出くわした。忙しかったのか、あるいはどうでもよかったのか、彼と会うのは、テオドールの一件以来だった。
「お二人ともお久しぶりです。元気でしたか」
「おかげさまで。アピスさんも元気そうだね」
「いやいや、テオドール氏の件の事後処理やら、事務仕事やらで、寝る暇もありませんでしたよ」
「ご苦労様でした」
おざなりにリリアーナが返す。
「ミカ君も大変でしたね。ミズラッハ様から直接指導を受けていたんですって? 名誉なことじゃないですか。ところで、代理人の件は聞きましたか」
「ええ、ついさっき」
「おめでとうございます。ですが、喜んでばかりもいられません。公に代理人として立てば、当然、ナハル・ニヴにも顔を知られます。生きている限り、彼らからつけ狙われる覚悟をしておいてください」
「そんなにミカを脅かさなくてもいいじゃない」
「ただの心構えですよ」
「対戦相手は決まってるわけ?」
「一応探らせてはいますが、本番まではなんとも。第三区の中で一番大きい第七小区の権利を巡っての争うので、大きな催し物になりますよ」
「お客さんが入るの?」
「もちろんですとも。イカサマなしの殺し合いですから、賭けにはもってこいでしょう。その上、入場料に、来賓からいただくご祝儀、売店の酒や食べ物、お金が大きく動きます」
「なるほどね」
「今回の代理戦は、急遽決まりました。第七小区はイマーゴが取っていたのですが、責任者が、任期満了まで後二年もあるにも関わらず、最近になって、体調不良で亡くなったのです。一時はナハル・ニヴの関与も疑いましたが、本人の不摂生が原因のようです。日時と場所は、現在先方と最終調整をしています」
「初めてなんだし、もっと楽なお仕事回してあげればいいのに」
リリアーナは、両手を頭の後ろで組みながらこぼした。
「代理人に楽などありませんよ」
アピスはリリアーナを咎めた。
「ここからが本当の初まりです」
ミカは、組織の利益を賭けた戦いの道具として、初舞台を踏む気持ちは、と自らに問うてみる。もちろん緊張はする。だが、闘争心は湧いてこなかった。あるのは虚しさ。それだけだった。
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