第1章 少年・少女編 3

「人間の町へ来るのは、久しぶりですよ」

 アピスは夜の繁華街をゆったりと歩きながら、ひとりごちた。彼は顔を布ですっかり覆い、初夏だというのにマントフードを着込み、暑苦しい出で立ちをしている。

 後に続くミカとカーラは、髪の毛を黒く染め、擦り切れた服にマントを着て、旅行者を装っている。ただし、背負った麻袋には仕事道具を忍ばせていた。

 初めて人間を殺してから一年以上が過ぎた。ミカは背が伸び、以前に比べて少し逞しくなった。カーラはやせぎすだった体が柔らかさを帯び、短かった髪の毛を肩まで伸ばすようになった。

「人間の町は、独特の風情があって面白いですね。できれば、買い物を楽しみたいところですが、暇がありません。黒猫亭、黒猫亭、と。ありがちな名前で分かりにくいですね。おお、ありました」

 アピスは一軒の宿屋の前で歩みを止めた。そこは、一階が酒場と食堂を兼ねていて、二階、三階が宿屋になっていた。彼が足を踏み入れると、後退しかけた髪の毛を撫でつけた口髭の男が、すぐにカウンターから出迎えた。

「お待ちしていました」

「お客さんは?」

「上で休んでいます。部屋は203と204。それぞれ、二人と三人です」

「他に人はいませんね」

「はい、満室扱いにしています」

「よろしい。お仕事前に、この子達に何か飲み物を」

「承知しました。アピス様は何にしましょう」

「ぶどう酒でもいただきましょうか。白で」

 ミカとカーラはアピスを挟んで、カウンターの隅に腰掛けた。店は満員で、どこの席でも、ビールが入った陶器のマグ片手に笑い声が絶えない。

「おさらいをしますと、この地方の領主はイマーゴの支持者です。話の分かるいい人なのですが、一つだけ悪癖がありまして、無類の女好きなのです。会合と称しては、奥さんと子供を残して、時折愛人と密会をしています。ナハル・ニヴと手を組む貴族がそれを嗅ぎつけ、暗殺を企てようとしている。今回はその阻止がお仕事です」

「このお店で会おうとしているの?」

 ベリーとミルクを混ぜた飲み物を口にしながら、カーラが尋ねた。

「その通り。このお店はイマーゴの息がかかっています。三階は、お偉い方々の密会専用でしてね、庶民は使えません」

「領主様を殺すだけにしては、数が多いね」

「密会と言っても、護衛くらいは付けますよ」

 ミカの質問に、アピスはマグのワインを揺らしながら答えた。

「情報を提供してくれたのは、このお店の人?」

「外れです。店主が暗殺者を見分けられるほどの目利きなら、イマーゴで働いてもらいますよ。それに、暗殺者が来てから通報しても遅いでしょう」

 アピスはカーラにそう言うとワインを口にし、不味いですね、とぼやきながらマグを置いた。

「質問です。確実な情報は、どこから手に入ると思いますか?」

「え? 分からない」

「考えてください」

 カーラは頬に手を当ててしばらく沈黙した。

「暗殺者と仲がいい人?」

「仲がいい人、とは?」

「友達とか、近くにいる人」

「個人ではなく、もっと広く考えると?」

「広く? 広く……」

「教会、商会、組合、婦人会、地域会、家族や職場、誰もが意識せずとも、様々な集団に帰属しています。そこで交わされる情報は、外の者が知り得るよりも、新鮮で奥が深く、真実に近い。これでは、ほとんど答えですね」

「え、じゃあ、ナハル・ニヴの……?」

「正解です」

「身内が売ってるの」

 カーラは唖然とした。

「どうして」

「動機は色々です。相手が嫌いだったり、自分より認められているのを妬んだり、出世に邪魔だったり、醜い感情という点では共通しますね」

「そんな勝手な理由で、組織を引っ掻き回したらダメでしょ」

「カーラさんの意見はまっとうです。確かに、組織の利益にはなりません。ですが、個人の利益にはなります。他人の失敗は、美味しい蜜なのです」

「自分さえ良ければいいの」

「いいんです。本人には、十分すぎる理由でしょう」

「なんだかな……」

「ええ、なんだかな、です」

「思ったんだけど、ウチはどうなの」

「可能性として、否定はできませんね。バレたらただでは済みませんが」

「うわあ、ドロドロだ」

「今回に限って言えば、ナハル・ニヴに潜ませたイマーゴの手の者からの通報です。危険ですけど、お手当がいいですし、出世にも繋がりますから、なり手は結構います」

「大変だね」

「だからこそ必要とされ、存在意義を見出せるのです。楽な仕事は、単調な上に誰でも替えがきいて、自尊心が満たされないものでしかありませんよ」

 アピスは言いながら天井を見上げた。

「話はお終いです。そろそろ、仕事にかかってください。マントは預かりますよ。血塗れで町を歩いては目立ちますからね」

 二人はアピスにマントを預け、カウンターの席を降り、浮かれ騒ぐ人々の間をすり抜けて、奥にある階段を昇った。踊り場で二人は背負い袋から鞘に入ったナイフを取り出し、腰のベルトに挿した。

「アピスさんが慣れだってよく言うでしょ」

 カーラが麻袋を床の隅に置きながら言った。

「わたしは絶対に慣れないって思ってたけど……」

「そうだね」

 言葉を濁すカーラに、ミカが同意する。罪の意識は、数を重ねる度に薄れていった。ただし、時折悪夢にうなされるが。それは、彼女も同じだ。体調を崩して仕事に出られない時もあるほどなので、心の深いところでは、自分より苦しんでいるのではないだろうか。

「どっちにする」

「わたしが多い方」

「いいの?」

「この前は、ミカが多く倒したでしょ」

 カーラはそう言って、ナイフを抜いた。ミカも彼女に倣う。

 ミカとカーラは二階へ上がると、部屋番号を調べた。右側は201、202のプレートが扉に貼られている。目的の部屋は左側だ。

 ミカは203の扉へ耳を付けた。情報通り二人が会話をしている。彼は二人の位置を頭に描く。

 カーラが204の扉の前に立ったところで、ミカは彼女と頷き合い、扉を同時に蹴破った。一人は立ちながら腕を組み、もう一人は並んだベッドの手前に腰掛け、相方と向かい合っている。

 ミカは、佇む男の首を掻き切り、次いで、ベッドから半立ちになった男の胸へ突き立てた。

 ことを終えると彼はナイフを引き抜き、顔にかかった返り血を袖で拭うと、すぐさまカーラの元へ向かう。殺す時はなにも考えない。ただ淡々とこなすだけだ。

 204の部屋に入ると、カーラは既に二人を屠り、残る一人と距離を置いて対峙していた。相手は細身の青年で、おまけに丸腰。彼女が手こずるような相手には見えなかった。

「カーラ、どうしたの」

「この人、普通じゃない」

「ちっ、二人に増えやがった」

 青年は舌打ちをすると、足を踏ん張り、体に力を込めた。にわかに筋肉が膨らみ、上着が内側から裂け、肌にわさわさと剛毛が生え始めた。変化はそれだけではない、鼻面が前に迫り出し、歯が尖っていく。

「獣人か」

 ミカは身構えた。それも狼型だ。確実に領主を殺すなら、魔物を含めていてもおかしくはなかった。

 狼人間は変身を終えた瞬間に跳躍し、鋭い爪でカーラの顔面を凪いだ。彼女は身を屈めてやり過ごす。

 カーラの後ろにいたミカは、倒れていた男を片手で持ち上げ、狼人間へ投げつけた。

 狼人間は腕の一振りで死体を壁に叩きつけると、ミカの繰り出すナイフを間一髪でかわし、着地ざま今度は後方へ身をひねって窓際に降り立った。また向かって来るかと思いきや雨戸を蹴破り、窓枠に足をかけて、通りを挟んだ反対側の建物の屋根へと飛び移る。

「なんて、身のこなし」

 カーラは、目をしばたたかせながら感嘆した。

「て、感心してる場合じゃないか。ミカ、行くよ」

 二人は狼人間を追って窓から跳躍した。通りでは急に降ってきた雨戸のせいで、人々が騒いでいた。

 月明かりを受けながら、屋根の上での追いかけっこが始まった。足を踏み外せばただでは済まないが、双方あたかも平地であるかのように突っ走る。

「アピスさん、どうでもいいことばっかり喋るくせに、肝心な情報は教えてくれないんだよね」

 隣に並んだミカへ、カーラが文句を言った。 

「絶対、わざとだよ」

「試しているんだろうね」

 ミカは怒る気もしなかった。アピスは難易度を上げるために、わざと意地の悪い真似をする。意図は汲み取れる。余裕を持たせたら、修練にならないからだ。とはいえ、匙加減までちゃんと計算に入れているのだろうか。だからこそ、今でも生きているわけだが。

「意地が悪いんだから」

 カーラは忌々しそうに言った。

「もっと、いい武器を持たせてくれたらよかったのにね」

 ミカが相棒に同意する。体が大きい上に、鋭い爪を持つ狼人間相手にナイフとは、なんとも心許ない。これもまた、手元にある武器で対処する術を身に着けろ、という教えだろうか。

「ミカ、挟み撃ちにしよう。わたしが追うから、回り込んで」

 カーラの朱色の目が濃さを増すと、速さが上がった。

「分かった」

 ミカは一つうなずいてカーラから離れた。彼女の動きを目で追いながら、狼人間に先んじて進路を塞いだ。

「なあ、見逃してくれよ」

 ミカに逃げ道を塞がれ、カーラに追いつかれた狼人間は、二人を交互に見ながら上擦った声で言った。

「どうせ、ちょっとお仕置きされる程度で済むんだろ、な? 無駄に戦って怪我するよりも、その方が賢いぜ」

 二人は無言のままだ。命乞いや懐柔には耳を貸さない、ただ使命を果たすのみ。それが、アピスの教えだ。

「勝てると思ってるのか、俺に? 勘違いが過ぎるってもんだろ」

 狼人間は、じりじりと距離を詰める二人に、なおも語りかけながら、爪を立てて戦う姿勢を取り始める。

「知ってるぞ、お前らは見習いだ。二人で行動してるから、すぐに分かる。俺の相手をするには、早過ぎるってもんだぜ」

 狼人間の見透かした態度に、ミカの胃が縮まった。

「だから?」

 挑発に対し、カーラは気丈に言い返した。

「そうかい、聞き分けのねえ奴らだ」

 交渉が不可能と悟った狼人間は、体を沈めて足を開き、鼻面を天に向けて、遠吠えを始めた。

 何のつもり? カーラがミカに目で訴える。当然、彼も分からない。やけくそか、それとも、ままならない悔しさが表に出たのか。

 二人が遠吠えは武器なのだと気が付いたのは、困惑した直後だった。目眩が起こり、足元がふらつく。

 ミカが足を踏ん張ろうとした時、狼人間が目の前に迫り、刃に匹敵する鋭い爪を振り上げた。彼は咄嗟にナイフで防いだ。

 狼人間は自ら傷つくのもお構いなしに、勢い任せにミカをスレートを敷いた屋根に叩きつけた。

「ミカ!」

 更なる攻撃を仕掛けようとする狼人間へ、カーラが切りつけた。彼は素早くそれをかわして、距離を取る。

「ミカ、立てる?」

「だいじょうぶ」

 ミカはカーラの手を借りて立ち上がった。

「しまった」

「どうしたの?」

「ナイフが……」

 ミカはカーラにナイフを見せた。狼人間の攻撃を受けたはいいが、ナイフが根元からへし折られている。

「替え、ないかな」

「ごめん、持ってない」

 カーラはすまなそうに首を横に振った。

「使えそうな物……」

 ミカは体をまさぐってみる。悲しいかな、武器になりそうな物はなにもなかった。もしもを想定しなかった、自分の迂闊さを呪う。

「へへ、だから言ったろ」

 狼人間の手はすでに治っている。魔物の血を取り込んだ二人以上の回復力だ。

「今更、命乞いはなしだぜ」

 またも遠吠えをしながら、狼人間がゆっくりと迫る。

「あの遠吠えを止めなきゃ」

「ぼくが止めさせるから、カーラが攻撃して」

 ミカは言うなり、気を強く持って狼人間へ走り出した。素手は不利だが、カーラの足手まといにだけは、なりたくない。

「片方が遠吠えを止めて、もう片方が攻撃をする。まあ、そうくるよな」

 狼人間は爪を横薙ぎにし、ミカを振り払おうとした。彼はわずかな差でそれをかわしざま、足払いをかけた。

「おわ!」

 手を泳がせる狼人間にカーラが後から迫り、右肩から左脇腹へと切り下ろす。

「くそ!」

 狼人間は血を撒き散らしながら後退した。

「浅かったか」

 カーラは握り締めたナイフを見ながらぼやいた。

「やるなあ」

 狼人間は重傷を負いながらも、余裕の態度を崩さない。

「だけどな、今夜はいい月が出ているぜ。まんまるなら最高だったが」

 狼人間は空に向かって人差し指を立てた。月は獣人の力を上げる。彼の自信に満ちた言葉通り、傷口は見る間に塞がっていった。

「せめて、弓矢でもあれば」

「うん……」

 カーラの弱気にミカも同意する。こちらは近距離の攻撃しかできない。なにか、使えそうなものでもあればいいのだが。

 ミカは徐々に疲労が溜まっているのを感じる。力を使うと薬の効力が短くなる。限界を超える前に、補充しないといけない。

「あ」 

 ミカはふと閃いた。なんて愚かなのだろう、武器なら幾らでもあるではないか。

「どうしたの」

 ミカは問いかけるカーラに耳打ちをした。

「いいじゃない」

 ニンマリとカーラが笑い、ミカへナイフを手渡した。

「いい作戦は思いついたか? せいぜい足掻きなよ」

 狼人間が遠吠えをしようとする。

 ミカはそれよりも早く、膝をついて屋根のスレートを引き剥がし、彼の足下目掛けて投げつけた。薄く平べったい石は、回転しながら狙い違わず飛んでいく。

「んな!」

 狼人間は、想定外の攻撃を飛び上がってかわした。それが、彼の命取りだった。動きを見越したミカは、跳躍して彼の首を掻き切った。

「また、浅いな」

 狼人間は、ぱっくりと開いた喉の傷から空気を漏らしながら、口の端を歪めて言った。

「わたしを忘れてない?」

「ちっ……」

 狼人間がなにか言いかけた瞬間、頭が胴体と永遠に離れ離れになった。カーラがミカのすぐ後から獣人に迫り、蹴りつけたのだ。もげた頭は、回転しながら遠くへと飛んでいく。残った胴体は血を撒き散らしながら屋根を転がり、通りに敷き詰められた石畳へと落ちていった。

「疲れた」

 カーラは狼人間の血で汚れた体を、屋根へ横たえた。

「危なかったね」

 ミカも屋根にぺたりと座って額の汗を拭う。単独で戦っていたら、きっと命を落としていただろう。

「次から、替えを用意するよ」

「わたし、もう少し長いナイフにしよう」

「ご苦労様でした」

 二人が体を休めていると、アピスが音もなく二人の荷物とマントを手に現れた。

「派手にやりましたね」

 路上に叩きつけられた狼人間の亡骸を見下ろしながら、アピスが言った。騒ぎで目を覚ました近所の人達が、寝巻きのままで路上に集まり出していた。

「獣人がいるなんて聞いてないよ」

 カーラはアピスに噛み付いた。

「言ってませんからね。獣人は、人から獣に変化する時が狙い目です。隙だらけだったでしょう? ぼんやり眺めていてはダメですよ。感覚を惑わす遠吠えも、田舎の芸人程度の技に過ぎません。戦う相手に喉を晒すなんてバカですか? 自分の視界だって悪くなるでしょうに」

「理屈はそうかもしれないけど、大変だったんだよ」

「言い訳は無用。考えるより動く、ですよ。次に活かしましょう」

 アピスはカーラへ、説教を垂れた。

「ともあれ、仕事は無事終わりです。少々暴れすぎて騒ぎになっていますから、さっさと退散しましょう。その前に、抑制剤を飲みなさい」

 アピスは腰に下げた皮のポーチから薬を取り出すと二人に手渡した。

「これが報酬か」

 カーラはしかめっ面で、薬を飲み込んだ。

「無事に生き延びた。それが最高の報酬じゃないですか」

 口が減らないアピスはそう言い返した。

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