第7話
「……疲れた」
屋敷に到着すると、「休むように」と言われて、私のために用意したであろう部屋に案内された。
部屋の場所はすぐに逃げられないようになのか3階にあった。
「私が担当の侍女のデコラです」
ニコラスの屋敷の使用人は教育が行き届いているのか、私をバカにするような態度で接してくることはなかった。
両親とエルビィが住んでいた屋敷ではかなり酷い扱いを受けた記憶がある。
「お困りのことがありましたら、お呼びください」
デコラは侍女としての仕事をきっちりと行うタイプらしく、仮初の婚約者の私に対してもそのように扱ってくれるつもりのようだ。
……どちらにしても、私の行動はニコラスに筒抜けになるはずだ。
下手に親しくならない方がいいと私は判断した。
ニコラスも含めてなるべく距離を取るようにしよう。
「支度は自分でできるから来なくていいわ。食事も部屋の前に置いてくれれば適当に食べるから」
「はい、承知しました」
やんわりと仕事はない事、誰とも関わるつもりがない事を伝えるが、デコラは表情を変えずに返事をして去っていった。
そして、私の言った通りに食事は部屋の前に置いてあった。
私は用意された食事を見て、手をつけられずにいた。
「朝です」
次の日、デコラはわざわざ私の部屋にやってきた。
支度も何も手伝うことはないと伝えてあったはずなのに。
「支度は自分でできるから来なくていいと言ったはずよ。……外に出たくないから、これからは、部屋に食事を持ってきてくれるかしら?」
威圧的な態度にならないように言葉を選びながら、食事を用意してくれるだけでいい。と伝える。
デコラはそれに怒る様子もなく、ただ、視線を泳がせた。
ニコラスに様子を見にいくように指示でもされたのだろうか。
「わかりました。ニコラス様とは一緒に摂らないのですか?」
「向こうも私なんかと食事なんて摂りたくないと思うし、食事だけ用意してくれればいいから私のことは放っておいて」
「……わかりました」
きっぱりと頼んだ事以外をしないでほしいと口にすると、渋々といった様子でそれを受け入れてくれた。
「ごめんなさいね。姉じゃなくて、私なんかが来て」
「そんな事ありません」
否定をしつつもデコラの表情は強張った。
きっと、エルビィと彼女の関係はとても良好だったに違いない。
その中に私が入ろうと思うことが烏滸がましいのだ。
私がどれだけ努力してもエルビィにはなれない。それならば。
「気にかけてくれなくて大丈夫よ。一人で何でもするから」
せめて、嫌われないように距離をとるのが一番いい方法なのだと思う。
「姉さんが帰ってきたら、私は領地に帰るだけだから、居候だと思ってもらえればいいわ」
明るく笑って見せると、デコラはどう反応したらいいのかわからない様子で困った表情をした。
食事にはあまり手をつけられなかった。きっと、旅の疲れのせいで食欲がなくなってしまったのだと思う。
これで、そっとしてもらえる。そう思っていたけれど、デコラは二日後に私の部屋にやってきた。
「たまには、お食事をニコラス様と一緒にどうですか?」
ニコラスに言われて声をかけてきたのかわからない。けれど。
「……気分じゃないの」
しつこい。と言いたくなるのを抑えて断るが、デコラは諦めなかった。
「ちゃんと食事をとってください」
「食べているわ」
「嘘です」
嘘はついていない。食べられるものは口の中に入れている。形のあるものを口の中に入れられる事ができないだけで。
果汁やスープはちゃんと食べているのだ。食べていないわけではない。
「リーナ」
どうやら、部屋にやってきたのはデコラだけではなく、ニコラスもいたようだ。
名前を呼ばれて、私は苛立ちで頭を掻きむしりたくなった。
「何しにきたの?」
「心配で見にきたんだ。食事をしていないんだろう?」
デコラはやはりニコラスに私の状況を伝えていたようだ。
放っておけばいいのに、なぜ、そうしてくれない。
二人とも私にかまける暇があるなら、もっと、大切でやるべきことがあるはずじゃないのか。
「私なんかに気にかける暇があるなら、姉さんを早く見つけてちょうだい」
私なんか二人にとってはどうでもいいのだから、放っておいてほしい。
「そんな事、どうでもいいんだ!何か、何でもいいから口にしてくれ。ここに来るまでの間も何も食べていなかったじゃないか。本当に心配なんだ」
エルビィを見つけ出す事以上に重要な事はないはずだ。
「くだらない。今更何?食欲がないだけよ。放っておいてよ!私なんかどうでもいいじゃない!」
「リーナ、すまなかった」
「は?」
この男は何のために謝っているのだろうか、私には理解ができなかった。
私がやたら突っかかってくるのが辛いなら謝らないで放っておいてほしい。
「君の話をちゃんと聞くべきだった。本当に申し訳ない事をした」
ニコラスは言うなり床に両膝をついた。
彼は本気で謝っているのだと思う。それなのに、心は動かない。むしろ、腹立たしさが増していた。
一番話を聞いて欲しかった時に、不安で仕方なかった時に、ただ、握って欲しくて差し出した手をニコラスは振り払ったのだ。
「その謝罪になんの価値があるの?」
「リーナ……」
ニコラスは私の突き落とすような言葉に絶望したように、顔を青ざめさせた。
「私のことを少しでも好きなら一人にして放っておいて、私が死んでも気にしなくていいから」
もう、誰からも相手にされたくない。ただ、放っておいてほしい。それだけ。
「リーナ!」
ニコラスが強く私の名前を呼んだが、ちっとも怖くない。
「出ていけ!できないなら私がこの窓から飛び降りてやる!」
言いながら私は窓に手をかける。
このままその気になれば隙をついて飛び降りることができる。
「わかったよ。とにかく食事だけはしてほしい」
「……ちゃんと食べてる」
食べていると答えながら、みんながやたらそれを気にしているのか、ようやく気がつく。
妊娠の初期症状に、食欲不振がある事を思い出す。
ニコラスはそれを気にしているのだろう。
「妊娠なんてしていないわ」
「リーナ」
妊娠を否定するとニコラスは明らかに傷ついた顔をした。
「妊娠を心配しているんじゃないんだ。君の身体を心配しているんだ」
「出て行ってちょうだい。話すことは何もないから」
ニコラスと話すことなどない私は、早く出ていくように促した。
ニコラスは、これ以上怒らせるとまずいと思ったのか、俯いて出て行った。
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