第6話

「……」


 ニコラスは私を怒らせたと思ったのか、取り返しのつかない事をしてしまった子供のような表情をした。

 私はそれに少しだけ気分が良くなった。


「姉が帰ってくるまで大人しくしているわ。絶対に部屋から出ないから」


 ニコラスの望む通り大人しくしていると改めて言うと、痛ましいものを見るかのように表情を曇らせる。


「……君の話を聞きたい。あの時は、ちゃんと話を聞かなくて申し訳なかった」


 今更だ。

 それを今言われて私はどうしたらいいのだろうか。

 笑って気にしていないと言って許せばいいのだろうか、そうすれば丸く収まり勘違いを正す事ができる。

 それからは?

 彼は予定通りエルビィと結婚するだろう。

 私をいいように利用して、いや、ニコラスにとっては利用したとすら思っていないかもしれない。

 政略結婚に個人の感情なんて必要ないのだから。

 私だけ、搾取され軽く扱われて、それが当然にされている。

 ふざけるのもいい加減にしろ。


「私はしたくないわ。話すだけ時間の無駄だもの」


 私はニコラスを軽く切り捨てる。

 話をする。しない。それを決める権利を持つのは私にあるのだ。

 彼の願いを受け入れる必要はない。


「リーナ!」


 ニコラスは懇願するように私の名前を呼ぶけれど、それを鼻で笑う。


「……気に入らないなら殴れば?気が晴れるわよ」


 あの日の母と同じように、気に入らないのなら私を殴ればいいのだ。

 そうすればニコラスの気も晴れるだろう。


「そんな事はしない」


 ニコラスは、まさかそんな事を言われるとは思ってもいない様子でそれを否定する。


「ねえ、話しかけるのをやめてくれない?今更、話し合う必要ある?終わった事なの」


 ニコラスに話す事すら無意味で不毛な事だと私は思う。

 心を開けば開くほど、傷つくのは自分自身だと思い知らされた。

 だからこそ、もう私はニコラスを信じない。


「姉さんさえ帰ってくればそれで終わり。私が不貞さえしなければ何も問題もないんでしょう?そのままが一番ベストなの」


 ニコラスが私に対して思っている事を口に出すと、違うと首を振った。

 何が違うというのだろう。久しぶりに会ったというのに、あの時はそういった態度が透けて見えていた。


「リーナ、お願いだからあの時の話を僕にしてくれないか?」


 ニコラスは今度は懇願してきた。


「5年前にそれを言ってくれればよかったのに。もう遅いの、別にいいじゃない。何も知らなくても」


 事実なんて知らなくていい。ニコラスも母と同じように信じたい事を信じればいいだけだ。

 本当のことなどなんの価値もないものだ。

 

「君を疑って悪かった」


「気にしてなんかないよ」


 あの日の事を謝ったところでなんの意味もない。

 謝ったとして、苦しんだ日々は消えるわけがないのだから。

 

「仕方ないよ。私なんて信じる価値もない人間なんですもの」


 ふふふ、と私は声を出して笑った。


「そんな事、ない」


 ニコラスは絞り出すような声でそれを否定した。


「本当の事を話す必要ある?自分にとって都合のいい方を信じればいいのよ。信じ続ければいつかそれは真実になるわ。だって私はどうしようもない人間になったんですもの」


 私をどうしようもない人間にしたのは、血のつながった他人のあいつらとニコラスだ。


「……今後の事を考え直そう。あんな事を言って悪かった。ちゃんと話が聞きたい」


 連れてきておいて今更そんな事を言い出すなんて、意味がわからない。


「それは命令?命令なら従うわ」


「命令なんかじゃない」


 命令かと問うとニコラスは、違うとかぶりを振る。

 今更、深く関わろうとするなんて迷惑だ。


「従わなくていいことなら、嫌よ」


「リーナ……」


「気に食わないなら殴ればいいじゃない。どうしてもして欲しいなら、命令をすればいいのよ。私はそれに従うから」


 ニコラスは見ていられないと言わんばかりに、「そんな事しないから」と何度も言う。

 そんな事、信じられるか。


「アンタも私をあいつらと同じように軽く扱えばいい。そのために連れてきたんでしょう?」


「違うんだ……」


 ニコラスは消え入りそうな声でそれを否定した。


「これ以上、私に嫌われたくないなら話しかけてくるな!」


 ニコラスを八つ当たりのように怒鳴りつけると、それからはずっと黙り込んだ。

 始めからそう言えばよかったのだ。


 ベルゴへの旅路の空気は最悪だった。

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