第3話
数日後、ニコラスは一人で屋敷にやってきた。
「どうも」
5年ぶりに会った彼の反応は、以前よりもマシになっていた。
口元に笑みを浮かべているが、そこから感情は読み取れない。嫌悪すら表に出さなくなったニコラスは大人になったようだ。
それに時の流れを感じた。
「お久しぶりですね。ニコラス・ブック様」
「二度と会うつもりはなかったんだがな」
にっこりと笑いながら出るきつい言葉に、私も笑みを浮かべて受け流す。
「こんなところに来なくてもよかったでしょうに」
ニコラスは言い返すとは思っていなかったようで、目を見開いている。
何を言っても無駄なのだから、仲良くしようと歩み寄る必要もない。あえて向こうの感情を逆撫でする事をやってやろうと私は思った。
「エルビィが失踪した」
「そのようですね。で、尻拭いのために私が貴方と婚約しないといけないみたいですね。馬鹿馬鹿しい」
エルビィもなぜ失踪したのだろう。恵まれた環境だったのに、逃げようと思うようなことでもあったのだろうか。もし、そうだったとしても私には関係のない事だけれど。
考えたところで私は彼女のことなんて理解できないから、答えなんて出ない。
エルビィを姉だとはもう思えない。
血の繋がりはあるが家族のことをどこか他人のように感じている。
「公共事業のためなんだ。エルビィが見つかるまでは君は僕の婚約者だ」
政略結婚ゆえの切り替えの早さだとは思うが、そこにエルビィを思い遣るものが欠けているように見える。
エルビィはニコラスの機械的な態度に絶望してしまったのかもしれない。
「……エルビィはいつ見つかりますか?」
失踪した理由をなんとなく察した私は、ニコラスがこの件をどれだけ重く受け止めているのか計りかねた。
「わからない」
ニコラスはあくまで他人事のように見える。自分に関わることだというのに。
だからこそ、エルビィは逃げたのだと思う。そして、その尻拭いが私に回ってきたのだ。
「わからない?……迷惑なのよ」
苛立ちを隠さず思った事を口にするとニコラスは、私の態度に静かに怒りを見せる。
「家族なのにそんな事を言うのか、君はどうしようもない人間だな」
まただ。一方的に「どうしようもない人間」だと決めつけられた。
叔母と似ているだけで、私は一方的に悪者だと決めつけられ誰からも愛されない。
全てを諦めていたはずなのに、こんなにも苦しいのは何故だろう。
「……私を勝手にどうしようもない人間だと決めつけるな」
「君はエルビィの誕生日パーティーに来たこともないじゃないか」
絞り出すようにでた言葉に、ニコラスは軽蔑したように笑う。
「君がろくでなしでも、阿婆擦れでもどうでもいい。とにかく、婚約の話を聞いてくれ」
愛情の反対は無だとよく言ったものだ。彼は私に嫌悪すらしていないのかも知らない。きっと、どうでもいい存在と思っているのだ。
少なくとも幼馴染としてと情すら彼はもう持ち合わせていない。
「そうね。早く話だけ終わらせてエルビィを見つけ出して」
「この政略結婚の意味を説明するよ。お互いの領の境目にある川の氾濫防止のために貯蔵池を作ろうという話なってね」
お互いにこのまま言い合ってもいい事はないとニコラスは判断したようで、淡々と婚約する理由を私に話してくれた。
領の間にある川は大きく大きな嵐が来ると氾濫することがあるらしいを私は話でしか聞いたことはないが。領民を何度か屋敷で保護した事があったので、どうにかならないのかと思っていた。
向こうなりに考えていたようだ。
「向こうも領地の運営が手に余るようで、エルビィも不安でできないと話していてね。だから、共同でしようということになってね」
貯蔵池の管理も考えるとそれは合理なのかもしれない。
ニコラスなら領を乗っ取ろうとなど考えることはないだろう。
「エルビィと結婚することになったんだ」
それを考えると、両家の結婚はどうしても必要なものになる。
私がエルビィの身代わりになる理由は納得できた。
「それで、逃げられたと」
「少し一人で考える時間が欲しいそうだ。愛されている実感がわかないと言われた」
あくまで他人事のような説明に、スッと血の気が引いていくような気がした。
彼が不誠実な行動をするようには見えないが、エルビィをそこまで追い詰めるような事を無自覚でしたようにしか考えられなかった。
「姉さんにどんな扱いをしたの!?」
「誠実に接していた。不安にさせないようにしたし、もしかしたら冷たいと思われたのかもしれない」
言いながらニコラスは、視線を泳がせる。
「……私と婚約だなんて、帰ってきた姉さんはどう思うか考えたの?」
きっと、ニコラスの気持ちが知りたくて姿を隠したのに、こんなことになっているなんて知ったらエルビィは絶望するに決まっている。
「事業のために婚姻は絶対に必要だ。そこに個人の感情は持ちこむ必要はない」
「だから、姉さんは逃げたのよ」
きっと、態度にそれが出ていたのだろう。
「もちろん、君はエルビィが帰ってくるまでの代理だ」
ニコラスの中ではあくまで妻にしたいのは、私ではなくエルビィのようだ。
ただ、不安もある。
「……もしも、帰ってこなかったら?」
「君と結婚することになるな」
「私たちが結婚してから帰ってきたら?」
「君との関係を解消する」
「本当に姉の代理ってことね」
すぐに見つからないことも考えた上でこの方法を取るのなら、従うしかない。
自分のためではなく領民のために。
この政略結婚にはメリットが大きすぎる。
「……結婚しても、君とは身体の関係を持つつもりもない。早産の子供が生まれたらたまったもんじゃないからな」
ここまできっちりと念押しされるといっそ清々しく思える。
この男との子供どころか、子供を産むことすら願い下げだ。死んでも子供なんて産みたくない。
「何をしてもいいが、不貞だけはするな」
不貞をすると信じて疑わないニコラスに、私は苦笑いしかできなかった。
よほど、私のことを阿婆擦れにしたいようだ。
「君の行動は監視させてもらう。都市ベルゴにきてもらう。エドバスと会おうなんて思うなよ」
エドバスという突然出た名前に、私は首を傾ける。
「エドバス?」
「エルビィの婚約者候補だったじゃないか。君が彼を誘惑して婚約話がなかったことになったそうじゃないか忘れたのか?」
ニコラスはエドバスと私が今も関係を持っていると考えているようだ。
「……私は彼と初めて顔を合わせたのよ」
無駄だと思いながら言い訳をするが、やはりニコラスは信じていないようだ。
「君の家族はそんなことは話してなかった」
ニコラスは、私の血の繋がった他人から言った事を信じているようだ。
「……姉という婚約予定の女性がいて、14にも満たない子供に懸想するような男を素敵だと思えると思う?そんな男気持ち悪い」
そもそも、エドバスは私の外見を褒めただけで口説いてすらいない。
婚約予定の相手がいるのに口説くような不誠実な男なんて虫唾が走る。
「私はあの時、13になったばかりだった。確かに身体は大きかったと思うわ。でもね、まだ釣りをしたり泥だらけになって遊ぶ事が好きな子供だった」
私は年齢のわりに成長が確かに早かった。けれど、だからといって中身が大人だったとは思わない。
まだ遊びたい盛りの子供だった。
「……そうね。私はどうしようもない人間よ。生まれてきた事が間違いだったの。両親も産んだ事を悔やんでいるでしょうね。きっと、わたしが死ねば誰もが大喜びするでしょうね」
きっと、みんなが思っている事を口に出すとニコラスは驚いた顔をした。
きっと思っている事を言い当てられたからだろう。
「私がニーナさんに似ているから、どうしようもない人間になることが決まっているの。似た名前をつけられて、あの人たちもニコラスもそうなるように望んでいるんでしょう?」
私の質問にニコラスは答えない。それどころか、動揺したように視線を泳がしている。
言い返せないのなら余計な事を言わなければいいのに。
「……君の話を聞かせてほしい。本当の話を」
ニコラスは視線を揺らがせながら、歩み寄るような言葉を吐く。けれど、それもどうせ演技だ。
私を信用させて嘲笑うつもりなんだ。
「それは、5年前に思うべき事だったわね」
彼は私を信用させて破滅させるつもりなのだろう。
なぜなら、彼が求めているのは私ではなくてエルビィなのだから。
私はエルビィを不幸にする。消さなければならない存在なのだ。
「私なんかのために時間を割く必要はないわ。言う通りに従うから帰ってちょうだい。貴方はそうすれば文句なんてないんでしょう?」
だから、私はにっこりと笑ってそれを拒絶した。
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