滅びゆく世界 エピローグ
------アイリーンとルイスが広場を去った後の時刻に戻る------
アイリーン達の家は、街の端に位置している。広場から少し歩いたところに緩やかな坂道があり、そこを登っていくと、やがて木造建築の大きい一軒家が見えてくる。
それがアイリーンとルイスの家だ。
その家は、所々に植物が自生しており、長年かけて成長したそれらが外壁を覆っていて、随分と前に建てられたものだということが見てわかる。しかし、家を構成している木材は全く劣化しておらず、さらに明るい色のものなので、その家から古臭さは全くと言っていいほど感じられず、寧ろ最近建てられたような気さえしてしまう。
年季と真新しさの両方が感じられるその家は、色鮮やかな装飾も相まって、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた。
そんな自宅の屋上にアイリーンはいた。
広場から戻った彼女は、この屋上からの景色を眺めていた。ここからは彼女が住む街を一望することができる。
夕焼けのせいでオレンジ色に染まったこの街はとても綺麗に見えた。
彼女にとって、自宅の屋上はお気に入りの場所の一つであった。
広場ではミカエラが突っかかってきたせいで、アイリーンが異世界へ行くことは、良いことか?悪いことか?という不毛な議論が始まりかけた。
だから、アイリーンは広場を後にした。
誰がなんと言おうと、彼女は異世界への旅をやめる気はないからである。
「姉さん…大丈夫ですか?」
アイリーンの後ろからルイスの声がした。それは傷ついた人間を励ます時の声色だった。
アイリーンは後ろを振り向かずに答えた。
「愚問よ、ルイス君。私を少女漫画のヒロインか何かと勘違いしているの?あれぐらいじゃ私の心には傷どころか、波風すら立たないわ。私をヒロインにした漫画を、ちゃおやら、リボンやらに持ち込んでも『主人公に感情の起伏がなさ過ぎ』と言われて原稿がとんぼ返りしてくるだけでしょうね。私がヒロインとして条件を満たしているのは見て呉れの良さくらいよ。」
「いや…別に、姉さんを少女漫画のヒロインっぽいなんて思ったことありませんけど…。」
「へー、そう…。ふーん…。」
アイリーンは少し沈黙した後、また喋り出した。
「…まぁ、ミカエラに母さんの名前を出されたその一瞬だけ、そよ風くらいは吹いたかもね。でも、私は誰がなんと言おうと異世界への旅をやめないわ。」
「…姉さんはどうして異世界を旅するんですか?」
ルイスは聞きにくそうにしながら質問した。
アイリーンは間を置いてから、変わらず彼に背中を向けたまま話し出した。
「さっき行った世界で、私達は死にかけている女性に出会った。その人は自らの赤ちゃんを亡くし、自身も悲しみの中で生き絶えた。酷く…無念だったことでしょうね。こんな悲しみは味わいたくないと思っていたはずよ。でもね、私にはその悲しみが羨ましく思える。なぜなら、私達の世界にはその悲しみが欠乏してしまっているから。私が魔法を使ってあの女性を助けなかったのも、あの世界に存在しない力を使ってそれを消してしまいたくなかったからよ。」
アイリーンはルイスの方を振り返った。彼女は右手に水晶のようなものを持っていた。
「悲しみだけじゃない。魔法の力と永遠とも言える命は、人々から様々な感情を奪った。喜びも、苦しみも、切なさも、感動も。それらは不安定な世界で生きているから感じることができるものよ。」
アイリーンは水晶をルイスの方に差し出した。
その水晶は、アイリーン達の世界で“ノート”という名称で呼ばれている。
これは、異世界を保管している箱のようなもので、この中に一つの世界が存在している。
アイリーン達が先程行った異世界は、このノートと呼ばれる水晶の中に存在していた世界である。
「この水晶…ノートの中には異世界が存在していた。でも、先程その世界は寿命を迎え、滅んだ。全てが無に帰ったのよ。だから、もうこの中には何も存在していない。」
アイリーンは語りながらノートを自身の胸の前に寄せた。
「だけど、あの女性の…我が子を想って流した涙は確かに存在した。その世界のすべてが消えてしまったけれど、私の記憶からそれは消えていない。このノートの中には何もないけれど、私にはこれが虚空には見えない。寧ろ、私達が生きているこの世界の方がそう見える。」
アイリーンはチラッと横目で街の景色を眺めた。そして、その後手元にあるノートに視線を向けた。
「私達は死なず、この世界は滅びることがない。」
アイリーンの後ろでは、沈みかけの太陽が光り輝いており、彼女とこの街を淡いオレンジ色に染め上げていた。
「私はこの世界が嫌いよ、ルイス君。」
アイリーンはルイスを見て静かに微笑んだ。
「だから、異世界を旅するの。」
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