釣られたバカ魚達


「ズスッ」


 やばいなぁと参っていた俺の近くから音がした。

 何かがカーペットを叩く音がしたので気になって下を向くとパイの唾液でべちょべちょになった飴玉がそこにはあった。そして元を辿るようにしてパイを見ると用紙を持った手は震えていて口もポカンとしていて『驚きすぎて言葉も出ない』という言葉をそのまま表していると言ってもいい、それほどパイは驚いていたのだ。

 

 パイにとっては初めての出張だ。

 だから彼にはまだ分からない、一億円というリスクを…。

 本当に初々しい反応だ。


(まぁ3000万ぐらいキツくなったって、今もこうしてなんだかんだ生きてるし、あのときよりももう3000万分頑張れば大丈夫だろう、パイにとっては初めての出張だ、ベテランの俺が参ってどうする!)

 

 そんな彼の元気な顔を見ると少し気持ちが和らいだ気がした。

 

 パイのその元気な表情を見ていると俺は俺が初めて出張したとき、賞金1000万と出ていて俺が心底喜んでいたのが懐かしい。まぁ出張で喜んだのはあの時以降無かったな。本当に…。


(若いっていいなぁ…)


 そう思いながら俺はパイの肩を軽く2回ほどトントンと叩き、首を軽く立てに振る。

 

「まぁまぁ、そう喜ぶな! ハードルもあまり上げない方がいい、後々辛くかるのはお前……」

「先輩!俺ついに海外行けるんすよね! まじで最高じゃないっすか!」


 俺の低い声はパイの元気で活気のある声に押し潰されていた。


「ん?先輩さっきなんか言ったすか?」

「あ…いや、別に何もないです。」


 何故かは分からないが思わず後輩に丁寧語で返した。

 パイには俺の声は聞こえていなかったらしい。そして彼は1億円という賞金ではなく海外旅行に行けることに喜んでいた。


(海外行くことだけでそんなに嬉しいのか、まだ社会人になったばかりだからまだまだガキだな! まぁ、この先出張が嫌になるだろうし、せめて今だけは楽しい気持ちのままでいさせるか…)


 そんなことを考えていると部長はなんとも無情に現実を突きつけてきた。


「あ、そうそう、紙にも書いてあるが今回のコンテストは第三回で今以上にパワーアップしているんだ!まぁパワーアップしていることもあって賞金もグーンと上がって1億円に登ったな。」


 当然だ。難易度も上がるから当然賞金も上がる、リスクが高ければリターンもでかいことだ。


「あ、一つ…」


 部長は思い出したように話し出す。


「言い忘れていたことがある! 前回大会では死人が出そうだったから、今回パワーアップしたことで恐らく本当に死人が出るかも知れないからコンテスト当日までに鍛えておくように〜」


 瞬間、まるで全ての時間が止まったかのような感じだった。一瞬がとても長く感じた。指一本もろくに動かすことができなかった。

 しかしそんなのお構いなしに部長は追い打ちをかける。


「まぁ私も鬼ではないからな、 ちゃんとお前らには会社内の特別修行施設の利用を無料で利用することを許可するからな」


 そうできる女感を醸し出しながらこの人みたいなゴリラ……派和原は堂々とワークチェアに座り、恐らく出勤前に近くのコンビニで買ってきたであろう納豆パックと完熟トマトジュースをビニール袋から取り出しゆっくりと朝食の準備を進めていた。


 この会社にはいろんなコンテストの出場のために他の会社には基本的にない修行施設を設けている。まぁ基本ていうか逆にあったらヤバい機関だと思われるだろう。

 そこでは水責め特訓はもちろん、環境訓練だってできる、例えば前にした賞金3000万円のコンテストの『パンイチ真冬無人島1週間生活!』というコンテストの練習もこの部屋で擬似的にその環境の温度や湿度に調整してくれたりする。更にそれぞれ砂漠の部屋や無人島の部屋とか氷山の部屋、ジャングルの部屋なども多数存在している。

 ちなみに賞金の半分はこの機関に注ぎ込んでいる。もう半分の内5割はコンテスト出場者、残りは部長やほか社員に渡る。

 ついでに言っておくとこの機関の利用料は1日あたり10万円だ。


 俺はここがブラックでも長年勤めてきたことには理由がある。それは単純にお金がたくさん貰えるから、死ななければ人間大体のこと忍耐強かったら出来るからという考えだ。


 初めに一億円という賞金を聞いたときは嫌々ながらも、これ耐えれば俺は給料の4分の1の2500万円を貰える!と絶望の中に一筋の光を見出した感じだったが、死人が出るとなると一筋の光なんて考えられなかった。そのかわり、どうすれば死ななくて耐えれるか、それだけが脳内で響き渡る。


「………………」

「………………」


 誰一人として口を開かなかった、部長はもう既にイヤホンのパチーポッツを付けトマトジュースを片手にパソコンで何かに打ち込んでいた。とても集中していて俺達には気付いていない様子で多分ゲームをしているだろう。イヤホンを付けているのもゲーム音を出さない為なのでしょう。

 俺は黙ったままその場に立っていた、目線を横のパイに移すと彼も酷く怯えていた。

 そりゃそうだ、彼にとって初めての出張で死ぬかも知らないと言われたら誰だって怯えるし、凹むだろう。

 そうして部長が一仕事おあそびを終えた後、イヤホンを外し急に立ち上がる。股間を少し抑えていた感じだったので恐らくだがトイレに行くのだろう。自分自身も排泄物とたいして変わらないというのに。


「……なに?あんたらそこに突っ立ってる時間あったらさっさと準備して来な、 明日の夜出発だから…」


トイレに行こうと立ち上がった時、自然と部長の目には直立不動で黙ったままの俺達が目に写っていた。

 そして部長ことメスゴリラの言葉でテンとパイは二人共我に返る。そして二人はお互いをニ三度見をして、テンは部長に聞こえないくらいの声で「聞き間違いじゃなかったら今明日って…」と聞くとパイは頭を何度か軽く縦に振る。

 そしてさっきまでコンテストのタイトルと一億円という賞金に目を奪われていたが、その近くには8月14日開催と日付がしっかり明記されており、そして今日はその開催日まであと3日の8月11日だ。


 テンは死ぬのは嫌だ。だから死なないためにどうすればいいのかテンは考えたかった。つまりその時間が欲しかった。でも部長はそれを許してくれない。彼はもう考えても時間の無駄だと思い、とりあえず行動することにした。


 「お、おいパイ! これから出張の準備するぞ! とりあえず俺の家に行って、車で市内のモールに行くぞ!」


 テンはパイにそう言って、死ぬかもしれない恐怖心ともうすぐ出発しなければならないというタイムリミットで頭が真っ白になっていたパイの腕を引っ張り会社を出た。

 地面に落ちたチュッパチャップスを残して…。




       〜道中〜


 パイはひどく凹んでいた。テンの家までの道のりで彼は何度もため息をついていた。そして今、車内の中でもそうだ。俺は運転していて後ろに彼は体が縮んている感じで座っていた。

 もうさっきまで海外へ行けると喜んでいた子供のような彼はどこにもいなかった。

そして彼は嘆きながら勝手に話しだした。

 

「はぁ…俺、昔から地球の行ける全ての国でいい思い出作るって夢があるんです。 この会社に入りたいって思ったのもそれっす。 ここは他のとこに比べて出張が沢山あってアジアやヨーロッパとか世界中どこにでも出張いくから! だからここを選んだんすよ。 でもこんなの聞いてないすよ。 俺、初めての出張楽しみにしてたんすよ、 本当に……はぁ。」


 運転をしながら俺は少し黙った。

 確かにパイの気持ちは分かる、俺もその気持ちは経験済みだからな。ただその気持ちが分かるからもう一つ言えることがある。

 それは自業自得だ。

 理不尽な出張を押し付けてくる部長ももちろん悪いが、結局はパイ自身がこの会社に入社したのが悪い。俺はこの会社の給料に目が眩み入社した、パイはこの会社の海外出張に目が眩み入社した。どちらも目先の普通ではあり得ないくらい美味しい話に釣られたバカ魚だ。

 条件が素晴らしくて更にとてつもなく安い物件に懐疑的な目で見ないバカだ。それがいわくつきの物件だと知らずに…。


「一応な、出張を旅行とかやと考えてるお前の自業自得でもあるんだぞ。」

「確かにそうなんすけど〜」

「まぁでも……」


―――こいつが自業自得でこの目にあっているのは仕方がない……、仕方が無いが、こいつもこいつでこの会社の面接の日、周りの目なんて気にせず直前のギリギリまで練習していたのを俺は見た。

 目の下にはクマがあり、面接で聞かれそうな内容を繰り返し口に出して言っていた。

 手元には何度も読み込まれてボロボロになっていた本みたいなのがあり、沢山のしおりも付いていた。入社理由がどうあれ、それはあいつの夢だ。

 本気でそれが夢だったらそれはもう立派な理由だ。だってその人にとっての一番の理由だからな。


 俺はなんだかこいつがほっとけない。別にこいつと親しくなりたいわけではない。

 入社してから今日まであくまで学校ではいわゆるってレベルの関係だ。

 でもなぜだろうか、俺はこいつの夢を叶えてやりたいいんだ。

 感情というのは分からないものだ。いずれこれを理解するときが来るのだろうか。分からないからとりあえず自分の気持ちに任せるとしよう。

 

 だから俺は感情に任せてこう言ったのだと思う。


「まぁでも、いざとなったら俺を頼れ、俺は人生経験長いんでね! お前の初出張は絶対にいい思い出にしたるよ! だから楽しみにしとけ」と――


 それを聞いたパイは少し黙り込んでいた。きっと不意を突かれたのだろう。俺は彼の顔をルームミラーで見ていた。

 まさかそんな事を言ってくれる人だとは思わなかったって顔だった。

 そして何度か目をパチパチと瞬きした後ニッコリと笑って「わかりました!」とその時初めて丁寧な言葉で言ってくれた。


 勿論俺自身も怖い、でも俺よりコイツのほうがもっと怖いはずだ。何度も出張を経験した俺とは違い、一度も出張を経験していないだからな。そんな俺が怯えてたらこいつは更に怖くてどうしようもないだろう。だから今は死ぬかもしれないと怯えているより、無駄に自信満々でいよう。自分の気持ちを騙そう。



 そうしてしばらく車で道路を走る。途中テンはふと気になることをパイに問いかける。


「あ、そういえばパイ。 お前って落ち込んだりするんだな! 入社してからあまり接点が無かったから、お前は悩みなんてない、ずっとヘラヘラしてる人だとばかり思っていたよ。 今日、ほんの少しだけお前という人間を知った気がするよ…」

「えー、先輩そうなふうに思ってたんすか?! 俺だって人間ですし、そりゃ落ち込んだりしますよ! 俺をなんだと思ってるんですかー?!」

「……んー、世間知らずのアホ」

「えっ、ひどっ! だったら先輩は世間を知りすぎた老害!」

「お前後でしばきな」

「えー、やり返しただけすよー!」


 そんななんでもない会話をしながら二人の車は出張の準備をしにショッピングモールに入っていった。








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