脅迫

 走る。駆ける。袴が重い。息をするだけでも辛い。家に着くと玄関の前のベンツはすでにもぬけの殻。

 玄関に入って三和土を見る。自分のでない靴が四足あった。革靴が一足、パンプスが二足。そして、真人の愛用するスニーカー。

 真人がいるのか……?

「やっと帰ったのね、清秋」

 突然、憎たらしい声が聞こえた。三和土から顔を上げると、凛々花が腕を組んで仁王立ちしていた。

「……貴様! 何が望みだ!」

「燕矢家の末永い繁栄よ。跡継ぎ、そろそろつくりたいんじゃないの?」

 凛々花が吐き捨てる。凛々花の顔は歪みきっていて、悪魔よりも悪魔的な卑屈さを醸していた。



 客間のテーブルに着く。真人、そして遠藤家の三人。

 辰巳が口を開く。

「まあまあ、やってきたね、清秋くん」

「人の家に勝手に上がり込むな」

 怒りをこめて言う。

「ところで、うちの綾華ってどう思う」

 辰巳は平然と無視して、隣に座る綾華の肩を叩いた。

「さあ」

「可愛いだろ。いい歳だ。それなのに、まだ浮いた話がない」

 綾華は微笑んだが人を蔑むような目つきをしていて、口角は上を向きながらも若干歪んでいる。

 ふざけんな。街一番のあばずれのくせに。街の若い連中はみんな綾華の手篭めにされたんだぞ。

 こんな評判の悪い綾華と結婚させるなら、辰巳は金で釣ってくるに違いない。

「なあ、うちの綾華と結婚しないか。マンションを棟ごとやるぞ。一生働かなくてもいいんだ」

 辰巳はやはり金で釣ってきた。予感が的中。おそらく稲沢家も金で釣ってきたのだろう。

 不動産収入ならうちもある。自分一人だけ養うならそれで十分。

 辰巳に反論しようとしたとき、真人の声がした

「身を固めろ」

 ……は?

 真人が言った言葉に唖然とする。真人へ目線をやると、絶望に打ちひしがれたような顔をしていた。

「あのな、お前が子どもをつくらなかったら、燕矢の家はお前で末代なんだぞ」

 そう言う真人は震えていた。

「だからって……」

「まあまあ、ゆっくり考えて。悪い話じゃないから」

 辰巳が会話に割りこんできた。辰巳の顔は不気味に微笑んでいた。



 遠藤家の三人が帰った。がらんどうになった客間で真人が呟いた。

「あのジジイ、もし縁談を断ったら市議会へのコネを使って羽岩を潰す気だぞ」

「道路計画を強行する気かよ。ふざけんな。あいつ、本気で乗っ取ろうとしてる」

「俺も凛々花との縁談を断ろうとした。けど、辰巳から『羽岩がどうなっても知らねえから』って脅された。だから結婚したんだ」

 真人の目は潤んでいた。

 苦しい。これ以上、苦しみたくない。逃れたい。

 真人となら、どこまででもいけそうだ。

「……逃げようか。どこか遠くへ。一生ふたりでいたい」

 驚く真人に向かってキスをした。真人は怯んだように目を見開いたが、すぐに目が蕩けだした。

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