喫茶店にて
久しぶりに筆を走らせたかと思えば、その止まりどまりの筆先から垂れるインクが。昨日、ベットの上で波打った恋人から垂れる汗を思い起こす。
ひとり喫茶店で。やけに量の多いカモミールティーを一口ずつ飲みながら、ああ情欲にまみれた時間だった、と目を泳がした。
店の隅の席で、壁に寄り添いながら店内を見渡した。若い女性が二人、パフェをはさみながら何やら話している。女性は何でも話したがるものなんだな、と眺めていると、その女性と目が合ってしまい、口をつぐんで目をそらした。
落ちる砂時計を手に取って、早く落ちないかともう2回ほど振った。
時間が気になって腕時計を見ると、「予定」の時刻よりかなり遅れていた。
ため息さえもどうでもよくなるその瞬間。
自分が一体何を期待しているのか。その気持ちに触れられたような気がして嫌だった。
思えば、ここ数か月の間。
自分がしでかしてきたことを、あの女性のようにペラペラと誰かに話せたら楽なのに。そう思いつつ、無くならないカモミールティーを少しずつ飲む。
出会いとは単調なものに見えつつ、おそらくあとから色づいて見えるのだろう。出会ったばかりなど、モノトーンにまみれた自分が、恋人つなぎなんぞすれば、あの灰色の世界に帰りたいのだ、とうずいていた。華やかな洋服に身を包むのは、酷なことではなかった。いいや、酷な事でなくなったのだ。
そのころの自分にとって、夢中になれることといえば、どうすれば女性らしいふるまいをできるのか?ということだった。今思っても、なんだか憎たらしく思ってしまう。
砂時計が落ちるのを待つ時間が続いている。
…そうして、だんだん日々というものはモノトーンになっていく。そこにある、よくわからなさや、憎たらしさが重なっていって、自分がつけていった足跡に嫌気が指すようになる。ここに帰ってくるのよ、と微笑む自分の色づいた顔。
まさにそれが
「お客様」
店員に突如として話しかけられ、思わず手が当たり、砂時計を落として割ってしまった。
「失敬」
「いえ、替えはいくらでもありますので」
割れた砂時計をかき集めるが、指の隙間から、さらさらと砂が零れ落ちている。
それを無言で見つめていた。
すると店員はかしこまって、顔がこわばっているではないか。
「…なんでしょう」
そう言うと、さきほどまでの顔のこわばりは解けて、にこやかな、穏やかな表情になった。
「お待ちの方が、お見えです」
喫茶店の入り口付近に、顔は見えないが帽子をかぶった男が立っていた。
「待たせたね、悪かったよ。もう20年も経ってしまって。」
「…ひどいひと」
少し微笑んで、重い腰をあげてハグをする。
「うん…待っててくれて、ありがとう」
「何十年分のお茶を飲んだんだろう」
「僕が行方不明になったあの日から?…あのあと、僕の右手が見つかって…」
「全部見つかるのに、20年もかかっちゃうなんてね」
「可笑しい話。喫茶店にはナンセンスだ。僕らの存在は」
「あなたのせいで、いい小説がかけなくなった」
「わるいほうが、きっとその先もっとよくなる」
…
一人喫茶店を出て、後ろを振り返った時、廃業したはずの喫茶店に明かりがついて、若い女性が、他愛もないそんな話をしているのを、窓越しから眺めていた。
そろそろ、砂時計が落ちて、いい小説が書ける頃だろうか。
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