第1章 花屋敷の呪い児8

 そう言うと、青年は足早に路地裏の奥へ奥へと突き進んでいく。

 この地獄層は縦だけでなく横も長い。増改築を繰り返された結果なのだから、当然、その道筋は迷路のように複雑で一度正しい道を外れてしまえば、一気にろくでなしがたむろする魔窟へと変貌する。

 そんなことを気にした様子もなく、青年はまるで決まった道筋を全て暗記でもしているのかその足取りに躊躇いはない。蒸気や潤滑油の臭いに混じって、溝や屍体の腐敗した不快な臭いが鼻をつく。

 けれど一々そんなことを気に掛けてはいられず、俺はただ一心に青年の後を追った。

「此処だ」

 そう言って青年はある扉の前で立ち止まった。

 覗き込むと古い鉄扉一枚があるだけで、到底一人では開きそうにない。だが青年は容易くそれを開くと中に入るようにと促した。

「なんだ、此処」

 中に入るとそこは思っていたよりも広く外側からは見えない硝子張りになっていたが、内側からは外が良く見ることができた。

「少し揺れる。その娘を抱いておくんだぞ」

 最後に青年が入ってくるや否や、扉を閉めると扉の取っ手の傍にあるボタンを押した。

「う、おぉおお……!」

 ガゴン……!

 重々しい機械の作動音と同時に、ゆっくりと視界が上へと昇っていく。

 それは普段俺達が別階層に行くのとは異なる方法で、ただただ目を白黒させるばかりだった。

 だが青年は慣れているのだろう。

 涼しい顔で下層から上層へと上がっていき、下層の街の並々が小さくなっていくのを静かに見つめている。そんな様子を横目に見ながら、俺はポツリと問いかけた。

「……アンタ、何者なんだ?」

 通常では知り得ないルートといい、地獄層では見慣れない身形といい改めて警戒心が浮き彫りになる。これで憲兵か何かだとしたら、俺どころかマオの命もどうなるか分からなかった。

「……。〝紅の君〟に仕えしモノが一人〝銀の使い〟だ」

「〝銀の使い〟……。アンタの素性とか、他にも色々訊きたいことは山ほどある。だけど、だけど……これ……もしかして上層階に行けるのか?」

「……。正確に言うのなら、その手前まで、だな」

 ガゴガゴと不安定な音を響かせながらも、地上はどんどんと下に行きやがて地獄層の最上層らしき場所まで来ると勝手に止まった。

「着いたぞ」

 そう言って先に降りた〝銀の使い〟に続いて降り立つと、辺りは蒸気なのかなんなのか白い靄で覆われていた。だがそれすらも一陣の風が吹くとゆっくりと薄れていった。

 同時に、鼻腔をつく不可思議な匂いがした。

 噎せ返るほどの、甘い蜜のような砂糖菓子のような繊細で複雑な香りは、下層では滅多に嗅ぐことのない匂いの部類だった。

「なんだ……甘い、匂い?」

 そんなことを思いながらも、機械の箱の中から〝そこ〟へ足を踏み入れると今や地獄層では見ることのできない自然物の数々が生い茂っていた。

 一面が噎せ返るほどの花の匂い。

 そしてそのどれかには必ずといっていいほど、綺麗な花弁が大きく花開いていた。

「う、わぁ……」

(マオが見たら、喜びそうだ……)

「植物園だ。地獄層出身なら、見るのは初めてだろう」

「ああ……」

 思わずふぬけた返事を返してしまう。

「此処は仙人が住まう極楽なのか?」

「仙人?」

 そんな俺の言葉に対し、〝銀の使い〟は微かに鼻で笑った。

「此処は――地獄層の中でも、一番地獄に近い場所だ」



「そこの寝台に娘を寝かせておけ。我が主をお連れする」

〝銀の使い〟はそう言うと、俺達にとっては上等すぎる一室を貸してくれた。

 そして言われた通りにマオを寝台に寝かせると、改めて周囲を見回した。

 開いた丸窓からは庭先の花々が見え、多種多様な花の匂いがまるで結界でも張っているかのように周囲に立ちこめている。

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