第1章 花屋敷の呪い児6

「風邪でもひいてンのかな……」

 いつも仕事に行く前でなら、できる限り顔を合わせていたというのにも関わらず娼館の前を通ってもマオの影も形も見当たらなかった。

「……よし」

 その日はちょうど、仕事が急に休みになり暇を持て余していた日のことだった。

 俺は数日間、姿を見せなかったマオの様子を見に、娼館の前に来ていた。

 本来、男が入るには客として金を払う必要があるが、俺はある意味特別だった。

「あらぁ、狗(わん)狗(わん)じゃない。いらっしゃ~い」

 ふと『狗狗』という渾名に反応し、キョロキョロと周囲を見回すと、とある一室から一人の女性の姿が見えた。

「菊花姉」

「今日もマオの様子を見に来たのん? 相変わらず、マオにお熱なんだからぁん」

「そうじゃないって……。まぁ、心配ではあるけど……」

 小さい頃から俺とマオは『娼館』がどんな場所なのか、意味が分からずに出入りしてはお姉様方や館主に遊んで貰っていた。だから全員が家族のように顔馴染みで、加えてお姉様方からは弟や妹のように可愛がって貰って今に至る――。

「マオねぇ、最近体調を崩してるのよぉん」

「だろうな。顔を見ないから、そうだと思ったんだ」

「フフ、マオの顔が見られなくて寂しくなっちゃったのねぇん」

「ち、……違くは、ないけど」

 菊花姉の言葉に、顔が熱くなる。

 否定はしたくはない。嘘は、なるべくつきたくなかった。

 特にマオのことに関してなら、尚更だ。

 そんな俺の言葉に菊花姉は気分を良くしたのか微笑みながら、ヒラリヒラリと手招いた。

「私達の薬を分けてあげたから、良くなるとは思うけどぉ、一度、狗狗の顔を見せてあげてくれなぁい? きっと、マオも安心すると思うからぁん」

「おう」

「いつもの扉から入っておいでぇん」

「はいよ」

 業者専用の裏口から入ると、慣れ親しんだ庭のようにそのままの足でズンズンとマオのいる部屋へと向かう。娼館内はある意味理路整然としていて、左右に等間隔で設けられた個室に各お姉様方が住んでいる。だがそれは上階だけであり、そうでない小娘達は所謂大部屋に五人まとめられている。

(普段、マオは大部屋だけど……具合が悪いってことはどっかの個室かな)

「あら、狗狗じゃない」

「あっ、椿姉。ちょうど良かった……菊花姉に許可を貰って入ってきたんだけど、マオに今会えるか?」

「きゃあ~。相変わらず可愛い狗狗ねぇ。マオはねぇ中階の角部屋よ。今、大部屋から少し移って貰ってるの」

「そっか。ありがとう、椿姉」

「どういたしまして~」

 椿姉と別れてから中階へと向かう階段を上がっていく。

(やっぱりそうなのか……)

 大部屋から個室に移されるということは、他の小娘たちに移ることを懸念してのことだ。

 客を取っていない小娘でも、地獄層に住む以上は体調を崩すこともある。

 そういった時に、個室でゆっくりできるようにと館主の計らいで中階は人がまばらであった。

「あった、此処だな」

 トン、トトン……。

 そしてマオの部屋の前まで来ると、軽くノックをし『入るぞ』と声を掛けてから中へと入った。

 部屋の中はある意味いつも通り――片付けが下手なマオらしく衣類や雑貨類が散乱している。そんな山のような一角に敷かれた布団の中に、マオは横たわっていた。

「マオ……?」

「あ……、ゴウ」

 マオは俺の姿に気づくと、ゆっくりとまるで幽鬼のような緩慢さで身を起こすとヒラヒラと手を振ってみせた。

「久しぶりゴウ、元気してた……?」

「元気してた、じゃない。ここ最近見てなかったから心配してたんだぞ……!」

「あ、はは……ごめん、ね。ちょっと身体、しんどくてね」

 そう話すマオの顔色は青ざめていて、悪い。

 今にも倒れてしまいそうだと思いながら、マオの傍へと駆け寄ると身体を支えてやる。

「風邪でもひいたのか?」

「ん……、多分。でも、お姉様方から頂いた薬でも全然良くならなくて、ね。どうしてだろう?」

「俺に聞かれても……困るぞ」

「そうだよね、ごめんね。ゴウ」

 あはは、と渇いた笑いをもらすマオ。

 そんな空元気な振る舞いにいっそう不安が募る。

 このまま見過ごしてしまえば、簡単に手の平から零れ落ちてしまうような気さえした。

「……? ゴウ?」

「マオ。ひとまず層長のじっちゃんトコ行こう。何か識ってるかもしれない」

「……でも、ワタシ……歩け――」

「俺が背負う。だから乗れ」

「……。うん」

 有無を言わさぬ言葉で告げたからかも知れない。

 マオは小さく頷くと、俺の背中に大人しく身体を預けてきた。

 本当にマオを連れていくべきか、わずかに逡巡する。

 だがこの館にいる主でも、お姉様方でもどうにもできないのなら頼るべき寄る辺は一つ。

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