第1章 花屋敷の呪い児4

 せめて、少しでもいい。

 俺のできることで、マオが望むのなら叶えてやりたいと思うし、俺もマオが喜んでくれるのなら幸せだった。だから――もしマオが悲しむようなことがあるなら、取り除く必要がある。

「さて……っと、腹ごしらえも済んだし、仕事に行くか。けどその前に……することがあるな」

 マオとは互いに食堂の前で別れた後、俺は一人市場から離れ路地裏へと足を向けた。

 理由は単純で明快だ。

 娼館から食堂、そして此処に来るまでの間――ずっと絡みつくような視線があったからだ。

 正直、マオを一人で娼館に帰らせることに不安はあったが、俺とマオが離れた途端、複数の気配が俺のほうへと付き纏ってきた。だからある意味では、マオと離れてみて正解だったのかも知れない。

「今日は厄日だ」

 そんな独り言を呟きながら、ある程度表通りから離れた場所に辿り着くとクルリと後ろを振り返る。そこには大柄な男が一人と子分らしき男の二人が道を阻むようにして立っていた。

「お前だな、マオに付き纏ってる男っていうのは」

 大男の言葉に思わず眉を顰める。

 何を言い出すかと思えば、マオに付き纏っている?

 それはどの口が言っているのだろうか。

「はっ、それはアンタのことじゃないのか? 第一、何様だ? アンタ。ぞろぞろと引き連れて見苦しいったらありゃしねぇぜ」

「この熊(シィォン)様を知らないだと……!」

 俺の言葉が、大男の堪忍袋の緒を切ったのだろう。

 顔面を真っ赤にした大男が醜く唾を吐き散らしながら名乗りを上げた。

「オレ様はこのホンユイを、地獄層を統べる男だ。媚びを売るなら今のうちだぞ」

(自分で〝様〟をつけて呼んでるよ……)

 思わず呆れながらも、ホンユイを統べるとは随分と豪儀なことを言ったものだ。

 別に男が何を目的としていて、どうしようと関係ない。

 ただ言えることはただ一つ――マオに危害を加えるかどうか、だ。

「アンタのことなんざ、別にどうでもいい。それより答えろ。――お前が、マオに言い寄っているっつー輩か?」

「それはお前だろうが! マオを独占してなんのつもりだ! あの女はオレ様の物だぞ!」

「……物?」

 話にならない、そう思うよりもカチンと頭にきた言葉があった。

(この男は、マオのことを物同然に思っているのか? 物のように扱うつもりなのか?)

「まだ客を取れないだとかごねていやがったが……。あんな器量よし、放っておくほうが馬鹿ってモンだ。このオレ達が可愛がってやるって店側にも言ってンのに、分からず屋どもめ」

 疑念が、確信に変わる。

 その瞬間、俺が行動に移したことは、大男をぶん殴ることだった。

 ゴリッと拳にめり込む筋肉と骨の感触。

 その気持ち悪さと吐き気に胸の内を熱くしながら、数メートル先の壁にまで吹き飛んだ男を睨み付ける。加えて子分らしき二人も殴りかかってきたが、それを容易く躱し、蹴り飛ばし、返り討ちにすると低く吐き捨てた。

「二度とマオに近づくな。店にもだ……次見つけたら、殺すぞ」

 自然と口から出た脅し文句。

 だが本心からの言葉におののいたのか、大男とその子分らは反撃してくることなく急ぎ足で逃げていった。

「…………ふぅ」

 熱のこもった息を、短く吐く。

(喧嘩なんてしたの、久々だ)

 自分で言うのもなんだが、普段は大人しいほうだ。

 別に好きで喧嘩をしたいと思わない。

 ただ、必要な時に守れる力がありさえすればいいと思っていた。

 けれど――こんなふうに、こんな形で振るう力をマオが見たらどう思うだろうか。

 そんな不安のような気持ちがしんしんと心の底に後悔となって降り積もった。

「……やべ、遅刻する」

 朝から思いもよらないトラブルに巻き込まれてしまった。

 慌てて時間を確認し、仕事場に向かおうと足を市場のほうへと向けた。

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