第2話 貴族への謁見
不良品が多い――試作段階なら特別珍しいことではない。
開発部の貴族様がフラスコを振ってできたものを工場でいきなり生産するのだ。小さなフラスコで混ぜるのと巨大な窯で混ぜるとでは勝手が違う。
開発から生産に落とし込むプロセスが他社より群を抜いて早い――そのおかげでスチーム産業の苛烈な競争を勝ち抜いてきたと我が課長は我が社をべた褒めする。正直、検品する身にもなって欲しい。
「これも、それも、全部アウトっすよ」
ヘンリーの愚痴にゴミ箱に山盛りになった試作品を見やる。
数えるだけでも嫌気がさしてくる。百は超えている――目標未達だ。
「ちょっと製造課に行ってくる」
「頼んだわよ、ウィル」
「サボるんじゃないぞ、ラーニャ。パーキンスもウィルも検品を続けてくれ」
ベルトコンベアを流れる試作品を手に取る三人を見届け、不良品が溜まったゴミ箱を持ち上げると、ベルトコンベアの流れに逆らうように製造課へ向かった。
蒸気の音が徐々に大きくなる――製造現場に近づいている証左だ。
茶色の塊を抱えた作業員の男とすれ違った。会釈する余裕もない男の両手で抱えるゴム塊が気になり、男の行く先を目で追った。
足元の視界がゴムに遮られる中、男は一歩ずつ踏みしめるように急勾配な階段を登り終えた。男は蒸気の上昇気流が押し寄せる窯へゴムを投げ入れた。男の顎先から垂れた汗が窯へと滴り落ちる。汗を拭うことすら忘れ小走りで階段を掛け降り、男は資材置き場へ全速力の走りを見せた。
「こんなところで何をしている?ウィル」
「クロマト」
形の崩れた革帽子と黒いゴーグルをかけた男が、その頬に付いた煤をこすりながら生産現場の廊下に佇む俺に声をかけた。念入りに剃られた眉毛を上げる男はクロマト――生産課の現場リーダーだ。
「いつからゴムを人の手で運ぶようになった?」
ゴムを抱えながら懸命に往復する作業員のことをクロマトに尋ねる。すると、クロマトは苦虫を噛み潰したかのように顔を歪めて、ぼりぼりと頭を掻いた。フケと共に雪のように白い粉が舞い散った。
「ゴムを掴むリフトが動かなくなっちまった。どうも燃料切れらしい」
「それは大変だ……」
リフトで運ぶはずのゴムを細かく切って運び込んでいるのだろう。憐れみの眼差しに気づいたのか、「アイツはまだ若い。腰痛になってもすぐ治る」とクロマトが朗らかに笑った。
「怪我をしても知らないぞ」
「ふん、俺たち貧民の代わりは腐るほどいるさ」
「自分で言って悲しくならないか、その言葉?」
悲しい現実を自虐気味に口にするクロマトの前にバケツを置いた。クロマトは怪訝そうにバケツの中を覗き込んだ。
「何だ、これは?」
「試作生産のゴム製のジョイントだ。全部、不良品。どう思う?」
「なるほどな。製造に原因を尋ねに来たと?」
クロマトは獲物を見つけた熊のような鋭い視線を一瞬俺に向けると、不良品を一つ摘まんでじっくりと眺める。部場が違えば責任の所在が変わる――言い換えれば、違う部署の人間は常に敵だ。厳しい工場に友情は芽生えないが、クロマトと仲良くしていて本当に頼もしいと心底思う。
クロマトは製品の割れ目を見て、「こいつはひどいな」と他人事のように笑った。
「見た目だけで製造工程に原因があるかなんてすぐには分からん」
「そうだよな……」
淡白な返事に頭を掻き、奥歯を噛みしめる。
技術に詳しくないクロマトは製造現場特有のヤマ勘で数々の危機を乗り越えてきた歴戦の猛者だ。迂闊に勘を口外したくないクロマトの気持ちも分からなくはない。
だが、その直感が工場の危機を何度も救った功績は確かに本物だ。
クロマトの意見を引き出すまで引き下がるわけにはいかない。
品質管理課のせいで目標未達――どう責任を取るんだと本生産時に上から問い詰められるだけだ。ならば、試作段階で厄介な芽は摘んでおくべきだ。
「どうにかならないか?」
残された解決手段は丸投げと言う名の懇願しかなかった。クロマトは太い眉毛をへの字に曲げて腕を組みながら唸ると、最後には天を仰いで大きなため息をついた。
「デュアー先生がいたらな」
「デュアー先生ですか……」
頭を掻きながら一人の愉快な爺さんの顔を思い描いた。
デュアー先生は貧民でありながら、金型やゴムに機械の知識に詳しかった。同じ技術屋のパーキンスと違い、太陽のように明るい性格で、デュアー先生が少し触るだけでトラブルがたちまちに解決する。貴族出の課長だけでなく、工場の人間全員からも絶大な信頼を置かれていた。
だが、技術屋のデュアー先生も現場で亡くなった――プレス機に巻き込まれた不慮の事故だった。調子の悪かったプレス機を直そうと潜り込んだ時、蒸気が不意に噴き出し、鉄板が先生の頭蓋骨を砕いた。
手の施しようのない即死──製造現場に伝統技術が無くなるのは一瞬だった。
工場で働く誰もが先生の死に涙した。
身寄りのない先生の亡骸は有志で工場の裏に埋葬されたが、製造現場に先生の魂の結晶が蘇ることはなかった。
「一度、製造工程を洗い直してみる」
「ありがとう」
「何かあれば報告するが……あまり期待するなよ」
クロマトが力なく苦笑すると同時に、背後から大勢の人間の足音が聞こえた。
振り向くと、烏の嘴のような喘息マスクを付けた赤い軍服姿の衛兵達が警戒心をむき出しに近づいてきた。衛兵が取り囲むその中央を銀髪の男が悠々と闊歩し、その周りで見たことのある貴族連中がこぞってゴマすりをしていた。
衛兵の腰にぶら下げた拳銃に気圧され、俺たちは通路の脇に寄って頭を下げた。へこへこと頭を下げる貧民を嘲笑の眼差しで見下した衛兵は辺りを警戒しながら、銀髪の男を警備し続けていた。
「彼がクロマト君です、アンタレス金属工業の生産リーダーをしている男です」
「げっ、グランツ課長じゃねぇか」
グランツ製造課長のはしゃぎ声と共にクロマトは本音を漏らし、銀髪の男は歩みを止めた。銀髪の男に息を合わせるかのように衛兵も立ち止まり、俺たちをその鋭い瞳で睨みつけた。
「君がこのゴム製ジョイントを作っているのかね」
衛兵の制止を押しのけ、クロマトの元へ銀髪の男が歩み寄った。灰色のコートに精巧な腕時計をした貴族然とした男に、クロマトも「はぁ」と情けない返事を上げることしかできなかった。
「駄目だよ!クロマト君!」
慌てて駆けつけたグランツ製造課長がクロマトの頭を鷲掴みにして土下座させた。グランツ製造課長も俺の品管課長と同じ貴族外からの
土下座をしていない自分が無礼だと俺の第六感が告げた。急いで膝をついた。
「取り敢えず、あ……頭を上げてください」
意外なことに、銀髪の男は突然土下座した三人を前に慌てふためいていた。
貴族は貧民よりも遥かに偉い――この国の法律も貴族だけに適用されるし、警察も軍隊も司法も政府も貴族街に住まう貴族のためなら積極的に動いてくれる。アンタレス金属工業の本社から時折訪れるお偉い方も貴族街に住む貴族だ。土下座する俺たちに罵詈雑言と唾を吐きかける姿しか知らない俺たちにとって、目の前で困惑する貴族はまともな思考回路を持ち合わせていたようだ。
「私はメテノス社の技術部長、オービル・ロッソです。御社のゴム製ジョイントが弊社の蒸気気球船に採用されたので、その現場視察に参りました」
「それは実に光栄ですなぁ!こらっ、クロマト君に……そこの君!いつまで土下座しているんだ!さっさと立ちなさい!」
先程まで土下座しろと命じたグランツ製造課長は俺たち二人に立つよう叱責し、オービルが伸ばした手を宝物のように握りしめた。握力が強すぎてオービルが顔をしかめていることには気づいていない――相変わらず、どこか残念な製造課長だ。
「ここまで径の違うゴム製のジョイントを精巧に作れるとは想像すらしていませんでした。アルゲディ金属加工とは一味違う技術の秘訣を是非とも拝見したい」
「はっ!喜んで!」
グランツ製造課長はオービルに軍隊めいた場違いな敬礼をした。
目の前にいる銀髪の男は国営企業の技術のトップに君臨する貴族の中の貴族だ。貴族街から栄転した貴族にとって、まさにすがりたくなる神様のような存在だ。オービルに気に入られたからと言って、貴族街に凱旋できる保証はどこにもないが、
「ネヒリム国王陛下も楽しみにしております」
「はい?」
ネヒリム国王――シロバダイム王国の王の名前がオービルの口から飛び出し、無意識の内に間抜けな返事をしていた。呆気にとられる俺の反応に、「ご存じないのですか?」と首を傾げながら、オービルは言葉を続けた。
「我が社初の空飛ぶ乗客飛行船のお客様として国王陛下も搭乗されます。アルボ・アンタレス社長にはそうお伝えしたはずですが?」
「そ、そうなんですよ。こいつ、物忘れがひどくて……ハハハ……」
セルヴィア品管課長がゴマすり貴族の群れから飛び出したかと思うと、俺の肩を引き寄せて小莫迦にする。物忘れがひどくなる齢ではないし、そもそもセルヴィア課長がその話を俺に伝えていない。下手に王族の話を伝えると、管理項目が厳しくなり生産目標が未達になることを恐れたのだろう。
課長らしいせこい策略だ。
「そんな話、一つも聞いてないですけど」
「話を合わせろ!」
ぼそりと呟く俺に愚痴る課長に仕方がなく調子を合わせてあげてやった。
――どうも人の話を聞いてないマヌケでーす!
バレないと思われていたのが余計に腹正しい――真相を問い詰めてやろうと心に決めた瞬間だった。
「おや、そのバケツは?」
その場の誰もが凍りつく。
俺が持ってきた不良品の山にオービルが関心を寄せてしまった。
お客様の不意の訪問と課長のゴマすりに巻き込まれ、不良品を隠す暇がなかったと言い訳が先に脳裏をよぎる。セルヴィア品管課長と目が合う。首を横に振りながら口を魚のようにパクパクと開閉する。課長の言いたいことは分かる。
──何とかしろ。
「これがジョイントですか?うわ、酷いヒビだ」
課長の思いも虚しく、オービルは今日出たばかりの不良品を拾い上げ、好奇心旺盛な子どものような嬉々とした声色で不良品をいじり始めた。
「古い試作品です!」
セルヴィア品管課長が目一杯に声を張り上げた。
オービルは、「たくさんの失敗を重ねてきたのですね」と深く頷いた。
「くれぐれも生産品に紛れ込まないようにしてくださいね」
オービルは感動しているに違いないが、俺たちからは念押しに見えてしまう。
「勿論ですとも!」
調子良く答える課長の姿に、腸が煮えくり返る憎悪に近い疑念が込み上げていた。
工場地帯の空は相変わらず灰色の煙に覆われている。ささやかに射し込む日の光が微かに消えたことでしか夜の訪れを判別できないが、終業時間のアナウンスを空に浮かぶバルーンが告げたばかりだ。
視察に来たオービルも従業員もすでに帰路に着き、静まり返った工場の一角に怒号が響いた。夜の工場を徘徊する野犬が遠吠えして、俺の出した騒音に抗議する。二人きりの課長室で俺は大きく一息つくと、課長に詰め寄った。
「セルヴィア品管課長、俺に言ったよな」
課長の机を思いを込めて叩きつけた。ヘンリーたちには見せられない剣幕をしているだろう。今にも壊れそうな電報の音に気を取られながらも言葉を続けた。
「これは試作生産だと」
バケツに山盛りになった不良品を指差す。セルヴィア課長は不貞腐れた表情で睨み返すばかりだ。アンティークデスクを指で叩きながら、ダンマリを決め込む課長を更に追求する。
「だが、メテノス社の技術部長は言った、たくさんの失敗を重ねてきたのですねと」
「何が言いたい」
机を叩くリズムが早くなる。投げやりな態度に猜疑が確信に変わった。
「まるで生産試作が終わったかのような言い草だ」
今日視察に来たメテノス社の技術部長は本生産の話まで踏み込んでいた。
試作を終えてから本生産に入るのが普通だ。試作品を廃棄した後に始まる本生産に試作品が混じることはあり得ない。
「俺たちが検品しているのは本生産だな」
重ねてきた──試作がすでに終わったかのような──本生産をすでに始めているかのようなオービルの口ぶりが全てを物語っていた。
俺の追求にセルヴィア課長は唇を震わせながらボソボソと自供した。
「試作だと言わないと、君たちは検査をもっと厳しくするだろ」
思わずため息をつく。
安っぽい嘘などすぐに看破される。良い年したオッサンの計略にしては杜撰だ。
「生産本数……ノルマはどうするんだ!」
セルヴィア課長は怒鳴り散らすと、机の引き出しから取り出した羊皮紙の束を叩きつけた。子どものように憤る課長のらしくない姿に俺は生唾を飲み込んだ。
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