岩男(おとこ)

@8163

第1話

 リフトの運転はコツさえ掴めば簡単だが、その理屈がなかなか呑み込めない。前進がバックでバックが前進になる。乗ったことのある人は理解出来ると思うが、知らない人はちんぷんかんぷん、何をバカな事をと失笑するだろうが、それさえ解ればこっちのものだ。

 つまり、こうゆう事。座って爪の着いた、フォークがあるのが前。当たり前だか、その前のタイヤはハンドルを回しても動かない。左手一本で回すのだが、動いて方向を変えるのは後ろの小さいタイヤなのだ。つまり、車で言えばバックをしているのと同じ操作で、フォークでパレットを刺して掬い、荷物で前が見えなくなりバックをすれば、今度は車なら前輪を操作するので前進になるのだ。

 解っただろうか? 実際に運転するなら、前に進んで左折するとする。要点は左のタイヤが角に来たらハンドルを切るのだ。そうするとリフトのお尻が右に振れてターンする。だから左折は左に寄って左のタイヤを意識してなるべく左タイヤギリギリで曲がる。

 バックは車と同じ要領で、フォークの着いた前の固定タイヤを意識して、それが角を通過したらハンドルを回す。つまり頭を振るのだ。大型トラックの運転では、バックミラーで後ろのタイヤを見て、タイヤが 角を過ぎたらハンドルを切って頭を振れ、などと指示される。前後の間隔が長い大型トラックでは、つまり後ろのタイヤを軸にして円運動をするようなものだ。反対にリフトでは前のタイヤを軸にして円運動をする、とも言える。

 自分も初めば何のこっちゃ゙と、理解出来なかったが、いきなりトラックの荷台にリフトで積み込みをさせられたので、否が応でも考え理解しなければならなかった訳だ。

 段ボール箱に入った製品をパレットの上に互い違いに積み上げ、崩れないようにサランラップの大きい奴でぐるぐると巻き、落ちないようにしてからリフトで掬い、前が見えないからバックをして後ろからトラックの運転席の方に下がり、右手でレバーを操作してフォークを持ち上げ、右前タイヤが積んである荷物の所に来たら左手でハンドルを回して荷物同士の隙間が空かないようにして積み込む。隙間があるとブレーキを掛けた時に動いて荷崩れを起こす。だからトラックは荷物を前に詰めて運んでいる。

 たまに金型など重量物を重心を考えて後ろのタイヤ近くに載せ、前を空ける事があるが、そんな時にはガチガチに縛り、急ブレーキを掛けても前に飛ばないようにする。飛んだら、運転席を突き破って人間などひとたまりもない。

 よく、ノロノロ運転をしているトラックを見ることがあると思うが、何か変な物を積んでいると考えた方がいい。重いものなら荷台が沈んでいるし、そうでないなら壊れやすい物を積んでいるのだ。スイカを積んだことのある人の話を聞いた事があるが、道路の凸凹で車が弾んだら、段ボールに入れて積んであるスイカでも下の方の幾つかは割れるらしい。

 極め付けは会社に出入りしている運転手の一人、西村さんの話だが、昔、車のデザインが済んで粘土で造った模型を運んだらしい。粘土だから重くて脆い。しかも値段は五千万円くらいするらしい。壊れたら、とてもじゃないが弁償出ない。冷や汗もので運んだそうな。ところが、こんな時に限って変な車に追い越されて割り込まれたり、また戻ってきて後ろに付かれてクラクションを鳴らされたり、纒わりつかれ、頭に来たがスピードは出せないし急ブレーキは踏めないし、どうしようかと考えたが、このままじゃ模型が壊れても相手に逃げられてお仕舞いだと思い、車の一台くらいぶっ壊しても大した金じゃないと覚悟して、信号待ちでオイルジャッキの棒を持ってドアを開け、運転席から降りたらしい。手には長い棒。運転席のガラスでもフロントガラスでも、叩き割って引きずり出してやろうとしたが、バックミラーで見えたのだろうか、慌ててアクセルを踏んでタイヤを空回りさせ、煙を出しながら赤信号を突っ切って逃げられたらしい。切歯扼椀、悔しかったのかと訊いたら、そんなことはない、模型を壊さなかったので、やれやれだったらしい。

 自分も4トンの中型トラックまでは運転したことがあり、重い金型も積んだことがある。4トン車に倍の8トン位まては積んで走った経験があり、高速を走って隣の県から戻って来たのだが、いくら重くても八十キロくらいのスピードは出さなければならず、そうなると橋の継ぎ目などで上下に車が揺れ、その揺れが重いので直ぐには収まらず、いつまでも続き、上下に揺れて気持ち悪いまま、また次の継ぎ目で揺れ、とうとう高速を降りるまで、そのまま走った経験がある。

 今、思い出すとタイヤがバーストでもしていたらと思うと命懸けだったと冷や汗が出るのだが、重量物を積むのと走るのとではこうも違う事なのかと、車をただ運転するのと運ぶの違いに戦慄するしかない。

 こんな経験、したくはないし、する前に誰かに教えてもらえたのなら無茶はせずに頼みましょうよと、提言しただろうし、事故が起きてからでは遅いと拒否しただろう。無知は怖い。トラックなど運転しない部長の「日本のトラックは積載量の三倍くらい積んでも大丈夫」を鵜呑みにして、分厚い金型を積んだのが大間違い。運送会社に重量物運搬を頼むと幾ら掛かるかは知らないが、金をケチって事故を起こせば、運送費の何倍払う事になるのやら。

 そんな風な、いい加減な知識で無茶な仕事をさせるから辞める社員が出てくる。そして、その穴埋めに自分が入社した訳だ。だから引き継ぎも何もない。

 会社には4トン車が2台、2トン車が2台、あとはハイエースとバン、これも2台づつある。車の数と営業・配送の人数が合ってない。車が余っている。多分、人がそれだけ辞めたのじゃないのか? 稼働してない車は不良債権のような物だろう。経費が全て赤字になってのし掛かる。部長も、流石にそれは解っていて、直ぐに二人を雇い入れた。

 一人は誰か社員の知り合い。もう一人が岩男だ。背は小さいがハゲ頭を剃り上げ、赤銅色の肌が頭のてっぺんまで染めて続き、体は厚みがあり肩幅も広い。カタギではないだろう。社長の弟が保護司をしているので、その関係で今までも何人か来たらしい。

 ゴツゴツして、まるで岩だ。上下灰色の作業着を着て帽子を被ると、厳つさが多少薄れ、後ろ姿がしょんぼりとして映る。これなら連れて歩いても取引先の苦情も無いだろう。なぜか途中入社して間もない自分に指導教育のお鉢が回って来たのだ。見てくれにビビって現場に断られ外回りに連れて来られたのだろう。なるほど、トラックの運ちゃんには、こんな見てくれの奴なら沢山いる。話せば気さくなんだが、取っつき難いのも確かにいる。そんな強面なんだが、笑うと幼さが滲み出て愛嬌のあるのが殆どだ。顰めっ面して凄むのは気が弱いからだ。吠える犬ほど、と、言う訳だ。だが、この西山さんは逆。ニコニコと笑いながら近づいて来て、いきなりゴツンと行くタイプらしい。聞けばボクシングをやっていたと打ち明けてくれた。花見で、そぞろ歩きしていたら、いちゃもんを付けられ、ニコニコ聞いていたのだが、唾を吐きかけてきたので右ストレート一閃、2メートル位ぶっ飛ばしたらしい。鼻がへし折れ、血だらけに。それで傷害罪? とは訊けず、笑って誤魔化した。

 その西山さんにリフトの運転を教え、免許も一緒に取りに行く。ただ、此方も、リフトにはもう半年は乗っているが、実は初心者で免許証は持ってない。先に話したような理屈を言ってもダメなのは直ぐに分かり、幸い、普通車の免許は持っているので実地で扱わせ、慣れて貰うしかない。

 午前中から外回りにも同乗させルートを教え納品の手順を覚えさせ、時にはそのまま昼飯も外で食う。アパートでの独り暮らし、飯はどうしているのかと、訊いたら「米、味噌、醤油、あるので心配無用」と、屈託が無い。歳は還暦には達してはいないだろうが五十は過ぎているように見える。刑務所に何年入って居たのかは知らないが、親しくなっても、そうゆう話はしない。ただ、時々、若い頃の話やら、今のアパートの話はする。笑いながら話すが、内容は、そんな暢気な事じゃない。

 安アパートだが女性も入居していると言う。しかも若い女と中年女、二人もいるらしい。あとは中国人夫婦。話は赤裸々。

 中国人の夫が金を貸せと言う。貸してはやるが、その代わりに女房を貸せと、諭吉を二枚、顔の前でヒラヒラさせながら顔はニコニコ笑っている。流石に断わられたのだが、冗談だとの確信は無かったのじゃなかろうか? 余りに直裁な表現で、日本人同士なら間違いなく冗談たが、相手が中国人だと百パーセント冗談では無くなる。完全に見下していて人間扱いしてない。怒って喧嘩になってもおかしくないが、その面でもバカにしている。中国人は痩せた青二才、苦学生のような風貌。岩のような男の相手にはならない。その岩男は、からかったとも何とも言わない。

 若い女は、本当か嘘かは知らないが、部屋代が足らないので、一発やらせるから金はあるかと言ってきたと。月末になると夜、部屋をノックするらしい。俄には信じられないが、そんな見栄を張る歳ではないし、話し終ると目が遠くなり、思い出しているのか少し歯を見せて薄笑いをしている。

 中年女には遠慮がない。部屋に連れ込んだはいいが逃げ出したので、後ろからスカートもパンストもショーツも、纏めて一辺にずり下ろし、下半身を剥がすと大人しくなった、と。

 そんな西山さんだが、若い頃は市役所勤めだったそうな。そこで女子事務員とすれ違いざまにぶっかっで痛い゙と言われたそうな。体が岩のように硬かったみたいだ。その話から【岩男】の渾名を付けた。どうして、そこから、と、思うのだが、転落の一端は話してくれた。

 家を、建てたらしい。エアコンを付けようとしたら、全室に付けるかとの話になり、リビングダイニングには大きくて強力な物を、になり、とうとうクーリングタワー、ビルの空調と同じような設備にしようと、どんどん話が大きくなり、金が無いと言うと、市役所ならと銀行も幾らでも出すと言う。そうしてローンが膨らんでも今更退くに退けず借金まみれになったらしい。

 詐欺のような業者は何処にでもいる。獲物にタカる蟻か蝿か、壁材から床材、屋根、柱。水回り、電化製品までピンキリの世界でピンで揃えたら破産するのも尤もだ。

 そうなると親兄弟にも見放され、爪弾きにされるのが目に見えるようだ。勿論、離婚して妻子と別れたのは間違いないだろう。子供の話は一度もないが、独り者が家など建てないだろう。

 出身は関東らしい。そこには帰れない訳があるのだろう。多分、借金を親兄弟に返してもらい、縁切りされたのではと想像したのだが、穿ち過ぎか? けれども、お人好しだが見栄を張る、そんな矛盾した気質も突け込まれる要因だろうし、気に入ったら最後、手に入れずには居られない性格もある。この前も通勤に高額そうな黄色いブレザーを着ていたので訊いたら、八万で買ったと言う。ウィンドウに飾ってあって一目惚れをしたらしい。なるほど黒いシャツに合わせるとドンピシャだ。ヤクザの親分だ。しかし、上着一着に八万円はカタギの世界の金銭感覚ではない。もう此方の世界で暮らす気は無いのかも知れない。幾ら何を教えても無駄かも知れないが、それでもリフト免許は下請け工場の裏で、積込の仕事には無くてはならない。現に取引先でも前科のある奴、自己破産した者など、見かけるのだ。最悪、そんな風にでも働ける。ハナムケとして取らせよう。そう考えた。


 リフト免許は運転免許とは違う。国も警察も関係ない。運送会社とかリフトメーカーが組合みたいな物を作り、そこが発行する。それで通用するのかよ、と、思うが、正式には大型特殊の免許があれば乗れるらしい。リフトもユンボも私有地であれば誰でも運転していいし、買ってきて庭で走るのも構わない。ただ、道路ではナンバーを着けて免許がなければ走れない。だから会社によっては工場間に道路が横断していたりしてそこで乗るには免許なんだが、大型特殊ではなく、そんな組合の免許で良いのかなと、思ってしまう。ま、とにかく、最初は学科試験だ。午前中に講義で午後からペーパー試験らしい。翌日、リフトの製造工場へ行き、これまた午前中リフト練習、午後、実技試験。お気軽な試験のようだ。つまり、落とす試験なんかじゃないのだ。そしてそれは間違いじゃなかった。

 アーケードの商店街。その中を歩いて行き、ほぼ街の中心、ガス会館ビル、そこが会場だ。正面に来て見上げると緑色のタイル張りの外壁、アルミサッシの窓、商店街と同じく、もう流行らない外観の建物だ。学校か体育館のような建物かと考えていてので、拍子抜けして、緊張感が一気に崩れた。ただ、昼飯には困らない。うどん屋もカレー屋も選び放題。何せ商店街の中なのだ。

 30人くらい居るだろうか、細長い机にパイプ椅子。女性も何人かは確認出来る。ドライバーにも女性が増え、リフトにも乗る。いや寧ろ女性だから必要だ。人力で荷物を下ろすとなると力の無い女には無理だ。トラックの運転とフォークリフトのセットで初めて女性ドライバーの仕事が成立する。そして男と同じ仕事なら、男と同じ給料が貰える筈だ。意欲も高く真面目で、二日酔いで休む、なんて事もない。雇う側にとっては男よりも女ではないのか? だからこの頃のトラックが綺麗になったと思うんだ。そうしないと女性が入社してくれず、イメージ戦略で他社に負けてしまうのだ。多分そうだ。

 ここで困った事になった。テキストを開いていた西山さんが小声で「老眼鏡を忘れてきた」と、囁いたのだ。カラーのイラストがふんだんに使われたテキストだが、文字はそんなに大きくはない。それより、テストはどうする? 問題も読めないか? 尋ねた。

 「ぼやけてダメだ」目を細め、腕を伸ばしてテキストを遠ざけたり近づかせたりして言う。直ぐにテストだ。どうする?

 「解答用紙に名前を書かないで」そっと耳打ちした。「取り換えるから」隙を見て答案用紙を交換して名前を書いて置けば騙せると考え、そう言ったのだ。皆を合格させる為の試験なんだ。少し怪しくても見逃すだろうと踏んだ。

 西山さんは横目で頷き、ニヤリと笑い、少し歯をみせた。

 監督官は一人だけ。問題は、まあ、運転免許と同じようなもの。しかも、引っ掛けも少ない。マークシートの四択だ。速攻で記してテーブルの下で答案を交換して、また白紙からやり直し今度は自分の名前を書いて置いた。百点では無いかも知れないが、不合格にはならないだろう。

 翌日の実技試験は会社からそんなに遠くない所だ。勿論、会社名も場所も知っている。探せば親戚の中に勤めている人が見つかるかも知れない。そんな会社だが、リフト専門の会社ではない。寧ろリフト製造は一般には知られていないのではないのかと思われる。因みに最近まで自分も知らなかった。

 試験も練習も駐車場で行われる。従業員の駐車場だろうか、一画に白線がコの字に引かれパレットが端と端に置かれている。片方で掬ってもう片方に積むのだと解る。

 講師は黒縁メガネを掛けた痩せた小さな男。どうやらここの従業員で、リフト製造をしていていて、リフトの事は隅から隅まで知り尽くしている口振りだ。現場の人間で、人前で話すのに慣れていないのか照れがあり、説明の切れがない。前輪を軸に回せば良いのだと言えば、長々と説明なんぞ必要ないのにと、批判的な目で見ていたので、察したのか【わかりましたか?】と、睨みながら言われ、面食らった。

 毎日リフトに乗って仕事をしている訳で、実技試験に不安や恐れはない。ストップウオッチでタイムを計り、時間内に終えないといけないらしいが、講師のタイムより此方の方が速いので何ら問題は無い。運転は理屈じゃない。毎日の経験には敵わない。


 運転手の入れ替わりは激しい。粘土モデル運搬の西山さんも別のルートに移動していなくなり、女性の斎藤さんが回って来るようになった。バレンタインデーにチョコレートを貰って驚いたが、彼女は大型特殊の免許を最近取ったらしく、今なら試験の車両が大きいけどリフトなんで楽勝よ、と、免許の取得を薦めて来た。どうやら彼女は免許マニアで、次は牽引を狙っているようだ。

 西村さんは、思った通り仮釈期間が終わったのか、何の前触れもなく居なくなり、あんなに強烈な個性なのに、周りの皆は綺麗さっぱり忘れている。生活圏が全く重なり合わないので、どうなったのか聞く術もないが、一人だけ見かけた運転手がいる。それによると、トラックを運転中に左車線をトロトロと走る軽四を見かけ、クラクションを短く鳴らしてスピードを上げさせようとしたら、スルスルっと運転席の窓が開き、ぬっと坊主頭が現れ、振り向いて此方を向くと、歯を見せてニコニコと笑うと、車を二車線の真ん中に寄せると、おもむろにスピードを上げ去っていったらしい。因みに、黄色いブレザーを着ていたみたいだ。 了

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