第二章 6 廟の像

 翌日の昼間近、雲秀が廟に行くと悠月が箒で掃き掃除をしているところだった。

「そうか……廟は君が掃除していたのか」

 ここを訪れた時、祭壇や床に埃はたまっていなかった。それに、今思えば、ロウソクもまだ新しく、誰かが日々参拝しているようだった。

 敷居を跨いで入ってきた雲秀を見て、悠月は手を休める。

「この廟は村の人たちが大切に祀っていたものなんです。僕もおじいさんの手伝いで、よく掃除を手伝っていたから習慣で……」

 雲秀は女神の像の前に立って、線香に火を点ける。それを拝礼してから香炉に立てた。立ち上った煙が広がる。


「この像……なんだか……君の母さんに似ているな」

 昨夜、姿を現した幽鬼のことを思い出し、雲秀はふとそう呟いた。

「母さんがなくなった時に、村の人たちが作ったものなので……そうなのでしょうね」

 隣に立った悠月を、「そうなのか?」と見る。


「はい……おじいさんが、そう話してくれました」

「君の母さんはいつ、亡くなったんだ?」

「僕が七歳の時です。その時、村に流行病が広がって……母さんは薬草のことにも少しだけ詳しかったから、この廟で一人、病気になった人たちを看病していたようです。多くの人は助かったけれど、母さんも病気にかかってしまって……母さんは助からなかった」

「そうか……それで、この像が作られたのか……」

 きっと、尊敬を集めていた立派な人だったのだろう。あるいは、疫病を鎮めたため、村の守り神として祀られたのかもしれない。けれど、残された悠月は辛かっただろう。


「昨日……」

 悠月は箒の柄を両手で握り締めたまま、視線を落として口を開く。

「母さんの顔を思い出しました……長く、思い出せなくて……でも、昨日の夜、すぐにわかった……」 

 そう言って、悠月は弱く笑う。瞳がほんの少し潤んで見えた。彼は顔を上げて雲秀を見る。


「なぜ、母さんは……昨夜、現れたんでしょう?」

「それは、何か伝えたかったんだ……」

 行方がわからなくなっていた子どもたちの居場所を教えるためだとは、話せなかった。きっとその子どもたちは、悠月の友達でもあった子らだろう。それを知るのはおそらく辛いはずだ。もっとも、生きていないかもしれないとは、聡い彼ならもうすでに気づいているかもしれないが――。

「……君には親戚はいないのか?」

「母は、自分の家族のことを何も話してくれなかったので……おじいさんも知らないようだったから、誰も知らないのだと思います」

「父親のこともか?」


「ええ……」

「この村の者じゃなかったのかな……?」

 顎に手を添えながら、思案するように雲秀は呟いた。

「わからないです。でも、たぶんそうだと……母さんは、僕を育てながら、村の女性たちに刺繍を教えていました。それで、なんとか生活していけていたようです」

「刺繍?」

「はい。そこにある婚礼衣装も、母が刺繍したものなんです。村の女性が結婚することになって……ぼんやりだけど、覚えています。僕が『綺麗だ』と言うと、母さんは『あなたがお嫁さんを迎える時には、私が衣装を作ってあげられるといいわね』って笑っていました。母さんは結婚の衣裳を着られなかったからって……」


 それはつまり、婚礼を行わず悠月を宿して産んだということではないのか。となれば、父親のことを周囲に話さなかった理由もわかる。話せない相手か、事情があったのだろう。

「そうか……君の母さんは、美人な上に刺繍も上手で、しかも学もあって高潔で、素晴らしい女性だったということだな」

 雲秀は笑みを作り、ポンッと悠月の頭に手を載せる。「ええ、きっとそうだったと思います」と、悠月も誇らしげに笑っていた。それからふと、思い出したように雲秀を見上げてくる。


「そういえば……あの妹さんは?」

「妹? ああ……あの人か……あの人はえーと……」

 朝餉に作った甘い団子汁をたらふく食べた後、「用事がある」とふらっと出かけていった。

 

「雲秀殿!! 大変だ、すぐに来てくれっ!!」

 大騒ぎしながら血相を変えて廟に駆け込んできた義円は、「公堂が……公堂が燃えておるぞ!」と外を指さす。目を見開いた雲秀は、青くなって外に飛び出した。

「雲秀さんっ!」

 そう呼びながら、悠月も箒を投げ捨てて追いかけてくる。


 あの人は、おそらく公堂にいるはずだ――。

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