第二章 3 公堂にて

 廟に戻り、一夜明けた後、雲秀は玉蘭とともに村の公堂に向かった。案内してくれたのは、悠月だ。彼を面倒みてくれていた祖父はこの村の長老で、公堂の管理を行っていたようだ。村人が亡くなった後、村に戻ってきた悠月は、ここで一人暮らしていたのだという。

 中に入って見ると、悠月がまめに掃除していたらしく、それほど荒れてはいなかった。


 階を上がると、二階は書庫となっていて、村の公文書や記録が保管されていた。役所の役割も果たしていたのだろう。

 書庫の窓を開くと、爽やかな風と明るい光が入ってくる。中庭の井戸の側では、悠月が盥の前にしゃがんで洗濯をしている最中だった。


「しかし……昨晩の幽鬼はなんだったんでしょうね」

 雲秀は窓際の壁によりかかり、外を眺めながら尋ねる。義円と名乗る僧は、朝早くから張り切ってどこかに出かけていった。法要でも行うつもりなのだろう。

「さあ……何かを我らに見せたかったのだろうな」

 振り返ると、玉蘭は棚に積んである冊子を取り、めくっている。


「なぜ、そう思うんです?」

「あの幽鬼に悪意がなかったからだ」

「けど……義円とかいうあの僧は襲われていた」

 とはいえ、危害を加えられたわけではない。囲まれていただけだ。

「それより、悠月の話の方が気にならないか?」

 玉蘭は冊子を閉じて棚に戻してから、雲秀を見る。

「それは、確かに気になりますけど……」

 悠月は、昨夜のことを何も覚えていないようだ。ただ、夢を見ていたと話してくれた。


 村人が亡くなった日の夢だと言う。その日は、廟の祭りの日だったと言う。

 提灯を持って、日暮れに廟に集まり、大人たちはみんなお酒を飲んで宴会を行っていた。

 けれど、それからしばらくして、一人倒れ、また一人と、次々に村人たちが倒れていったと言う。


『僕はその日、もう寝ていたのだけれど、おじいさんに言われて、目を覚ましたんです……おじいさんはすごく怖い顔で、すぐに大変なことになったから、県の役所に行って、役人を呼んでくるようにと僕に言いました……僕はそれで、すぐに言われた通り、村を出て山を下りました』

 悠月はそう話していた。けれど、悠月は県の役所にまで行かなかった。途中で、役人たちが村に向かうのを見かけたからだ。きっと、先に誰かが知らせたのだと思ったという。


 村に戻ると、役人たちは倒れた村人を運び出し、残された子どもを集めて連れて行かれるところだった。

『僕が驚いて一緒に行こうとすると、おじいさんが僕を見つけて、急いでこの公堂に隠したんです。絶対に、何があっても声を上げるなと言われました。誰もいなくなったら、村を出て、もう戻らないように言われたんです……僕は、いったい何が起こっているのかわからなくて……ただ、怖くて……』

 数日、言われた通りに隠れていたようだ。それから人の声や物音がしなくなって、ようやく外に出ると、もう何もかも片づけられていて、誰もいなくなっていたそうだ。それが、悠月が知っていることのすべてだった。

「よくわからないことだらけだ。祭りの日に、いったい何が起こったのか、それが誰の仕業なのか……」

 顎に手をやりながら、雲秀は首を捻る。


「酒だよ」

「酒……?」

「まず、祭りの日に最初に倒れたのは大人たちだけだった。子どもと長老は無事だった。それはなぜか。祭りになれば、大人たちは当然、祝いの酒を口にする。しかし、子どもは飲まない。長老が無事だったのも、同じく酒を飲まなかったからだ」

「酒に毒が仕込まれていたとでも……?」

 眉を潜めて尋ねると、「まあ、そんなものだな……」と玉蘭は笑みを薄らと浮かべたまま答える。

「井戸のそばで、酒の瓶が割られていたのをお前も見ただろう?」

「ええ……確かに……そのそばで猫が死んでいた……同じ毒にやられたということですか?」


「瓶の表面に描かれていたのは蛇の紋様、内側が赤かったのは丹砂が塗られていたからだ。呪詛を行う時に使われる術法だよ。その瓶で醸成された酒は邪気をたっぷりと含み、飲んだものの命を奪う」

「呪詛……」

 同じようにあの散らばっていた瓶の破片を見ていたのに、そこまで気づかなかった。


 唖然として呟いてから、ゾッとしたように口もとに手をやる。猫は瓶の表面についていた酒を舐めたのだろう。それだけ強力な毒ということだ。

「でも、そんなこと……いったい誰が。誰が飲むかもわからないのに……」

 無差別に村人を殺そうとしたのだろうか。それとも、誰か一人を狙ってのことなのか。


「祭りで一年仕込んだ酒の瓶を開けるのが、習わしだったんだろうな。この日、村の大人たちがほとんど酒を飲むことを分かっていた誰かだろう」

「村人の誰かの仕業だと? けれどそれなら、自分も酒を飲まなければならなくなるんじゃないですか? けど、長老は飲んでいなかった……」

 けれど、それでは悠月の育ての親である長老が村人を無差別に殺したことになる。

「おかしなことなら、他にもあるぞ」

 玉蘭は考え込んでいる雲秀を見て、ニヤッと笑った。


「悠月は老人に言われて、役人を呼びに行った。けれど、それより先に役人たちが村に向かっていた。おかしいじゃないか。役人たちは村で何かが起こることを先に知っていたようだそれに、役人たちは子どもたちを集めてどこに連れていったのか」

「…………確かにそうだ」

 売り飛ばすために連れて行ったわけではないだろう。もし、そうならとんでもない事件だ。


「昨日の幽鬼たちは、何かを私たちに教えようとしている。そうなら、もう一度、現れるのを待ってみてもいいじゃないか」

「まさか……夜通し起きているつもりですか?」

 嫌な予感にかられてきくと、「その通りだ」と玉蘭は嬉しそうに頷く。すっかりワクワクしているのだろう。こんな薄気味の悪い事件に遭遇して、よく平気でいられるものだ。やはり、人と仙とでは感覚が違うのだろう。

「肝試しなんて、いい年をしてやることでもないでしょうに」

「墓を暴いて死人をたたき起こし、直接きいてもいいんだぞ。その方が手っ取り早いんだ」


「ちなみに……誰が墓を暴くんです?」

 答えは聞くまでもないが、一応確認のためだ。案の定、玉蘭は「何を言っているんだ」とばかりに眉根を寄せる。

「そんなの、弟子の仕事に決まっているだろう」

 そんなことだろうと、雲秀はガックリする。それなら、肝試しの方がいくらかはましだろう。

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