第一章 7 破片

「本当に、誰もいないんだな……」

 無人の家の中を覗いて呟く。机には湯飲みと皿がそのまま残され、埃を被っていた。まるで、人だけが消えてしまったようで、荒らされた痕跡もない。パタンと戸を閉めて、奥の厨房に向かう。中に入り、何か食べられそうなものはないかと見回した。この家の主はもういないとはいえ、物色するのはなんだか少々気が咎める。

「後で、紙銭でも焼いて供養しておくとするか……」

 それで恨まれることもないだろう。


「雲秀っ、雲秀っ!」

 嬉しそうに声を弾ませて、玉蘭が厨房に飛び込んでくる。その腕に抱えているのは壺のようだ。

「見ろ! あったぞ。ゴマと、餅米の粉と、小豆だ!」

 玉蘭は卓の上に、壺を並べ蓋を開いて見せる。確かに中身はゴマと、餅米の粉と、小豆のようだ。

「…………で?」

 雲秀が困惑気味にきくと、玉蘭は両手を腰にやり顎をぐいと上げる。


「ゴマ団子が作れるじゃないか」

「誰が作るんです?」

「もちろん、雲秀だ! 私は食材を見つけてきたんだからな」

 ニンマリと笑う玉蘭に、雲秀は脱力してため息を吐いた。

「そんなことだろうと思いましたよ……」

「とびきり甘いのを作ってくれ」

「はいはい」

 仕方なく、袖まくりをして作業に取りかかる。とりあえず、水を汲んでこようと桶を手に外に出る。


「井戸は……」

 呟いて厨房の裏手に向かう。日陰になった木のそばに井戸を見つけて、足を向けた。けれど、そのそばに落ちていたものを見て、「うわあああああーっ!」と悲鳴を上げる。思わず飛び退いてから、目を懲らして見れば、猫の死骸だった。いつの頃のものか、骨がむき出しになっている。


「な…………なんだ…………」

 安堵したが、気持ちがいいものではない。「どうした、虎でも出たのか?」と、玉蘭が厨房から出てくる。

「な、何でもありませんよ。ちょっと急に見たから、びっくりしただけです」

 そう言いながら、息を吐き出す。玉蘭は『それ』のそばに歩み寄ると、身をかがめた。手を伸ばして拾ったのは、そばに散らばっていた素焼きの陶器の破片だ。よく見れば、井戸の周りに散らばっている。


「壺……みたいだ」

 雲秀もそばに行き、破片を一つ拾い上げようとした。その手を、「待て、触るな」と玉蘭がつかむ。かわりに、彼女は懐から取り出した手巾で、その破片を取り上げると鼻先に近づけて匂いを嗅いだ。

「酒壺だな……酒の匂いがする」

「酒壺……?」

 割れた破片を井戸の周りにばらまいていたのだろうか。破片の内側が朱色に塗られていて、表面にも所々赤い線が引かれていた。何かの模様が描かれていたのだろう。

井戸の中を覗いてみると、澄んだ水が底のほうに溜まっている。一匹の蛙が、壁にはりついて鳴いていた。

「水は飲めそうだな……」

 もし、井戸の水に何か異変があったのなら蛙がいるはずもない。

 その時、視線を感じて雲秀はパッと振り返る。けれど、誰もいなかった。生暖かい風がそよいでいて、木漏れ日が静かに揺れている。


「やっぱり……誰かがいるんじゃないでしょうか?」

 雲秀は眉を潜めて言った。無人のはずなのに、人の気配がする。

「生きている人間なら、別に怖ろしいこともないじゃないか。雲秀の剣で追い払えばいい」

 玉蘭はニコッと笑って破片を放り投げると、軽く手を払って厨房に引き返していく。

「調べてみなくてもいいんですか?」

「ゴマ団子を食べてからでも遅くはないさ」

 雲秀は「それもそうだな」と、水を汲んだ桶を提げて玉蘭とともに厨房に戻る。

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