第一章 5 目覚めた時
「おいっ、雲秀……雲秀起きろ……っ!」
体を揺すられてハッと目を覚ました雲秀は、ふらつきながら立ち上がった。
「明蓉……明蓉を助けに行かないと!!」
うなされるように言いながら飛び出そうとすると、「馬鹿者、いつまで寝ぼけているんだ!」と頬を力一杯殴られた。その衝撃によろめいて、ドサッと尻餅をつく。痛そうに拳を握った手を振っているのは、玉蘭だ。目を見開いて、「し、師匠……」と情けない声で呼ぶ。 その鼻の頭にピシャリと落ちてきたのは雨の滴だ。外は嵐になっているらしく、風の音がひどくうるさかった。
辺りを見回すとそこは生家の庭ではなく、暗い廟の中だ。呆気にとられた雲秀の口から、「なんだ、夢か」と安堵の声がため息とともに漏れる。手で押さえた額が汗で濡れていた。
それもそのはずだ。明蓉は生きている。
生きているはずだ。ちゃんと、別れもした。
あれが夢でないはずがない――。
それにしても厭な夢を見たものだ。まだ心臓の音が激しく聞こえてくる。
「まったく……手のかかるやつだ。そんなに夢で何度も呼ぶほど恋しいのなら、大人しく親の言う通りに結婚していればよかったんだ」
腕を組んでいる師匠の言葉に、雲秀は苦笑いすることしかできなかった。
「恋しがって呼んだわけじゃない……不吉な夢だったんだ」
それも、この雨と風の音のせいだろう。
「私は月餅をたらふく食べる夢を見ていたのに、お前の声のせいで起きてしまったじゃないか。もう一回寝るんだから、今度は騒ぐなよ!」
そういうと、師匠はあの上掛けをガバッと被って寝てしまう。朝にはまだ早いが、夢のせいでもう一度寝る気にもならず、雲秀は「わかりましたよ」と拗ねたように答えて柱にもたれかかる。目を瞑ると、あの池に浮かんでいた彼女の苦しげな顔を思い出しそうで、怖かった。荷袋を引き寄せて解くと中から、布に包んでいた簪を取り出す。別れを告げた日、彼女から返されたものだ。「行ってらっしゃい」と小さく震える声で。
別れる男からもらったものなんて、いらないだろう。けれど、あの日からこの簪が旅のお守りのような気がして、ずっと手放さずに持ち歩いている。未練がましいなと、自嘲がこぼれた。恋という感情がそこにあったのかどうか、今の自分にはもうわからない。ただ、愛おしさがそこにあったことだけは確かだ。血の繋がらない妹のような気持ちであったとしてもだ――。
彼女が自分をどう思っていたのかは、正直なところよくわからない。嫌われていたわけではないだろう。好意は向けられていた自覚はある。ただ、それは自分と同じく、兄のような幼なじみに向けたものであったのか、それとも許嫁となった男に対しての恋慕の情であったのかは確かめようもない。
簪を握り締めたまま、ぼんやりと淡い記憶に浸っていると、扉がキッと鳴る。視線を移した雲秀は、過った人影に反射的に側に置いていた剣をつかむ。
「待てっ!!」
立ち上がると、廟を飛び出す。途端に雨が吹き付けてきて前進が瞬く間に濡れた。
外は真っ暗で風が吹き荒れ、廟の側に植えられた大きな桑の木を揺らしていた。
目を懲らして見たものの、もう人影はどこにも見えなかった。
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