タロット絵師の占い処

第7話 タロット絵師への道

 小さな小さな呟きが、大きな大きな溜め息と共に零れて落ちました。

「サファリくん」

 それはとある夜明けのことでした。ツェフェリは教会を脱け出して、明朝には出発するというサファリに会いに来たのです。

 少し眠たげな目ですが、サファリはきちんとツェフェリの方を向きました。

「ボク、タロット絵師になるよ」

「そう」

 サファリの反応は淡白なものでしたが、ツェフェリは決意を聞いてもらえただけで嬉しかったのです。今日この日まで、サファリがツェフェリに教えてくれたことはたくさんあります。そのおかげでタロットカードは大アルカナが一セット完成していましたし、タロット占いのやり方も学びました。

 それらを踏まえてツェフェリは占い師ではなく、絵師になりたい、と決意したのでした。

 サファリはぽん、と優しくツェフェリの頭を撫でます。

「頑張ってね」

「うん」

 シンプルな励ましがサファリらしくて、ツェフェリはにっこり笑いました。

「本当に行っちゃうんだね」

「うん。行商人だから」

 サファリは父と一緒に今日、この村を旅立ちます。わざわざ一介の商人のためにツェフェリが見送りを堂々とするわけもなく、故にこんな時間にサファリの元へやってきたのです。

 まだ薄暗い外を見て微かな明らみに横顔を照らされたサファリが呟きました。

「朝焼けを、見に行こうか」

 ツェフェリはにっこり笑い返します。

「うん!!」


 夜明け前、薄く明らんだ空は藍色と青のグラデーションで美しいものでした。海は深い色をしています。サファリと過ごすうち、外に出る機会の多かったツェフェリは、時間帯によって違う色が景色の中に見られる、ということを学びました。

 まだ夜の影を灯す海の色はサファリの目の色とは違った味わいを醸し出していました。見ているだけで、深い深い水底に取り込まれたような錯覚を得るのです。

「あ、あの星。明けの明星じゃないかな?」

 サファリが指差した先に目をやると、ひときわ輝く星がありました。皆寝静まった時間とこの夜と朝の境にしか見られない星です。特に宗教的な意味はありませんが、ツェフェリはなんとなく縁起がいいような気がしました。

「旅立ちにはいい日になりそうだね」

「ふふ、[虹の子]さまのお墨付きだと本当にそんな気がしてくる」

「……その呼び方はやめてよ……」

 サファリはツェフェリをからかうときによく[虹の子]と呼びます。本気で言っているわけではないのはツェフェリにもわかるのですが、ツェフェリがげんなりするのを見て楽しんでいる節のあるサファリに少しだけ溜め息を吐きたくなります。けれど、サファリに呼ばれるのも、満更ではなかったり。複雑な心境です。

 サファリは軽くごめん、と謝ってから、海の方を見つめます。海色が海色を見つめるさまは奇妙な感覚がしましたが、絵になります。雲のような髪がさらさらと風に揺れて、その姿をより幻想的にしました。

 ツェフェリも海に目をやりました。日の出が近いのか、海と空の境界線が、金色を帯び始めています。とても美しく、神秘的な光景でした。

 二人は無言のまま、海の彼方を共に眺めていました。その右手と左手は固く結ばれていました。

 やがて、日が昇ります。自然の摂理に従って。それは自然の美しさを、尊さを、変わることない明日を人々に示すのです。

 海面から顔を出したお天道さまはきらきらしていて、揺れ動く波を宝石にしていきました。とても綺麗な朝焼けが、ツェフェリの村に訪れました。

「綺麗……金色にきらきらしてるよ」

「ふふ、ツェフェリの目と一緒だ」

「え?」

「ツェフェリの目も今、金色できらきらしてるよ」

 サファリの言う通り、朝焼けを見事に写し取ったようにツェフェリの目には黄金が宿っていました。サファリは首を傾げます。自分じゃ自分の顔は見られないから、とサファリはいつも、ツェフェリの目の色を教えてくれます。教えるだけで、変に崇めたり、讃えたりしないので、ツェフェリは気楽に有り難く聞くことができました。

 自分の目がいかに美しいか、ではなく、どんな色をしているか、がツェフェリはいつも気になっていました。だから、自分の目を純粋に見つめてくれるサファリの存在は有り難かったのです。

 それに、サファリはツェフェリに様々な景色を見せてくれました。サファリが絵の指導のためにシスターたちと交流させてくれなかったら、どこか息苦しい上下関係が果てしなく続いたことでしょう。きっと、サファリがこの村を起ったら以前のように戻るのかもしれませんが……一時だけでも、その苦しみを忘れていられる期間があったことを、ツェフェリは愛しく思います。サファリには感謝してもし足りません。

「サファリくん」

「あ、ツェフェリ、ちょっと動かないでね」

「えっ」

 サファリに感謝の言葉を述べようとしたところ、サファリにそう声をかけられました。タイミングが悪いというか。どうしたのか聞いても、サファリは答えてくれません。

 ややあって、さらり、と髪に触れる手があることに気づきます。サファリのか細く、繊細な手です。サファリこうしてあまり直接触れてくることがないので、ツェフェリはちょっと緊張で身を固くしました。すると、苦笑したように、乱暴にはしないから、とサファリが応じました。

 彼はその宣言の通り、優しい手つきでツェフェリの鶯色を鋤いていきます。櫛のようなきめ細やかさはありませんが、サファリの手は気持ちのいいものでした。

 と、サファリに身を任せていると、不意に慣れない涼しさが首筋にまとわりました。……これは、髪を結われたのでしょうか。

「サファリくん?」

「ん、やっぱり似合ってる」

 どういうことだろう、と思っていると、何やら終えたらしいサファリが手鏡を渡してくれました。それで確認すると、ツェフェリの鶯色は項の辺りに赤紫のリボンでまとめられていました。不自然ではない鮮やかなリボン。ツェフェリはこういう髪留めというものを使うのは初めてでした。故に、戸惑いも大きかったのです。

「プレゼント。行く前に渡せてよかったよ」

「え?」

 サファリが人差し指を立てます。

「ほら、ツェフェリが目標を立てた記念。餞別とでも思ってよ。僕は職業柄、会えるかどうかわからないからさ」

「会えるよ!」

 強く返すツェフェリにサファリは肩を竦めます。

「どうだかね。父さんはきっと世界の果てを見つけるまで旅を続けるっていうよ。僕もそれについていく。でも、ツェフェリはこの村から出られない。それじゃあ、会えるとしてもいつになるかわからないよね」

「会えるよ!! ボクはタロット絵師になるんだもん。そうしたら、サファリくんのところにタロットを売る。約束!!」

 ツェフェリの固い決意にサファリはきょとんとして、それからすぐに声を立てて笑い始めました。ツェフェリは狐につままれた気分でした。サファリは普段は滅多に表情を変えない鉄面皮です。それが大声で笑うものですから、驚きもしましょう。

 ツェフェリは海岸に谺するサファリの笑い声の大きさにだんだん罰が悪くなってきて、むすっとした顔でサファリに返します。

「そんなに笑うことないじゃん……本気なんだから」

 しかし、しばらくサファリは笑い止みませんでした。かれこれどれくらい待ったものか、というくらい笑ったところで、サファリはふう、と息を吐き出し、真顔でツェフェリと向き合いました。

「別に馬鹿にしてるわけじゃないよ。いい夢だ」

「じゃあなんで笑ったの?」

 むくれるツェフェリを宥めるようにサファリは肩を優しくぽんぽんと叩いて、そうしながら続けました。

「商人は普通はものを売る側だからね。商人に売るって言った君が面白かったんだよ」

 それから、サファリはツェフェリの髪を乱さないように丁寧な手つきで頭を撫でました。

「そうだね。そうして、また会えるなら……そういう可能性があるなら、約束、しようか」

 サファリがツェフェリの手を取り、自分とツェフェリの小指同士を絡ませます。ツェフェリがきょとんとされるがままになりながらサファリを見ると、サファリは約束の儀式だよ、と告げました。

「どこかの地方では、約束ごとをするときにこうして小指同士を絡めて歌うんだって。指切りっていうらしいよ」

「指切り?」

「うん。約束を守ることに指一本賭けるんだ」

「ええっ!?」

 なんと恐ろしい風習でしょうか。ツェフェリの顔があからさまにひきつるのを見て、サファリは付け加えます。

「そうしたら、約束絶対守ろうっていう気になるじゃない」

「……なるほど?」

 ゆびきりげんまん、とサファリに教わった通りに歌って、指切った、と指同士を放しました。

「さあ、シスターさんたちを心配させないうちに帰らないと、ツェフェリ」

 そう、日が昇ったのですから、教会のシスターたちが起き出す時間です。そのときにツェフェリがいないとなると大騒ぎになるでしょう。

 後ろ髪を引かれる思いをしながら、ツェフェリはサファリに、じゃあね、と告げました。立ち去りかけたツェフェリをサファリが呼び止めます。

「また会うんだから、こういうときはまたねっていうんだよ」

「! またね!!」

 こうして、ツェフェリはサファリと別れたのでした。

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