第6話 タロットの中に生きる

 ツェフェリは小物がだいぶ描けるようになったので、サファリから人物画を描けるようになろう、という提案をしてくれました。

 まずは顔を描くことになりました。顔にはバランスというものがあり、目がどの辺りにあるのか、鼻がどこにあるのか、耳はどこにつけるのかなど、考えることはたくさんあります。

「まあ、まずは輪郭をどうするかっていう問題があるんだけど」

 輪郭。顔の線です。大体は輪郭を描いてからスタートです。たまに、目から描いたり、鼻から描いたりする人もいるようですが、大多数は輪郭から描きます。ベースがなければ何も作れないのですから。

 けれど、サファリはまず、自分なりに人をデッサンしてみよう、と提案しました。そのため、今ツェフェリは椅子に座ったサファリとキャンバスを交互ににらめっこしていました。サファリを描くことになったのです。

 改めて見ると、サファリは整った顔立ちをしています。雲のようなふわふわした髪、緑と青を混ぜて乳白色を少し射したような海のような色の目。目鼻立ちも整っていて、幼さがあるのにどこか妖艶というか。考えてみると、ツェフェリと同い年くらいなのに、大人びて感じられます。

 模写というのは小物の練習のときにサファリがたくさんさせてくれました。このモデルを描くというのもそれと同じ要領でやればいい、と言われましたが、物と人とでは大違いです。

 ツェフェリはまず、サファリの繊細な輪郭に悩みました。幼さと大人びた感じという矛盾した印象を抱えているサファリの線はとても難しいのです。うむむ、とツェフェリは鉛筆を握りしめ、キャンバスを見つめます。どんなにじーっと見ても、穴など空いたりしませんが。

「ツェフェリ?」

 一向に筆が進まない様子のツェフェリにサファリが疑問符を浮かべます。

 ツェフェリは再び唸りました。

「むー……難しい……」

「そうかな」

「そうだよ!!」

 サファリを描くことの難しさと言ったらありません。サファリはとても繊細で、何か一つ間違えただけで全くの別人になってしまうような印象があります。つまるところ、とても描ける気がしません。

 この年齢で完成された顔立ち……将来はどうなるんだろう、と考えると末恐ろしいです。

 それはそうと。これでは絵の練習が進みません。それを理解したサファリは別なモデルを探すことにしました。

「この教会には何人かシスターさんがいたよね。あの人たちを描いてみたら? きっとツェフェリが描いてくれるって言ったら、すごく喜ぶと思うよ」

 ……それはツェフェリが[虹の子]だからでしょう。そうなるとツェフェリは複雑な心境です。それに、サファリが描けないとお手上げにしてしまうのもなんだか釈然としません。

「うーん、じゃあ自分を描いてみたら?」

「ええ?」

 考えてみたこともありませんでした。自分で自分を描くなんて。けれど、まだ外出禁止令は解かれていませんから、教会の中にいる人を描くしかありません。

 ツェフェリはしばらく考えて、それから部屋の鏡台に向かいました。温かみのある木で作られた鏡台の鏡には、当たり前ですが、ツェフェリが映っていました。鶯色の長い髪は綺麗に整えられていて、サファリにも負けず劣らずの白磁の肌としっくり合っていました。

 顔の中の印象を占めるツェフェリの目は今は紫色をしていました。ツェフェリは自分をあまりじっと見たことがなかったので、なんだか変な気分になりました。すると、目が青に変わります。かと思えば緑に変わったりして、ああ、これが[虹の子]なんだな、と他人事のように思いました。

 けれど、目が特殊なだけで、大して他の人と違わないような気がしました。サファリを描くほど難しくはないでしょう。

「やってみる」

 ツェフェリはキャンバスに鉛筆を走らせました。滑らかに迷いなく進んでいくのは何故でしょう。サファリのときとは違って、ツェフェリは自分で自分の構造を理解しているからでしょうか。あっという間に輪郭を描き上げていきます。止まることを知らないかのような筆遣いにサファリが脇で見ながら、おお、と感嘆の声をこぼします。

 それは間違いなく[ツェフェリ]でした。自分のことは自分が一番よくわかっている、ということでしょうか。紙上のツェフェリは現実のツェフェリとそう違いはありませんでした。美化もデフォルメもされていないありのままのツェフェリです。そんな線画が完成しました。

「ツェフェリ、絵の才能あるんじゃない?」

「えっ、そうかな?」

 思わぬサファリからの指摘にツェフェリは少し恥ずかしげにします。それから、サファリがにっこりと告げました。

「じゃあ、この調子で他の人も描いてみようか」

「えっ」


 それからそれから。

 結局ツェフェリは教会の中を歩き回って、シスターたちを描いていくことになるのでした。

 別に嫌なわけではありません。まさかシスター全員を描かされると思っていなかったというだけです。様々なシスターの姿を描きました。祈りを捧げるシスター、掃除をしているシスター、料理をしているシスター、洗濯をしているシスター。様々な格好のシスターを描いて、同じ服を着ていても、シスター一人一人は違うのだ、ということを実感しました。

「かなり上手く描けてるんじゃない? 特徴も捉えてるし」

 サファリがツェフェリのキャンバスを覗き込んで呟きます。ちなみにですが、サファリはツェフェリから「ボクも頑張って描いてるんだからサファリくんの絵も見せてよ」とぶうたれたことにより、何枚か絵を描いています。

 サファリの抱えたノートから覗くサファリの絵はとても同じ人物が描いたとは思えない絵柄の多彩さがありました。それこそ可愛らしく頭身を抑えて描いたデフォルメのシスターやリアルタッチ、絵本のような単純な絵柄。多種多様な絵柄をサファリは使い分けてみせました。

 サファリは多才だなぁ、と思いました。何をやってもそつなくこなせる[できる人]です。才色兼備とは彼のことを言うのでしょう。

 ツェフェリも下手ではないのです。ただ、まだ初心者らしくどこはかとなく辿々しさが表れています。自分の絵を見て、とても自信がある、とは言えませんでした。

「ツェフェリ?」

 ツェフェリが落ち込んでいることに気づいたサファリがツェフェリの顔を覗き込みます。ツェフェリの目は影を宿していて、カーキ色をしていました。

 そんなツェフェリの頬をサファリがつつきます。むにゃ、とツェフェリは驚いてサファリを見ました。

「らに、サファリくん」

「いや、浮かない顔してるなーって」

 ツェフェリは眉根を寄せて困り顔を作りました。何せ、ツェフェリの自信喪失の原因の大部分はサファリにあるのですから。……けれど、そんな才能への嫉妬を醜いと思う自分もいるのです。だから、素直に言い出せずにいます。

 それを察しているのかいないのか、サファリはぽん、とツェフェリの頭を撫でました。

「誰だって最初は上手くいかないよ」

「……そうかな」

「僕が絵を描き始めたのだって、どれくらい前のことだか。でもね、自分の作ったものに納得いかないっていうのもいいことだと思うよ?」

「え?」

 疑問符を浮かべてサファリを見るとその海色の瞳と出会いました。サファリはどこまでも深い海底のような色を宿して、ツェフェリと向き合っていました。

「満足したら、そこで終わりなんだよ。それ以上を生み出せなくなる。だから、自分が満足していないうちはよりよいものができる。それだけ思いを込められるって、素晴らしいことだと思わない?」

 思いを込める──その指摘にツェフェリは目が覚めるような心地がしました。

「そっか、お祈りと一緒だね」

「まあ、占いもお祈りみたいなものだからね」

 そう、誰かの明日を占うタロットカードを作るのです。願いよ叶え、とありったけの思いを込めることが重要なのです。神様へのお祈りと同じです。占いだって、神頼みのようなものなのですから。

 大切なのは、そこに込められた思い。思いは、強い祈りは力になると言われています。ツェフェリは自分が[虹の子]と祀られることはあまり良く思いませんが、神様を否定するわけではありません。信じ方は人それぞれ、多種多様なのです。

 サファリは少し言い回しが難しいですが、サファリなりにツェフェリを励ましてくれたのでしょう。そこには何の嫌味もありません。ツェフェリは傷つかずに聞くことができました。

 そう、お祈りも毎日一つ一つ積み重ねているから、平穏をもたらしてくれるのです。絵だってきっとそうでしょう。一朝一夕で出来上がるのなら、世の中誰も苦労なんて知らないのです。

 ──そう、サファリが何の努力もなしに才能を具現化しているなんていうのは勝手な思い込みなのです。

 村には出ていないから、ツェフェリは詳しいことはわかりませんが、この村にいる間だけ絵を見てくれるというサファリが十日以上経った今もいるということは、もしかしたら、サファリのお父さんの店が上手くいっていないからかもしれません。サファリたちは旅の商人なのですから、一つの村や街で一定以上の稼ぎを成さないと路頭に迷ってしまいます。

 だからやはり、サファリを妬むなんて筋違いなのです。

 ツェフェリはちょっとでもサファリに嫉妬してしまった自分を恥じました。サファリは言いませんが、サファリだって、相応の努力をしているはずなのです。

「ありがとね、サファリくん」

「うん?」

「ボク、一所懸命描くよ。タロットの絵が生きるくらい」

「……うん」

 一つ一つ積み重ねて、ツェフェリはタロットカードを作る決意を新たに固めるのでした。

 ──それが良かったのか、悪かったのかは、また別のお話です。

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