第5話 タロット絵の講義
サファリの提案に、ツェフェリがきょとんとします。
「え、サファリくんって絵、描けるの?」
すると、鉄面皮な印象だったサファリが珍しく目元を綻ばせて語ります。
「旅商売っていうのは一芸を身につけているかどうかでだいぶ変わるんだ。父さんに店を手伝うなら、何かしらできた方がいいって言われたから、色々覚えているんだよ」
父さん、と言った瞬間のサファリの顔が尊いものを眺めるような目になったので、ツェフェリはサファリにとってあのお父さんは黒人であっても大切なんだな、と理解しました。
ふと、そういえば、自分の両親はどういう人だったのだろう、と思いましたが、サファリが見て、と手を引いてきたので、顔を上げました。
「わあっ……」
ツェフェリは言葉を失うほどに感動します。夢中で逃げてきたので、辺りの風景になど目もくれていませんでしたが、それはそれは素晴らしい光景でした。
眼下に臨むは海。細波が立つところでゆらゆらと揺れる色は夕焼けのオレンジ。日が不思議と赤らむ時間、ツェフェリはあまり外にいることがないので、こんな夕焼けを見るのは初めてでした。胸に染みるようなオレンジ色が、先程の恐怖を掻き消していきます。
「綺麗でしょ。父さんは結構海が好きだから、海辺の街や村に来ることが多いんだ。きっと、こういう景色が目的なんだろうね」
サファリはちら、とツェフェリを見やります。その目は沈む夕陽と同じ色に染まっていました。
二人はしばらく、そこに佇んでいました。
「このまま夕陽が沈まなければいいのに」
ツェフェリが呟くと、サファリが疑問符を浮かべます。
「時間が止まればいいのにって?」
ツェフェリは教会に半ば幽閉されているようなものです。もしかして、教会に戻って、[日常]に戻るのが怖いんでしょうか。
けれど、違ったようで。
「ううん。教会は嫌いじゃないよ。でも、こういう素敵な景色があるなら、ずっとそのままならいいのにって思ったの」
「いい感性をしているね、ツェフェリって」
「そ、そうかな」
少し照れながら言うツェフェリにサファリは迷いなく頷きます。
「きっと、ツェフェリならいい絵師になれるよ」
「あっ、そうだ! サファリくんに教わるって言っても、ボク、あんまり教会から出られないから、どうしよう?」
すると、サファリがすらすら述べます。
「それなら、僕がツェフェリのところを訪ねるよ。ツェフェリが許可してくれれば入れるでしょ?」
「うん! じゃあ、毎日会える?」
「父さんがこの村で仕事を終えるまでなら」
「あ、でも、お父さんのお手伝いはいいの?」
「夢中になれるものを見つけた人を助けてあげるのはいいことだって、父さん言ってた」
「?」
ツェフェリはいまいち意味を捉えられないでいました。すぐにサファリが言い直します。
「本当にやりたいことや欲しいものを与えるのが商人だってことだよ」
「なんだかすごいね!」
商人。それは教会で何不自由なく暮らすツェフェリとは少し縁遠いかもしれない職業でした。こうしてサファリと語り合えているのも、サファリの父親が助けてくれたのも、ツェフェリが[本当にやりたいこと]を見つけ始めたからでしょう。
「さ、帰ろう。教会の人、心配してるんじゃないかな」
「あっ」
ツェフェリはサファリに手を引かれて帰りました。
ツェフェリを教会に送り届けると、サファリはシスターたちに明日からツェフェリに絵を教えるために通うことの了承をもらい、帰っていきました。
それから、何があったかを知ったシスターたちにツェフェリはこってりと絞られました。しばらくは外出できないようです。まあ、仕方ないでしょう。
けれど、ツェフェリは外に出たくて仕方ありませんでした。もどかしい思いを抱えていました。
サファリの父親──黒人のあの人に助けてくれたお礼を言っていなかったのです。そのことを気にしていました。
晩のお祈りの最中、ツェフェリは神様に語りかけます。自分を助けてくれたあの人にご恩返しがしたい、と。まあ、心の中で語りかけても、どこにいるとも知れない神様が果たして聞いているのか、甚だ疑問ですが。
とりあえず、明日から楽しみです。
次の日。朝ごはんが食べ終わる頃にサファリが訪ねてきました。
サファリはツェフェリに色々教えてくれました。色の使い方、重ね方、どれだけ試行錯誤を繰り返しても極めようと思えば思うほど、ゴールになんて辿り着けない、という厳しい現実を。
どんなに険しくても、ツェフェリは諦める気はありませんでした。ようやく見つけた[自分にできること]です。[虹の子]や[神の子]なんて関係ない、ツェフェリ自身の価値をツェフェリは見出だしたかったのです。
「まずはデッサンを覚えないと、ですが……タロットの絵はリアリティがありすぎても……なんですよね」
うーん、とツェフェリに鉛筆とノートを持たせて考えたサファリは、不意にぽん、と手を突きました。
「外に出なくてもいいデッサン場所がある!」
サファリがついてきて、とツェフェリの手を引きます。ツェフェリは意図がわからないまま手を引かれていきました。サファリは迷いなく進みます。
そこはツェフェリもよく知っている場所でした。なんと言っても、ツェフェリが毎日のように訪れている場所だからです。
立派なステンドグラスのある礼讚室でした。
「ここだ」
「え?」
ツェフェリがサファリを見ると、サファリはツェフェリに鉛筆を手に取るように促します。ツェフェリはわけがわからないまま、鉛筆を握り、ノートを構えます。
サファリが示したのは、礼讚室の中央にある十字架を示しました。ツェフェリが首を傾げると、サファリは説明しました。
「まずはあの十字架を描いてみよう。形が単純だけど、突き詰める要素はいくらでもあるから」
「? うん」
ツェフェリはペンを執ります。十字架はその名の通り、十字の形をしています。ツェフェリはこれのどこが難しいのだろう? と疑問符を浮かべて鉛筆を走らせます。が、すぐにその手が止まりました。
紙に十字が描かれています。定規で描いたようなかくかくで真っ直ぐな線の並び。それは十字架を見事に象っていましたが、ツェフェリは首を傾げます。
「ねぇ、サファリくんならどう描く?」
「ん?」
「ええと……」
もどかしい感覚がしました。何かおかしいのに、何がおかしいのかわからないこの感覚。
けれど、サファリは簡単に答えをくれません。ツェフェリはむっとして、平面の十字を眺めました。サファリが尋ねます。
「それがツェフェリの十字架?」
「うん……」
納得はいっていないようですが、ツェフェリは頷きました。すると、サファリが鉛筆とノートを貸すように懇願しました。断る理由もないのでツェフェリが渡すと、サファリはさらさらと紙の上で優雅に鉛筆を走らせました。
するとどうでしょう。見る間に十字架が描かれていくではありませんか。ツェフェリと同じものを見て、同じものを描いているはずなのに、何かが違います。
サファリは親切にツェフェリの描いた十字架の隣に十字架を描いてくれました。おかげで見比べやすいです。ツェフェリはじっと二つの十字架を眺めました。
「あ! 影! サファリくんのには影がある!」
「ふふ、それだけかな?」
「影があったら光がある。……あ、なんて言うの? 立体感? があるかな」
「うん、そうだね」
ツェフェリの解答に満足したのか、サファリは滔々と説明を始めます。
「物……形があるもの、立体は光の影響を受ける。だから、ただ十字を描いたって十字架には見えない。それがツェフェリが自分の十字架に首を傾げた原因だよ」
「なるほどー。それに、サファリくんの十字架の方が四角が多い」
「面っていうんだ。立体だからね。面がなければ平面だよ。それが[リアリティ]っていうものを形作る一種だね」
「ほえー」
それに、光がどこから射しているかによって影の濃さが位置によって変わることも説明してくれました。
「まあ、カードの絵っていうのはデフォルメされている場合が多いから、極端に影をつけすぎると違和感があるんだけど」
「じゃあなんで教えたの?」
困惑して目を群青に変えるツェフェリにサファリは人差し指を立てて告げました。
「基本を知らないで応用はできないからね。影は絵を描くにおいて重要だよ。この教会に壁画とかあったらよかったんだけど」
「へきが?」
「壁に描かれた大きな絵のことだよ。大きい街の教会とかにはたまにあったりするかな」
「やっぱり外にはボクがまだまだ知らないことがたくさんあるんだ!」
外の世界の話にツェフェリが興奮し、目をきらきらと金色に煌めかせます。まあまあ、とサファリは静かに鎮めました。
「ツェフェリは昨日外出禁止って言われたばっかりでしょう?」
「うー」
思い出してツェフェリは唸ります。外を見たら、もっと素晴らしい絵が描けるかもしれないのに。そう思いましたが、サファリに宥められます。
「それに、タロット絵には宗教観念のあるものが描かれているものが多い。ある意味、教会の中で自由にしていいっていうのはタロット絵を描くにあたっては有利かもしれないね」
そこでタロットの大アルカナのいくつかを思い出しました。
タロット絵には[
俄然やる気になってきたツェフェリに、サファリは十字架を上手く描けるようになるまで何度も描いてみるよう、指導しました。
ツェフェリはお祈りとごはんの時間はずっと礼讚室にこもってひたすらに十字架の絵を描いていきました。サファリは日に日に上達していく飲み込みの早いツェフェリに的確な指摘をしてくれました。
十日経つ頃には、最初にサファリが描いてくれた十字架と遜色ない十字架が描けるようになっていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます