第4話 闇を狩る者
レヴィアは見知らぬ街中に立っていた。
周囲はそこそこ高い建物に囲まれているが、天空回廊などもなく、一昔前に流行った空飛ぶ系の乗り物で空は混雑していた。
つまりこれは、過去の記憶か。
だが覚えはないし、夢だと思っても醒めない。
どうしたものか、ともう少し周囲を見渡せば、見覚えのある背中があった。
「フラル?」
雑踏の中から路地裏に入っていく妹を見つけ、レヴィアは引き寄せられるようにその背中を追いかける。
「フラル!」
そう声をかけるが振り返ってくれなくて、早足に歩いていく妹を必死に追いかける。なぜか魔法を使おうという発想には至らなかった。
そして体力のないレヴィアがぜえはあと息を切らしながらも追いつけば、どこまでも冷え切った瞳のフラリッタは、口元にだけ笑みを浮かべ。
「あれ、姉様だ。こんなところで会うなんて。運がなかったね」
「え、え……? どういうこと……?」
「こんな私は見たくなかったでしょ。でもここまで来ちゃったなら仕方ないね。知らずに帰るなんてできないだろうし、私の強さ、見てってよ」
どこか自慢げな、そのくせ褒めてほしくはなさそうな、そんな声のトーンだった。
レヴィアがまだ現状を受け入れられずに呆然と眺めていれば、すぐにわかるよと言ったフラリッタは。
目の前の壁を強引に蹴破った。
「な、なんだ!?」
建物の中から動揺する男たちの声が聞こえるが、立ち込める粉塵の中にフラリッタは構わず突っ込んだ。
レヴィアもすぐに追いかければ、なぜか音速の住人となったフラリッタの姿が鮮明に見える。
そこにあった光景は、レヴィアがフラリッタの十五歳の誕生日にプレゼントとして贈ったカーファシルベを握り締め、建物の中を縦横無尽に跳び回り、未だ状況を飲み込めない男たちをまとめて切り伏せるものだった。
ブン、と大きく剣を薙いで付着した血を払えば、その衝撃だけで舞っていた砂煙も晴れて、内部の様子がより鮮明に見えるようになる。
「フラル、あなた……」
床に倒れた三人の男は、全員見事に両腕が切り落とされている。
それでも気絶者はおらず、どうにか起き上がろうとしつつフラリッタを睨んでいた。
しかしその傷口をガン、ガン! と踏み潰されれば、痛みが限界を超えたようで全員白目を剥いて気絶した。
「血を止めないと死んじゃうからね。まあ、この状態でも衛生的には良くないけど」
それは誰に対しての説明だったのだろうか。
フラリッタは敵地のど真ん中にいながら、靴裏についた血を確認して、うへぇ、血って洗っただけじゃ落ちないんだよなぁ、なんて呟いている。
そんな、人を超越した化け物に、まだ吼えたてる奴がいた。
「おま、お前ぇッ! いきなり現れてなんのつもりだ! ここがどこかわかっているのかッ!」
そう叫ぶ男には、レヴィアも見覚えがあった。
名前は忘れたが、顔は確かに見たことがある。あれはそう、確か実家の付近で暴れていると知って少し調べていた、けれどいつの間にか崩壊していた反抗勢力の一つ、『黒龍会』のリーダーではなかったか。
「うん? もちろんわかっているから来たんだろ。お前こそ、随分呑気なもんだよな」
「な、なんだと……!?」
「だってもう、お前に仲間はいないぞ?」
それはあまりの手際の良さだった。
リーダーの男が背後に控えた仲間たちの方を見る視線に合わせて、一人ずつ、丁寧に、それが人体だとは思えないほど軽く、曲げちゃいけない方向に折り畳んで無力化していくのだ。
見せられた男が怒りに顔を真っ赤にするのも無理はないだろう。
「貴様ァ、死にたいようだなッ……!」
「馬鹿も休み休み言えよ。誰が私を殺せるって言うんだ」
「この俺だ……血染めの黒龍と呼ばれたこの俺だァッ!」
男の体が膨れ上がっていく。
サントの変身とはまた違った感じで、身につけていた物も全部バラバラにして人の体が竜の体に変貌する。
それは五メートルを超える巨躯。
四本の分厚い足で魔法合金の床を抉り、憤怒に染まった金色の瞳でフラリッタを睨め付ける。
荒く吐き出された鼻息を正面から受け、長い紅葉色の髪を靡かせたフラリッタは小さく笑い。
「聞いていた通りだな。ドラゴンとやらとは一度やり合ってみたかったんだ。あまり私を失望させないでくれよ?」
なんて言い放った直後、ドラゴンの顎を蹴り上げてその顔を仰け反らせる。
あまりの衝撃に前脚の二本も地面から離れたが、しかし竜の耐久力は凄まじく、ドシン! と地上に戻ったそいつは、さっきの憎悪からは一転、勝ち誇ったような色を目に浮かべていた。
「そんな程度では効かねえなァ……むしろそっちの方が痛いんじゃないかァ?」
着地したフラリッタは、調子を確かめるように右足を曲げたり振ったりしている。
しかし最初から勝ちを確信しているフラリッタは、そんな安い挑発は意にも介さず。
「ふん、ふんふん……流石に壁よりは固いな。大きさの分体重も増加している。だが所詮は人間か? 四足歩行の肉体の使い方に慣れていないようだ」
「なんだと……ッ!?」
「竜のブレスとやらはどうした。属性を持たず、あらゆる物を劣化させるんだろう?」
「そこまで言うなら見せてやるッ!」
逆に相手が挑発に乗って、その口から漆黒のブレスを吐き出す。
自分でも言った通り、無機物有機物に関わらずあらゆる物質を劣化させるブレスに晒されたフラリッタは、正面にカーファシルベを置いて。
「なんだよこの程度か。剣を通さなくても受け切れたな」
「……っ!?」
「もういい。お前は本物のドラゴンじゃない。だから死なないように、加減もしてやるよ」
フラリッタの姿が消えた。
と思えば竜の背に乗っている。
「生物である以上肉体の構造はどれも同じだろ」
ガヅ、と硬質な物同士がぶつかる音を立てて、フラリッタはカーファシルベで黒竜の鱗を剥ぎ取る。
そして剥き出しになった首裏の肉目掛けて、思い切り足を突き込んだ。
「寝てろ。次に起きた時はもっと明るい場所だよ」
あれで、どうやって意識を刈り取るのだろうか。同じ生き物と言えど耐久力は桁違いだし、肉だけでも分厚い壁のようになっているはずなのだが。
とにかくその一撃で気絶させたフラリッタは、人間の体に戻っていくリーダーの男の背から降りて、右手にだけ布手袋を嵌めた。
それから適当な構成員のポケットを漁るとスマホを取り出す。
電源ボタンを押してロックの解除方法を確認すると、力無く放り出された手を使って指紋認証を開けた。
「ふんふんふん、『黒龍会』の建物はここで最後。横の繋がりもなし。つまり泳がせる意味もなし。想定通りだな」
そのままどこかに電話をかけると、耳にも当てることなくスピーカーにして。
『こちら議会一般窓口、どうされましたか?』
「ひ、人が、たくさん倒れてるんです……! 壁にも大きな穴が開いていて……、さっきまで、誰かが戦っていたように見えたんですけど……!」
『わ、わかりました。落ち着いてください。すぐに警察を向かわせますから』
「すぐに来てください!」
なんてか弱い女性のフリをして叫ぶと、すぐさま電話を切ってスマホを適当に放り投げる。
「帰ろっか。早くしないと私がやったって思われちゃう」
「……カメラは? この時代だって、議会は自然魔力で見れるはず……」
「姉様がくれたんでしょ。この魔力撹乱の剣。おかげですっごくやりやすいよ。変装なんかしなくても、この一瞬だけここの映像は壊れるんだから」
「……あぁ、そう、だったわね」
そんな魔法もあっただろうか。正直、大量に教えすぎて何を与えたのか理解していない。
カーファシルべを握ったまま穴から外に出たフラリッタは、靴裏の血をある程度地面に擦り付けてから、持ち前の跳躍力で近くの建物の上に飛び乗る。
レヴィアもそれを追って、魔法で背後まで飛んでいく。
「さてと、姉様にも知られちゃったわけだけど、どうしよっか」
剣をしまいながら振り返る声は、どこまでも普通のフラリッタで、横顔も、正面から見た表情も、何一つ違和感なんてないはずなのに、そんなことを言われるせいで、思わず体が身構えてしまう。
「姉様は、こんな私は嫌いなんだよね」
「……ええ。そうね。普段とは全く違うし、可愛げもなくて、何を考えてるかもわからないから、あまり見ていたくはないわ」
「でもこの思考の時が一番勘が冴えるんだよね。世界がクリアに見えるって言うか。だから、教えてよ。どうしたら、こんな私を姉様は受け入れてくれる?」
今日の夜ご飯はなんだろね、みたいな気軽さで訊いてくるフラリッタに、レヴィアは思わず顔を俯ける。
「……じゃあ。逆に私からも訊くけど」
「うん。なーに?」
「……あなたは、どこへ向かうの。どこに辿り着いたら、いつもの可愛い妹に戻ってくれるの」
レヴィアが守りたかったのは、どんなに辛い現実に打ちのめされても、それでも気丈に振る舞って、家族にはにこやかな笑みを振り撒いてくれる、可愛い可愛い妹なのだ。
今のフラリッタのような、全てを自分でどうにかしようとして、その目的のためなら家族さえも利用しようとする、こんな冷徹な人間など、お姉ちゃんは知らない。
「簡単な話だよ」
夢の中ならレヴィアの心も完璧に読み取れるだろうに、フラリッタは変わらない貼り付けたような笑みのまま。
「人を害する奴らを全員叩きのめす。悪党も、半グレも、議会も、環境も、そこに蔓延する思想まで、全部を取り除けたなら、私は何も考えずに人として生きていけるよ」
「……それを成し遂げるのに、一体何年、何十年かかると思ってるの」
「さあ。でも今の寿命は三百歳って言うし、それがなくても私たちは不老不死だ。何百、何千年かかってでも成し遂げるよ。それが、私に与えられた力の役目だから」
力の役目。強すぎる力を持って生まれたことへの責任感。
そう、とレヴィアは一つ呟いて、それから顔を背けるが。
「嫌なら、ついてこなくていい。これは、私がやるべきことだ。だけど、姉様にも現状を憂う心があって、こんな私でも、まだ守りたいと思ってくれるなら」
ふと視線を投げた先、差し出された右手が見えた。
「私の手を取ってよ。お姉ちゃん」
その言葉に、ぴくりとレヴィアの耳が反応した。
姉様ではなく、お姉ちゃんと呼ばれたからだ。
それは、遠い昔の約束。
始まりは姉様よりお姉ちゃんの方が可愛く聞こえるから、という子供っぽい理由でしかなかったが、当時お姫様に憧れていたフラリッタがそれを珍しく拒絶したから、そんな暗黙の了解が生まれた。
今のフラリッタが覚えているかは怪しいが、レヴィアとのやりとりは全て覚えていると言うし、あるいは。
「……約束、だよ?」
「うん。約束。わかってるよ。お姉ちゃん」
「……」
フラリッタがレヴィアのことをお姉ちゃんと呼ぶのは、ただ甘えたいだけの時か。
私はあなたの願いを優先する、という意思表示をする時の、どちらかだ。
「なら、いいわ。絶対、成し遂げて。絶対、死なないで。それで、もう一度、いや何度でも、私の前に帰ってきて。フラル」
「うん。愛してるよ、お姉ちゃん」
そして、レヴィアはフラリッタの手を取った。
その瞬間、意識がどこかへ引き寄せられて、急速に目覚めへと誘われる。
果たして、フラリッタは夢の中でのこんな約束を覚えているだろうか。
それはわからないが、少なくとも。
レヴィアは今後永遠に、この約束を忘れないだろう。
それだけは、絶対と言えるほど確かだった。
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