第5話 怒りの矛先

「あれっ? 直接行かないのか?」


 砂漠の中に一点だけ、フラリッタの思う街の形を保っている場所があった。

 円形に見える外壁に守られ、冷たい素材で構築された建物群。

 上空から眺めれば、その中に確かに人類の営みを感じることができる。

 しかしタクシーは直接向かわず、何もない砂漠へ降りようとしていた。


「今は非常時っすよ? それこそ外から襲撃者がやってくるような。そんな状態で自由に出入りなんてさせてたら、何がどこから入るかわからないじゃないっすか。だから検問があるんすよ」

「はー、なるほどなぁ。そのおかげでまだ壊されずに済んでるんだな」


 下降するにつれて、周囲の状況がわかるようになってくる。

 上から見ても端がわからないほど広い街は、砂漠の中の窪地にあるようだった。フラリッタが復活で作り出したという大穴よりも、もっと大きい。

 現代的な建物が並ぶ街の中には、少なくない量の砂が流れ込んでいた。掃除などもしていたのかもしれないが、周囲がこんな状態では焼け石に水だろう。

 タクシーは緩い下り坂の上に四輪を乗せ、空中に比べればあまりにも遅いスピードで街へ向かっていく。


「まあ壊れずに済んでる最大の要因は、この街を守る結界っすね」

「結界? お前がやってるのか?」

「いやいや、街を守るほどの巨大結界なんて張れないですし、仮にできたとしても、すぐに魔力が枯渇しちゃいますよ」

「じゃあ、そういう設備か」

「神格シリーズってやつっすね。先端技術の集大成でもあります」


 ただでさえ発展していた世界の、さらに五十年後の技術。

 どんな次元かは想像もつかないが、守れるだけの力はあるのだろう。


「この結界は『アイギス』って言いまして、都市防衛の要になってますね。外からの攻撃に特化した、破壊不能とされる最強の盾っす」

「神格シリーズって、神話の名前を冠するってことなのか?」

「その通りっす。『アイギス』は結界なんで武具の名前っすけど、他はみんな神様の名前で、今あるのは陸海空に分かれた三つの巨大要塞っすかね。名前はそれぞれ『ガイア』、『ポセイドン』、『アポロン』となってます」

「それは強そうだな」


 どこの神話だったかは忘れたが、フラリッタでもなんとなく聞き覚えはある。

 ガイアが大地の神で、ポセイドンが海の神、アポロンは空、というか太陽の神、だっただろうか。そんな神々がいるなら、この騒動もさっさとケリがつきそうなものだが。


「でも残念ながら『ガイア』は敵に乗っ取られてて、『ポセイドン』は射程圏外で、『アポロン』はクラッキング受けてるんで稼働不可なんすよね」

「何してんだよ!?」


 絶望的であった。

 神の名を与えられたところで兵器は兵器。人に使われる程度の存在では、簡単に対抗されてしまうということか。


「まあいきなり街一個壊滅させられた直後だったんで、上も慌ててる間に割と深くまで食い込まれた感じっすかね。明らかに対応は遅かったんすけど、言い訳くらいはさせてやってください」

「……言い訳、なんだな」

「兆候自体は見えてたはずなんすよ。ただ、”普通に考えてこんな馬鹿げたことをするわけがない”って思い込みが悪さしたんすかね」


 それは、どういう意味での”馬鹿げたこと”なのだろうか。

 ここまで大規模なことはできないと思っていたのか。それとも、謀反を起こすのが馬鹿だと思わせるほどの何かがあるはずだったのか。

 気になりはするが、これ以上踏み込むと見たくない物まで見てしまいそうだ。

 それに、次に何かを言う前に、異変が訪れる。


「ん? 止まったぞ?」


 先ほどから段々とスピードを落としていたタクシーは、街の前で完全に止まってしまった。

 検問だというゲートはもう目の前にあるのに。


「……あ。いやまさか」


 何やら呟いたクロスだったが、検問から駆け寄ってくる人影を見ると、素早い動きで車を降りてしまう。


「ど、どうしたんだ?」

「……一旦降りてもらってもいいですか? それと申し訳ないんすけど、観光は無理そうっす」


 言われた通りに車を降りると、丁度、警察のような、ちょっと違うような制服を纏った男がやってきた。


「どうか、されましたかね?」

「ああいや、ちょっと」


 男はクロスとフラリッタの顔を交互に見る。

 そこにあるのは、疑念と一抹の不安。


「姫様、ちょっと手を前に出して、ゆっくりこっちに歩いてきてもらえます?」

「な、なんだ!? 私は別に犯罪などしていないぞ!?」

「いや確かに手錠でもかけれそうっすけど、違いますから」


 それでも手だけを持ち上げるのはちょっぴり怖くて、フラリッタは思いっきり腕を前に伸ばして一歩ずつ踏み締めて歩く。

 そして、その指先が何かを捉えた。


「んっ? 壁?」


 それは一切目に見えず、触れることでのみ形を把握できる。

 ぺたぺたとパントマイムのように手をずらしても、その壁はどこまでも続いていた。

 そして、フラリッタがぶつかった瞬間、警察の男の視線はより一層険しくなった。


「……どうかされましたかね」

「お手数かけて申し訳ないっす。ただちょっと、これだけチェックしてもらえれば」


 クロスは懐から何かを取り出す。

 どうやらそれは手の平に収まるサイズのようで、フラリッタからは見ることができなかった。

 だがそれを見た警察の変化は劇的で、あれだけ疑念に満ちていた表情が一気に安堵に変わる。


「ああ! なるほどそうでしたか! これは失礼しました!」

「いえいえ、紛らわしくてすんませんね」

「いやいやこちらこそ! そちらのお嬢さんも、頑張ってくださいね!」

「え? あ、ああ。任せろ」


 ははははと快活に笑いながら、警察の男は去っていった。


「……何だったんだ?」

「姫様、この街に結界があるって話はしましたよね? それが、敵の攻撃から守ってくれているとも」

「それが、この見えない壁ってことか?」

「そうっす。そしてこの街がまだ残っている最大の理由が、結界自体に与えられた効果、”指定した対象の完全拒絶”ってものなんです。この効果は絶大で、指定されたが最後、形を変えようが封をしようが、結界で守っても別の何かにくっつけても、それだけは絶対に弾き落とされます」

「はあ、それで?」

「現状、この結界が拒んでいるのは『不老不死者』です。この意味がわかりますか?」

「……味方の不老不死者さえも、通すことはできないってのか」

「そうなります。申し訳ありません」


 すとんとフラリッタの顔から表情が抜け落ちた。

 それから両手の拳を強く握って、どうにか震える声を絞り出す。


「いや、いいんだ。お前は何も悪くない。さっきの男も、警察としての職務を全うしただけなんだろう?」

「まあ、そうなりますかね」

「はは、いやいや良いんだ。これは誰も悪くない。悪くないったら悪くないんだ」

「姫様?」

「いやぁ人のせいじゃなくて良かったよ。完全な無機物でそこまで絶対的な結界なら、一切の加減なく八つ当たりできるもんなッ!!」


 ビリビリビリっ! と空間自体が揺れた。

 それが透明な結界を思い切り殴りつけた結果である。

 何かがあることはわかるが、穴も開かない。なるほど確かに、これは神話の武具から名前を貰うだけのことはある。


「ひ、姫様? そんなことしたら手が……」

「ふん。反動の殺し方くらい知っているさ。いいや私は知らないが、体が覚えてるってやつだ。ほら行くぞクロス。入れぬ街に用はない。どうせこれを管理しているのも人間だ。だったらそいつらに、不老不死者の脅威はもうどこにもないと知らしめてやればいい」


 気丈に振る舞っているように見えるが、ちゃんと手は痛いし悲しんでもいる。

 だけど泣いて喚いてどうにかなるわけでもない。

 だから、さっさと終わらせて入れてもらうのだ。

 人間の仲間に。

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