第3話 知らないを選ぶこと
現状、世界は未曾有の危機に見舞われていた。
いいや世界と呼ぶにはあまりに範囲が狭いが、そこそこ大きな国全体で起きているのは間違いない。
それを引き起こしているのが、フラリッタも襲われた『ヴィクティム』と名乗る集団。意味としては”犠牲者”とのことだ。
何の犠牲になったのかは一旦横に置くが、フラリッタが見た限りでは、ただの人でしかない。
そして普通の人間が何人集まったところで、より大多数の国家という集団には勝ち目があるわけもない。ないはずなのだ。
しかし彼らは実際にそれを成功させた。その上で、今もなお人々を苦しめ続けている。
その最大の要因にして軍さえ跳ね返す力とは、すなわち『不老不死』。
死を恐れぬ者の集団には、平和に慣れきった人類では太刀打ちできなかったのだ。
と、そこまで聞いたところで、フラリッタはようやく地上に出ることができた。
そこに広がるのは、見渡す限りの砂の大地。
話に聞くような文明など、見る影もない。
もしも本当はここに人類の街があったのだとしたら、相手はもはや天変地異を操れると言っても過言ではないだろう。
「これ、全部を……そいつらが、やったって言うのか?」
目の前の光景が信じられず、フラリッタは呆然と呟く。
「こんな、敷地どころか大陸全部を砂漠に変えるような魔法を、使えるって言うのか!?」
現代の技術力を、フラリッタは知らない。
けれどそこまで進化した人類を追い込み、国ごと砂漠に変えるような魔法が簡単に使えるとは思えない。いいや、思いたくなかった。
「使えるって言っても一人だけっす。命令されて動くだけの奴らは、みんな死に損ないのゾンビみたいな存在なんで」
「ゾンビ……ああ確かに、感情や意志みたいなのは全くなかったな。じゃあ、その一人が『ヴィクティム』全体を動かしてるのか?」
「ええそうっす。姫様も聞いたでしょう。あの、人を人だと思わないような、まるで神にでもなったかのようなことを言う女の声は」
「……まあ、な。こっちの話を全く聞かない奴だろう?」
襲撃者の一人が首から提げたスマホから聞こえた声。
可愛らしい声とは裏腹に、あまりに苛烈な内容を楽しげに喋っていた。
「あの人が、奴らのリーダーっす。そして、唯一自我のある不老不死者っす」
「……だから、私に助けを求めるのか」
意思ある不老不死者を殺せるのは、同じく自由意思を持つ不老不死者だけ。そういう話なのだと思ったが。
「ええ、そうっす。姫様のその天性の才能くらいじゃないと、不老不死ってのは突破できない壁なんすよ」
「……才能?」
あったっけ? と首を傾げれば、クロスはどこか諦めるような笑みを浮かべた。
「今の姫様なら、それこそ神と崇められるような、人には不可能の魔法をバンバン連射することもできるはずなんすけど」
「……私は、魔法を使えないぞ?」
「それは昔の姫様っすよ。不老不死になったあなたなら、そこに眠る莫大な魔力だって扱えるはずなんすよ」
なんとなく、覚えはあった。
この身に宿る有り余るほどのエネルギー。もしも十全に扱うことができたなら、持久戦で勝てる者は誰もいないと。
しかしフラリッタはそれを引き出すことができなかった。活かし切ることができなかった。
だから、こんな。
「っ、くぅ……」
「ど、どうしたんすか!?」
慌てたようにクロスが叫ぶ。
あれほど冷静沈着に見えた男でさえ、隣の人が急に頭を押さえて蹲ったら焦るらしい。
そんなことを思いながら、フラリッタはどうにか立ち上がる。
「大丈夫だ……多分。記憶にさえ触れなければ、これは起きないと思う」
「……そう、っすか。思い出せは、しないんすね」
「……思い出したくない、が正しいのかもしれない」
今フラリッタは、知っている情報から覚えていない過去にまで遡ろうとした。
ちゃんと記憶があれば、ああこんなこともあったっけで済んだのかもしれない。
けれどフラリッタの頭は、それを拒絶した。空っぽの記憶を眺めて虚しくなったのではない。
そこにある思い出に触れたくないと、明確に目を背けたのだ。
だからこれは、心の問題。
何があったかなんて知りようもないが、それだけ嫌な何かが、あったのだろう。
「……なあクロス。お前は、これを知っているか?」
フラリッタの過去を知っているか。
その問いに対して。
「……どこまでがお望みです?」
全てを知っているかのような言葉を吐いた。
「……いいや。知っているという事実だけあれば、問題ない」
今記憶の蓋をこじ開けたって、より自分の心を苦しめるだけ。
だったら知らないままでいい。
知らなくたって、前に進むことはできる。
「それで、具体的に私は何をすればいいんだ? はっきり言って戦力としては使い物にならないぞ?」
「あぁもう手伝う前提なんですね」
「困っているんだろう?」
クロスは助けてくれと言った。そしてフラリッタはついていった。
それが全てだったのだが、はっきりとは伝わっていなかったらしい。
「やっぱ変わんないっすよ」
「ん?」
「なんでもないっす。姫様は、自分で思うよりよっぽど強いんで、多分やっていけばなんとかなりますよ。それにできることがないから黙って見てろって言われて、じっとしていられるタチじゃないでしょ?」
「……かもな」
少なくとも、フラリッタの見ていないところでクロスが戦っていると知りながら、のうのうと生きていくことはできないだろうと思った。
とはいえフラリッタが協力することで何が変わるんだという話ではあるが。
「だから、本当に協力してくれるのなら、とりあえずついてきてください。それだけでこっちは相当助かりますんで」
ここが最後のチャンス。引き返すなら、もうここしかないぞとクロスは目で訴えていた。
だけどフラリッタはこてんと首を傾げる。
「私がいるだけで、助かるのか?」
「……まあ衝突したら戦うしかなくなるんで」
「囮にしようって話じゃあ、ないんだよな?」
「姫様を囮にしたら釣れた獲物は消滅しますよ」
「……私、そんな物騒な存在じゃないと思うんだけど」
武器の扱いも魔法の扱いも知らない。
渡された剣だって、本当に使えるかどうか。
戦場で役に立つとは思えないが、それでもクロスはフラリッタを高く買ってくれている。
ならば、こちらも応えるしかないだろう。
「ま、お前がそれで良いって言うなら、私は従うまでだよ」
「……ありがたいんであんま言いたくないんすけど、姫様的に良いんすかそれで?」
「良いも悪いも、現状私の過去を知っているのはお前だけだ。事情を知っていそうなのもな。そして私は、その過去を知らない選択をした。……この意味はわかるな? あんまり私を後悔させるなよ?」
「……はは、全力を尽くします」
相手の言葉が嘘か真かは目を見ればわかる。
だがその言葉自体を聞かなければ、嘘も本当もない。つまり未確定の状態。
わからないとフラリッタは留まるしかなく、クロスは問答無用で連れ回せるのだ。
そんな状態を維持してあげるから、ちゃんと納得のいく答えを寄越せよと、フラリッタはそう言ったのだ。
「でもまあ判断材料はあった方が良いでしょう。さっき呼んだ足がそろそろ来るはずなんで、それに乗って街にでも行きましょうか」
「ほほう?」
街。こんな砂漠でもなお営みを続けられる街。
不老不死の襲撃者までいて、それでも残った場所とはどんなところだろうか。
そう思いを馳せていると、きぃぃ……と小さな甲高い音が聞こえてきた。
音源の方に思わず目を向けると、そこには空に浮かぶ車があった。
「えっ、空飛ぶ車!?」
「今じゃ結構普及してますね。これだってタクシーですし」
「ふぉぉ……っ! ついに実現したのか……! ちゃんと変形もあるんだよな!?」
「え? いやぁ……そういうのを搭載したロマン型のもあるにはありますけど、タクシーの性能って見た目じゃないんで……」
「む……まあ、あるなら良いんだよ。いずれ見られるだろうしな」
そんなやりとりをしていると、空を飛んできた車はゆっくりと下降し、地面に四輪のタイヤをつけていた。
色は黄色で運転手はなく、乗客を見つけると自動でドアを開く。
なるほど確かに、フラリッタにもわかるくらいにはタクシーだった。
「ていうか姫様、そういうのが好きなんすね」
「ん? お前の知る私は違ったのか?」
「いえ、趣味趣向の部分はあまり知らなかったので」
「ふうん……まあ私は可愛い物もかっこいい物も大好きだ。あと美味い飯もな!」
「はははっ、そうなんすね。じゃあ後でどこか美味しいお店でも紹介しますよ」
そうやって他愛もない話をしながら、自動運転のタクシーに乗る。
扉が勝手に閉まると、車は助走なしで垂直に浮かび上がるのだった。
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