第3話 もしもの話。

 お見合いから3ヶ月が経過したが、瑞希との順調な交際の中、私を悩ませる案件がひとつあった。周囲の目だとか今後の不安とか、そういったものではない。間さんに提出するレポートだ。

 お見合いの日から、まるで日記のように書き続けているそれのせいで、私は毎晩、羞恥と後悔に悶えている。


「引き受けた時は、一度会って終わりだと思ってたからなぁ……めんどくさい」


 レポートのテンプレートが表示されたモニターを睨みつけながら、どこまで書くかで今日も苦悩していた。だって、これって結局は赤裸々な惚気だ。相手のこんなところにときめきました! キスの相性も最高! 大好き! と、毎日他人に送りつけるって、一体何の拷問だ。

 瑞希も同じレポートを書いているはずだが、どう書いているかは聞いていない。恥ずかしがり屋の彼女のことだから、私より控えめに書いているだろうか。ちょっと読んでみたい。


 とはいえ、会わなかった日は電話でのやり取りくらいしか書くことがないので、今日のレポートはあっさりしたものだ。今日のノルマの惚気を送信し、お風呂でも入ろうかと椅子から立ち上がろうとした時、ベッドのサイドテーブルから電話の着信音が聞こえてきた。

 こんな時間に誰だろうと相手を確認したら、見覚えのない番号。少し考えてから通話ボタンを押すと、「夜分遅くに失礼いたします。デジタル庁Smile情報管理部婚活課、間です」と、久しぶりに聞く声がした。


「ああ、間さん。お久しぶりです。今、ちょうどレポートを送信したところです」

「ええ、拝見しました。いつもご協力ありがとうございます」

「いえいえ。えっと、レポートに何か不備でもありましたか?」

「いいえ、特に問題はありません。ただ、レポートだけでなく、直接お話が聞ければと思いまして」


 だからと言って、こんな時間に突然電話してくるのはマナー違反ではなかろうか。私がレポートを提出したタイミングでかけてきたので、今なら大丈夫と判断したのかもしれないけど。

 どちらにせよ、間さんはやっぱり間さんだ。普通に話しているだけならちゃんとした人っぽいのに、端々からエキセントリックなキャラが滲み出ている。


「直接お話と言っても、レポート以上の話は出てきませんけど……」

「そうですか? 最近の水門さんのレポートからは、どこか悩んでいる様子が感じられるのですけど」

「レポートの行間を読むのはやめてくれませんか。そりゃ、少しくらいの悩みは恋愛につきものでしょう?」


 どこをどう読めば、あのそっけない箇条書きのレポートから私の悩みを感じ取れるんだろう。自分で思い返してもさっぱりわからない。そこを読み取る間さんは、もしかしたら優秀なのか? 全然、優秀さを感じないけど。むしろ、変な電波みたいなものを感じている。


 まあ、少し悩んでいるのは間違っていない。

 それを書かなかったのは、単にわざわざレポートに書くようなものではなかったし、書くのが少々ためらわれる内容だったからだ。


「そうですか。では、せっかくの機会ですので、いくつか質問させていただいてもよろしいですか?」

「いいですけど、もしかしてそっちが本題でした?」

「そんなことないですよー。まあ、本当に簡単な質問ですから。答えたくなれば、答えなくて結構ですし」


 声がウキウキしてるんだよね、なんか。絶対こっちが本命だろう。さっきの悩み云々って、適当に言ってたんじゃないだろうか。だとしたら、間さん優秀説は消えた。


「わかりました。どんな質問ですか?」

「ありがとうございます。それではお聞きしますが、水門さんは亀岡さんとの出会いが婚活ではなく、学校や職場などでの普通の出会いだったら恋をしたと思いますか?」


 なんだ、そのもしもの話。思っていたようなものと違い、拍子抜けする。

 だが、そのもしも話は私も考えたことのあるものだから、すぐに答えることが出来た。


「恋はしたかもしれませんけど、スムーズには自覚しなかったでしょうね。多分、最初は友達としてしか認識しないと思います」

「お見合いでも、最初はそうでしたしね」

「ええ、特別なものは感じていても、恋として認識するのはもっと後だと思います。この出会い方で、なおかつあちらから告白してくれたから、早い段階で自分の気持ちを自覚したんだろうな、と」


 そういう意味でも、私達の出会いはこれがベストだった。瑞希が言っていたように、一度友達になってしまえば、そこから一歩踏み出すのには勇気がいる。これはきっと男女でもよくある話なんだろうけど、やっぱり同性同士の方がハードルは高い。


「そうですか。では、もし友人として始まり、好きだと自覚してから亀岡さんに告白されていたなら、水門さんはそれを受け入れたと思いますか?」

「それは…………どうでしょう。わかりません」

「あら、好きな相手から告白されたのに?」

「ええ、私は臆病なので」


 だって、その場合はAIが相性を教えてくれるわけじゃなくて、信じられるのは自分の直感だけなわけでしょう?

 私が瑞希を好きだという気持ちを誤魔化さずにいられるのは、好相性ですよとAIが太鼓判を押してくれたからだ。心惹かれる相手を前に、この人となら幸せになれる可能性大だと言われれば、しっかり背中を押してもらえる。私にとっては、それがすごく大事だった。


「私は臆病で、打算的なんです。好きって気持ちだけでは、なかなか踏み出せません」

「いえいえ。そんなものですよ、結婚なんて」


 私が懺悔のような思いで絞り出した本音を、間さんはからりとした声で肯定した。

 それの何が悪い? と、まるで当然のことを聞いたように。


「私もこういった仕事をしているので、色んな人を見てきましたけど、一部の例外を除けば、みんな結婚の前に電卓を叩きます。完璧な人間なんていないんだから、メリットとデメリットと愛情を秤にかけて考えるのは当然でしょう?」

「……当然なんでしょうか?」

「ええ。水門さんみたいな人は、慎重で現実的っていうんですよ。25歳にもなって、何の計算もしない女性なんてファンタジーかイミテーションです」

「ははっ」


 気持ちのいいくらいの毒舌に、思わず笑い声が漏れた。これ、仮にもアイコンの担当者が言っちゃって良いんだろうか。

 しかしまあ、間さんの意見は辛辣だが一理ある。基本的に、結婚相手は将来を見据えて選ぶものだ。性格、収入、顔、健康、愛情。近年なら相性値もこの一つだろう。私の場合、そこに性別が入ってきただけとも言える。


「ああ、そうだ。水門さん、最後に一つだけ質問させて下さい」

「何ですか?」


 話をぶった切って、間さんがやけに楽しげな声で言った。


「もし今、亀岡さんとの相性値が実は45でしたって言ったら、彼女と別れますか?」

「ちょっ、もしかして……!?」

「ああ、ご安心下さい、もしもの話です。あなた方の相性値は、間違いなく92ですよ。これが正しいことを何度も確認して、上の人間と色々話し合っていたせいで水門さんへの結果報告が遅れたんですから」


 知らせる前に調べましたと、なぜかドヤ感の伝わる声で言われ、ほっと胸を撫で下ろす。まったく、なんて心臓に悪い質問をするんだ。


 でも、そうだな。もし瑞希との相性値が間違いで、実は半分もなかったとしたら、私は──


「別れませんよ」


 メリットもデメリットも愛情も、それら全部を秤に載せたなら、比べるのもバカらしくなるほど愛情に傾くだろう。

 そういえば、元々私はこうだった。臆病で打算的、でも最後は感情を優先させて動いてしまう。いくらデメリットを数えたところで、最後は彼女への愛情が勝ってしまうなんて、初めて彼女に口づけた時からわかっていたことなのに。


 きっと恋愛結婚の夫婦は、相性値よりも自分の愛情を信じて結婚したんだ。簡単に答えがわかってしまう世の中で、あえてそれを聞かずに相手を選ぶ勇気を、私は心から尊敬する。

 私はもう答えを聞いた。でも、それは単なるきっかけで、今の私は私自身の気持ちだけで、胸を張って瑞希が好きだと言える。

 それがわかって、ずっと心にかかっていた後ろめたさが晴れていった。


「それが聞けてよかった。あなた方に、綺麗なスミレが咲くことを祈っております」


 スミレの花。『Smile』をもじって、アイコンでの成婚は『スミレが咲く』と言われている。受験での『サクラサク』みたいなものだ。

 私も咲かせられるだろうか、瑞希と一緒に。


「ありがとうございます」

「それと、少し前のレポートで『キスの相性も相性値と関係あるのか』と書かれていましたが、統計的に相性値が高ければ体の相性も良い傾向があるそうです。ですので、水門さん達も楽しみですね」

「余計なお世話ですよ!!?」


 間さんのデリカシー、仕事しろ!

 せっかく少し見直しかけてたっていうのに、なんていう情報ぶち込んでくるんだ。情報だけでも酷いのに、最後の一言!台無しだよ!!

 ……まあでも、そうなんだ。へえ、そっかぁ。ふーん。

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