第2話 好き、怖い、でも好き。

 お見合いから帰った夜。1LDKのマンションの狭いお風呂で、ぬるいお湯にしっかり肩まで浸かりながら、私は今日一日のことを思い返していた。

 初めてのお見合い、初めての女性からの告白。どちらも刺激的な経験で、さすがに少し疲れてしまった。


 亀岡さんとはとにかく話が合ったが、性格はあまり似ていないと思う。

 どちらかと言えば大雑把で勢い任せな私と違い、彼女は落ち着いた大人の女性だ。柔らかな笑みを絶やさず、少し低めの声も耳に心地よい。ただ、落ち着いてはいるが大人しいわけではなく、好きなものの話をしている時の華やいだ声も、常に笑っているような垂れ目も、指先の丸っこい爪も可愛いと思った。

 彼女との時間はどこを切り取っても楽しくて、幸せで、また会いたくなる。実は、次に会う日も決めた。──告白の返事は、次会った時にするという約束をして。


「っていうか、もう好きになってるし……」


 自分の気持ちを誤魔化したところで話は進まない。同性=友達という考えを捨て去れば、私の亀岡さんへの気持ちは、どこからどう見ても恋心だ。

 AIの判断は正しかった。告白されて気持ちが浮ついているだけの可能性も考えたけれど、告白される前から胸をキュンキュン鳴らしていた自覚があるので、そこはもう認めるしかない。私は確実に、亀岡さんに惹かれている。


 しかし、恋愛と結婚はまた別の話だ。

 おばあちゃんが子供の頃、日本でも同性婚が法的に認められ、生殖技術の進歩で同性間でも子供が作れるようになった。そのおかげで、異性との結婚との間に実質的な差はない。

 ただし、残念ながら人の感情はまた別の問題で、一般的に同性婚は一段下に見られやすい。特に、60代以上の年齢層からの偏見はまだ根強く残っていた。私自身、積極的に蔑んだりしないだけで偏見がまったくないわけではないし、自分が当事者になったところでそれが急に変わるわけでもない。

 だからこそ、こうして悩んでいるわけだ。


「結婚って、個人だけの問題じゃないんだよね……」


 相性値を信じるなら、私と亀岡さんは幸せな結婚生活を送れるだろう。リビングのソファに並んでライブ映像を楽しんだり、日本酒で晩酌したり。体型もそんなに変わらないから、服の貸し借りも出来そう。ほんの数時間の逢瀬だったのに、彼女と一緒に暮らす光景は容易に想像出来た。

 だが、それはあくまでも私と彼女の個人の相性だ。相性値に、周囲の人間も含めた相性までは含まれない。

 好相性値だったけど、家族の相性が悪くて破談になったなんて話はよく聞く。人気女優がそんな理由で上手くいかなかったと、少し前に芸能ニュースで言っていた。


「うちの家族はどうかな。賛成してくれればいいんだけど……」


 なんて。こんなこと考えるくらい、彼女と結婚したがってるんじゃないか、私。信じられない。今朝までは、自分が同性を好きになるなんてありえないと思っていたのに。

 それでも、私の胸の奥から「この人だ!」と叫ぶ声が聞こえるのだ。彼女が欲しいと、彼女こそが私の運命なのだと、必死に訴えている。

 そして、それと同じくらい「怖い」と尻込みしている私がいるのも感じていた。


 返事を待ってもらっている今なら、まだ引き返せる。諦められる。

 欲しいものを得るためとはいえ、自ら進んでマイノリティに──偏見に満ちた目で見られる側に飛び込む勇気が、私にはまだなかった。



※ ※ ※ ※



 次に亀岡さんに会ったのは、翌週の金曜日の夜。美味しい日本酒を出すお店があると言う彼女に連れられ訪れたのは、雰囲気の良い個室の居酒屋だった。

 メニューにずらりと並ぶ日本酒や焼酎の銘柄に目を輝かせていると、クスクス笑う亀岡さんから「飲みすぎないようにね」と声がかかる。飲みすぎませんよ、多分。


「私、お酒で失敗したことないんだ」

「へえ、強いの?」

「うーん、多分普通。亀岡さんは?」

「私も普通かな。元々、あんまり量も飲まないし」


 日本酒ってチビチビ飲みたいよね、と言いながらドリンクメニューに目を落とす彼女の長い睫毛とか、髪を耳にかけるしぐさを眺めていると、やっぱり好きだなぁという気持ちが溢れてくる。

 なんでこんなに惹かれるんだろう。この人の何気ない仕草のひとつひとつに気持ちが高まり、声を聞くだけで胸が満たされてしまう。少し福耳の柔らかそうな耳たぶに触れてみたいし、首筋に顔を寄せて匂いを嗅いでみたいなんて考えている私は、なんだか変態っぽい。

 メニューではなくじっと彼女を見つめていると、チラリと視線を上げた彼女が頬を淡く染めて言った。


「あの、あんまり見られると……ちょっと恥ずかしい」

「ご、ごめん、つい……!」


 ああ、やばい。まだ一滴も飲んでないのに、頭がクラクラする。

 告白の返事は今日の飲み会でもっとお互いのことを知ってからにしようだなんて、自分の中で先延ばしにしてたけど、こんなのもう結果は出たようなものだ。この間は惹かれている自覚がなかったから平常心でいられたけれど、もう無理。ドキドキしすぎて死にそう。

 っていうか、今の顔可愛すぎないか。なんか色っぽいし。可愛くて色っぽいなんてズルい。


「もしかして、告白のこと考えてた?」


 ど直球で、亀岡さんが聞いてきた。


「え、えっと、その……うん」

「あはは、ありがとう。ちゃんと考えてくれたんだね。早く聞いて楽になりたい気もするけど、もう少し後でいい?」

「あっ、そうだよね。話の途中に店員さん来ても落ち着かないし」


 まだドリンクすら頼んでないのに、今日のメインイベントをいきなり始めようだなんて、さすがにそれはないだろう。何事も順序は大事だ。まずは注文、そして注文したものが全部運ばれてきて、少しの雑談を楽しんでからがスマートだろう。

 うんうんと納得して頷く私に、亀岡さんが「それもあるけど」と苦笑した。


「悪い返事だった場合、楽しく飲もうってわけにはいかないでしょ? 怖いことは後回しにしちゃおうってだけ。ごめんね、ビビりなんだ、私」

「それなら大丈夫だよ! 私も好きだから!」

「……え?」

「あ……」


 やってしまった!!!

 たった今、注文して、全部運ばれてきて、雑談楽しんでから~なんて考えてたのに、5秒で台無しって! もうやだ。この勢い任せな性格、本当にどうにかしたい。

 でも、今のは完全に亀岡さんからのフリだっただろう。オッケーなら言っちゃって下さいと言わんばかりの、見事なキラーパスだった。


「あー、待って。今のナシ」

「え、ナシなの?」


 切なげに眉を寄せ、昔の少女漫画かってくらい瞳を潤ませた亀岡さんが、身を乗り出して尋ねる。そうだよね! ナシとか言われたら不安にさせちゃうよね! 仕切り直したかっただけなんです、ごめんなさい!


「えーっと、ナシじゃないです。好きです」

「……ほんと?」

「こんな嘘つかないよ。結婚はまだちょっとよくわからないけど、好き」

「ありがとう、すごく嬉しい」


 電球色の柔らかな灯りに照らされ、「私も好き」と蕩けるような笑みで彼女が言う。

 テーブルを挟み、二人して赤い顔で黙って見つめ合っていると、トントンと個室の扉がノックされた。


「失礼します。ご注文はお決まりでしょうか?」


 やたらと良い笑顔を覗かせた店員さんに尋ねられ、慌てて「十四代を!」「私は而今をお願いします!」と、とりあえず飲み物だけを注文したけれど、来るタイミング良すぎじゃないだろうか。

 あと、慌てすぎて2人ともプレミアム日本酒の欄から値段も見ずに選んじゃったけどお高いね。まあ、祝い酒ってことでいいか。


「ねえ、今更だけど私達の会話って……」

「言わないで。こんな薄い壁、絶対聞こえてるから」

「だよねー」


 少なくとも、「私も好きだから!」は確実に聞こえただろう。亀岡さんは適度な大きさの声で話してくれていたのに、ゴメンナサイ。さっきの店員さんも、きっと入るタイミングを見計らっていたに違いない。

 お酒が届くまで静かに待ち、その後注文した料理が一通り届くまでは深い話もせず、美味しいお酒と雑談を楽しんだ。そして料理もほぼ食べ終わったところで、ようやく私は話を切り出した。


「あのね、さっき結婚はまだよくわからないって言ったでしょ?」

「うん、言ってたね」

「今更こんなこと言うのってどうかと思うんだけど、実は結構不安なんだ。家族や周りの人がどう思うか」


 家でずっと考えていた内容をポツポツと話す私を、亀岡さんは静かに、時々相槌を打ちながら聞いてくれていた。

 亀岡さんが好きだし、出来れば結婚したい。でも、周囲の目は怖い。そんな私の自分勝手とも言える不安を最後まで聞き終えた彼女は、


「うん、そうだよね」


 と、あっさり頷いた。


「えっと、それだけ?」

「それだけっていうか、私も同じようなことで悩んだし」

「えっ、そうなの? その割には、告白するの早くなかった?」


 なにせ会ったその日だ。出会ってたった3時間のスピード告白だった。あれがあったから、てっきり性別云々についてはあまり気にしない人なんだと思っていたのだけど。

 私のツッコミに、亀岡さんが恥ずかしそうに目を逸らした。


「だって、水門さんが友達として会いたかったなんて言うから……このままじゃ恋愛対象として見てもらえなくなると思って」

「あっ、あー、そっかぁ。言ったね、私!」

「白状すると一目惚れだったし、話したらもっと好きになったから。逃してたまるか! って、私も必死だったんだよ」

「はぁっ!?」


 初耳ですけど! 人目を引く美人ならともかく、十人並みの私の顔に一目惚れって。そんなの初めて言われた。

 でも、私も似たようなものか。お互いに初対面で惹かれ合う二人だからこそ、運命の相手と言われる相性値が出たのかもしれない。


「あとね、私は自分がバイだって自覚してたから、そのあたりの悩みは通過済みだったっていうのもあるかな」

「あ、そうだったんだ。へえ……」


 ということは、私に出会う前に好きな女の子がいたのか。もしかしたら、付き合っていたかもしれない。いや、私だって元彼がいるからお互い様だし、今はこうして両思いなわけだし、別にどうこう言うつもりもないんだけど。……へえ。


「結婚を前提にお付き合いして欲しいって言ったから、余計に悩ませちゃったね。ごめんね」

「謝ることないよ、嬉しかったから!」

「ありがとう。でもね、無理にすぐ結婚について考えなくていいよ。まずは私のことをよく知ってもらって、もっと好きになった先で結婚したいって思ってもらえたら、私も嬉しいな」


 そう思ってもらえるように頑張るね、と微笑む彼女が眩しい。年上だからだろうか、随分と私に合わせてくれている気がする。

 我慢はさせたくないのに。これから一生を共にするかもしれないのだから、無理せずに本音で付き合っていきたい。


「じゃあ、私のこともいっぱい知ってね」

「うん。いっぱい教えて、水門さんのこと」


 彼女のことを知りたいし、私のことも知ってほしい。

 何が好きで、何が嫌いか。何をしたいのか、何をしたくないのか。

 彼女が私に何を望み、私が彼女に何を望んでいるのか。

 一緒に過ごした時間がまだ5時間にも満たない私達は、あまりにもお互いについて知らなさすぎる。


「ねえ、隣に行っていい?」

「うん、いいけど急にどうしたの?」

「ちょっと酔っただけー」

「えっ、うそ」

「っていうことにして、近くに行こうかなーって」


 もう! と拗ねる亀岡さんの小言は聞き流して、テーブルの向こうの彼女の左隣の席に腰かける。肩のくっつく距離まで近づくと、ふわりと甘くていい香りがした。

 シャンプーとお酒と、おそらく彼女自身の香り。好きな匂いの人とは相性がいいって、案外本当かもしれない。今日は控えるけど、そのうちもっとしっかり嗅いでみたいものだ。


「亀岡さん。私、実は匂いフェチなとこあるんだけど、亀岡さんの匂いすごく好き」

「ええぇ、嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいなぁ」

「亀岡さんはそういうのないの?」

「うーん、私は……」


 チラリと私の顔を見て、恥ずかしげにすぐに目を逸らす彼女。あー、はいはい、これは何かありますねぇ。


「知りたいなー、亀岡さんのこと」

「それ、このタイミングで言うのズルくない!?」


 顔を覗き込む私から逃げるように、壁際へと上半身ごとそらす亀岡さんと、それを追ってさらに近づく私。退路を断たれた彼女は、これ以上ないってくらいに赤くなって、オロオロと視線を彷徨わせていた。

 普段は大人っぽいけど、きっと亀岡さんってすごく可愛い人だ。っていうか、今まさに可愛い。狼狽えてる亀岡さん、めちゃくちゃ可愛い。


「キスしたいな……」


 左手を彼女の頬にあて、こちらを向かせる。目を丸くしてはいるが、その奥に期待の光がチラついているのを見てとり、そのまま唇を寄せた。

 数秒そっと触れるだけの、挨拶みたいなキス。しかし、その熱さも柔らかさも、吐息の甘さまでもがあまりにも完璧で、魅力的なキスだった。

 このままもっと深く口づけたい誘惑をどうにか押し退け、ため息と共に唇を離すと、彼女の目が切なげに私の唇を追う。名残惜しさはお互い様らしい。


「私達、キスの相性値も92あるんじゃない?」

「ふふっ、そうかも……」


 恥ずかしそうに、亀岡さんが小さく笑む。なんだか十代の女の子みたいな初々しさなものだから、初めてのデートでキスは早すぎたかな、なんて私まで十代みたいなことを考えてしまう。


「水門さん、あの……」

「有希がいい」


 え? と、何かを言いかけた彼女が戸惑う。


「私、好きな人には名前で呼んでほしいし、名前で呼びたいんだ。……瑞希」


 もっとスマートに名前で呼び合える関係になりたかったのに、なんでわざわざこんな恥ずかしいこと言ってるんだろう。十代の頃の元カレとも、ここまで甘酸っぱいやり取りはしなかった気がする。

 それでも仕方がない。どうしても名前で呼んでほしかったんだ、今すぐ。


「ありがとう、有希。好きだよ」

「私も……瑞希が好き」


 今度は瑞希から、さっきより強めに唇が重ねられる。お酒よりもクラクラする甘さに酔いしれながら、やっぱりこの人だと思った。

 もう少しだけ。そんなに時間は必要ないと思うから、お願いだから待っていてほしい。瑞希が通過したという悩みを私も全速力で通り抜けて、一緒に生きていく勇気が育つまで。


 そして、瑞希が唇フェチだと聞いて笑ったのは帰り際。無人タクシーに乗り込む彼女と、またねのキスをした後だった。

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