19.伝達の企み

 部屋に帰ってから、私はいつもと同じように小説の構想を練った。小説の内容はバシレオスが書き留めてくれる。構想段階から一緒に考えて矛盾点を指摘してくれるのは非常にあり難かった。


「イフラース様に心寄せるデメトリオ。だが、デメトリオは塔に閉じ込められてイフラース様に会うことができない。イフラース様もデメトリオのことを気にかけているが、デメトリオに会いに行くことができない。この問題をどうするかだ」

「どうするおつもりなのですか?」

「イフラース様が皇帝陛下の前でデメトリオを塔から出してくれるように懇願するための踊りを踊る。その最中にイフラース様は神がかりになるのだ」

「イフラース様は信仰に厚い方だと聞いております。神がデメトリオとの仲を結んでくれるのですね!」


 私の発案にバシレオスは興奮しながら小説の構想を纏めてくれた。紙に綺麗な字で纏めてあると、私も分かりやすい。

 神のお告げとして、イフラース様はデメトリオと結ばれることを皇帝陛下に伝える。皇帝陛下は神が乗り移った美しいイフラース様の姿を見て、デメトリオを与えることを決心するのだ。


 小説の中ではそのように進んでいくが、実際にデメトリオが望んでいるのはそういう暮らしではない。後宮から離れ、塔の中で静かに暮らすことだ。

 食べるものに困ることもない。病気をすれば医者も呼ばれる。塔の中では不便も多いだろうが、これまでデメトリオが経験してきた生活に比べれば、塔の中の生活は穏やかで暮らしやすいのだろう。


「デメトリオは本当はその兵士の家で暮らしたいのではないですか?」

「私もそう思っていた。だが、一度後宮に入ったものが、簡単にただの兵士の元に下げ渡されるとは思わない」


 四十代の兵士に毒の副作用で苦しんでいるときに献身的に助けられて、デメトリオは反乱軍に殺された母親を思い出したのではないだろうか。兵士も子どもはいないと言っていたから、デメトリオを養子にもらえば、幸せに暮らせそうな気がする。

 解決策が分かっていながら、それが実行できないことが私はもどかしかった。


「伝達様のことですから、イフラース様の神がかりも、何かお考えがあってのことでしょう?」


 一緒に小説を書いているバシレオスにはお見通しのようだった。

 私は声を低くしてバシレオスに告げる。


「もし、月の帝国のお偉方の集まるお茶会で、イフラース様が神がかりになって、皇帝陛下にお告げをしたらどうなると思う?」

「それは、きっとどの方も重く受け止められるでしょうね」

「それが、後宮に関することだったら?」


 イフラース様は言っていた。

 神は平等に愛せる限り夫を何人持ってもいいと仰っていると。逆に言えば、平等に愛せないのならば複数の夫を持つことは禁忌とされるのではないか。


 皇帝陛下が後宮を持って、複数の夫を持っていることは、皇帝陛下にとっても、側室や妾にとっても、不幸でしかない。

 皇帝陛下は正室の千里様、ただお一人しか愛していないのだ。

 決して皇帝陛下が渡って来ることのない後宮で、ただ時間だけが過ぎて老いていく自分を自覚したとき、側室も妾も正気ではいられないだろう。


「皇帝陛下にそのことが伝わるでしょうか?」

「そのためにも、私が物語を上手に進めていかなければいけない」

「このバシレオス、伝達様のためにお力添え致します」


 全面協力体制のバシレオスに、私は心強く思いながら小説を語った。


 出来上がった小説を持って千里様のお部屋に行く。

 千里様は髪を隠した状態でそわそわと皇帝陛下を待っていた。


「今日は皇帝陛下がハウラ殿下と万里を連れて来て下さるのだ」

「ハウラ殿下は千里様に懐いておられますよね。万里様のお名前は千里様のお名前からとられたのですか?」

「皇帝陛下が私にちなんだ名前を付けてくれた。『千より大きいものはなんだ?』と聞かれたので、『万です』と答えたら、万里という名前になった」


 ハウラ殿下は女性なので次期皇帝陛下として、皇帝陛下が名前を付けたようだが、男性の万里殿下はやはり千里様の名前にちなんだ名前を皇帝陛下がつけたようだ。

 子どもにも千里様にあやかる名前を付けるほど皇帝陛下は千里様だけを愛している。


 お渡りになった皇帝陛下はハウラ殿下の手を引いておられて、シャムス様は万里様を抱っこしていた。万里様は絨毯の上に降ろされると、涎を垂らしながらはいはいで千里様に突撃していく。千里様に抱き上げられて、涎でびちょびちょの手で千里様の髪を隠す布に触れているが、千里様は笑って許している。


「バンリ、ずるい! わたしもちちうえにだっこしてもらいたいのに!」


 ハウラ殿下が半泣きで千里様に縋り付くと、千里様は座って片方の膝に万里様を乗せて、もう片方の膝を叩いた。


「ハウラ殿下、こちらへ」

「ちちうえ!」


 大喜びでハウラ殿下が千里様の膝に座る。ハウラ殿下と万里様を両膝に乗せて千里様は笑み崩れていた。


 千里様とハウラ殿下と万里様が触れ合っている間に、皇帝陛下とシャムス様は私の小説を読んでいた。皇帝陛下が読み終わるとすぐにシャムス様がその頁を受け取って、じっくりと読む。


「私が出て来ておる! 私はイフラースとデメトリオの仲を裂いておるのか!」

「後宮ですから仕方がありません」

「後宮だからな。イフラースとデメトリオはお互いに想い合っていて、それを伝えることもできぬのか! 誰だ、デメトリオを塔に閉じ込めておるのは!」

「皇帝陛下ですが、これは物語ですから」

「そうだった。私だった。なんということだ、私! それにしても思い合う二人の美しいこと……そして、イフラースが神がかりに!? 神のお告げで私は気付くのだな」

「イフラース殿とデメトリオの仲を裂いていたことに気付いて、二人は結ばれるのですね。これもエッチがありませんでした」

「エッチは大事ではないのだ。あればあるだけいいが、なくてもそれもまたいい!」


 存分に小説を楽しんでくださっている皇帝陛下に、私はデメトリオとイフラース様の話をする。


「物語の中ではデメトリオはイフラース様と結ばれたいと思っておりましたが、本当は、塔に残っていたいと思っているようです。塔の兵士が献身的に尽くしてくれるので、亡くした母親を思い出しているのではないでしょうか」

「それならば、その兵士とデメトリオを暮らさせてやりたいものだ」

「デメトリオは一度後宮入りした身ですから、難しいですね」


 悩まし気に私が言えば、シャムス様が皇帝陛下に進言した。


「皇帝陛下、後宮を解体することをお考えにはなれませんか?」

「後宮を解体!? いや、私もそれができればいいとは思っておる。後宮に来ているものには様々な理由があるのだし、人質もおる。その問題をどうすれば乗り越えられるのか」


 皇帝陛下も苦悩されている。

 そこに、私は自分の書いた小説を差し出した。


「イフラース様はイフサーン様の減刑を願っております。皇帝陛下がお頼みになれば、神がかりになったふりをしてくれるでしょう」


 皇帝陛下が開くお茶会で、神がかりになったイフラース様が神のお告げとして伝えればいいのだ。


「そうか……。私は今、神託を受けたように思う。これこそが、神のお告げだったのか!」


 電流に撃たれたように立ち上がる皇帝陛下に、私は自分の企みが上手くいっているようで安堵していた。


「シャムス、茶会を開くぞ。宰相も、貴族たちも集めた、大規模な茶会だ。そこに、イフラースを踊り子として出そう!」


 見目麗しいイフラース様が、後宮から踊り子として選出される。イフサーン様がデメトリオに毒を飲ませたことは既に広まっているので、イフラース様はイフサーン様の罪を少しでも軽くするために踊り子の役を受け入れたことにする。

 その場でイフラース様が神がかりになって、神のお告げを口にすれば。


 全てが動き始めた気がした。

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