18.デメトリオの今後とイフラース様の願い

 イフサーン様の処分はなかなか決まらなかった。

 その間に私とシャムス様はデメトリオのいる塔に向かう。廊下には兵士がいかめしい顔で並んでいたが、デメトリオが自殺したのではなかったと分かったため、塔の見張りの兵士の表情は明るくなっていた。


「私が食事を運んでいるのですが、最近はやっと完食されるようになりました。体調もすっかりと戻っているようです」


 私よりもずっと年上の四十代くらいの女性の兵士は我が子のことのようにデメトリオのことを話していた。


「あなたは結婚されているのですか?」

「結婚しましたが、夫を流行病で亡くし、子もおりません」


 兵士に話を聞けば、夫は亡くしており、子どももいないと言っている。デメトリオがそれだけ可愛く見えるのも、子どもの年くらいだからだろうか。

 長い螺旋階段を登って行って、デメトリオと会うと、もう足に鎖は繋がれていなかった。椅子に座って書き物をしていたデメトリオは、私とシャムス様に気付くと椅子から立ち上がって、床の上に膝をついて深く頭を下げる。絨毯が敷かれていないのも、窓にカーテンがないのも、絨毯やカーテンを裂いて首を吊らないようにという配慮なのだろう。


「デメトリオ、あなたに毒を飲ませたのは、イフサーン様で、イフラース様ではありませんでした」

「そうだったのですか!?」

「あなたが会ったときにイフサーン様はどのような格好をしていましたか?」

「黒い衣装を着て、黒い布で目だけしか見えないようにされていました。誰か女性と会った後ではないのかと思われました」


 女性と会うときに正式な黒い衣装と黒い布で目だけしか見えないようにするのはイフサーン様で間違いない。イフラース様は髪を布で隠すだけの簡易な格好でシャムス様の前にも出ている。


「どうしてイフラース様と思ったのでしょう?」

「イフラース様のお部屋から出てきたのです。それで、私はてっきりイフラース様だと思ってしまいました」


 イフサーン様はイフラース様の部屋に出入りしていた。

 イフラース様は詳しくは話さなかったが、米と野菜を炒めたものに毒を入れられた以外にも、イフサーン様がイフラース様の不在時に部屋のものに毒を入れることはしばしばあったのではないだろうか。

 双子の兄で、大事な相手であるから、イフラース様が敢えて口にしなかったことも考えられる。


「イフサーン様は毒物に興味があって、あなたを実験台に使おうとしたのです」

「そんな……私は、優しい言葉をかけてもらって、反乱軍だということで皇帝陛下に追及されたときには庇ってくれるという約束もして……だから、イフラース様を……いえ、イフサーン様だったのですね、イフサーン様を信じたのに!」


 ショックを受けているデメトリオに私は優しく問いかける。


「今後、あなたはどのように暮らしたいですか? 後宮に戻りたいと思っていますか?」


 私の問いかけにデメトリオは迷っているようだった。


「正直に言えば後宮はもう怖くて戻りたくありません。ここの兵士様は私に優しくしてくれます。毒の副作用で何日も寝込んでいた私に付きっきりで看病もしてくれました。私はここから出たくありません」

「分かりました。そのように皇帝陛下に伝えましょう」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げるデメトリオに、私はシャムス様の方に向き直っていた。絨毯も敷かれていない板張りなので、私もシャムス様も床に腰かけていない。


「まずは、この部屋に絨毯を敷いてもらいましょう。カーテンもつけて。お茶も入れられるようにして、塔の見張りの兵士をいつでもお茶に呼んでいいことにできますか?」

「それくらいなら、皇帝陛下もお許しになるだろう。デメトリオは自殺をしようとしたのではなかったし、妙なことを考えることもあるまい」


 シャムス様に同意してもらって、私はデメトリオの部屋の改造計画を考え始めていた。

 デメトリオの部屋から帰ると、イフラース様から私に呼び出しがかかった。

 私もイフラース様に聞きたいことがあったので、シャムス様と一緒に出掛けて行く。


 イフラース様は私とシャムス様を昼食に招いてくれた。

 絨毯の上にはたくさんの料理が並んでいる。チーズと色んな野菜のサラダや、ひよこ豆のペーストとパン、野菜と米を炒めたもの、ヨーグルトにドライフルーツを浸して蜂蜜をかけたものなど、たくさん並んでいる。

 食べないのも失礼なので手に取って食べていると、イフラース様は甘酸っぱいハーブの真っ赤なお茶を振舞ってくれた。


「これはローズヒップといって、薔薇の実からできたお茶なんだよ。薔薇のように美しくなれるように僕が常に飲んでいる。蜂蜜を入れるととても美味しいんだ」


 蜂蜜を入れたローズヒップティーを飲んで、私はイフラース様に問いかけた。


「イフラース様の部屋にイフサーン様が入り込んで、化粧品や食べ物に毒を盛ったことがあるのですね?」

「それも調べればすぐに分かることだよね。そうだよ。イフサーンは、僕のふりをして部屋に入って来ていた。僕はイフサーンと違うことが分かるように、後宮の中ではあの黒い衣装は身に着けないようにしたんだ」


 いつも軽装で、身分の高い方なのにそれでいいのかと思っていたイフラース様の格好には理由があった。イフサーン様が外に出て兵士たちに見られないように厳重に黒い衣装を身に纏うのに、イフラース様は同じ衣装を身に纏っていたらイフサーン様との見分けがますますつかないから軽装でいたのだ。


「イフサーンは僕の化粧品や食べ物に、毒物を入れようとしていた。僕はそれに気付いて、毒物の入ったものは、『飽きた』とか、『気に入らない』とか言って捨てていたんだ」


 気まぐれに見えるイフラース様の性格にも、イフサーン様の企みを隠す意図があったのだ。


「イフサーンは後宮に来てはいけなかった。僕はそれを止めるだけの力がなかった。イフサーンの異様な行動は、それを止められなかった僕にも責任がある。伝達殿、どうか、イフサーンが処刑されることだけは許されるようにして欲しい」


 なんでもすると絨毯の上に頭を擦り付けるようにして平伏するイフラース様に、私は考えていることが一つあった。


「イフラース様は、神の教えに詳しいのですよね?」

「信じてくれなくてもいい。僕は昔から勘が鋭くて、イフサーンが毒物を入れたものはすぐに気付けたんだ」


 飼っていた猫の吐いたものに毒物が入っていたこともイフラース様はすぐに気付いたのだという。

 それから何かおかしいと猫の様子を追い駆けてこっそりと見張っていたら、イフサーン様が餌を与えている場面に出くわした。


「淀んだ霞のようなものが見えるというか……乳母にしか話したことはないんだけれど」


 神の教えを守り、清廉に暮らしているイフラース様には、神の祝福のようなものが与えられていた。

 前世で言えばスピリチュアルなものなのだろうが、私はそれを信じていなかった。しかし、人間が自己防衛のために毒の入ったものに気付ける能力があったとしても、何も不思議ではない。


「イフラース様は神のお告げのようなものがありますか?」

「さすがに、預言者ではないから、そういうものはないね。あったら嬉しいのだけれど」


 そういう力があれば、イフサーン様の暴走を止められていたかもしれない。

 どこまでもイフサーン様のことを気にしているイフラース様の心の優しさと純粋さは伝わって来た。


「伝達殿、どうするのだ?」

「皇帝陛下にはもう少し動いていただかなければいけないかもしれません」


 お茶会を開くのを止めようと思っていたが、皇帝陛下にはお茶会をぜひ開いてもらわねばならない。

 私は考えを改めかけていた。

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