17.イフラース様の物語

 イフサーンとイフラースは裕福な貴族の家に双子の男の子として生まれた。

 男性が生まれること自体が希少なのに、双子ということで、両親も乳母も、イフサーンとイフラースを死なせないように育てようと必死になった。

 その結果として、イフサーンとイフラースはとても甘やかされて育った。


 イフサーンとイフラースにはそれぞれ乳母がついていて、イフサーンの部屋とイフラースの部屋は別々だった。

 違う部屋にいるそっくりな兄を気にしつつも、イフラースは乳母がとても信心深かったので、経典を読み、神の教えを学びながら大きくなった。

 神は富める者は貧しいものに分け与えよと仰っていた。


 イフラースは貧しいものに与えるだけのものは持っていなかったし、市井に出ることは許されていなかったので、屋敷の中だけでもできることをしようと考えた。

 そのときに乳母の家の近くに捨て猫がいるということで、イフラースはその捨て猫を引き取って育てることにした。


 それがイフラース十歳のとき。


 最初は懐かなくて、毛もバサバサ、片目も目やにで開かないような子猫を、暖かいタオルで日に何度も顔を拭いてやり、体を拭いてやっていると、ふわふわの可愛い猫に育った。

 

 毎日猫に餌をやって、庭で遊ばせていたが、あるとき猫が食べ物を吐いて苦しんでいるのに気付く。医者に見せると、何かよくないものを拾い食いしてしまったのではないかと話をしてくれた。

 猫を医者に見せた数日後、イフラースは見てしまった。


 庭でイフラースの猫に食べ物を与えているイフサーンを。


 イフラースはイフサーンを問い詰めた。


「どれだけ毒物を食べさせれば死ぬのか興味があっただけなんだ。どうせ、拾ってきた猫だろう?」


 イフラースにとっては目やにを拭いて、体を拭いて、毎日糞の始末もした可愛い猫なのに、イフサーンにとっては実験動物のようにしか映っていない。その事実が怖くて、イフラースはその猫がこれ以上害されないように、乳姉妹のところに引き取ってもらった。


「やっぱり、猫じゃ分からないな」


 恐ろしいことを言ってイフサーンがイフラースの食事にも何かを混入させ始めたのはその時期だった。イフラースは気付いて、自分は肉や魚を食べられないということにした。

 肉や魚を食べられないのならば、厨房ではイフラースのために特別に作るしかない。イフサーンが手を加えられないようにするにはそうするしかなかったのだ。


「肉や魚を食べなければ大きくなれませんよ」

「僕はチーズやヨーグルトを食べているから大丈夫だよ」


 心配する乳母に本当のことを言えず、イフラースはそう誤魔化した。

 後宮に上がってからもイフサーンが悪い癖を出さないか、イフラースはずっと心配していた。後宮には次期皇帝陛下の父親となる千里様もおられる。

 イフラースはイフサーンの関心ができる限り自分に向くように、そして、イフサーンが妙なものを仕入れないように、監視を続けていた。


 イフサーンの手に入れたものを真似して手に入れるのはそのためだった。

 イフサーンが化粧品と偽って毒物を手に入れていないか、イフラースはずっと監視していたのだ。


 そして、イフサーンが遂に毒物を手にしたというのが分かった。

 すぐに商人を呼び同じものを取り寄せると、イフサーンがその毒物を使ったときの証拠のためにイフラースはそれを化粧台の引き出しの一番奥にしまい込んだ。


 後宮生活の刺激のなさに飽きていたイフサーンが、イフラースのサフランを入れた米と野菜を炒めた料理に黄色の絵具を混ぜ込んだときにも、イフラースは匂いですぐに気付いた。

 椀を投げ捨てて誰も食べないようにしつつ、イフラースは「イフサーンが肉を紛れ込ませていた」と言うことでイフサーンを庇ってしまった。


 性格が捻じ曲がって、最悪の兄であっても、イフラースにとってはイフサーンはたった一人の双子の兄だったのだ。


 その後で、デメトリオの事件が起きて、イフラースはすぐにイフサーンの仕業だということに気付いた。

 もう隠すことはできない。

 イフサーンは皇帝陛下の妾の一人を害したのだから、後宮から追い出されてしまう。


 戦々恐々としつつ、いつか裁かれる日が来たら、全てを話そうとイフラースは決めていた。



 長いイフラース様の話を聞き終わって、皇帝陛下はイフサーン様に向き直る。

 イフサーン様はもう青ざめていなかった。不敵な笑みを浮かべている。


「そなた、デメトリオで試したのだな?」

「そうだ。ひとがどれくらいの毒物で死ぬのか、幼い頃から興味があった。私をイフラースと間違えて縋って来たデメトリオに怒りもあった。私がイフラースに毒を盛ったのにバレてしまったのをあざ笑われている気分になった」

「全くの逆恨みではないか! デメトリオは、そんなことで毒を飲まされたのか!?」

「飲んだ後の残りの瓶は取り巻きに処分させた。忠誠の証に、一口ずつ飲ませて行ってもよかったと後悔している」


 なんということをイフサーン様は言っているのだろう。恐ろしくなった私がよろめくと、シャムス様に肩を支えられる。シャムス様の逞しい腕に支えられて、私はほっと息を吐いていた。


「騎士たちよ、イフサーンを捕らえて牢に入れよ! イフラース、そなたからも改めて話は聞く。そなたも後宮に毒物を持ち込んだのは変わりない」

「はい、いつでもお受けいたします」

「イフラース、もっと早くに私に伝えて欲しかった」

「お許しください……あんな奴でも、私には大事な兄なのです」


 平伏するイフラース様に苦々しく言った皇帝陛下に、イフラース様は顔を上げないままにつらい口調で答えていた。


「デメトリオの処遇はどうしますか?」

「デメトリオにも真実を伝えた上で、後宮に戻りたいかどうか聞かせよう」

「心得ました。デメトリオにこのことを伝えて、処遇を聞く相手はどういたしますか?」


 シャムス様の問いかけに、皇帝陛下の視線が私に向く。


「伝達、そなたならば本心を聞くことができよう。それが、取材にもなるのであろう?」

「皇帝陛下がお望みならば、私が参ります」

「次は、傷付いたイフラースを慰めるデメトリオの物語を書くがいい」


 これくらいの楽しみがなければ、この憂鬱には耐えられない。


 皇帝陛下のため息はどこまでも重々しいものだった。

 その夜は皇帝陛下は自分の部屋に戻られて休まれた。私は千里様の部屋に呼ばれて、事の次第を聞かれた。


「イフラース様がイフサーン様の幼少期からのことを語ってくださいました。イフサーン様はずっと毒物に興味があって、毒物をイフラース様の可愛がっている猫に飲ませたこともあるそうです」

「猫に!? なんと惨いことを」


 飼い猫は人間に世話をされて、人間の手で与えられる餌を食べて生きている。信頼して食べた餌に毒が混じっていたなど、猫にとっては酷い裏切りだ。


「猫、か。私も猫を飼いたいな。皇帝陛下に頼んだら飼わせてくれるだろうか?」

「これまで頼んだことはなかったのですか?」

「私は後宮で一番地位が高い。私が飼い出すと、他のものも飼い出すのではないかと思ったのだ。後宮が猫だらけになると困るだろう?」


 後宮が猫だらけになると困るのだろうか。

 私は猫が好きだし、イフラース様も猫がお好きなようなので、後宮が猫だらけになったら喜ぶものは多い気がする。


「まぁ、犬派もおりましょうね」

「犬も飼うか。犬は外で飼わねばなるまいな」


 後宮の自殺未遂事件が解決して千里様の心も、こんな話ができるくらいに軽くなっているようだった。


「皇帝陛下は貴族たちを集めて伝達の物語を披露するためのお茶会を計画している。私の同郷で、部下の伝達の物語が広まると思うと私も誇らしい」

「え!? お茶会は本当に開くのですか!?」


 私がこれまでに書いた小説と言えば、最初にシャムス様が偶然見て、皇帝陛下に持って行った、後宮に入る男性が従者の男性に別れを告げるときに、最後に抱かれるもの。

 次に、アズハル様をモデルにした、高貴な男性が家庭教師に恋をしていて、素直になれずにいる両片思いもの。

 その次が、イフサーン様とイフラース様の両方の視点で書いた双子の近親相姦もの。

 四番目が、ニキアス様が故郷から連れて来た従者に恋心を抱かれているが素直になれないツンデレもの。

 五番目が、ジェレミア様と武芸指南役の爽やかな全年齢ボーイズラブ。

 そして、最後に書いたのが、イフサーン様とイフラース様にデメトリオを交えた嫉妬ものだった。


 どれも側室をモデルにしていて、身内の方が読めばすぐにバレてしまう。


「どうしましょう……焼け野原になってしまう……」

「伝達の物語が素晴らしいことは皇帝陛下のお墨付きなのだ。胸を張れ、伝達」

「無理ですぅ! あれをお身内の方に読まれてしまうと思うと」


 皇帝陛下のお茶会をどうにかして止められないか。

 私はそのことを考え始めていた。

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