八品目 黄金蟹の刺身
ある晩、女性がひとりで家にいた。
雨が降りしきり、風も強く、彼女は怖くて眠れなかった。
突然、家の玄関が激しくノックをされる。彼女は玄関に向かい「どなた様ですか?」と聞くと、雨音でぼやけた声が聞こえた。
「私は道に迷っているんですが、ここはどこですか?」
女性は玄関を開けると、そこにはずぶ濡れになっている長い髪の女性が下を向きながら佇んでいた。
「大丈夫ですか?」と聞くが、女性はその問いには答えず、ただ「あなたはひとりでしょう?」と呟いていた。
気味が悪くなった女性は、玄関を閉めようとすると急に玄関のドアを掴み、女性は顔を上げた。
その女性の目は、黒い絵の具で塗りつぶしたかの様に真っ黒だった――。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「こんな話でビビるとは情けない…それでも貴様は男か?」
椅子から転げ落ちながら、耳を塞いでるシン。
「俺は怖い話が苦手なんだよ…」
「あはは…お父さんにも苦手な物があったんだね」
何故、暗くした食堂の中で怪談をしているのかというと、ある食材を調理するのに必要な工程だからである。
その食材の名も『コワガリマキガイ』
見た目はシャコガイを想像してもらえればいいだろう。
この貝の身は絶品なのだが、非常に固い貝殻の中に隠れている為、身だけを取り出す事は非常に困難である。この世界でも強者の部類に入るノワルの攻撃でさえ、掠り傷一つ付かないほどの頑丈なのだ。
だからと言って、火魔法で炙ったとしてもどういう原理かは分からないが、貝殻が全ての熱を弾き返すようで身には一切熱が通らないのだ。
だが、名前にもある通りこの貝は非常に怖がりである。先程の様に怪談を話すと、貝殻の中からべろんと身が出て来るのだ。なんとも不思議な生態をしているのだが、この世界には地球の常識は通用しないのである。
「だからってわざわざ俺の前で怪談をする必要はないだろうが」
「何故、我が貴様の都合に合わせねばならんのだ。この腑抜けが」
いつもの様に喧嘩になる二人を宥めるアイナ。
実を言うと、ノワルはわざとシンの前で怪談をしていたのだ。
そもそも、怪談を言わなくてもノワルが威圧をすれば貝から身は出て来るのだ。それを知っていたのだが、ノワルはシンを揶揄いたくてわざと怪談を披露したのだ。
ノワルからすれば、シンは揶揄いがいのある弟といった位置づけなのだろう。
ぶつくさと文句をいいながらもシンは食材の調理を始める。
とは言っても、この貝は刺身で食べるのが一番美味い。
コリコリとした食感と口の中に入れた時に、一瞬で広がる磯の香り――そして、噛めば噛むほど甘みと旨みが広がる。
これに酸味の効いた果実を振りかければ、最高の一品に昇華する。
まさに『貝の王様』と言っても過言ではないだろう。
『コワガリマキガイ』に舌鼓を打ちながら談笑している中、急に古民家の扉が荒々しい音を立てて開く。
そこには、ずぶ濡れの髪を前に垂らした人物が居た。
「うわぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!で…出たぁっ!!」
椅子からひっくり返るシン。
先程の怪談に登場した幽霊が、古民家に訪れたと思ってシンはパニックになっている。
ぺたぺたと雫を床に垂らしながらその人物は、ゆっくりと頭に手を伸ばす。
「ひぃぃっっ!!!」
「シン兄どうしたの?」
頭に絡まった海藻を取りながら、ゴマは不思議そうな表情で話しかける。
「へ?」と唖然とした表情で辺りを見回すと、ノワルとアイナは笑いを堪えている。二人を見て今の状況を把握するシン――つまり、二人は最初からゴマである事を分かってた上で、シンの怖がる姿を楽しんでいたというわけだ。
急に恥ずかしさが込み上げてきたシン。
無言でぽかんとした表情を浮かべるゴマに近づき、拳骨をお見舞いするのであった。
◇
「なんでそんなびしょ濡れなんだよ」
「実は、海の底に潜ってたらさ――」
ゴマは沖に出て海の底を探検していたらしい。
そんな時、海の底に沈んだ都市を発見したという。
「へー…そんな場所があったのか。大昔にはもしかしたら他にも大陸が存在していたのかもな」
「シン兄も気になるよね!?行きたいよね!?」
目をキラキラ輝かせながら話すゴマ。
「別に?」
某有名人の様に素っ気なく返すシン。
「ぐっ…お城みたいなのもあって、そこにはきらきらしたお宝が一杯あったんだよ」
なんとかシンを連れて行きたいゴマは頑張るのだが、シンの心には全く刺さっていなかった。
「お宝なんて正直、持っててもしょうがないしな」
ここで、アイナが助け舟を出す。
「そこには他に珍しい物とかなかったの?例えば――食材とか」
「食材?んー…お宝の周りに黄金色に輝いたでっかい蟹が居たような…」
「詳しく」
ぐいっとゴマに顔を近づけるシン。
どうやらシンの興味を持たせることに成功したようだ。
その様子に苦笑いのアイナ。
ゴマは嬉しそうに海の底に沈んだ都市で見かけた、黄金色の蟹の事を話すのであった。
◇
太陽光も届かない暗い海の底――そこには、はるか昔に繁栄した古代の都市が沈んでいた。
その都市の名は『ヘラクレイオン』
ゴンドワナ大陸のような超大陸ではないのだが、そこそこの大きさの大陸であった。
しかし、海面の上昇、地盤沈下、地震とそれによる津波といった複数の要因が重なり、ついには海の底に沈んでしまったのである。
そんな暗く深い海の底に黄金色に光る巨大な蟹が居た。
その名も
海の覇者として知られる海龍『レイン・クロイン』でさえも、
足の長さまで含めると、全長十メートルを超える巨体。
その甲羅には鋭く尖ったトゲが無数に突き出ている。
黄金色に輝く体表に目を奪われがちだが、その二本の鋏は巨大で鋭利である。
もしも、その鋏で挟まれたならば、恐らく命はないだろう。
そんな
この
ぴくり――とその巨体を揺らし、海面がある方へと視線を向ける。
自身の元に向かって来る黒い二つの影――シンとゴマである。
自身の聖域に踏み込もうとする侵入者を排除するべく、
天空の死神が
自身の強さに何ら疑いを持たない
◇
ゴマから詳しい話を聞いたシンは、思い立ったが吉日と言わんばかりにすぐに海底都市に向かう。
深さは約四百メートル――訓練した人間ですら容易に潜る事など出来ない世界。
それも、十分な装備を身に着けていてもだ。
何故なら『圧力』というモノが関係しているからである。
登山をした経験がある方はご存じだろうが、ポテトチップスの袋を山の上に持っていくと、パンパンに膨らむという現象が起こる。これは、山の上に行くほど圧力が下がっていくからである。それだけ空気は圧力の影響を受けてしまうという事だ。
では逆に深海に潜っていくとどうなるか――答えはぺしゃんこに袋は潰れてしまう。
つまり、人が深海に潜ると体は潰れないが、空気を最も含んでいる肺が潰れるのだ。
だが、それは常人の場合である。
変人のシンの前で常識など通用しないのだ。
そんな二人の前に海の底が見えて来る。
そこには青く淡い光を発光するバクテリアの光に照らされて、巨大な黄金色の蟹の姿が見える。
シン達が接近してきた事に気付いているようで、臨戦態勢を整えている。
(ここは俺に任せろ!)
ゴマに視線とジェスチャーをする。
シンの右手には、長さ一メートル程のアイスピックの様な形状の物が握られている。
勢いよく
近づいてきたシンに対し、
それを左手で掴むと、勢いよく背負い投げをするシン。
裏返ってしまった
暴れていた
それをポーチにしまい込み、二人は海面に浮上し始めた。
シンがわざわざ戦闘を行ったのには理由がある。
ゴマに戦闘をさせると
出来れば欠損がない状態で持ち帰りたかったシンは、地球で蟹を絞めるやり方で魔物を倒したのである。
「さて、目的の物も手に入れたし帰るか」
「えっ!?海底都市の探索は!?」
ゴマの言葉を聞こえないふりで躱しながら、古民家に帰るシンであった。
◇
古民家に戻って来たシンは早速、
足を付け根から切り落とし胴体と足だけに分ける。
「デカすぎて鍋で煮れないな…ノワル。アレやってくれ」
普段ならば文句を言うノワルも早く食べてみたいのだろう。
文句も言わずに、魔法で巨大な水球を作り出す。
しかし、ノワルが作り出したのは冷たい水球ではなく『熱く煮えたぎった水球』である。
そこに蟹の足を次々と放り込む。
元々、黄金色だった身体だが、熱を加える事によってより一層、金色に輝きを放ち始める。
数十秒ほどその状態のままにして、次は水球を冷たくするように指示をするシン。
十分に冷めたところで殻から身を取り出す。
「うおぉ…真っ白な身に薄く黄金色に輝いてやがる」
「早く食わせろ」と急かすノワルを制し、もう一度デカいタライに氷水を出すように指示をするシン。
「まだ待たせるのか」
「まあ、もう少しだけ待ってろって」
苦笑いをしながら言う。
数分後には身の繊維が米粒状になり、見事に花が咲いたお刺身。
「う――美しい」
きらきらとした眼差しを刺身に向けるシンを無視して、ノワルはパクリと食べる。
「―――っ!!!!ぷりっぷりの身に濃厚な甘み――なんという美味さだ…」
「だろ?最初は刺身に限るよな。けど、これに蟹味噌を付けて食べるともっと美味いぞ?」
そう言って、いつの間にか蟹の甲羅から取り出した味噌をノワルに渡す。
蟹の刺身の上に、これでもかと言うくらい乗せ一口でぱくり。
その瞬間、ノワルの目がくわっと開いたかと思うと、次第にだらしのない表情に変わっていく。
普段の機械的な表情からは想像がつかないノワルの表情が、その美味さを物語っていた。
その表情に満足した後、シンも食べてみる事に。
「うっ――――んめぇっ!!!カニ味噌の濃厚な旨味と、ほのかな苦味が甘みのある身と一体化することで、なんとも贅沢な味へと昇華してやがる…」
だらしのない表情を浮かべながら食べる二人を見て、ドン引きのゴマであったが、好奇心には勝てず、ついにはゴマも二人の仲間入りを果たすのであった。
あまりの美味しさに全てを平らげてしまった三人。
そんな時、ゴマは余計な一言を言ってしまう。
「これって蟹鍋にしても美味しそうだよね」
この一言のせいで、もう一度
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