三品目 ピリ辛海龍ユッケ丼
海――地球の場合、約70%の割合が海であるにもかかわらず、人類が海について把握しているのは5%程度と言われている。
しかし、シンが居るこの異世界の海について分かっている事は、ほぼ0である。
何故か――?
それは、海には陸とは違い、強力な魔物が多く生息しているからだ。その為、船で沖に出ようものならば魔物に木っ端みじんにされてしまうのだ。海の向こうに何があるのか――人には必ずある探求心をいつしか人々は忘れ去ってしまう。
しかし、その探求心を忘れない男がパンゲア大陸の漁村に存在した。海を愛し、海の神様にも愛された男。その名もウェンディゴ。
巧みな水魔法を操り、強力な海の魔物たちをも単体、もしくは2匹までならば撃破できる力の持ち主。
太陽の日に焼かれた褐色の肌――細身ながらも無駄のない筋肉で覆われた身体。その右手には、彼が単独で倒した海竜の牙で作られた槍を持っている。
特殊な水魔法で海の上を歩ける事により、強力な海の魔物とも互角以上に戦えるわけであるが、そんな彼でも魔物の大群に襲われればひとたまりもない。
パンゲア大陸から、沖に百キロ進んだところに彼は居たのだが、この日の彼は運が悪かった…約千年に一度、二つの月が満月となるこの日――つまり、この世界で魔物が最も狂暴になってしまう時に、海に出てしまったのだ。
いつもならば不利になれば逃げていく魔物達も、この日ばかりは極度の興奮状態になっている為、彼に次々と襲い掛かってくる。流石に自他共に認める、歴代最強の海の戦士でもある彼でも、数の暴力には勝てない。
次第に彼の褐色の身体は血で染まっていき、もはや倒されるのも時間の問題であった。
「くっ…ここまでなのか?俺は海の果てに、何があるかを確かめる前に死んでしまうのか?」
もはや、立っているのがやっとの状況。意識が朦朧としている中、巨大な口を開けて彼に襲い掛かってくる魔物の姿が見えた。
避けようにも身体が動かない――もはやこれまで…意識が途切れる瞬間、黒い稲妻が魔物達に襲いかかるのを最後に、彼の意識は途絶えた。
◇
「んっ――ここは…」
目を覚ましたウェンディゴは、自分が今どのような状況にいるか理解出来ていなかった。確か自分は海の魔物に襲われていたはず…そこで、おかしなことに気付く。
自身の身体に傷一つない事に。まさかあれは悪い夢だったのか?しかし、彼が居るこの部屋には見覚えが全くない。そんな事を考えていると、
トン、トン、トン、トン、トン――
何やら家の中から規則的なリズムで音が聞こえてくる。その音の方に近づいて行くと、一人の男が調理をしているようだった。
「ん?もう起きて大丈夫なのか?傷は治したとはいえ、安静にしてた方がいいぞ」
「え…いや、身体はなんともない。あなたが俺を助けてくれたのか?」
店主の言葉からして、やはりあれは夢ではなかったという事に彼は気付く。
「傷を治したのは俺だけど、助けたのは俺の友さ」
その言葉に驚くウェンディゴ。
というのも、自身の傷は決して浅い傷ではなかった。それを傷一つ残らずに綺麗に治したという事は、かなりの腕前の回復術師であるという事だからだ。
感謝の念を伝え、お互いに自己紹介をした後、彼の窮地を救ってくれた人にも感謝を伝えたいという事で、外に行く二人。
そこでウェンディゴが見た光景は、自身が今まで見てきた海とはなんら変わりのない景色。だが、ウェンディゴは感動していた。
何故、ウェンディゴは別の大陸に自身が居る事に気付いたのだろうか。
答えは海の匂いだ。
彼が住むパンゲア大陸には川が多くある為、磯の香りが強いのだ。しかし、この無人島には川がない為、磯の香りは全くしないのである。
「俺は海を越えて別の大陸に辿り着いたのか」
涙を流しながらウェンディゴはその光景を目に焼き付けていた。
「お、おう?」
何故、ウェンディゴが泣いているのか分からず、困惑するシン。
「すまん。小さい頃からの夢が叶ったんだ。それで、ここはなんていう大陸なのだ?」
「正確には違うんだろうけど、一応ゴンドワナ大陸って事になるのかな?」
「そうか…やはり我々の住む大地以外にも、大陸は存在したのだな。ところで、俺を助けてくれた方は一体何処に居るんだ?」
辺りを見回すも、それらしい人影は見つからない。
「多分、漁に出かけてるんじゃないか?…言った傍から戻って来たみたいだな」
シンの視線の先を見てみると、海平線の向こうから何かがこちらに向かってくるのが見える。
「シンの友も、海渡りの魔法を使えるのだな…俺の事を助けてくれたのだから、使えるのは当たり前か」
ウェンディゴは、やはり世界は広いと感じていた。海の上で大変な目に遭いはしたが、こうして別の大陸に来れた事を海の神様に感謝していた。
「あらら。今日はエリオと一緒に漁に行ったのかよ…こりゃ捌くのも大変だな」
シンの視線は、はるか上空に向けられている。そこには巨大な黒い影――
「ド、ドラゴンだと!?シン!逃げるぞ!!」
ウェンディゴが焦るのも無理はない。
ドラゴン――それは、食物連鎖の頂点に君臨する魔物。人が勝てるような相手ではないのだ。
誇り高き海の戦士であるウェンディゴも、流石にドラゴンに勝てるビジョンが浮かんではこない。しかも、ただのドラゴンではない――黒の冠持ちのドラゴンだ。シンの腕を掴み、逃げようとするが、
「いや、エリオはなんというか、俺の息子だから大丈夫だ」
「息子っ!?」
驚愕の事実がシンの口から告げられる。そこで、古来から伝わる伝承をウェンディゴは思い出す。
『長い時を経たドラゴンは、時に人に変化する摩訶不思議な術を使う』
ぎぎぎっ――と音が聞こえてくるような動きで、頭をシンの方に向ける。
『まさか、シンはドラゴンが人に変化した姿なのではないか』
全くもってそんな事はないのだが、ドラゴンの事を『息子』と言われたら、そう勘違いするのも無理はないのかもしれない。
急に挙動不審になったウェンディゴを疑問に思うシンであったが、「確かにドラゴンを見たら驚くよな」と、シンも勘違いをするのであった。
数分もしないうちにエリオは、巨大な魔物を前足で持ちながら無人島にやってくる。小さかったエリオも今では立派な成龍に育っていた。
『グリュュュ!!!』
砂浜に魔物を置いて、シンに突進するエリオ。
身体は大きくなったが相変わらず甘えん坊のようだ。そんなエリオを正面から受け止めるシンを見て、ウェンディゴは顎が外れたんじゃないかと思うくらい、驚愕の表情を浮かべたのであった。
少し遅れてノワルも島に到着したのだが、エリオとじゃれついているシンに気をとられて全く気付かないウェンディゴ。
「こいつが俺の友のノワルだ」
その言葉に我に返ったウェンディゴは、後ろを振り返る――
潮風に揺られる綺麗な黒髪に、目も魂も吸われるほど美しい顔つきだが、その女性は停止した機械のように無表情のまま、砂浜を歩いて向かってくる。
「誰がシンの友だって?寝言は寝てから言え」
艶気を含んだ低い声がウェンディゴに届く。
「はいはい。どうせ俺はノワルの料理番ですよ」
「分かってるなら最初からそう言えば良いだろうが」
二人が会話をしている中、ウェンディゴは自分を助けてくれた事に対する、感謝を伝える事も忘れ、ただただノワルをぼーっとした表情で見ていた。
『なんという美しい女性だ――』
それがノワルの事を一目見て思った感想である。この日、ウェンディゴはノワルに恋をした――ノワルが魔物だという事も知らずに…。
◇
我に返ったウェンディゴは、顔を赤らめながらもノワルに感謝を伝えるが、「弱き者が海になど出るな」と、馬鹿にした口調で言われてしまうが、何故かウェンディゴは嬉しそうな表情をしていた。
そんなウェンディゴを見て、鈍感で知られるシンでさえおかしな雰囲気になった事に気付いて話題を変える。
「…とりあえず魔物の解体でもするか」
「そ、そうだな。解体なら任せておけ!」
少しでもノワルに良い所を見せようとしたのだろう。自分から進んで解体を志願したが、ドラゴンに気を取られていたウェンディゴは、砂浜に置いてある魔物を見て絶句する。
「レイン・クロインだと…?」
レイン・クロイン――パンゲア大陸周辺の沖を縄張りとしている海龍。気性は非常に獰猛であり、動いている者ならば鯨を丸飲み出来る程の、大きな口で食べ尽くしてしまう海の悪魔として恐れられている魔物である。
そんな怪物など解体した事のないウェンディゴだったが、自分から解体を志願したのだ。もはや、「解体など出来ない」と、好きな女性の前でカッコ悪い事を言える様な状況では無い為、必死に魔物の解体をするのであった――。
「そういえば、他の皆は一緒じゃなかったのか?」
「行きは一緒だったがな。帰りにこの場所の様な島を見つけて遊びに行きおったわ」
好奇心旺盛なゴマに付き合わされたのだろうな、とシンは予想した。
「なら暫くは戻ってこなさそうだな。ウェンディゴに解体を任せてたら、明日になっちまいそうだから手伝ってくる」
「我の今日の気分はユッケ丼だ。早く解体を終わらせてこい」
相変わらずの上から目線だが、いつもの事なので気にもせずに解体を手伝いに行くシン。
二人がかりで魔物の解体を終わらせた頃には、もう既に日が暮れていた。
「いいのか?俺も食事をご馳走してもらっても」
「むしろ食べて行ってくれ。流石にあの量だ…暫くは魚尽くしになっちまうから、食べてくれた方が、こっちも助かるんだよ」
シンもノワルたちが魔物を狩ってくることに文句はない。むしろ、美味い食材を調達してくれる事に感謝をしてるくらいだ。
【強さ=大きい】
必ずしもそうとは限らないが、基本的には大きい魔物ほど強力である。
強力な魔物は美味い――
それはこの世界の一般常識。それが何故かは未だ分かっていない。だが、一説では高純度の魔力によるものではないか、という説が有力だ。
つまり、ノワルたちが狩ってくる魔物は基本的に巨大な魔物になる。いくら、ノワルたちが大食いと言っても、一日で食べれる量ではないのだ。
流石にレシピを変えたりして飽きない様に工夫はしているが、それでも毎日の様に同じ食材を食べるのは飽きる。
「じゃあ、ノワルの注文通りに『ピリ辛海龍ユッケ丼』でも作るか」
先程の解体で大まかにではあるが部位ごとに分けていた。マグロで言えば、大トロ・中とろ・赤身の部位を使いユッケ丼を作っていく。
各部位をぶつ切りにし、醤油・砂糖・コチュジャン・にんにくのすりおろしを混ぜたタレに10分程度漬けておく。
「後は酢飯を用意しておいて、漬けておいた魚を上に乗せて万能ねぎ、炒り胡麻をかけて、中央に卵黄をトッピングすれば『ピリ辛海龍ユッケ丼』の完成!」
「す、すまんがちょっと良いか?魚を生で食べて大丈夫なのか…?」
ウェンディゴがそう思うのも無理はない。長年、海の魔物を食べてはきたが、生で食べた事は一度もなかったからだ。というよりも、そもそも生で食べようとは思わなかったというのもある。
「隣を見てみろよ」
シンの言葉に隣に座ってるノワルを見てみると、物凄い勢いで食べている。先程まで全く表情の変化がなかったというのに、食べている時は幸せそうな表情をしている。
ここで食べなければ男ではない…意を決して一口――
「美味い…?美味いぞっ!!このタレも美味いが、海龍の身の旨みが丁度良くタレと調和をしている。それに、この酢飯だったか?初めて食べたが不思議と次々に食べたくなる味だ…なぜ俺は今まで海の魔物を焼いて食っていたんだ…」
「だろ?じゃんじゃん食べてくれ」
その後、ウェンディゴは謎のプライドを発揮し、ノワルに負けじとユッケ丼をおかわりし続けたが、魔物であるノワルに勝てるはずもなく撃沈していた。
◇
「何から何まで世話になった。次は必ず自分の実力だけでここに来てみせる。ノワルさん。次に会うときはあなたに相応しい男になってからですね」
「言ってろ。鼻たれ小僧が」
「はーっははは!これは手厳しい言葉だ」
こうして、ウェンディゴはエリオの前足に掴まれながらパンゲア大陸に帰って行った。
「ノワルにあんなに罵倒をされて喜んでるなんて、ウェンディゴの精神力は凄いな」
「ただのドMだろう」
無表情で素気ない態度をとっているノワルではあるが、長年の付き合いからノワルはウェンディゴを可愛がっていた事は気付いていた。
あの日から数日程、この島に滞在をしたウェンディゴであったが、毎日の様にノワルに手合わせを申し込んではズタボロにされていた。実力差が分からないわけではないだろうが、格上の相手に挑む姿勢は男のシンから見ても気持ちのいいものであった。
最初は相手にするのも面倒だと表情に出ていたノワルも、きっとシンと同じことを思っていたのだろう。ウェンディゴが見えなくなるまで、ノワルは砂浜で見送り続けていた――
パンゲア大陸の漁村では大騒ぎになっていた。それは、ウェンディゴが数日も海から戻らなかったから――ではなく、巨大なドラゴンが海の向こうから飛来するのが見えたからだ。
距離からしてもはや、逃げる事は出来ない――海の戦士が集まる漁村では、ドラゴンを迎え撃つ準備をしていた。
だが、ドラゴンは漁村まで来ることはなく、何かを海に放り投げたではないか。ざわめきが漁村を包む中、誰かが声を上げた。
「ウェンディゴだ!!」
死んだと思われていたウェンディゴが帰って来た事で、その日はお祭り騒ぎであった。村人たちはウェンディゴが体験した話を肴に明け方まで酒を飲み明かした――
その後、必ず自身の腕のみで海を渡ると宣言していたウェンディゴは、日々の鍛錬を怠らなかった。
元々、海の神に愛された男と言われるくらい、戦闘の才能はあったのだ。いつしかパンゲア大陸では、名を知らぬ者はいないと言われるくらいになったウェンディゴ。人々はウェンディゴの事を『海王ウェンディゴ』と呼ぶようになった。
そんなウェンディゴは40歳を迎えた年に、別の大陸を探しに行くと言い残したきり、再び戻ってくることはなかった――。
ウェンディゴは無事、愛しいノワルに逢えたのだろうか――そして、自分の成長した姿を見せる事が出来ただろうか――それを知る者はシン達だけであろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
どうも。ゆりぞうです。
えー…ノワルさん人化しちゃいましたw
今作では前作で登場したキャラも出したかったのですよ。
そんでもって今回は海鮮丼。
私は海鮮丼が大好きでして、一度だけ北海道に行った時に本場の海鮮丼を食べたわけなんですが、申し訳ないんですが普通でしたw
値段はくっそ高かったんですけどね…その分期待してしまったというのがあるのかもしれないんですけど。
いや、それよりも私が味音痴なだけなのか…?
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