二品目 マルゲリータ
町の中をなにやら考え事をしながら歩いている青年がいた。多くの人々が行きかう道だというのに、彼が歩いていると自然と人が避けていくのだ。
それも当然だろう。人よりも頭二つ分大きい身体――はち切れんばかりの分厚い胸板に、オークすら殴り殺してしまいそうな太い腕。
その体格から想像するに、誰もが凄腕の冒険者であると感じるであろうが、その青年の身なりがそれを否定していた。
青年の身体のサイズに全く合っていない、小さな白いエプロンを身に付けていることから彼が冒険者ではなく、料理人だという事を物語っていた。
「おいてめぇ!なに偉そうに道の真ん中を歩いてんだ!」
典型的な街のチンピラに青年は絡まれるも、無視をしているのか、はたまた聞こえていないのか――その問いに答える事なく道を進んで行く。
「こんの野郎ッ!!」
チンピラは青年に無視をされたと思ったのか、腰に下げていた大振りのナイフを手に取り、青年に襲い掛かかる。
「「きゃああああっっ!!!」」
誰もが青年にナイフが突き刺さる光景を予想していただろう――しかし、そうはならなかった。
チンピラのナイフは青年の分厚い胸板に阻まれ、身体にナイフが突き刺さるどころか、血の一滴も――いや、皮一枚切れていない。
「な、なんなんだよお前っ!!!」
チンピラの言葉が聞こえていないのか、青年は未だ考え事をしながらその場を去って行く。残されたのは、顔を青ざめさせたチンピラと先端が潰れたナイフだけであった――。
くんくん――
どれほど歩いただろうか。青年は嗅いだ事のない匂いによって、現実に引き戻される。
「こ、この匂いは一体何処から…?」
青年が人生で一度も嗅いだことのない香り――何処か食欲を刺激されるような暴力的な料理の匂い。
その匂いの元を辿っていくと、薄暗い路地に青年は行き着いた。しかし、この先には何もないはず――そんな事を思うが、明らかにこの先から匂いがする。
「扉…?」
青年の目の前には見覚えのない扉。以前に考え事をしながら来たから青年は覚えていた。ここは行き止まりだったはず。
自分の思い違いか?しかし、あの扉の向こうから確実に匂いが漂ってくる。意を決して扉をゆっくり開けると、そこは――食堂であった。
「いらっしゃいませ」
その声の主は厨房で仕込みをしている店主からであった。
「ここは…食堂なのか?」
「みりゃ分かんだろ?って、同業者か。なんか食べてくかい?とは言っても、今日出せるメニューは一つだけなんだけどな」
話ながら何か作業をしている店主が気になった青年は、近くに行ってみると何か白い物体をこねくり回しているではないか。
「小麦――いや、パンでも作っているのか?」
「いや、確かにパン生地を作ってる風には見えるけど、これはピザ生地を作ってるんだ」
ピザ生地――大陸各地の町に行っては、その場所でしか食べられない料理を食べ尽くしてきた青年でも聞いた事のない料理名。
まだ自分が食べた事のない料理があった事に、嬉しさを覚えた青年は店主に断りを入れてから調理を見せてもらう事にした。
「おっと、すまない。私はオーギュストという」
「ん?ああ。俺はシンだ。それにしても、良い体格してるな。冒険者でもやってたのか?」
「いや、私は生粋の料理人だ。自分で食材を獲りに行くこともあるがな。それにしても、そのピザ生地とパン生地は何が違うのだ?私には同じように見えるのだが…」
「『ピザ生地』の場合は、発酵させても一回までなんだが、『パン生地』は二回発酵させるだろ?」
「なるほど…ピザ生地は発酵が一回なのだな。何故、パンのように発酵を二回にしないのだ?」
「二回も発酵させてしまうと、ふっくらしすぎるだろ?ピザはパンとは違うからな。まあ、見た方が分かりやすいか。ピザ生地を発酵させてる間に、外に見に行くか」
そう言って、シンはオーギュストが入って来た方とは別の玄関の扉を開いた。そこには、綺麗な海と純白の砂浜が広がっていた。
「なん…だと?ここはパンゲア大陸の首都ではないのか…?」
「あー…まあ、なんというかだな。説明するのががややこしいんだよな。あんまり気にしないでくれ。ちゃんと元の場所には帰れるからさ」
苦笑いしながらシンは言う。
実の所、シンも古民家と別の大陸をどうやって繋いでいるのかいまいち理解出来ていなかった。一度ララノアに聞いた事があるのだが、何を言っているのか理解出来なかった為、そういうものだと理解する事を諦めたのだ。
「なら良いのか…?それで、ピザとやらは何処にあるのだ?」
自分が居る場所より、聞いたことのない料理の方に興味が移った事に、安堵のため息を吐くシン。ピザ窯は古民家の裏手にあるので、オーギュストをそちらに連れて行く。
「ほう…これはなんと香ばしい匂い。まさに、街中で嗅いだ匂いはこれだ」
どんな嗅覚をしてるんだよと、驚くシンを他所にオーギュストはピザ窯に興味深々のようだ。
「多分焼きあがったと思うから、味見でもしてみるか?丁度、うちの食いしん坊はどっかに行ってるみたいだし」
そう言いながら、ピザ窯からピザを取り出すシン。
ふっくらとした生地に、上に乗っているチーズがとろーり溶けている。見た事のない料理。そして美味しそうな匂いが潮風に乗ってオーギュストの鼻に届く。
早く食べてみたい――言葉には出さずともオーギュストの表情がそう物語っていた。
ピザを切り分ける為に古民家に再び戻って来た二人。
「これは『マルゲリータ』っていうピザだ。熱いから気を付けて食べろよ」
「なんという食欲をそそる香り――では、頂こう。――ッッ!!これは…美味い。最初は薄い生地の上のジューシーなウムドレビソースやチーズが口いっぱいに広がってくる。その後、香ばしくてパリッとした端っこの生地がなんとも小気味良い食感。この美味しさが余韻として残り、手が止まらん――」
みるみるうちに無くなっていくマルゲリータ。美味しそうに食べるオーギュストを見て、嬉しそうにするシンであった――。
◇
「実を言うとだな、私はとある貴族の家の料理長なのだ。最初は料理の腕前を認められたようで嬉しかった。だが、貴族というのは外見だけではなく、料理にまで見栄を張りたがる。過剰なまでの料理への装飾…本当に自分が作りたい料理はこれなのかと自問自答していた時にここに辿り着いた。シン――いや、師匠!私にこのピザという料理を教えてはくれないか!?」
熱く語り始めたオーギュストに若干引いてしまうシン。
「いや、師匠って…まあ、別に良いけどさ。生地の作り方はさっき見せたからもう良いよな?後は、上に乗っける具材なんだけど、ぶっちゃけ何を乗っけても基本的には美味しいんだけど、そこはオーギュストも料理人なんだし、自分で改良してみてくれ。とりあえず、マルゲリータから作っていくか」
ここで、シンは思い出す。トマト――この世界ではウムドレビというらしいのだが、高級食材という事に。
オーギュストに聞いてみると、確かに高級食材ではあるがオーギュストが森に行って採ってくる事が出来るので、そこまで問題ではないらしい。
流石、オーギュストは料理人を名乗るだけあって覚えが早い。とんとん拍子でピザの作り方をマスターしてしまう。
「うん。美味い!これならもうピザをマスターしたと言っても過言ではないな」
「そうですか。まだまだ、師匠の作ったピザには及ばない様な気もするのですが…いずれ師匠をも超えるピザ職人になってみせます!!」
暑苦しい決意をしたオーギュストに申し訳ないが、シンは決してピザ職人ではないのだ。その事を言わなかったのはシンなりの優しさ――ではなく、ただ単に説明するのが面倒だっただけである。
こうして、シンの元でピザの修行を終えたオーギュストは、パンゲア大陸に戻っていく。
『師匠を越えるピザを完成させたら、必ずまたここに来ます』と言って――。
◇
オーギュストは早速、自分の主に料理についての直談判をしに行く。
『料理に過剰な装飾などは要らぬ』
しかし、パンゲア大陸の貴族の間では『見栄』というのは、かなり重要な事である。いくらオーギュストの事を優れた料理人としてだけでなく、一人の
そこで、主はオーギュストに提案をする。
『私の舌を唸らせる料理を作ってみよ。そうすれば今後の料理は来客が来た時でもお前の好きにして良い』
主はどんなに美味しい料理をオーギュストが作ったとしても、認めるつもりはなかった。しかし、オーギュストが作ったピザを一口食べた際に自然と『美味い』と、口から言葉が零れてしまう。
その後、馬鹿にしてくる貴族たちは居たものの、王族の一人がピザを絶賛した事から、貴族や平民問わず、パンゲア大陸に住む全ての人々にピザは浸透していったのであった。
オーギュストは過剰な装飾を削ぎ落とし、料理を『誰でも簡単に作れる』ものに体系化した功績から、王宮専属料理長に大抜擢されることになる。ただの平民が王宮専属料理長に抜擢されるなど、長い歴史の中でオーギュスト只一人だったという――。
パンゲア大陸で最高の料理人であるオーギュストであるが、そんな彼が口癖の様に言っていた事があるという。
『私は確かに最高の料理人ではあるが、師匠であるシンは至高の料理人である』
シンが知らない間にパンゲア大陸では、『至高の料理人シン』として有名になってしまったのであった。
長らく、王宮専属料理長として勤めていたオーギュストであったが、引退した後に彼の所在を知る者は居ない。噂では未知なる料理を探しに旅に出たという説が有力だが、実際はシンの事を探しに旅に出たのだ。
師匠であるシンに、自分の作った『最高のピザ』を食べてもらう為に――。
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