第10話 素顔の二人で

 呵呵大笑。そんな風にして笑う国王を見た者が、果たして今までに居たであろうか。

 少なくとも謁見の間に居合わせた者たちにとって、それは初めて見る光景であった。


「サブリナよ、余にアドニスの頭脳を買えと申すか。ふふ、なかなか愉快な取引じゃ」


「はい。王国にとって掛替えのない利益をもたらす頭脳であると確信しておりますゆえ、僭越ながら国王陛下に於かれましては又とない取引かと」


「ほほ、ふてぶてしいのお」


 国王は側にいた侍従を呼ぶと、アドニスによって書かれた論文の書物を手渡して言う。


「この書物を宰相に渡してまいれ。直ぐさま精査する様にと申しつけてな」


 自分の研究した論文を持った侍従が謁見の間を出て行くのを、アドニスは口を半開きにして不思議そうに横目で見た。

 なぜあれが宰相の元へと向かっているのかと、彼だけがまだその理解に追いつけないでいたのだ。


(取引は一体どうなってるんだ?……)


 そんな頭がまっ白になっているアドニスに、国王の言葉が不意に届く。


「アドニスよ、お前はもう今後バラン公爵の役には立てまい。とは言え公然と裏切り、余の味方につく事も出来まいて。違うか?」


「は、はい! お、仰せの通りにござ、御座いますっ。ど、どうかお許しを!」


 無様にどもってしまった事でアドニスの頭はさらに混乱しそうになったが、そのあとの国王の言葉はアドニスを我にと返すのに十分な効果を発揮させた。


「うむ。だがそれでよい。お前は余の為に尽くす必要はないと知れ。その代わり、お前の頭脳を王国の為に役立てよ。国民への献身を誓うのだ。よいな?」


「は、はいっ。身命を賭して王国と国民の為に働く事をお約束致しますッ!」


 この期に及びアドニスにも取引が成功した事が分かった。

 国王はありのままの本当のアドニスが持っていた才能の価値を高く評価し、王国の為に役立てろと言ってくれたのだ。


 アドニスは嬉しかった。生まれて初めて自分が自分である様な気がした。ならばもう無様にオロオロしている場合ではないと、おのが背筋を伸ばして断言する。


「必ずややり遂げ、陛下への恩義に報いとう存じます!」


 急に鼻息の荒くなったアドニスに手を払っただけで応えた国王は、再び気怠そうにしてサブリナに問い掛けた。


「それにしてもサブリナ。お前のような興味深い令嬢が何ゆえ社交界で目立っておらぬのか? まこと不可解じゃのう」


 それに対して何を今さらというのがサブリナの気持ちだ。少し呆気にとられた顔をしながらも、僅かに口許を緩めた彼女はこう答えたのである。


「畏れながら陛下。それは私が地味令嬢あるからで御座いますわ」



 ◇*◇*◇*◇*◇




 そこは小さな村を二つ持つだけの辺境にある領地だった。かつてはネスラン侯爵が持つ飛び地領であったが、今は割譲され男爵領となっている。

 小さいながらも急速に発展しているその領地は、新しい農業に挑戦したいと願う多くの農民たちが入植する活気に満ちた土地でもあった。


 精力的に開墾が進められていった結果、農民以外の人口も急増していく。そんな人々が新しい町を求めたのは当然の事であったろう。

 求められた新しい町は領主である男爵自らが設計し、農業に最適化された社会基盤のもとに建設されていったという。


 謂わばその男爵領は、新時代の農村の為の実験場ともいえる場所であった────



 サブリナは開墾されたばかりの畦道を歩きながら、春の陽光に照らされる美しい自然に心を踊らせている。


(なんて綺麗なんでしょう。まるで神々に祝福されているみたい)


 春を告げるクロウタドリが可愛らしい声で、ピチュピチュピーと鳴いていた。


「奥様、そんなに急いで歩いてはお召し物が汚れます」


 息をきらせて後を追う侍女は、サブリナの父親が嫁いでいった娘に付けたレイモンド伯爵家の元使用人である。

 しかしサブリナは侍女の小言なんかどこ吹く風で、大きく背伸びをするとその先の道を見渡した。


 額に手をかざして眺めてみれば、新しい灌漑用の水路を大勢の人たちが作っているのが見える。

 サブリナは弾むような足取りで、その場所へと向かい歩きだす。


「アドニス様ーっ」


 灌漑作業をしていた者たちの間を抜けるようにしてサブリナの声が届くと、数人の者たちがその声のする方へと振り向いた。

 その中に一人だけ走り出した者がいる。もちろんその者は呼び掛けられたアドニス本人であり、いまや男爵と呼ばれて親しまれているこの土地の領主であった。


「サブリナ! 気をつけて、まだその辺は整地されていないから道が悪いよ!」


 アドニスの剥き出しとなった禿げ頭に、流れる汗がキラリと光った。

 今やアドニスの頭で光るのはあの金髪のカツラではい。隠すことなく堂々として見せている彼の禿げ頭なのだ。


「大丈夫です、これくらいへっちゃらですわ。それよりアドニス様に王宮からのご使者様が参ってますの」


「そっか、ありがとう。多分その使者殿の要件は、都市整備計画会議への参加の要請だろうね。宰相閣下も人使いが荒いなあ」


「また王都へご出張ですの? じゃあ私は一人でお留守番ですのね」


 そう言って口を尖らせたサブリナは、アドニスにわざと拗ねてみせる。

 だがアドニスは本気で慌てて謝罪しているのだから、惚れた弱味とは恐ろしい。


「ご、ごめんよサブリナ。君を王都へ連れて行きたいのは山々なんだが、いま父上がアレだろ? 変な八つ当たりがないとも限らないからさ……」


 アドニスがアレと言ったのは、ネスラン侯爵の不遇の事である。


 国王からの命によりアドニスを廃嫡させ、男爵位を新たに与えて独立させたまでは別によかった。

 ネスラン侯爵としても今後使いみちのない息子と、使い途のない辺境の土地を片付けられてむしろ喜んでいたくらいだ。


 ただ嫡子としてスパイを継がせた次男はまだ成人前であり、社交界デビューを果たしていない。

 ゆえにネスラン侯爵はやむ無く自分が社交界へと復帰した。かつて社交界の花形として遊び人を演じながらスパイをしてきた彼は、バラン公爵の期待に応えられる自信もあった。


 しかしその結果は無残なもので、遊び人として振る舞うネスラン侯爵は社交界の人々から『年寄りの冷や水』『老いた道化』などと嘲笑されまくったのである。

 国王派閥の者たちもネスラン侯爵家のスパイ活動を警戒したそうだが、その必要もないほど惨憺たる結果だったらしい。


「侯爵閣下はやはりご失脚という事に?」


「ああ、バラン公爵閣下にも見限られたからね、もう二度と権勢は望めないだろうな。父上もそれが分かっているから、酷い荒れようなんだよ……」


 サブリナは気の毒そうに溜め息をいたが、内心ではアドニスを散々苦しめてきた父親への同情は微塵もない。むしろいい気味だと思っている。


 アドニスはその父親と訣別し、ありのままの自分を取り戻した。そして彼はいま素顔のままで生きている。

 それはサブリナとアドニスが自らの手で掴みとった希望の結実なのだ。


「それにね、どうも僕はあまり君を陛下に合わせたくはないと言うか……。いや陛下が君をお気に入りなのは素晴らしい事だよ? でもなんだか危険な感じがするんだ。君は美しいからさ……」


 途端、サブリナは吹き出してしまう。


「またそれですか? 何度も言いますけどあり得ませんからね?」


「あり得ないとはとんでもない! 君は自分の美しさに自覚がなさすぎるよっ」


「まあ!」


 サブリナが何よりも恐れる事。それはこの世から美しきものが失くなる事である。

 だからサブリナはどうしても守りたかったのだろう。


(初めて会ったあの日。素顔の貴方が私に見せてくれたその笑顔が、本当に美しかったから──)


 二人はどちらからともなく手を繋ぐと、春の風にそよぐ野の草花が続く道を肩を並べて歩き出したのであった。


 〈了〉

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あなたの素顔は私だけが知っている~遊び人の元婚約者と地味令嬢が幸せになるまで~ 灰色テッポ @kasajiro

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