12話ー② 聖女と聖騎士



「おい。なんだあれは」

「と、仰いますと」

「全部だ」


 顎の先で大公爵が示す先に、大して辺境伯は視線を向けもしなかった。代わりに目の前の若い彼の顔を、不貞腐れたような顔を、薄ら笑いで楽しそうに見つめている。


「報告書を読むだけでも化け物じみた男だと思ったが、間近で見ればいよいよ訳が分からん。なんだあれは。どこで拾ってきた」

「いえいえ。思いのほか剣も魔法も使えるようになったものですから。私も近くで見て、改めて驚いているところです」


 は、と大公爵は開けて辺境伯を見た。まじまじとその胡散臭い顔を見つめて、


「なんだそれは。まだ隠し刀があるんじゃないだろうな、あの男」

「先ほどからご覧の通りですよ」


 あれです、と。

 辺境伯はここに来ていよいよ、大公爵が先ほどから注意を向けている方に目を遣った。大公爵は眉根を寄せて、


「強烈な信頼……いや、カリスマか? 確かに人を感化する力はあるようだが」

「いいえ」

「まだあるのか」


 問いかけに、昔々、とでも言いたげな口調で辺境伯は語り出す。


「風邪で寝込んでしまったことがありましてね。そのとき彼は、何も申し付けていないのに私の部屋に来て、枕元の水を取り替えてくれたんです」

「それで?」

「思いやりがあるでしょう?」


 二秒かけて、大公爵はその言葉の意味を理解した。

 ガシガシと、貴族らしくもない――あるいは大貴族らしい無骨な手つきで髪をかいて、


「貴様らの話を真に受けていると、頭がおかしくなりそうだ。大体、あの聖騎士もどうかしている。聖女が命を賭したおかげで、もう一手で世界に安寧が訪れるというのに」

「しかし、大公爵の瞳と剣はそう言ってはおられない」


 チッ、と舌打ちをする大公爵を意にも介さず、さらに辺境伯は傍立つ人々にぐるりと視線を巡らせて、


「おや。大公爵が率いる部隊の皆様も、どうやらそうは言っておられない」

「……知らんぞ、貴様ら」


 狼が唸るように、大公爵が吐き捨てる。閣下、と気遣わしげに声をかけるひとりの兵をぎろりと彼は睨んで、


「――俺の英雄願望に、火を点けたな」


 閣下、ともう一度兵は言った。けれど今度は、まるで温度が違う。その温度が伝播したのか、あるいは伝播させたのは彼だったのか。今度は吠えるように、


「行くぞ貴様ら! 〈光継式〉が終われば、我らが王家の治めるこの大陸に争いなど二度と起こらん! 歴史書に最後の剣功を残したくば、この俺についてこい!」


 おお、と熱を灯して、一団は夜を行く。

 その背をやはり、薄く微笑んで辺境伯は見送っていた。すると「若、」と別の方から声がして、見れば護衛の男が苦笑いで立っている。


 同じく辺境伯は、彼に苦笑して返した。


「随分懐かしい呼び名だな」

「失礼。最近ふとした拍子に昔と今の区別がよく……」

「怖いことを言うな。それでは私もそろそろということになってしまう」


 そろそろですよ、と軽口を叩くのに、辺境伯は肩を竦める。肩を下ろす。


「――しかし」

 風に髪を撫でられて、清々しい顔で。


「長生きはするものだな。思いもしないものが、いくらでも見られる」

「俺は最初からこうなるとわかっていましたよ」

「おや、そうなのか」


 ええ、と護衛は頷いた。


「ただでさえこんな場所まで遥々来た人たちばかりですからね。『より良い結果を求める』という選択は、すでに誰もが済ませてきているんですよ」


 それに、と彼は。

 遠い昔の――自分自身の思い出を懐かしむように、微笑んで。



「世界を救うより楽しいことなんて、この世にありますか?」



 確かに、と感心したように辺境伯が笑う。

 空を見上げれば、少しずつ、星が流れ始めていた。






「チャンスは一度です」

 そうメィリスは言ったが、もちろん二度も三度もやれるようなことではないことくらい、シグリオにもわかっていた。むしろ一度もやらない方がいいと評される類の行為だろう。


 もしもこれが今回の〈光継式〉でなかったら、とても許されなかったはずだ。

 塔の中に、〈影獣〉を誘い込むだなんて。


「若! どんどん集まってきてますよ! まだ要りますか!」

「多すぎるくらいでいい! 『足りなかったからもう一度』はこの作戦にない!」

「みんな、聞いての――」

「了解!」「これが最後だ、気合入れてけ!」

「貴様らも聞いたな! フランタールに後れを取るな! 王の剣が何たるかを見せてやれ!」


 狩りのように、兵たちは〈影獣〉を追い立てていく。この場に待機してくれていた勇気ある聖職者たちも手伝って、じりじりと塔の方へと寄せる包囲網を形成しつつある。


「あくまで理論上は、の話です」

 念を押すように、隣でメィリスは言った。


「実際にあなたがこれを達成できるかどうかは、また別の話です」

「止めますか」

「いえ。いざというときに想定と違う事態に遭遇すると動揺してパフォーマンスが低下するでしょうから、事前の忠告です。塔の中に入ってからは私も手助けはできませんので、そのこともご期待されませんように」


 彼女の言葉に、一切の裏はない。

 そういうことがもうはっきりとわかってきていたから、シグリオはそれに、素直に頷いた。


「ご忠告、痛み入ります」

「いえ、仕事ですから。……どうやら、そろそろ集まりそうですね。初動は私が取りますか」

「いえ、私が。そちらの方が突入のタイミングが合わせやすいですし、」


 それに、と。


「水の魔法は、得意中の得意です。雨の日でなくたってね」

 彼は袖をまくって、自信ありげに口にした。


「聖騎士! これだけあれば十分だろう!」

「助かります、大公爵! 合図を――」

「構わん、貴様の好きな時にやれ! この俺が合わせてやる!」


 最後の最後に随分頼もしい味方が来てくれたものだ、と思いながら。

 その言葉に甘えて、いつものようにシグリオは数えることにした。


「三!」

 手の中に、水の魔力が迸る。


「二!」

 機会を察した大公爵の叫びに、一斉に兵が引く。包囲網が崩れる。


「一!」

 自然、〈影獣〉たちは雪崩れ込む。この場で最も魔力を発している存在。水の魔力を蓄えたシグリオ。〈パラ・センス〉を発動させているメィリス。


「――ご武運を」

 と、と彼女がシグリオの肩を跳んで、宙に浮けば。


 後はもう、唱えるだけだった。



「――――〈激流〉」






 聖塔を改造する、とシグリオが言い放ったときの兵たちのあの茫然と言ったら、なかなか見られるものではなかった。

 何度も何度も、儀式が進むたびに塔の補強工事を主導してきた彼だからこそ、思い付いた策だったのだと思う。


 全く光の魔法の素養がない者であっても〈光継式〉が行われる光景を見ていれば、賢者ロディエスによってそこにいくつものルールが敷かれていることに気付くだろう。それはたとえば、『聖女は必ず塔に上る』ことや、『聖女以外は光の魔力に圧されて塔に上れない』こと。これに『塔の周りに〈影獣〉が出現する』『塔の周りで兵たちが問題なく戦える』というさらにふたつの事実を組み合わせれば、次の推測がすぐに立つ。


 聖塔もまた、〈光継式〉における重要な役割を担っている。


〈光玉・エルニマ〉にまつわる光の魔力は、この天へと向かう筒状の建物の内部に満たされ、完結している。


 外壁に光の魔力を逃さないための魔法が施されているのだろう。そうと察したから、補強工事を行う中でもシグリオは塔の大枠に手を入れることはしなかった。階段を坂に変えた方がずっと聖女にとって安全だろうと感じながらも、外からの補強を行うに留めていた。


 けれど、追い詰められたから。

 この大陸を千年支えてきたこの塔に、最後の最後になってシグリオは、疑問を覚えた。



 本当に、これが最も効率的な形なのか?



 塔の高さはきっと、と理解できる。〈光玉・エルニマ〉の設置高度に少しでも聖女の位置を近付けるためだ。しかし、下限は? 聖女の高さは固定されたものとして考えられるが、本当にこの塔の長さは必要な限りの長さなのか? つまり、


 この塔を、光の魔力を扱うための容器として考えたとき。

 本当にその容積は、これだけのものを必要とするのか?


 塔の中は光の魔力で満ちている。自分が塔の中に入った瞬間に重みでほとんど動けなくなったことからもそのことはわかっている。けれど同時にシグリオは知っている。他にも聖女候補がいたこと。たとえばメィリスは、塔のほとんど頂上付近までは上れたこと。


 ならばこの塔に満ちる光の魔力は一定ではなく、濃度がバラついている。

 完全な最適化がされていない。儀式に必要な領域は『頂上だけ』で、その他の領域は単に、この容器の位置を調整するために作られた無駄な空間でしかない。


 そう考えたから、シグリオは訊ねたのだ。


「光を、圧縮することはできますか」


 果たしてその一言だけで全てを察したメィリスは目を見開き、ほんの少しの問答の後に、こう答えてくれた。


 理論上は、確かに可能です。


「光は、粒子でもありますから」


 だから、シグリオは。

〈影獣〉を用いて、塔の容積を圧縮することに決めた。






「――?」

 最初にアルセアに訪れた感覚は、ほんの奇妙なものだった。


 五感を、もうほとんど使っていなかった。目は閉じていた。鼓膜は震えていなかった。口も、鼻も、呼吸を忘れたように止めていた。けれど痛みに鈍くなり始めていた肌だけが、うっすらとそれを捉えた。


 雨の降る、その直前に似ていた。

 肌に湿気が張り付くような、頭が重くなるような奇妙な空気。感じ取った瞬間に、色々なものが蘇ってくる。まずは水の匂い。鼻を通って、喉の湿るような心地。


 凄まじい音。

 目を開く。


 信じられないものを、アルセアは目にした。


『聞こえてる?』

 続いて、もう二度と聞くことがないと思っていた人の声も。


「――ぁ、」

 何かを咄嗟に答えようとしたけれど、同じく声を出すことも二度とないと思っていたから、喉の震わせ方を忘れてしまった。


 けれどその一音だけで、よかった、とその声は返ってくる。


『見えてる?』

 今度は、その声の主の姿が見えているかどうかという意味ではなかったはずだ。声は〈パラ・センス〉の応用によって聞こえてくるものだと、再び走り出した思考が判断していたから。彼女が――メィリスが言っているのは目の前の光景の方だ。


 塔の底に、一面を満杯にする影獣が敷き詰められていて。

 激しい水の音とともに、せり上がってきている。


「姉、なに、」

 かろうじてその言葉だけは口にできたけれど、


『何が起こったかわからないと可哀想だと思って連絡したんだけど――』

 メィリスは、やはりいつもの調子で、


『よく考えたら、先にそういうことをしたのはそっちか』

「ぃ、待――」

『仕方ないんじゃない。自分で選んだ人なんだし』


 それ以上は、何の言葉も返ってこない。


 もう少しだったのに。茫然としてアルセアは、塔の底を見つめる。当然その『もう少し』に手を緩めることはなく、見つめる間にも光の魔力を放出し続けている。


 だから、気付いた。


 辺りに漂う光の魔力が、どんどん濃くなっている。






 鰓呼吸の練習でもしてくればよかったな、と。

 遥かな塔を満たす水の底で、シグリオは思った。


 見上げれば、水面は完全に〈影獣〉で埋め尽くされている。さらに力を込める。己の水の魔力を用いて、〈魔法層〉から大量の水を引き出す。入口は外の人員が固めてくれているから、洩れ出ることはない。どんどん水嵩は増していく。〈パラ・センス〉が塔の内部構造を捉えている。


〈影獣〉が下から蓋をすることで、光の魔力は塔の上部に集中している。せり上がる水位が、さらにそれを圧縮する。塔が最適化されていく。


 理論上可能なことは、こうして現実でもその可能が証明された。

 後は、やり切るだけだ。


「っ、」

 飛び掛かってくる〈影獣〉を泳ぎ躱しながら、さらにシグリオは魔力を込める。


 ただ水を増やせばいいというものでもない。〈光玉・エルニマ〉の力は調律中の今は十全ではない。だから光に当てられた瞬間に〈影獣〉が消えることもなければ、こうして光を閉じ込める蓋にすることもできる。


 裏を返せば、『動きうる』ということで。

 だからシグリオは、下から突き上げる水の流れの激しさで、それらの行動を制限しなければならない。


 息が続くかどうかは気にしなかった。水などいくらでも飲めばいい。多すぎるほどに連れてきて正解だった。小型は上部に近付くにつれて光に溶けつつある。消費する魔力があまりにも膨大だった。それが彼女の負担を和らげていると信じた。


〈パラ・センス〉越しに。

 見つけたい人の姿を、見つけた。


「――――!」

 己自身に向けて、シグリオは一際強く水の流れを押し当てた。


 置き去りにしていく。本来は踏み入れることのできないはずの塔のずっと上部。通路。回廊。螺旋階段。襲い来る数多の〈影獣〉を斬り分けて、彼は行く。


 この作戦の、最後の要。

 儀式の終わりまで、この塔の蓋――〈影獣〉から聖女を守るために。


 水面が見えた。

 その先に輝く、光が見えた。


 最後の一歩。

〈影獣〉の背を踏み台に、勢いよく、彼は飛び出して。



「――アルセア!」



 水飛沫が、淡い光を反射してきらきらと輝く。いつか見た光景。水面にきらめく光が彼女の頬まで照らして、



 目が合って。


 そのようにして、聖女と聖騎士は出会った。


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