守りたい想い

 部屋に射し込む茜色の陽光が、ルナの頬を伝う涙を輝かせていた。ガラスのような儚さを携えて。


 僕はそんなこと断じてないと伝えた。


「君に出会えて良かったと、心から思っている」


 ルナの話に心が揺さぶられていた。締め付けられるように痛かった。他人事じゃなくて自分事のように。


 精神的ないじめ中心だった僕にもその痛みは分かるけど、感じている以上にその痛みは耐え難いものだったはずだ。それでも、彼らに絶対屈しない意志を強く感じた。苦し悲しくもその中にある強固な芯。自分のため、仲間のために、そんな気持ちがひしひしと伝わって来た。


 彼らのやっていた肉体的で精神的な暴力は決して許されない。逃げるなんて卑怯者のする事だ。


 普段僕の前では気丈に振舞っているルナも、今は怯えているように見える。ずっと心の中は震えていたのだ。


 僕がこの国に行こうと提案した時からずっと……。


 人とこんなにも楽しく話したのは初めてだと言ったあの時も……。


 表面上は無意識でも心は正直だった。無理矢理塞いだ深い心の傷が開いてしまっていたのだ。


 それに、ルナがあの時見せた小さな変化を気付けなかったわけじゃない。気丈な雰囲気に飲まれてそれを些細なことだと思ってしまっていた。目の前の変化も気付けない僕に優しいは不似合いだ。


 今度は僕がルナを守る番。


 敵の力も把握できていないけど僕は決心した。本能からなのか、男心からなのか、はたまた僕という存在からなのか。それは分からないけれど、心の奥底からふつふつと湧き上がるこの感情は自然と言の葉に乗った。


「僕がルナを守る! 絶対にどんなことがあっても守ってみせる!」


 湧き上がる感情がそうさせるのだ。そこに理屈など存在しない。


 ルナは赤くなった顔で黙りと僕を見つめていた。数秒間、沈黙が空気を支配していた。


「人の悲しみを悲しむことができる人、それを共感して泣いてくれる人、意志を持って守ると言ってくれる人、そんな人に出会ったのは初めてだよ……ハルは本当に優しいね」


 ルナは泣き顔を遥か彼方に吹き飛ばすくらいの満面の笑みで僕を見つめた。

 優しさは自分じゃ分からないものだから他人が定義する。今の僕はルナの言う通り優しいのだろうか……。


「守ってくれるのはすごく嬉しい。でも、これは私が向き合わうべき問題だから、ハルには傷1つ負わせられないよ。私が守るから」


 ルナの震えていた心は静けさを取り戻し、はっきりとした強固な芯を感じ取れるようになった。


「ありがとう」


「ううん、こちらこそありがとうだよ」


 窓の外には茜色の空が見えた。優しく包み込むような温もりが感じられる空だった。時は夕刻を示していた。暗くなる前に夕飯を買いに行こうと僕は腰を上げた。


「何が食べたい?」


「パンかな」


 買ってきます。と、持ち合わせのお金をポケットに放り込み、部屋を後にした。


 宿屋から出ると少しの恐怖が襲った。彼らはきっと血眼になって僕たちを探している頃だ。けれど、逃げていた時ほどの恐怖感はない。ルナが守ってくれると言ってくれたあの瞳が、僕にとてつもない安心感を与え、今も背中を守られているように感じるのだ。


 大通りで見つけたパン屋さんに駆け込み、衝動買いのようにいくつかパンを購入した。外はサクサク、中はフワフワが売り文句のこんがりきつね色のクロワッサンに、香ばしい匂いが食欲をそそる焼きたてのバゲット、お店一番人気のアップルパイ。どれも人気商品だと大々的に陳列されていた。

 それらが詰められた紙袋を大切に抱え、宿屋へと一直線に戻った。途中、辺りを見回し尾行されていないことを確認しながら――



 何事もなく宿屋に戻れた僕は息を整え、「ただいま」と部屋の奥へ足を進めると……。


 僕は思わず二度見、いや三度見をしてしまった。


 そこには、ベットに腰掛け窓から外を見つめている一人の女性の姿があった。オリーヴァ王国の宿屋で見た時と寸分たりとも違わない女性だった。容姿はルナそのもの。


 そうだ……あの時も部屋番号を間違えていなかった。そして、今回も決して間違えてはいない。もしかして、と僕はその女性に声をかけた。


「ルナ、ただいま」


「気付くの遅いよ」


 微笑み返したルナ。


「話を聞いた後だから、それまでは半信半疑だったよ」


 それにしてもなぜ今、人間の姿になったのか訊くと、妖精の姿でいると彼らに見つかる可能性が高いから人混みに紛れられる人間の姿になったそう。


「どうしたの?」


 初めてのものを見るような強い視線を送っていたのが不思議に思われたようだ。けれど、それは致し方ない。なんたって眼前には可憐に咲き誇る大輪の花のように美しい女性がいるのだ。


 長く伸びたゴールデンブロンドの外ハネウェーブの髪は、窓から注ぎ込む茜色の陽光に当てられて艶やかに輝き、優しい風に煽られ波打っている。そこに白いペンタスを模した髪飾りが可愛らしさを強調している。藍玉色の瞳、上から下まで若葉色で統一された服はさながら葉っぱのよう。言い表すならば、舞踏会行きのドレスを着込んだご令嬢だ。


 そんな彼女が大通りを歩いたとしたら、今は浴びたくない注目を浴びるとしか思えなかった。


「もしかして……見惚れちゃった?」


 からかうように微笑むルナは、色目を使い近寄って来る。自然と顔が紅潮した。僕はそれを誤魔化すように、顔の前に買って来たパンを紙袋ごと掲げルナに押し付けた。


「パン買って来たから、好きなの食べていいよ……」


「否定はしないのね」


 うぅ、と再び顔が紅潮する。それを隠すものはもうない。


「かわいいっ」


 ルナの一言が追い討ちをかける。


「クロワッサンもらうね」


 ルナはクロワッサンを両手で大切そうに抱え頬張った。一口食べる度に「おいしいっ」と笑顔の花が咲く。


「ハルも食べよう」


 僕の返答を聞くまでもなく、バゲットを一口サイズにちぎり僕の口に運んだ。所謂「あーん」だ。

 この世に生を受けてから母親以外の異性にそれをしてもらえることは一生ないと思っていた。しかし、現にそれが今起きている。これは煩悩のままに口を開けていいものなのか? それが分からなく戸惑った。


 戸惑い続ける僕を見兼ねたのか、ルナはバゲットを無理矢理僕の口に押し付けた。


「んっ、んっ……」


 あまりの強引さに思わず口を開いてしまった。それが狙いであったよう。バゲットを口に咥えた僕を見るなり、アヒルみたいと面白おかしく笑っていた。


 バゲットを飲み込んでから僕はイラつきを顕にした。


「……私ね、ハルが買い物に出掛けている間ずっと考えてたんだ。何かに怯えることなくハルとの時間を楽しめたらなって。だからね、決心した。彼奴らをお縄に掛けようぞと。今の私にならできるはずだから」


「一緒に行くよ」


 と、ルナの目に訴えかけるように言った。それに一瞬驚きを見せるルナだったが、直ぐに左右に大きく首を振った。


「ハルまで危険な目に会わせられないよ!」


「大丈夫、こう見えても逃げ足だけは速いから、何でも命じて。従順な足軽になるから」


「で、でもそれは……」


 躊躇い返答に渋っている。僕のあまりにも決意に満ちた瞳が、ルナの瞳を捕らえていたからだろうか。


「ルナ一人に背負わせないよ。僕のことをずっと探してくれていた。恩人って言ってくれた。一緒に旅をした。一緒に笑ってくれた。それが僕にとってどれだけ嬉しかったか。僕だけ幸せなんて都合が良過ぎるよ。ルナにだけ辛い思いはさせられない。だから僕にも背負わせてよ」


 思いの丈をぶつけた。ルナは潤んだ瞳を揺らし固まっていた。


「分かった……ハルがそこまで言うのなら一緒に来ても良いよ。だけど、危険を感じたら直ぐに宿屋に転移させるよ。それでもいい?」


「それは覚悟の上だよ」


 それから僕たちは明日の行動予定を確認し合った。明日は過去を清算し、新しい一歩を踏み出す日にしたい。


 そう、ルナは心から希っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る