激闘

 翌日――


 窓から射し込む陽光に当てられ目が覚めた。隣のベットは既にもぬけの殻だった。部屋中を見回しても姿が見えなかった。


 まさか、一人で行ってしまったのではと静まり返った空気と相俟って猛烈な焦燥に駆られた。身支度を整えようとベットを降りた時、それが杞憂であることを目の当たりにした。


 陽光射し込む窓がガチャっと開いた。そこからゴールデンブロンドの髪を優雅に靡かせたルナが素知らぬ顔で部屋の中に入って来たのだ。


 まず第一声は「なぜ」だ。そして「なぜ」が再び続いた。


「ちょっと朝風に当たっていたの。気持ち良かったよ。ハルもどう?」


「いや遠慮しとくよ。治癒魔法案件になりそうだから」


「ふふっ、そうだね」


 朝から呑気な休日を演出した僕たちは宿屋で朝食を済ませ出立した。


 決戦の地へと。


 これから彼らの根城へと向かう。かつてそこは立ち入り禁止区域とされていたが、お構いなしに立ち入っていたそう。

 例の騒動後、近隣住民から廃屋の解体を望む声が多く上がった。王国は民の声に応えるよう、廃屋の解体を決定した。ただ、人手が集まらず解体工事は停滞気味になっているとの事だった。


 その中の1つ、大きな廃倉庫と隣の併設された少し背の高い建造物が彼らの根城だそう。解体工事が進んでいない現状から、彼らは未だそこを根城にしている可能性が高いと読んでいた。


 今からそこへ行くのだが、人間の姿となったルナは街を歩くと要らぬ注目を浴びた。しかしそれは致し方のないこと。誰だってこんな美少女が街中を歩いていたら気になるものだ。男女問わず、陶酔しきった視線を送っている。


 良い意味での注目が、今ここで浴びたくはなかった注目を浴びてしまっていた。


 街の大通りで彼らと出会ってしまったのだ。


 ルナは睨んだ。その顔にはかっこいいと周りの野次馬が歓喜の声を上げている。


「折角の可愛い顔が台無しだよ」


 人混みを避けて僕たちの前に立った彼ら。聞いた話と彼ら三人を照らし合わせる。真ん中で一歩先を歩く優男がイルグレス。向かって左側の大男がデーガ、右側の全身鎧がシャッゼオ。


 その火花飛び散る険悪な雰囲気を周りの野次馬も察したようで、巻き込まれないよう次第に去っていき、遠目から様子を見守る程度になっていた。


 ここで騒ぎを起こしたら面倒事になると、ルナは彼処に行こうと指差し提案していた。それには彼らも同意見だったようで、賛成とばかりにそこへ向かっていった。その後を僕たちはついて行く。


 早々計画倒れだ。まさかここまで注目を浴びてしまうとは……。


 当の本人はそれに気が付いていないというか、気に留めていないだけなのか。注目を浴びている感覚を持ち合わせていないようだった。


 本来の計画はこうだ。

 彼らの根城である廃屋にこっそり侵入し、気付かれぬよう多重の罠を張る。罠は原始的なものでなく魔法を使う。《隠蔽ヒドュン》で罠自体を隠蔽すればまず気付かれることはないという。その後は彼らが現れるまで待機。罠に引っかかったところを魔法の縄で縛り上げ拘束する。そして、兵士さんのところへ引きずっていくというものだった。


 何とも卑怯なやり方ではあるが、ルナが穏便に手っ取り早く済ませたいとのことなので、このような計画と相成った。見事計画通りに事が運べば呆気ないと言える。しかし、そんな簡単には行かないだろうと思っていたのが現実となった。もはや昨日の打ち合わせは無と化した。


 そして、計画など最早練り直す必要もないくらいに、彼らとルナの間に漂う緊張感が凍てつく寒さのように襲いかかって来た。路地裏に入るとより鋭く激しく冷たく伝わった。それは、一触即発。路地裏は逃げ場の制限された小さな戦場と化していた。


 お互い歩く速度も意識しあっている。彼らが走れば一定の間隔を保って追従する。逆に立ち止まれば機械のようにその場に静止する。


 その繰り返しを経てあの廃屋に辿り着いた。


 ルナは心配で声をかけたくなるような顔色をしていた。紅色の唇とほんのり赤く染まった頬が青ざめた寒色に塗り変わっていた。


    ◇◇


 嫌な思い出が駆け巡った。


 こんな記憶消えてしまえばいいのに……あの時と同じ感情が一気に押し寄せて来た。


 自分の足で立てている安堵と彼ら対する怒り、自分に対する憤り、それと、得体の知れない感情が幾つか。よく知っていて身近な感情なはずなのに分からない。それらが混じり合い、混沌と化していた。


 今の私は正常じゃない。


 落ち着け、落ち着け、落ち着け――


 異常な私では守りたいものも守れないと心の中で強く言い聞かせる。


 それでも、あの時の光景を思い出してしまう。

 地面にひれ伏して羽を切られそうになった時。

 食事も十分に与えてもらえずに衰弱していた時。

 痛みで何日も寝つけなかった時。

 悔しくて、悲しくて、辛くて、泣き喚いた時。


 心臓が警鐘を鳴らし、鼓動を早く激しく打ち鳴らした。思わず胸に右手を当て服を強く握った。


 雲行きが怪しくなり始めた。遠くからは分厚い雲が青空を侵略するように、その巨体を動かし迫って来ていた。何かが降りそうだった。


「大丈夫だよ。僕も怖いから」


「えっ?」


 左手が握られた。火照った体には少し冷たいがそれが心地良い。体温が体温で中和されていく。なぜか、私の混沌と化した感情も中和されていた。


 僕も怖いからか……他人の恐怖を感じられるなんて、どれだけ私の立場になって考えてくれたのか。その計り知れない思いに私は感動していた。


 そこで気付いた。今更ながら。

 あっ、そっか……私の中で蠢く得体の知れない感情は『恐怖』だったんだと。それに、今の私なら大丈夫と思っている『自信』と、ハルを守れるかの『不安』。これらが分からなかった感情だった。


 あんなにハルの前で自信たっぷりに断言しておいて、こんな感情を抱いてしまうなんて恥ずかしいことこの上ない。初っ端かハルに助けられてしまっていた。


「ありがとう。もう大丈夫」


 私は深呼吸して気持ちを落ち着かせた。絶対に負けない。彼らを縛り上げるまでは!


 廃屋は土台を残して崩れていた。瓦礫は人手が足りていないのか無造作にあちらこちらに散らばっている。廃倉庫はあの時のまま変わらず佇んでいた。私たちはその中へと足を踏み入れた。


 その時だった。あの時の光景が走馬灯のように次々と流れた。


 また心臓が早く激しく鼓動を打つ。


 まただ……落ち着かないと、落ち着かないと、足がすごく重い。本当に私は大丈夫なの……?


 またしても、私の心を見透かしたように左手が握られた。先程より少し強く。

 隣にはハルが、怯えた表情のハルがいた。握られた手からは激しい心音が感じ取れた。その顔は不安そのものだった。


 そうだよね、怖いわけがないよね……緊張しないわけがないよね……それで手を握って来たんだよね……怖いってハルも言ってた。

 私って馬鹿なのかな? 一番怖いのはハルのはずだ。右も、左も分からない所に放り込まれて、不安でいっぱいなはずで…………握って欲しかったんだよね。


 大丈夫、大丈夫と祈りながらハルの手を強く握り返した。


「乳繰り合ってるとこ悪いんだけど、ルミナティアちゃん」


 私は睨んだ。乳繰り合っているわけじゃない! 力を与え合っていたんだ!


「そんな目をしなくても良いだろうよ。数年ぶりの再開なんだぜ。パーティーメンバーらしく楽しく昔話にでも花を咲かせようぜ。ちょうどここにお酒があるんだ……いつのか知らんがな」


「おい、そんなもん飲ませるより俺に仕留めさせてくれよ」


「俺がやりたい……」


「シャッゼオは黙ってろ!」


「デーガ! 口の利き方に気をつけろ!」


 イルグレスの一声でデーガは押し黙った。巨大な体躯からは想像もつかないほどに手玉に取られていた。


 そして、俺から1つ言いたいことがあるとイルグレスが口を開いた。


「あの統御の鈴ってやつだけど、偽物だよな」


「…………」


「沈黙は肯定と捉えよう。あれのせいで俺たちはこっ酷い目に会ったんだよ」


「ご愁傷さま」


 私は冷たく睨んだ。


「てめぇ!」


 デーガが大きく一歩を踏み込む。それを片手で制止させるイルグレス。


「あの鈴は災厄の鈴と言ってな、持っている間は災いが延々と降り注ぐものだったんだよ。泥の上で一晩を明かすこともあったな。一日何も口にできない日もあったな。なぜだと思う?」


 イルグレスは訊いて来た。分かりきった答えを私の口から言わせたいみたいだ。


「自業自得」


 私は言った。本当の答えを。


「てめぇ!」


「デーガ! そんなに俺に殴られたいか?」


「い、いや、そんなことはない……」


「だったら少しは静かにしていろ。今は大事なお話をしているんだ。子供じゃないなら分かるだろう」


 イルグレスは咳払いを1つして、ズボンのポケットからあの鈴を取り出した。


「自業自得じゃない。お前のせいだ」


「だから、それを自業自得と言っているの。それに《鑑定眼アイズアイ》で確かめてなかった?」


「ふん、お前が《改訂リビバル》と《真偽反転ベリタス》の魔法を使っていたから《鑑定眼アイズアイ》程度では統御の鈴という事しか確かめられなかったよ。全くなんてことをしてくれたんだ……」


 そう、《改訂リビバル》で災厄の鈴の名を統御の鈴と改名し、《真偽反転べリタス》で偽を真に、真を偽に変えた。統御の鈴でないと知られれば、それは統御の鈴であると塗り替えられる。逆に統御の鈴であると知られれば、統御の鈴でないと塗り替えられる。詰まるところ、常に相手には偽の情報しか渡らないという絡繰だ。真偽は魔法行使者にしか分からず、他人には一見判別が難しい。そこに鈴という同じ形態が一層難しくさせていたのだ。


 鈴を取り出した時にそれらの魔法を行使していた。疲弊した頭脳でここまでできるとは自画自賛の域に達する。


 イルグレスはそんな私とは裏腹に、怒りを顕らに災厄の鈴を投げ飛ばして来た。カランと鈍い小さな金属音を響かせて地面に転がった。


「音が……」


「中に木片を詰め込んで音が鳴らないようにした。あの音には気力を削ぐ効力があったからな」


「よく見抜いたね」


「あまり俺たちを甘く見ないことだな」


「なら、あなたたちも私を甘く見ないことだね」


「生意気でお喋りな口は閉じないといけないな。お前たち出番だ!」


 イルグレスは掛け声と共に手を叩いた。すると、倉庫の入口から数十人の筋骨隆々で屈強な男共、危険臭のするイカつい男共が続々と入って来た。

 

 筋骨隆々の屈強な男共は斧や棍棒、鎖鉄球などの殴打系武器を持ち、危険臭のするイカつい男共は、ナイフや大剣、槍など刺突系武器を持っていた。出入口が塞がれた私たちは完全に逃げ場をなくした。

 

「俺が集めた精鋭部隊だ。お前の苦しむ顔を拝むためだけに大金を叩いた。ふはははっははははっ!!」


 頭のネジが緩むどころではなく、外れてしまったかのように狂気じみた笑い声を上げていた。その瞳は私ただ一人を捕らえていた。まさに空腹の肉食動物のよう。


    ◆◆


「私から絶対に離れないでね」


 腕を掴まれ、そのまま抱き寄せられた。されるがままの状態でルナの腕に僕の肩が触れた。その身のこなしは無駄な所作1つなかった。


「ずっと傍にいてね」


 そして、僕だけに囁いた。どこか寂しげで気がかりな瞳をしながら。


「ありがとう」


「呆れる。この状況でお荷物を抱えたお前に何ができる?」


「あなたたちには屈しない!」


「その言葉久しぶりだな」


 イルグレスは深呼吸し叫んだ。


「さあ! 妖精狩りの始まりだああぁぁぁぁあ!!」


 その言葉を皮切りに、出入口付近の精鋭部隊は一気に襲いかかって来た。


 振り向いたルナが一瞬僕の腕を離した隙、万一の護身用に使えないかと近くに転がっていた鉄の棒を拾った。


 刺突系武器の面々もとい刺突部隊は威勢よく勢い任せに突撃。

 殴打系武器の面々もとい殴打部隊は逆に間合いを大切に一歩一歩威圧を放ちながら近づいて来た。


 ナイフを突き出し全力疾走の刺突部隊の一隊。その狂気じみた顔からは殺気しか感じられず、勢いそのままにルナへ襲いかかった。


「《風圧弾エアレド》!」


 いくつも発射されたそれは一隊全員の腹部を直撃した。ナイフを持つ握力を失った一隊は、その場にナイフだけを落とし、魔法の遊戯となりて吹き飛ばされた。


 その様子を目にした他の精鋭部隊は、その場で足を止めた。


 一瞬の沈黙を置いて、槍使いの一隊が刺突を試みる。その後ろで大剣を持った一隊が槍使いを盾役として使い、身を隠している。


 槍使いは一定の間合いを保ち、僕たちを囲った。その後ろから大剣を大きく振りかざした一隊が全員不揃いなタイミングで飛びかかって来た。


「《牆壁バリリル》」


 後退りを始めた僕を守るように、覆い囲った半透明の壁はその攻撃をものともしなかった。

 今思えば、この攻撃は僕たちを錯乱させる作戦かもしれなかった。実際どこからの攻撃に対処し、反撃に転じるかの迷いが生じていた。


 大剣が駄目ならと槍使いが刺突をかけた。その槍は《牆壁バリリル》との攻防の狭間で大きく湾曲した。木の柄はその力に耐えきれず、弧を描きながら弾き飛ぶ。その衝撃で口金部分に亀裂が入り、穂だけが宙を舞う。すかさず槍使いは木の枝と化した槍を捨て、ベルトに付けられた鞘から短剣を引き抜いていた。


 槍使いが体勢を整えている一瞬の隙を突き、ルナは《牆壁バリリル》を解き、《風圧弾エアレド》を連続で撃ち放った。


 槍使いは為す術なく吹き飛んだ。それでも尚、精鋭部隊は群衆を形成していた。


「全くキリがないね。ハル、吹き飛ばされないように私に掴まってね」


 突然のことでそれの意味することは分からぬが、取り敢えず言われるがままルナの肩に掴まった。


 ルナの両手に風が集い始めた。空気がそこに圧縮されていくかのように、やがて1つの球体を形成した。


「吹き荒れろ! 《暴風斬撃波ギガラエアラズ》!」


 ルナは解き放つ。


 ボオオオオォォォォォと凄まじい風が吹き荒れ、僕たちと精鋭部隊とを隔離する渦巻く壁を創造した。いくら魔法行使者の隣に居ようと、踏ん張りを少しでも緩めれば風に攫われそうだった。既に刺突部隊数人は攫われている。目まぐるしく渦の中を泳いでいた。


「もう飲み込まれちゃったの? まだまだこれからが本番だよ!」


 ルナは得意げに両腕を大きく広げた。呼応するように魔法も広がりを見せていく。逃げ場を失った刺突部隊はもれなく魔法の餌食となった。


 その魔法の威力は凄まじく、広がるに連れ、ギギギギギギギギギギギギギギギギギギィと廃倉庫は甲高い悲鳴を上げた。


 直後、ガガガガガガガガァと屋根は崩れ落ちた。それを魔法が容易く飲み込む。そして壁に追いやられた刺突部隊を飲み込み、バリバリバリバリバリリリィと壁をも飲み込んだ。


 廃倉庫が崩れる寸前で、ルナは《牆壁バリリル》を展開してくれた。


 轟音と共に廃倉庫は跡形もなく崩れ去った。


 瓦礫の中からはボロボロの体に鞭打って脱出する刺突部隊の面々。片腕を押さえながら千鳥足で立ち上がる者、足を引き摺りながらもこちらに向かって来る者、立ち上がる力さえ失い、仰向けで呼吸を整えている者。戦力には到底なり得ない様になっていた。


 殴打部隊とイルグレスたち三人は足早に戦場を撤退し、遠くから唖然と眺めていた。


「これ以上の争いは何も生まない。失うものしか生まないの」


「俺たちが失うものは1つとしてない。寧ろ得られるものしかない」


 イルグレスは手を3回叩くと残りの殴打部隊が一気に攻撃に転じた。


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!」


 棍棒を持った殴打部隊の一隊は野太い地響きにも似た咆哮を吐き散らし、その巨体で襲いかかって来た。


「《風圧弾エアレド》!」


 先程、刺突部隊が為す術なく吹き飛んだそれをルナは撃ち放つ。


 彼らの腹部に直撃する。しかし、勢いに負け多少後退はしたものの、風に煽られただけと言わんばかりに平然と立っていた。

 ルナは驚きを露わにした。あれだけの勢いを持った風の弾丸を食っても尚、平然と立っていられるのはもはや常人の為せる技ではない。


 ルナの攻撃が止まった一瞬の隙を突いて殴打部隊は一斉に襲いかかって来た。しかし、既にルナの両手にはあの時のように風が集結し、やがて1つの球体を形成していた。


「吹き荒れろ! 《暴風斬撃波ギガラエアラズ》!」


 二度目のあの魔法だ。刺突部隊を一掃した特大魔法。近くにいる仲間ですら気を抜けない。僕は再びルナの《牆壁バリリル》によって守られた。


 ルナの腕の動きに呼応して外へと広がっていく。だが、先程のように飲み込まれていく精鋭部隊は一人としていない。それどころか腕で頭を守りながら暴風域を突き進んで来てすらいる。驚きと恐怖の感情が僕の体を支配していた。


「うそっ! どんな体してるのよ……」


「全然効いてない……」


「この程度かっ! 刺突部隊もたかが知れてるな」


「さすがは精鋭部隊だ! こうでなくては面白くないっ!」


 イルグレスはこの争いを楽しんでいるようだった。


 それでも、ルナは諦めているわけではなかった。


「次で戦闘不能にする」


 前方に向けられたルナの両手に真紅の光の粒子が集う。真紅に燃え滾る球体が姿を現すと、それは時の経過と共に大きく成長し始めた。

 そんなもの撃たせまいと隙だらけのルナに殴打部隊が向かって来る。数多の筋肉の足が地面を踏み締める度に地響きが起こる。


「もうちょっと、もうちょっとだから……」


 ルナからは焦りが見て取れた。思ったよりも時間がかかるのか、それともそこまでして球体を成長させなければ勝機を得られないのか、次々に真紅の光がルナの手へと集っていた。


 その時、棍棒がルナへ一直線に飛んで来た。僕は咄嗟にルナの前へ飛び出し、拾った鉄の棒でそれを打ち落とした。


「大丈夫!?」


「僕は大丈夫」


 それを機に次々と武器が僕たち目掛けて飛んで来る。さすがに防ぎきれないと思った矢先――


「ハル! 援護ありがとう」


 振り返ると、ルナの手の内にできた真紅の球体は太陽の如く燦々とした輝きを放っていた。綺麗という言葉が一番相応しいが、これは魔法。今から敵を薙ぎ倒す武器となるのだ。僕は慌ててその軌道上から退く。


「焼き尽くせ! 《灰燼火炎砲ギガライグレズ》!」


 竜の咆哮の如き勢いの真紅の炎は、一直線に勢力を拡大しながら突き進む。それはもう火炎放射器の比ではない。彼らにお似合いの業火と言えた。


 一瞬にして投げつけられた武器は灰燼と化し、殴打部隊を飲み込んでいった。


 やがて魔法が収まりを見せると、地面に残された抉られたような焦げ後がその凄まじさを物語っていた。


 これには後ろにいたイルグレスたち三人も手に持っていた武器を落とし、力なく佇んでいるように見えた。


 殴打部隊の面々は一人残らず地面に倒れた。辛うじて息はあるようで、必死に起き上がろうと体を動かすが力なくうつ伏せになっていた。


 ルナの深い吐息、それが一区切りついたことを暗示した。


 見目麗しい一人の女性が、戦闘慣れした男共を寄せつけずに戦闘不能していく様は未だに信じられない光景だった。完璧と言える攻防は男として不甲斐ないと思ってしまうほどに。


 最後に残ったのはあの三人。


「ここまでやるとは大したものだ。常人に為せる技ではない。さすが妖精だな」


 仲間が戦闘不能になったにも関わらず不敵な笑みを浮かべている。気味が悪かった。


「あなたからその記憶を消させてもらうよ」


「できるものならばな」


 イルグレスは自信に満ち溢れている。勝利の未来しか見えていないように。


「デーガ、シャッゼオ好きにしていいぞ」


「へっへっへっ、その言葉を待っていたぞ!」


「鈴の代わりに、羽もらう……」


 臨戦態勢のデーガは躊躇いなく突っ込んで来る。その後ろではシャッゼオが武器の選別をしている。戦闘スタイルは火を見るより明らかだ。


「《風圧弾エアレド》」


 ルナが試しに放った魔法は腹部に衝突するが、傷1つつけることなく消え去った。


「《火炎弾イグレド》」「《氷柱槍グラディタ》」


 次々と魔法を放った。風の弾が効かぬならと、炎の弾を立て続けに撃ち、その合間に氷柱を槍のように飛ばした。しかし、そのどれもが傷1つ作らせなかった。炎の弾は確実に着弾しているが、なぜか平然とされ、鋭利な氷柱は腕で簡単に薙ぎ払われた。


 デーガはお構いなく間合いを詰めて来る。


「《雷神舞踊トルスデウダンス》!」


 ルナは一歩下がり再び魔法を放つ。今度はデーガの周囲に稲妻が舞い踊る。体を動かす度に稲妻がデーガを襲うが、それでも、平然と歩み寄って来る。


 ここまで来ると末恐ろしいとしか思えない。いくら筋骨隆々で鍛え上げられた体とは言え、ここまでの力があるとは考えにくかった……。


 精鋭部隊を圧倒した魔法に劣らぬそれらが全く効かぬのだ。地力の差なのか、それとも絡繰があるのか、それを明らかにしないとルナが危なかった。


 地力の差なら僕にできることは限られている。だが、絡繰があるとしたらどうだろうか。それを見破りさえすれば打開策は見えたと言っても過言ではないだろう。

 ひと握りの希望を抱き、僕は何か絡繰があると疑いの目をかけた。少しでも貢献できるならと、魔法を放ち続けているルナの目を盗み、少しずつデーガを注視しながら移動し始めた。


 前方から見る限りは超人そのものだが、側面から見るとまた違った見方に変わった。


 ズボンのベルトだと思っていたそれは、実は何かしらの機械だったのだ。《雷神舞踊トルスデウダンス》の稲妻が襲いかかる時、そのベルトから別の稲妻が出現し相殺していた。お互い稲妻という事もあって気付かなかったのだ。


 だが今、僕はその一瞬を捉えた。他の魔法が体に当たる瞬間も、同様にベルトから発せられた稲妻が相殺していた。風と稲妻、炎と稲妻の相殺も注視しなければ気付けないほどに、微細で強力な稲妻だった。


 ただ唯一、《氷柱槍グラディタ》だけはデーガ自身で薙ぎ払っていた。物理的魔法攻撃に関しては稲妻では防ぎきれないと判断してのことだったのかもしれない。実際、腕で薙ぎ払う時でも稲妻は発せられていたが、腕の動きと魔法がそれを隠蔽していただけに過ぎなかったのだ。


 物理的魔法攻撃であれば体勢を崩せるかもしれない。そうルナへ報告に戻ろうとしたが、気付けば結構な距離ができてしまっていた。


 急いで戻ろうと駆け出した時にはもう遅かった……目の前に磨き上げられたレイピアが突き出されていた。そう、シャッゼオが立ちはだかっていた。


 すかさず持っていた鉄の棒で間合いを取るが、気休め程度だ。


「君の相手は……僕だ」


 絶望的な状況になった。ただでさえ足でまといの僕が無理を言ってついて来たのにこの有体だ。


 僕は一か八か、鉄の棒を振り上げ、力の限り振り下ろす。しかし、シャッぜオはそれを難なく避ける。重力に逆らえず、鉄の棒はそのまま地面を打ち叩いた。衝撃が腕に伝わり、ビリビリと体に電撃が走り痙攣を起こす。


「君に戦闘は不向き……大人しく人質に……」


 そんなの嫌に決まっている。勝手な行動しておいて人質なりましたなんて、ルナにどう謝ればいいんだ。それにこれ以上誰かに迷惑はかけられない。


「嫌だよ、その魂胆は見えているから」


「この状況で歯向かうとは似た者通しだ……」


 刹那、シャッゼオは無駄な所作1つなくレイピアで僕の左腕を一突きした。


「いっ…………だぁ……あぁああああぁぁぁぁ!!」


 その叫び声は空気を震わした。ルナは青ざめた表情で僕を見ていた。


 激痛が体中を駆け巡る。引き抜かれたレイピアからは僕の鮮血が滴り、左腕はだらんと力なく垂れ下がった。どうやっても力が入らない。拳を握る力さえなく、痛みで指も殆ど動かない。


「ハル…………待ってね、今行くから!」


 攻撃の手を止め僕の方へと駆け寄って来てくれた。デーガとの戦闘を忘れたかのように……。


「おいおい、お前の相手は俺だぞ!」


 その時、重い拳がルナを吹き飛ばした。


「きゃぁぁぁぁあ!!」


「ルナァァァァァ!!」


「他人の心配をしているからだ」


 デーガの拳は遊び足りないと空を殴り続けていた。


「君もだ……」


 レイピアが次に狙うは僕の右腕だった。


 吹き飛ばされたルナは地面にぐったりと倒れている。


 本当にごめんなさい。勝手な行動のせいで……ルナを傷付けてしまった。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………。


 それでも、謝りたい気持ちは抑えなきゃいけなかった。ここは戦場、一刻も早くルナの元に駆け寄って守りたいところ。謝るのは最後にお互いが立っていた時するべきだ。


 だらんと力なく垂れ下がった左腕はもう使いものにならない。生きている右腕で鉄の棒を再び強く握り直した。利き腕が右で助かったと言いたいところだが、絶望的な状況に変わりはない。


 レイピアの刺突に細心の注意を払いながら間合いを取った。


 互いの睨み合いが続く。銀のバイザーからは殺気に満ちた視線を感じる。


 自然と一歩後退する。そして一歩歩み寄られる。


 ズキズキと痛む左腕が集中力を削ぐ。やはりコンディションは最悪だ。そんな中、シャッゼオがさらに一歩を踏み込み、仕掛けて来た。


 僕は一歩踏み込んだその瞬間を見逃さず、咄嗟に鉄の棒でレイピアの軌道を変え、シャッゼオに肉薄し、腹部に渾身の一蹴りを食らわした。


 鈍い音が響いたかと思うと、僕は体勢を崩し尻もちをついた。

 シャッゼオもまた体勢を崩していたが、鎧を纏った体、衝撃こそあるがダメージは雀の涙ほどだった。


「悪くはない戦術……」


 褒められたが嬉しくない。思いつくままに体を動かしたまでだ。


「次は僕の番……」


 刹那、僕の右腕をレイピアが貫いていた。右手の感覚を失い鉄の棒を落とす。カランと空虚な音が響く。


 それがあまりにも一瞬の出来事で、理解に時間を要した。死ぬのかな……そんな思いも脳裏を過っていた。


 引き抜かれたレイピアからは僕の鮮血が滴っている。


「はっ…………がぁ……」


 叫び声にもならなかった。力なく垂れ下がった両腕。僕は痛みとシャッゼオの威圧で二歩、三歩と後退した。倒れ込みたいのに支えられる腕が使い物にならない。


「ハル……!」


 起き上がっていたルナは僕に駆け寄ろうとするも、デーガは容赦なく襲いかかっていた。それを辛うじて《牆壁バリリル》で防ぐルナ。

 その壁を砕こうとデーガは重い拳の連撃を食らわすが、その程度の攻撃では悲鳴を上げることはなく、代わりにデーガの両拳が悲鳴を上げていた。


 攻撃の手が止んだ一瞬を突いたルナは、その細く白い人差し指から一筋の桃色の光を発した。風を切るように一直線に進んだそれは、地面に転がっている鉄の棒へと注がれた。鉄の棒は忽ち淡い桃色の光を発しながら形状を変え、やがて鉄の剣へと変化した。


 シャッゼオは僕を人質にしようと僕の背に回り込んで来たが、その野望は一瞬にして水泡と帰した。


 桃色の光を纏った鉄の剣が独りでに動き出していた。まるで意志を持ったかのように。そして、一瞬の後にシャッゼオの手首を殴打した。レイピアがカランと空虚な音を立て地面に転がった。


 僕はその隙にルナの元へと駆け寄った。両腕を力なく垂らしながら、赤い命を滴り落としながら。


 この状況では僕が助けを求めに駆け寄ったと傍からは見える。助けてもらってばかりだった。


 ルナは僕を《牆壁バリリル》の中へと誘った。


「ごめんなさい、腕治すね……」


「僕の方こそごめんなさい……」


「大丈夫だよ」


「《治癒サーナ》」


 ルナの手から発せられた緑色の淡い光が僕の腕を包み込んだ。傷口が塞がり、次第に腕の感覚が戻り、力が入るようになった。心地の良い暖かな光だった。


「立てる?」


「ありがとう」


 周りを見渡すと、シャッゼオは手首を押さえ、デーガは両手を押さえ込むように蹲っていた。


「「何をした……」」


 シャッゼオ、デーガはシンクロする。


「その棒が主を守ろうと意志を持ったまでだよ」


 そうシャッゼオに言った。


「この《牆壁バリリル》には別の魔法をかけてある」


 そうデーガに言った。


 ルナの人差し指にはあの桃色の光が宿っている。指の動きと連動して桃色の光を纏った鉄の剣がシンクロし、華麗にシャッゼオを叩きのめした。魔法だ。魔法で意志を持ったかのように見せているのだ。


 しかし、シャッゼオは鎧を着込んでいるためか、鉄の剣で叩きのめしたところで大したダメージは負っていなかった。寧ろ鬱陶しがっている。


 タイミングを見計らい地面に落ちたレイピアを掴んだシャッゼオは、鉄の剣と交戦を始めた。


 キンッキンッと鳴り響く剣撃が、即興の鉄の剣でも良い勝負になっていることを物語っていた。ただ、剣戟ではシャッゼオが一枚上手か、鉄の剣が薙ぎ払われこちらに刺突して来た。


 ルナはすかさず鉄の剣を引き寄せ応戦に転じる。


 途中、魔法の力を強めた。強化された鉄の剣はシャッゼオのレイピアと交戦するのには十分な力を誇っていた。剣戟では一枚上手でも武器としてはこちらが一枚上手だった。


 シャッぜオはその重い剣撃に苦戦を強いられているように見えた。


 ルナは片手で操作しながら片手で《牆壁バリリル》を維持している。


 デーガは背中に担いだ両刃斧を手に持ち、力の限り振り下ろしていた。拳よりも重い連撃に《牆壁バリリル》はたまらず痙攣を起こす。


 連撃の一瞬を突き、ルナは痙攣する《牆壁バリリル》に青白い光を注いだ。それは《牆壁バリリル》に吸収されるようにすっと消えていった。


「何をした!」


 ルナはデーガを一瞥すると無言のまま顔を背けた。


「何をしようと俺様の前ではお前は無力だがな!」


 両刃斧を振り下ろす。カキンッと甲高い音が響く。つい先程までの痙攣は起こらず、両刃斧の攻撃をものともしない。しかし、戦況は防戦一方に変わりない。


 そして、再び鉄壁の防御が形成されたわけだが、ルナがデーガを一瞥したその一瞬、シャッゼオとの交戦が僅かに疎かになってしまったのか、先程まで優勢だった交戦は劣勢へと下落の一途を辿っていた。

 シャッゼオは好機とばかりに鉄の剣ごと《牆壁バリリル》へと押し込んで来た。

 ルナは無言のまま鉄の剣を操作し再び剣戟を交える。戦闘力は拮抗していると言っても過言でない。



 攻防が暫く続いた――


 次第にイラつきを見せたイルグレスは怒号を飛ばした。


「おい! 貴様らいつまで遊んでいるんだ!」


「遊んでんじゃねぇよ! この守り砕けねぇ!」


「こいつの剣、しぶとい……」


「あの妖精だぞ! あの! お前らの方が圧倒的に強いはずだ!」


「当たり前だぁぁぁ!」


「既知の事実」


「もう一度あの苦しむ顔を拝みてぇぜ妖精さんよっ!」


「僕の鎖の餌食にもう一度」


 どこまでも卑劣な事を平然と言う彼らに僕は腸が煮えくり返っていた。しかし、当の本人は無言のまま戦闘に集中していた。


「ルナ……」


「ごめんね……シャッゼオさえ戦闘不能にできれば戦況は変わるんだけどね……」


 僕にシャッぜオ、デーガと対峙できるほどの力はない。


 だけど、ここで黙ってルナに全てを任せて良いのか? いや、良いわけがない。我儘でついて来た身、足手まといとは思われたくないし、何よりもルナを守りたい!


「どうにかできれば良いんだよね?」



 少し考えた僕はある提案をした――


「そんなのダメだよ! 危険すぎる! ハルをそんな目に合わせられない……」


 強く注意されたが、これが手っ取り早い方法だと僕は思っていた。覚悟はできている。再度、強く提案する。


「――お願いします」


「分かった……でも、危なかったから《牆壁バリリル》で隔離するからね」


「ありがとう」


 許しを貰えた僕は、ルナの合図でシャッゼオへ向かって飛び出した。


 僕の提案もとい作戦はこうだ。

 まずルナは《牆壁バリリル》を解く。そして僕は外に出る。デーガの攻撃を防ぐため、再びルナは《牆壁バリリル》を展開する。飛び出した僕にシャッゼオとデーガの注意が向き、一瞬攻撃の手が疎かになるはず。そこを突いて鉄の剣でシャッゼオの体勢を崩し、戦闘不能にする渾身の剣撃を食らわす作戦だ。


 良策か愚策かと問われれば愚策だ。

 シャッゼオかデーガ、将又イルグレスが僕を標的に襲いかかって来た場合、僕は武器を持ち合わせていないわけだから絶対的不利だ。できる限り逃げて、逃げて、逃げまくる。ルナに少しでも余裕を作れればそれで良い。所謂捨て身戦法だ。


 僕は作戦通り《牆壁バリリル》から飛び出した。


 まさかの行動に驚いたデーガとシャッゼオは作戦通りに、注意が飛び出した僕へ向いていた。


 恐怖で心身ともに震えていた。まだ死にたくないと足を重くする。ルナの元に戻りたいと体が願っている。それでも、成功させなければと心が前進力を生んだ。


 しかし、肝心の攻撃の手が疎かになったかは分からない。そこはルナが一瞬の隙を突いてくれると信じていた。

 走りながら振り返ると、思わず安堵してしまう光景がそこにはあった。

 ルナは《牆壁バリリル》を展開し直しており、デーガからの攻撃を防いでいた。そしてシャッゼオのレイピアが大きく弧を描き宙を舞っていた。


 そしてルナは大きく腕を振り上げていた。


「ねぇシャッゼオ、あなたの鎖とても痛かった……」


「もう一度食らわせてやる!」


 落ち着いた口調が今だけは攻撃的な口調へと変わっていた。追い詰められたことで内に秘めていた人格が現れたのだろう。


「何日も、何日もあの痛みに耐え続けてると自分がおかしくなりそうだった……どれだけ辛かったと思う?」


 大上段に振りかぶる腕と連動し、虚空に桃色の光が直線を描く。それにシンクロした鉄の剣が大上段に構えられる。

 ルナが腕を振り下ろす所作に合わせて、再び虚空に桃色の光が直線を描く。それにシンクロした鉄の剣は、シャッゼオの鎧を破砕した。


「……貴様!」


「……あの痛みを私は一度たりとも忘れたことはない。どれだけ体が苦しかったか、どれだけ心を苦しめたか、あなたにはそれが分かる?」


 ルナの目には涙が溢れんばかりに波打っている。


「そんなもの俺には関係ない! お前をもう一度叩きのめすまでだ!」


 シャッゼオは転がったレイピアを拾い上げようとするが――


「一度くらいは反省しなさいっ!」


 鉄の剣が肩口から腰に至るまで大きく袈裟斬りにした。


「がぁ! はっ…………あっ……」


 悲痛な叫び声にもならず、有り得ないと言った表情で自らの体を見つめ、シャッゼオは力なく倒れ込んだ。


 その様子を見ていたデーガは唖然として攻撃の手を止めていた。


 一方イルグレスは拳を握り、怒りを押し殺しているように見受けられた。デーガよりも強いシャッゼオがやられたのだ。デーガがやられるのも時間の問題、自分しかもう残されていないと苦渋の思いが見て取れた。


「デーガ、時間稼ぎだ! その小娘を押さえつけておけ!」


「潰しちまっても問題ねぇか?」


「死なぬ程度にならな」


「へっへっへっ、体がうずうずするぜ」


 イルグレスは不敵な笑み、デーガは卑しい笑みを浮かべていた。僕はそれを一瞥しながらルナの元へと戻った。


 ルナは《牆壁バリリル》を解除した。


 デーガは両刃斧を片手に持ち、大道芸のように振り回している。その後ろではイルグレスが何やら作業をしていた。時間稼ぎをデーガに頼んでいた。何かしら仕掛けるはずだ。


 ルナとアイコンタクトを取る。


「最後の会話はアイコンタクトで良いのか? もう少しだけ待ってやるぞ」


「あなたに待ってもらう必要はない。最後じゃないから」


「生意気な口を聞くな!」


 デーガは一歩肉薄し、両刃斧を僕たちの脚目掛けて横に一振した。後ろに飛び下がった僕はバランスを崩し尻もちをついた。


 大丈夫? とルナは手を差し出してくれた。ありがとう。


「あなたも反省してもらいます」


「俺はシャッゼオのようなヘマはしない。反省するのはお前の方だぁ!」


 デーガは両刃斧で空気を斬るように大きく振り回しながら近づいて来る。近寄ることを拒む幼い攻撃に思えてならなかったが、攻撃と牽制の面において、相手を萎縮させる力は持っていた。


「《牆壁バリリル》」


「てめぇ、そんな守りばかり使って卑怯極まりねぇな!」


「卑怯? よくもまあいけしゃあしゃあと言えるわね」


「なんのことだ!」


「とぼけてるの? 私が抵抗できないのを良いことに羽を切ろうとしたよね」


「ふんっ、そんなことか。それは命令だからな、仕方ない」


「……本当に最低な人」


「守ってばかりで攻めてこないお前に言われたくはねぇな! こんな戦闘はつまらねぇんだよ!」


 その巨体に引けを取らぬ自分勝手な理由だった。


「守りたい人がいるから私は守るの。それのどこが最低なの!?」


「美談はうんざりだ!」


「そう……やっぱりあなたにはシャッゼオ以上に反省してもらうわ」


 デーガの斧が《牆壁バリリル》に触れた瞬間、《牆壁バリリル》を解除した。


「やったか! うぉっ……」


 デーガは突如解除されことでバランスを崩し、地面深くまで両刃斧が食い込んだ。


「《雷神舞踊トルスデウダンス》!」


 デーガを稲妻が包み込んだ。動く度に襲いかかる。しかしダメージは1ミリ足りとも負ってはいない。


「貴様の魔法など俺には効かん!」


 はっ! と僕は大事なことを思い出した。シャッゼオとの戦闘でルナに伝え忘れていたことだ。


「あのベルトから稲妻が出て魔法を防いでいるんだ」


 僕はルナに耳打ちした。


「えっ! そ、そうなんだ……」


 なぜ知っているのかと首を傾げていた。


「シャッゼオと対峙してた時、実はこっそり偵察に行っていたんだ。魔法の効かないデーガが怪しかったから何かあるんじゃないかって、その帰路でシャッゼオに見つかっちゃったけど……」


「そうだったんだ……私のためにありがとう」


「これくらいしなきゃ単なる足手まといだからね」


 そこで――僕は新たに作戦を提案した。


 本当に頼もしいよハルは。

 そう小さく聞こえた気がした。頼もしいのはルナの方だと褒め称えたい気分だったが、それどころではなかった。デーガは稲妻を纏いながら一歩一歩近づいて来ているのだ。


「作戦会議は終わったか?」


 無意味なことだと嘲笑っている。


「《氷柱槍グラディタ》」


 鋭利な氷柱をデーガ目掛けて飛ばしたルナ。


「無視とは良い度胸をしてやがる!」


 デーガは次々と飛んで来る氷柱を薙ぎ払った。

 そう、薙ぎ払うはずだ。物理的魔法攻撃に対応していない可能性のベルト、若しくはデーガ自信がベルトの効果を信じ切れていない可能性。

 デーガが《氷柱槍グラディタ》に対応している間にあのベルトを壊す。それが僕たちの立てた作戦だ。凝った作戦だと勘づかれる可能性が高い。そこで力技の作戦にした。


 尚もデーガを襲い続けている《氷柱槍グラディタ》。若干うざったらしい表情で声を荒らげていた。


 ルナはシャッゼオとの戦闘で大活躍した鉄の剣を再び操作した。デーガに気付かれぬようそっと引き寄せる。

 そして、《火炎弾イグレド》と《風圧弾エアレド》の魔法を放った。


「鬱陶しいんだよ!」


「小娘の分際で!」


「くそっ!」


「イルグレス助けろ、動けねぇ!」


「おい! 聞いているのか?」


 そこに慈悲などなく、ましてや躊躇うことなく、ルナは鉄の剣をデーガの腰に向けて投げ飛ばした。


 イルグレスに視線を向けていたデーガはまだ気付いてはいないようだった。魔法攻撃の数々に隠された鉄の剣がすぐそこまで迫っていることを……。


「くそっくそっ、くそっ……」


 薙ぎ払っても、薙ぎ払ってもキリがない魔法の数々がデーガに疲労の色を見せ始めていた時だった。


 ガチャンと何かが壊れる音がした。


「おい……嘘だろ……」


 デーガのベルトに鉄の剣が突き刺さっていた。壊れたベルトからは、歯車やネジが幾つも顔を見せていた。そこに赤い液体がどろっとまとわりつき、ポタポタと滴っている。あまりのショックからか、防御の手が完全に止まっていた。それでも、放たれた魔法は容赦なく襲う。


「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!」


 悔しさと怒りが叫び声となり空気を震わせていた。


 デーガはベルトに突き刺さった鉄の剣を引き抜き、一息つく間もなく襲いかかる魔法の中に投げ込んだ。それは魔法の隙間を狙って放ったのか、魔法との衝突を避け、ルナへ一直線に飛んで来た。


 ルナは頭を傾けるという最低限の所作でそれをかわした。鉄の剣は揺れるゴールデンブロンドの髪の中を突き抜けた。ダメージと言えば数本の髪の毛が切り裂かれた程度だった。ルナはそんなこと気にもせず、毅然とした態度でデーガを見据えていた。


「あなたは命を奪うということがどういうことか分かっているの? 例え奪わなくても、奪おうとした行為はそれと同等。奪われそうになった者は一生癒えぬ傷を背負って生きるの!」


 強く放たれた言葉。


「……それが分かっているの?」


 悲しげな言葉。


「俺は暗殺者だ! 命の灯火は数え切れないほどこの手で消して来た。それが俺でありこれからの俺だ!」


 デーガは魔法に打たれながら、体勢を崩しながらも叫んだ。


 その言葉を誰も肯定はしない。そして、追い討ちをかけるように、ルナの手にはあの真紅の光の粒子が集っていた。


 その真紅の光を見て、デーガは初めて怯えた表情を見せた。倒された仲間に向けられていた光が……いや、それ以上の光が己に向いているのだから。


「やめろ……」


 まるで命乞いをするかのように。


「やめろ……」


 命の剥奪者が、ここに来て初めて命の重さに気付く。


「やめろ……」


 手の内の真紅の球体は太陽の如く燦々とした輝きを放っている。無意識にあの時の光景を思い出す。


「焼き尽くせ! 《灰燼火炎殲滅重砲ギガラディザイグレズ》!」


 ボオォォゴオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォオ!


「やめろぉぉ――――――――――――――ぉお!!」


 竜の咆哮の如き勢いの真紅の炎は、一直線に勢力を拡大しながら突き進む。それは、もう火炎放射器の比ではない。彼らにお似合いの業火と言えた。


 巨体のデーガを覆い隠すほどの炎は轟音と凄まじい熱を誇っていた。それは、地面を焼き、周囲の建物を飲み込もうとしていた。しかし、その直前で透明な壁に打ち当たったかのように進撃が止まった。


 周囲の建物の保護と誰かに勘づかれないように、戦場と化したここ一帯をルナの《牆壁バリリル》が覆っていたのだ。


 周囲の環境への配慮、自分の事だけでなく人のことも考えた行動。自分勝手な彼らと違い、優しさに溢れていた。魔法に関しては容赦ないけど……。


 そして、やがて炎は消え去った。大きく焼け焦げた地面の先にはぐったりと透明な壁に寄りかかったデーガがいた。体はピクリとも動かない。


「……生きてるの?」


 僕は思わず訊いていた。もし殺してしまったら、彼らと同じになってしまう。そんな恐怖と不安をルナに向けた。


「気絶しているだけ。回復魔法で多少傷は治してあるから、心配しなくても大丈夫だよ」


 器用だ。強大な魔法を放った先にはそれに耐えうるだけの壁が築かれていた。そして、同時に慈悲を与えた。自分を苦しめた人にすら優しさを持っていた。普通、自分に危害を加えた人を助けようとする人は少ないだろう。復讐やら正当防衛やらと訴えるのだ。


「……どうしたの?」


 僕が見つめていたせいか、ルナは首を傾げていた。


「別になんでもないよ」


「そう、ならいいの…………」


 ルナが視界から忽然と消えたかと思うと、ペタンと地面にへたり込み息を上げていた。明らかな疲労困憊だった。


「ルナ!?」


「大丈夫、大丈夫、これくらいなんてことないから……」


 立ち上がったルナは、少しでも僕を安心させようとしたのか、無理して微笑んでいた。しかし、その脚はフラフラだった。


「いやはやお見事です。しかし、さしもの妖精もこれだけの戦闘をすれば疲労の色は隠しきれませんね」


 最後に残ったのはイルグレスただ一人。胸を張って歩み寄って来る。


 ベルトには幾つも武器を携えていた。確認できるものはナイフ、小型の鎖鉄球、爆弾のような小さな黒い球体。

 両手にはナックルダスターがつけられている。

 戦闘スタイルがまるで分からない。ただ強い武器を掻き集めただけにも見える。


「そんな体で俺と決闘など、その綺麗な顔を傷つけるだけだよ。それでも、続けるか?」


 イルグレスは挑発的な態度でルナに問う。


「当然でしょ。あなたには一番反省してもらうから」


「それはそれは、無謀な希望だ。俺は他の奴らとは一味も二味も違う」


「そう……」


 ルナは小さな声で呟いた。


「疲れてその程度の声しか出せぬか。まあ、もの足りぬと言えばそうだが、お前をこの手で殺れると思うと十分だ」


 狂気じみた笑いに武器を手に取ったイルグレスは人ならざるもの。恐れ戦き後退した僕に、イルグレスは不敵な笑みを浮かべ指差した。


「お前も一緒に殺ってやるよ」


 戸惑いと死にたくない恐怖が体を支配し硬直させた。


「ハルは……ハルは関係ない!」


「そうだその目だ! 俺が望んでいたのはその目だ! 怨み、怒り、嘆き、そんな色が混ざりあったその目をな! 待っていたんだよ……そうでなきゃ俺のショーは面白くならない!」


「ハルには指一本触れさせない!」


「私が守るってか! ははははっ面白い! 実に面白い! 俺がそれを壊してやるよ、メッタメタにな」


 イルグレスは手始めにと、ベルトから小型の鎖鉄球を手に取り、僕目掛けて飛ばした。


 避けなきゃいけないのに、体が硬直して動けなかった。気持ちだけが逃げていく。体はそこに留まり続けているのに……。


「《風圧弾エアレド》!」


 横から放たれた一発は見事に鎖鉄球と衝突した。力を失った鎖鉄球は重力に従うがまま地面へと落ち食い込んだ。


 イルグレスは無言のままベルトから小さな黒い球体を取り、続けて投げ飛ばした。全部で数十個と言ったところ。


「《風圧弾エアレド》!」


 ルナは広範囲に散らばるそれを狙い、一つひとつ地面に叩き落とす。


 すると、地面に落とされた小さな黒い球体は次々と白煙を吐き出し始めた。辺り一体は忽ち白煙に包まれ視界を奪った。煙幕だ。


「《牆壁バリリル》」


 煙幕の中、また黒い球体が幾つも飛んで来た。それは《牆壁バリリル》や地面に当たると忽ち爆発を起こした。爆音が至る所から聞こえる。黒煙と白煙が入り混じり、灰色の煙となった。


 それから暫くの間、煙が消え去るまで《牆壁バリリル》の中で身を守った。


「ねぇハル、もし危なくなったらすぐ逃げてね」


 急にどうしたのだろう?


「今でも、ハルがいることに抵抗を覚えているの……」


 それは僕自身が決めたことで、ルナに迷惑をかけてしまったこともあるけど、役に立ったこともあったはず。それに、こんな状況で一人留守番なんてできやしない。


「だからね、私が逃げてと言ったら宿屋に駆け込んで欲しいの」


「ルナは……?」


「えっ?」


「ルナは帰ってきてくれるの?」


 その問いに若干の戸惑いを見せていた。


「もちろん、絶対に帰るよ」


「……でも、僕だけ逃げるなんてできないよ」


「どうして? これ以上私はハルを危険な目に遭わせたくないの。守りたいの……」


「それは僕も同じだよ。ルナを危険な目に遭わせたくはないし、一人帰っても気になって落ち着いていられないよ。だから二人で帰ろうよ……僕もルナを守りたい。ずっとそう思っていたし、伝えていたつもりだよ」


    ◇◇


「…………そうだったね」


 いつもハルのことを気にかけちゃうけど、それ以上にハルは私のことを心配してくれている。


 どうしてなの? 私には返しきれない恩が心を締めつけるくらい残っているというのに、そんなことお構いなしにハルは私の心を締めつける。


 この感じは? 痛いと思うはずなのに不思議と痛みはない。もう入り切らないと心が訴えているのに、まだそれを欲してる自分がいる。


 心ってこうやって成長していくものなのかな?


 優しい痛み。本当に嬉しい。ハル、優しいよ。もう誰かを不幸にするなんてこと考えなくてもいいくらいに。ううん、きっともう誰も不幸にならない。


 一番知りたがっている本人はそれには気付けない。優しさってそういうものだから。



 その時、カツンと何かが《牆壁バリリル》に当たったと同時に、ドォッガァァァァァァァァァァンと凄まじい爆発が起こった。地面に亀裂が入り、足元が不安定になる。


 私はバランスを崩したハルの腕を掴み、《牆壁バリリル》を解き、咄嗟に空中へ浮上した。


 黒煙が再び辺り一体を覆っていた。ド派手にやってくれた……。


 守ってばかりだからと、地面を崩して攻撃を仕掛けようとするとはバレバレな戦法。隠れてる位置もバレバレ……。


「《火炎弾イグレド》」


 物陰に隠れているイルグレスに向かって私は魔法を撃ち放った。着弾し炎が弾けたかと思うと、そこから人のような形が飛び出して来た。それは微動だにせず燃え続けている。


「何か変だよ……」


 ハルが言う通り変だった。いとも簡単にイルグレスが倒れるとは考えられなかった。それに燃えているのは人のように見えるが本当に人なのか?


「あれ、人形だ」


 ハルが目を細めていた。


「やっぱり人形だ!」


「……ってことは罠!」


「気付くのが遅いんだよ!」


 声のした後ろを振り向いた時には時すでに遅かった。下から伸びる鎖鉄球が背中にまで迫って来ていた。


「ぐっ……あっ……」


 ハルを掴んでいた腕に鉄球が当たった。痛みで手を離しそうになったが、何とか持ちこたえゆっくりと下降した。


 ハルを安全な所に降ろした私はイルグレスと対峙した。


「お荷物は置いておかないとな」


「お荷物じゃないハルだ!」


「やはりその口は永遠に閉じておく必要がありそうだ」


 シュッと風を切る音に乗り何かが飛んで来たと思うと、腕に激痛が走った。


「あぁ……ぐぅ……」


 腕には黒いクナイが刺さっていた。治癒魔法をかけながらクナイを引き抜く。先の戦闘の影響からか、体力がかなり消耗していた。


「ルナ!!」


 ハルが駆け寄って来ようとするのを治癒した片腕で制止した。


「ダメ、今は私のそばから離れて……」


「ははははっ、その苦渋に満ちた顔は至高だな!」


 再び風を切る音に乗りクナイが刺さった。次は太ももに、その次はまた腕に、そして太ももに……全身に激痛が走った。


「またあの時のように俺の道具になれ!」


「いやだ……」


 痛みに耐えながら腕を動かし、イルグレスに掌を向けた。


「そうかそうか、まだ抗うか」


 鎖鉄球が再び私を襲った。腹部に鉄球を打ち付けられ、棘が刺さり、私は吹き飛ばされた。


「あぁぁ――――――――――――あ!」


 体中から滴る血が若葉色の服を赤く染めていた。


「お得意の魔法も使えないとは嘆かわしいことだ」


「そんなに使って欲しいなら使ってあげるよ」


「無理だ」


 イルグレスは私に近づき、腹部に強烈な蹴りを入れた。


「……がぁ、はっ」


 ゴホッゴホッと抑えた口元からは吐血していた。その場に蹲る私を色を失った目が私を見下ろしていた。その後も殴打を繰り返された。今までの鬱憤を晴らすように。


「うぅぅぅ……がはっ……」


 蹴られる度に私は地面を転がった。ナックルダスターが威力を底上げし、また地面を転がる。転がった衝撃でクナイがより深く刺さる。その度に激痛が走る。繰り返される痛みで感覚が麻痺した。痛みに慣れてしまっていたのだ。


「ふっ、呆気ないな。そう言えば、お前と一緒にいたガキが見当たらねぇな。何処に行った?」


「ガキじゃない……あなたたちよりずっと大人……」


「生意気な口を聞くなっ!」


 がはっ……再び蹴られ地面を転がった。優しい若葉色をしていた服は至る所が血で真紅の服へと染まり、至る所が土埃で汚れていた。その姿は痛々しい。


 ゴホッ、ゴホッゴホッ。再び吐血した。


「何処に行ったかと聞いているんだ」


 イルグレスは私の前に屈むと、髪の毛を強く掴み引っ張り上げた。自然と頭が上がった私。


 こんな生気の感じられない顔、誰にも見られたくないよ……。


 まただ……と悔しさが目を潤していた。


「答えぬか」


「あなたに答える筋合はない」


「まだ痛み足りないようだな」


 その顔は殺気に満ち満ちている。そして、そのまま私を瓦礫の方へと投げ飛ばした。景色が走馬灯のように流れては消えていく。為す術なく空を飛んだ私は、受身の体勢を整えることが精一杯だった。


 ドッゴォ、ガッシャァァァァァァンと破壊音がダメージの総量を暗示していた。


 私はよろける体で起き上がり、刺さったクナイを痛みに耐え引き抜いた。もう目に映る景色はぼやけて世界が霞んで見えている。


 疲れた体と痛む体に鞭打ち《治癒サーナ》を行使する。淡い緑の光がみるみるうちに傷口を癒していった。


「あの勢いはどうした? 精鋭部隊を、シャッゼオを、デーガを戦闘不能にしたあの強さは何処に行った?」


 はぁ……っはぁ……呼吸が荒くなっていた。


「答えるだけの力も残っていないか。名残惜しいがそろそろお別れの時間だな……」


「お別れじゃない!」


 決して戦闘気質ではなくて特別強いわけでもない。私を助けてくれた人、優しい人になりたいと願っている人、私を守ろうとしてくれている人、良く見覚えがあって、ついさっきまで私の肩にしがみついていた人。


 そして、私の大好きな人……。


 目にはたっぷりと涙を浮かべ、息を切らし、両手で持った木の棒はどこで拾って来たものなのか。それをイルグレスの背後で大上段に構えていた。そして、重力と地力の合わせ技で振り下ろしたのだ。


「だぁ! がはっ……」


 気付くのが遅れたイルグレスはそのまま背中を殴打され、地面にひれ伏す体勢となった。


 駆け寄って来たハルは優しく私の体を起こし、傷だらけで汚れた私を見て、浮かべた涙を流していた。


「……遅くなってごめんね」


「本当だよ」


 精一杯の笑顔を作った。ハルを心配させないためにも気丈に振る舞う必要があった。


「武器を探し回っていたけど、全部黒焦げで灰になってた」


「私のせいだね」


「辛うじて使えそうな木の棒だけはあった」


「強いじゃん」


「そう?」


「だって、私を一方的に蹂躙してたイルグレスが地面にひれ伏してるんだもん」


「不意打ちだったからね」


「来てくれてありがとう、すっごく嬉しいよ」


「そんなの当たり前だよ」


 そんな愛のある言葉が戦場で交わされていた。


    ◆◆


「貴様らぁぁぁぁぁあ!」


 起き上がったイルグレスは怒りに満ちた顔で鎖鉄球を振り回し始めた。


「絶対許さない……」


 殺気がオーラとなって見える。


「イルグレス!」


 隣で突如叫んだルナ。頭上に掲げた掌には、紺碧の光の粒子が集い巨大な水の塊を形成し始めていた。


「そんなものやすやすと撃たせてたまるか!」


 ブンブンと風を切るように回転している鎖鉄球と共にイルグレスが突撃して来た。


 まだルナの魔法は時間がかかりそうだった。水の塊は拳1つ分程度。ルナはアイコンタクトでもう少しかかると伝えて来た。


 これは僕の出番だと、先程拾った木の棒を構え、イルグレスに向かって走り出した。


「うおぉぉぉぉぉお!」


 イルグレスは僕のまさかの行動に面食らっていた。慌てて攻撃対象を僕に変えたが遅い。僕は手に持っていた木の棒を鎖鉄球に向けて投げ飛ばしていた。しかし、容易くそれを弾くイルグレス。

 だがこれだけでは終わらせない。足元の瓦礫を間髪入れずに次々と投げ飛ばした。しかし、それも鎖鉄球が悉く無下にした。それでも、投げることをやめるわけにはいかなかった。後退しながら、時間稼ぎになればと思いながら続けた。


 その時だった――


 鎖鉄球で弾き損ねた瓦礫がイルグレスの手を襲ったのだ。瓦礫が鎖鉄球を持つ手を打ち付けた。

 イルグレスは思わずその手から鎖鉄球を離してしまっていた。制御を失った鎖鉄球は宙を舞い、地面を抉り数十メートル先に横たわった。


「……舐めた真似をしてくれるじゃねーか!」


「……痛みを知っていますか?」


 僕は手を押さえるイルグレスに問う。


「は?」


 意味が分からないと言っている。


「……痛みを知ってますか?」


 僕は再び問う。


「俺に問うなどお前も命知らずだな。そんなにあいつよりも先に殺られたいのか? それもそうか、目の前でガールフレンドが死ぬのは耐え切れないもんな……」


 イルグレスは少し考え込むように視線を逸らした。


「そうか、俺に気を利かせてくれたのか? 愛するボーイフレンドが目の前で死んだ時の顔を見せるために」


 くっくっと不敵に笑っている。


「そんなわけないだろ!」


 自分でも驚くほどの声量の怒声だった。


「……お前ってそんな声出せるんだな? あいつの後ろで怯えた顔しかしてなかったから、てっきり弱虫ちゃんだと思ってたわ」


 今度は嘲笑っていた。


「……確かにそうだよ。僕は弱虫で、バカでドジだ。だけど、だけどお前よりは弱虫で、バカでドジじゃない!」


「そうかそうか、言ってくれるね……大人を舐めるなよガキが!」


 その時、僕の頬に冷たい金属が突然打ち当たった。目の前の世界が傾いたと思うと、そのまま横転し激痛が走った。


 その原因を確かめるように頬を押さえた掌には、血が等間隔でついていた。


 そっか、殴られたんだと今になって理解した。


「ハル……」


 ルナの声が聞こえた。


 けれど、視線を上げた先に立っていたのはイルグレスだった。


 立てと僕の胸倉を掴み、されるがまま膝立ちになる。そして再び殴られようとしていた。朦朧とする意識の中、右手を大きく振りかざしたイルグレスが目に映った。


「ハルから離れろ――!」


 ルナの怒声が響いた。そして、ルナは獲物を狩るが如き形相で掌をイルグレスへ向けた。


「《水禍水龍砲ギガラアクラザスタ》!」


 頭上の巨大な水の塊から龍が飛び出たかのように水がうねり、大きな口を開け、イルグレスに向かっていった。それはまるで全てを飲み込む水の龍。


 その時、僕の体がふわっと傾いた。なぜか僕にあの水の龍が迫って来ていた。


 あぁ、そうか。きっと盾にさせられるんだ……。


「ハ、ル……!」


 このまま水の中に入っちゃえばルナの所まで運んでくれるかな……?


 ルナの声が聞こえる。


「ハル!」


 僕の名を呼ぶルナの声が聞こえる。


 そうだよ……ルナが見てる前で、こんな無様な姿は見せられない。


 僕が守るって決めたじゃないか!


 こんな人間の言いなりになって、されるがままなんて絶対にお断りだぁ!


 僕は力の限り、イルグレスに頭突きを食らわす。頭痛に襲われる中、怯んだイルグレスを突き飛ばした。その水の龍へと。


「貴様ぁ――――――――――――ぁあ!!」


 水の龍に飲み込まれたイルグレスは地を這い、《牆壁バリリル》にもたれかかっていたデーガの隣に水の龍諸共激突した。


 水浸しの地面に転がっているイルグレスは微動だにしなかった。


 はぁ……っはぁ……息を切らしたルナが地面にへたり込んでいた。


 僕はルナに駆け寄った。


「ありがとう」


「ありがとう」


 お互いに見つめ合い言ったこの言葉は、何物にも変え難いほどに優しかった。


 傷治すね、とルナは自らのボロボロの体を差し置いて、僕に《治癒サーナ》を行使する。


 痛みが徐々に薄れていく――


 そして、ルナは自分の体にも《治癒サーナ》を行使するが、僕の時よりも魔法の放つ光が弱く感じられた。


「……ぁ、はぁはぁ…………」


 完全に治癒できず地面に手をついていた。体が悲鳴を上げていたのだ。それは限界のサインだった。


「無理しない方が……」


「うん。辛いけど、大丈夫……」


 あれだけの戦闘を繰り広げ、体がこんなにもボロボロになってしまっているのだ。辛くないわけがない。


 僕はルナの役に立てたのだろうか?


 足を引っ張っただけではないのか?


 僕が居なければ、ルナはこんなにも傷つかったのではないのか?


 頭の中で巡る巡る思いが後悔となっていた。その時、空気をも震わす怒声が響いた。


「貴様らぁぁぁあ!」


 イルグレスの吹っ飛んでいった方に視線を移すと、そこには立ち上がり、離れていても分かるほどに憤怒のオーラの感じられるイルグレスがいた。


「……許さねぇ……許さねぇ、許さねぇ、許さねぇ許さねぇ許さねぇ許さねぇ許さねぇ許さねぇ許さねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 それは憤怒を超え、怨念と変化していた。


 イルグレスはベルトからナイフを一本取り出した。陽光に当てられ鋭い刃が光っている。そしてイルグレスの形相もまた不敵に光っている。


「二人まとめて地獄行きだぁぁぁあ!」


 ナイフを突き出したイルグレスは全力疾走で向かって来た。鬼のような形相に体が自然と畏怖した。


 僕は近くにあったものを咄嗟に投げ飛ばしたが、華麗に避けられた。

 ルナは足に力を込め立ち上がった。そして魔法であらゆるものをイルグレス向かって投げ飛ばし始めた。


 それに進路を妨害されようとも、体を叩きつけられようとも、執念で突き進んでいた。その執念にまた畏怖し、ルナと共に一定の距離を保ちながら後退した。僕たちの攻撃の手が疎かになった隙を見計らい、イルグレスは仕掛けた。


 ナックルダスターの装着された右拳がルナを捉えていた。それを華麗に躱すルナ。イルグレスの右拳は明後日の方向に飛ぶ。


 だが、その時を僕は見逃さなかった。イルグレスの左手に握られたナイフがルナに襲いかかるのを……。


 ルナは右拳をかわしたことで、ナイフの握られた左手が見えない位置に移動してしまっていた。このままではナイフがルナの腹部に突き刺ささってしまう。


「避けて!」


 叫びながら僕は突っ込んだ。これ以上傷つくところはもう見たくないと心から希っていた。それが反射的に身体能力を底上げし、気付いた時には、ルナを抱え込むようにうつ伏せになっていた。


「いっ……ぐっ、あぁぁ――――――――――――ぁ!!」


 悲痛な叫び声と共に、二人は地面に倒れ込んだ。腕に風穴を空けられた時と同様の激痛が、今度は脚に走った。蹲るようにして押さえた太腿にナイフが刺さっていた。


 涙が流れた。これは痛みからのか、守れたことの安堵からのなのか、それは自分でも分からないけれど、無性に泣きたい気分だった。


    ◇◇


「……っ、ハル! ハル!!」


 呻き声が耳を擽る。耳を塞ぎたい。目の前の現状から避けたいと訴えている。


 ハルを守れなかった悔しさ。傷つけてしまった心の痛み。イルグレスに対する怒りが込み上げて来る。


 視界が潤み、ハルがよく見えない。早く手当てしないと。


 早く……早く、早く早く――


「いい気味だな、ひっひっひっ」


 焦燥に駆られている私に、薄気味悪い笑い声が後ろから飛ばされた。


 私はそれを無視してハルの元へ駆け寄った。


 太腿に刺さったナイフを抜き、治癒魔法をかけた。ハルは痛みで体が縮こまっていた。


「《治癒サーナ》!」


 早く……早く、早く治って!


 体中の魔力が枯渇していた。もう大きな魔法は使えない。治癒魔法と言えどこれが最後になる気配がしていた。魔力が尽きてしまう前に、何としても治したかった。


 ハルの顔色が次第に良くなっていく――私は乗り切れた安堵から体の力がドサッと抜け落ちた。


「……ありがとう」


「良かった……本当に良かった。大事に至らなくて……」


 戦場でこの暖かい空気に包まれても良いのかと思ってしまうほどに私の心は熱を帯びた。しかし、ここは戦場、突然冷めきった空気が流れてきてもおかしくはなかった。


 薄気味悪いイルグレスの笑い声、フラフラと体を左右に傾けながら近寄って来ていた。それはさながらゾンビのよう。怨念で動いていると言っても過言ではなかった。もうベルトもペラペラに薄くなっており、武器と言えるものはナックルダスターのみだった。


「ひっひっひっ、二人とも俺の拳に打たれて奴隷となれ!」


 フラフラしていても拳の軌道だけは一直線だった。それに風を切るような勢いはなく、ただ正確に狙いを定める必要最低限の勢いがあるだけだった。


 躱すまでもなく、私は思いっ切りビンタを食らわした。跪いたイルグレスに私は言う。


「あなたは今までどれだけ同じことを繰り返して来たの? どれだけ誰かを痛みつけて来たの? 私を騙し、奴隷のように扱い、私から何もかも奪おうとした。挙句の果てハルの命まで! 軽率に命を扱うこと、絶対に許されない!」


「ひっひっひっ、前に言っただろう。俺はただこの世界が欲しいだけだ。そのために使えるものは何でも使う。奪えるものは何でも奪う。そんな時に使いどころしかなく、奪うものしかないお前と出会ったんだ。これは運命だと確信した」


「ふざけないで!」


「おぉ、まだ疲れを知らぬか。だが、その威勢の良さもそこまでだ。力を貸すことしか選択肢がない状況に陥れてやる……ひっひっひっ」


「呆れる。その大罪、一生をかけて償いなさい!」


 私は《魔法空間マーズ》を行使し、中から金色に輝く鈴を手にした。


「……統御の鈴、よこせ、よこせ、よこせよこせよこせ!」


 イルグレスは地面を這い、血に飢えた肉食獣のようにそれ一点を見つめていた。馬鹿で、愚かで最低の人間だ。


「あげるわよ」


 最後くらいは願いを叶えてあげようという慈悲で言った。


 私は鳴らす。


 チリンチリン。クリアな音が響く。


 澄んだ音が《牆壁バリリル》で区切られた空間に響き渡った。


 この戦場にいるハルを除いた全ての人が立ち上がる。なぜ、急に立ち上がったのか? どうして体が意思と反しているのか? そんな困惑した表情を皆一様に浮かべていた。


 再び鳴らす。


 チリンチリン。クリアな音が響く。


 澄んだ音が《牆壁バリリル》で区切られた空間に響き渡った。


 急に動き始めたかと思うと、自分の意思とは無関係に動く体に、困惑の表情を皆一様に浮かべていた。一列に並んだ彼らの先頭にイルグレスを並ばせた。


「貴様っ! 何をした!」


「よこせって言ったからその願いを叶えてあげたんだよ。統御の鈴の力を使ってあげたの」


「ふざけるなぁぁぁぁぁぁあ!!」


 そして、指先から発せられた青白い光が彼らの頭部目掛けて襲いかかる。あの魔法、《記憶操作デラ・メモリア》で私にまつわる全ての記憶を人間としての私に改竄した。


「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


「何をした!」「俺は雇われただけだ!」「今すぐぶちのめしてやる!」


 彼らの怒声が聞こえる。私は気にも留めずに、戦場を覆っていた《牆壁バリリル》を解いた。


 彼らは隊列を崩さずに行進し始める。軍隊の行進そのものだ。ただ口だけは乱れた行進をする。ブツブツと文句を吐き出す者、声を荒げて罵詈雑言の数々を吐き出す者、絶望に染まった顔の者。口と頭だけは今は自由だ。でも、その内に全てが自由じゃなくなる。今までの罪状を自らの口で兵士さんたちに白状するのだから。


 その後のことは……言わなくても分かる。


 路地裏から大通りに向かって進んでいく後ろ姿に統御の鈴を重ねた。統御の鈴は3回鳴らすと傀儡と化す。そして4回鳴らすと、鳴らした3回分全てを帳消しにする。

 もう1回鳴らすのはやめておこう……そこまでしたら私が彼らの尻拭いをしなきゃいけなくなる気がするから。


    ◆◆


「ルナ……」


 僕は何かを必死に堪えているルナに呼びかけた。


「ハル……うぅ、うぅぅぅあぁぁぁぁ…………」


 ルナは僕に突然抱きつき、大粒の涙を流して泣き始めた。


 そして、僕も自然と涙が出ていた。まるで心が共有されているみたいに。


「傷つけてごめんね……巻き込ませてごめんね……」


 か細く震えた声だった。それは僕にとって謝ってもらうほどのことではなかった。これは僕自身が決めたことだから。逆に守れるだけの強い力がなくてごめんねと謝りたい。


「僕の方こそ強くなくて、守ってもらってばかりで、迷惑かけてごめんね……」


「そ、そんな事言わないでよ……私、助けてもらったよ。守ってもらったよ。だから今があるんだよ。ハルが謝るなら私はもっともっと謝らなきゃいけない……」


「……ごめん」


「謝らないでよ……」


 僕は再びごめんと言いそうになった口を噤む。

 僕の胸に顔を埋めたまま、ルナは震えていた。恐怖、安堵、無力、責任、それら全てがそうさせているのだと思う。


 どんなに近づこうとも、ルナの気持ちは正確に感じられない。それでも、寄り添ったことで分かる気持ちもあった。肌で感じる震えた体、耳で聞く震えた声、目で見る傷ついた体。そして心の叫び声である涙。他人が知れるその人の正確な気持ちの体現だ。


 こういう時になんと声を掛けたら良いのか、直ぐには思いつかない。そもそも声を掛けるべきなのか?


 結果、今できることはルナ思うままにさせてあげること。それは確かなことだった。


 言わないでと言われたらどんなに自分の思いがあってもそれを言わない。


 抱きつきたいならそれを拒まない。


 泣きたいならそれを否定しない。


 そう僕は思った。



 時の流れに今は身を任せよう――

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