邂逅遭遇

 暫くの間、ルナの時の流れに身を任せていた。


 儚くも包み込むような優しい茜色の空が遠くに見えた。


 戦場だったここには魔法の痕跡、武器の残骸、廃倉庫の瓦礫。まるで地面が、空気が泣いているようだった。


 その中で一人立ち尽くしている少年と、少年の胸に顔を埋めた啜り泣く一人の少女。寂しい風景の中の二人からは、魅力的で幻想的な愛を感じられる。


「……ハル、ありがとう」


 ルナの目は赤く染まり、涙跡が頬に刻み込まれていた。


「帰ろうか……」


 優しく問いかけた。


「うん……」


 それに優しく答えてくれた。


 僕たちはもう二度とこの場に足を踏み入れることはないと辺りを一瞥してから細い路地裏の中を進んでいった。


「……つないでいい?」


 僕は首を傾げた。


「手、つないでいい?」


 ルナは気恥しそうにもじもじしながら自分の両手を合わせていた。

 その空気感が僕にまとわりつき、無性に気恥ずかしくなる。


 手を差し出して来たルナ。その手は決して大きくないが、僕にとっては大きな手だった。その大きさは、今だからそう思えるのかもしれない。


 僕はさり気なくそっと手を繋いだ。柔らかく暖かい手が緊張を解いていく。

 優しく握った手が強く握り返された。包み込まれた手は、もう離すことも離されることもないだろうと自然と思った。


 それからは会話も上手く続かず、結局大通り手前まで帰って来ていた。


 すると、ルナは突然足を止めた。


 何事かと思いルナに視線を向けると、申し訳なさそうに自分の容姿に目をやっていた。


「服、どうしよう……」


 手は離さないけど服は今すぐ離したいと言わんばかりの目で訴えて来た。僕自身もそれは同じで、同じく困っている。


 宿屋まではもう少し距離があった。このまま大通りを歩けば、治安維持のためと職務質問で兵士さんに囲まれること間違いないだろう。


 赤と茶で染まった服はボロボロだ。デザインとはさすがに言い難い。いや、言える勇気がない。そもそも路地裏から出る勇気すらないのだから。


 どうしようと頭を抱えていた時だった。体が再びむず痒い感覚に襲われた。なんだろう……ボロボロの服が痒さの原因?

 

「あれ? ハルさん?」


 聞き覚えのある声が大通りの方からした。僕たちは二人揃って顔を上げる。目に映るは10代後半に見える一人の女性。

 肩を過ぎるくらいの茶髪は緩くウェーブがかかっており、髪飾りの白く輝く一輪の花のブローチが可愛らしさを引き立てている。ワインレッドのパーカーに白のロングスカートを着込み、胸元には大きな黒いリボンがあしらわれていた。可愛らしい印象を与える装いに身を包んでいた彼女は……。


「フィオナさん!」

 

「やっぱりハルさんだね! 元気だった……と聞くのは野暮かな?」

 

「そうしていただけるとありがたい」

 

「それにしてもどうしてこんなところで突っ立ってるの?」

 

「実は、服が汚れたから大通りを歩けなくって……」

 

 確かにと、フィオナさんは僕たちを足から頭まで一通り見ると頷いた。そして、僕たちの期待の眼差しがフィオナさんを照りつけていた。

 

「えっとー……」


 微妙な顔つきで首を傾げられた。

 

「…………」

 

「分かりました……服ですね!」

 

「「ありがとうございます!」」


 久しぶりに出会った相手、その上たった一度だけ関わりを持った相手に対して、『服買って来て』など言えるものではない。


 そう、僕たちは言っていません。無言を貫いていたところをフィオナさんが察してくれたのです。なんとお優しく察しの良いお方なのだろう。僕たちは感極まり寸分の狂いもないお礼を言うに至ったのだ。

 

「どうしたの?」


 フィオナさんの後ろからちょこんと顔を出す人がいた。体をフィオナさんの隣に並べたその人はフィオナさんと同年代に見える。

 金髪ストレートで黒いつば広帽子を被っており、ゆったりとしたセレストブルーのトップスに、下は白のロングスカート。シンプルな装いに身を包む彼女は少し大人びた印象を与える。地面に引っ張られるように伸びた指先を下腹部前で揃え、踵同士がピッタリとついた背筋の伸びた立ち姿勢。所作は丁寧で完璧と言える。

 

「マリアさん」


 フィオナさんが呼ぶその名は、本当の友達の名でした。僕たちはさすがお嬢様と感心している一方で、マリアさんは訝しむ表情で、善か悪かを品定めするようにまじまじと見つめていた。


「マリアさん怖いよ、かわいい顔が台無しだよ」


 フィオナさんのその一言で我に返ったのか、恥ずかしさからなのか頬を紅潮させていた。


「そっ、そんなことありませんわ。これはね、私たちに危害を加える人物か確認していましたの……そうですわよ」


 慌てながらジェスチャーを交えて必死に説明するマリアさんは、まだ年端もいかない少女のようだ。


「ありがとう、心配してくれてたんだよね」


「ま、まあ、そうなりますわね」


 照れくさそうに頷くマリアさん。こんな表情を見たら初対面でも、守られるよりも守ってあげたいと思ってしまう。

 

「大丈夫だよ、この人たちは前に話した冒険者の方々……なの?」


 突然、デクレッシェンドを始めた声に誰しもが不思議に思った。

 

「ルナさんが見当たりませんが、もしかしてこちらの方がルナさんですか?」

 

「お久しぶりですフィオナさん」


 丁寧にお辞儀をしたルナ。

 

「えぇ――――――――!!」


 驚き慌てるフィオナさん。


 それもそのはず、フィオナさんとは妖精の姿でしか顔を合わせていないのだ。そのまま人の姿になったとはいえ半信半疑なのはよく分かる。自分もそうだったから。身長の差と羽があるかどうかでは、与える印象がまるっきり違うのだから。

 

「ルナさん……成長しましたね。成長期ってやつですか? 妖精の成長期ってすごいんですね!」

 

「…………」


 そんなことを言われるとはお互い想定外だった。思わず黙りとしてしまった。いや、笑いを堪えていたと言った方が適切だ。顔には出さないけれども心はクスクスと笑っていた。

 

「あれ? 違いました?」


 無反応な僕たちを見るなり不安に駆られるフィオナさん。

 

「成長ってよりかは変身かな。人の姿にもなれるの妖精は」

 

「そうなんですね、マリアさん知ってた?」

 

「いいえ、そもそも妖精と初対面で驚いています」

 

「初々しい」

 

「何を仰っていますの?」

 

「マリアさんでも知らない事あるんだね」

 

「私をどんな人だと思っていますの?」

 

「少し不器用で」

 

「うぅ……」

 

「優しくて」

 

「はぁ……」

 

「頼りがいがあって」

 

「はわぁ……」

 

「かわいくて」

 

「ふぇ……」

 

「それでね――」

 

「そ、その辺にしておいてくれるかしら……身がもたないわ……」

 

「そうなの?」

 

「色々とあるってことにしておくわ」

 

「あっ、マリアさんのそういう照れ屋さんなところも好き……」

 

「あなた一体何を仰っていますの!」

 

「顔真っ赤にしてかわいいっ」

 

「もぉ――――!」


 なんだか目の前のお二人だけ全く別の時間軸にいるように感じた。正確には同じ時間軸だけど、出来上がった二人の世界と僕たちとには感じる時の流れの速度に違いがあった。


 そんな風に一気に二人の世界観に飲み込まれてしまった。僕たちは服が欲しいだけなのに、いつの間にかマリアさんを可愛がるフィオナさんを眺めているだけの野次馬になっていた。


 そういうわけで二人の会話は終わりそうになかった。

 

「あのー」


 ルナが声をかけるまでそれは続いていた。

 

「そろそろ服を……」

 

「あ、そうだったね! マリアさん行こう」

 

「えっ、どっ、どこに?」

 

「服だって!」


「えっ、あっ、服がなんですの?」


 フィオナさんはマリアさんの手を引いて大通りをスタスタと駆けていった。遠くでマリアさんの戸惑う声が微かに聞こえた。


 二人が居なくなったことで路地裏はまた静寂に包まれた。薄暗い中、大通りを見つめてただ突っ立っている二人を、行き交う人々が少し訝しそうに横目で一瞥しているのを感じた。


 さすがに気まずくなり、路地裏の奥、物で溢れた中にある木箱の上に腰掛けた。二人くらいは座れそうな大きさだった。


 ルナも座るように促したが、「ちょっとごめんね」と路地裏の奥へと小走りで行ってしまった。


 どうしたのかと気にはなったが、追いかける気は毛頭なかった。ずっと一人になれていなかったのだ。一人の時間も必要だと、僕は心配になる気持ちを押し殺した。




 どれくらい経っただろう――

 

 薄暗い路地裏は本格的に暗くなり始めた。日が傾いて来ている。


 体感的にはまだ数十分と言ったところだが、空は一気に夜へと駆けていた。

 

「ハルさーん! ルナさーん!」


 僕たちを呼ぶ声がした。フィオナさんだ。急いで大通りの入口へ向かうと、大きな紙袋を持ったフィオナさんとマリアさん、そしてはじめましての方が立っていた。

 

「服飾士の方を連れて来ました!」


 服飾士……? 普通に疑問であった。


 それに、フィオナさんの快活な声とは裏腹に、マリアさんのやつれた顔がどうにも気になる。服飾士を連れて来ること自体聞いたことないが、やつれることも見たことない。

 

「あれ、ルナさんは?」


 僕はそれまでの経緯を簡単に話すと、そうなんですねと一言。

 そして、綺麗にしましょうと服飾士の方を紹介してくれたフィオナさん。


「ご紹介に預かりました服飾士です」


「……よろしくお願いします」


 訝しみながらお辞儀した。


「それでは始めます」


 何を? と僕の不安をものともせず服飾士の方は手を向けていた。


「《服飾再生サイホウ》」


 みるみる内に全身が淡い緑光に包まれていく。体というより服がその光に包まれていた。

 両腕に空いた血の滲んだ穴や服に着いた砂埃、汚れが次々と綺麗になっていくその光景に感動した。気付けば家を出た時よりも綺麗に思える服をこの身に纏っていた。

 

「元通りですね! さすが服飾士さんです!」

 

「男性のファッションがよく分からず、今の服を修繕できる方をお連れすることにしました」

 

 最初はなぜ服飾士さんかと思いましたが、目の前の現実とその理由を聞いて納得した。

 

「ありがとうございます、マリアさん」

 

「喜んでいただけたのなら嬉しい限りです」


 あのやつれた顔も出会った時の顔に戻っていた。ちょうどそこに後ろからルナが小走りでやって来た。

 

「ごめんね、遅くなっ……ちゃった……その方は?」


「服を修繕してくれた服飾士の方」


 どうもと僕の紹介に合わせてペコリと頭を下げていた。一方のルナは、なぜと言わんばかりの目でいながらも頭を下げていた。


 そこでフィオナさんは簡単に事の顛末を説明し、その延長線とばかりにルナへ大きな紙袋を手渡した。


「私とマリアさんで選んだ服です。ハルさんも見惚れちゃうかも知れませんね!」


 一体どんな服なんだと想像する。


「ハル、変なこと想像してないでしょうね?」


「えっ、してないしてないです」


「絶対、妖精神様に誓って?」


「絶対、妖精神様に誓って」

 

 ルナはにこやかに頷き、紙袋を大切そうに抱え、路地裏の奥の方へと消えていった。


 服飾士さんとはここでお別れになった。厚意で無償でやってくれていたとの事、大変ありがたかった。本当に僕のためだけとは感謝しかない。三人でお礼を言い、僕は何度もお辞儀をして感謝の気持ちを伝えた。



 にこやかに立ち去る服飾士の方を見送った数分後――


 若草色のドレスを着込んだ一人の眉目秀麗な女性が姿を表した。路地裏の薄暗い空間を春に変えてしまうような。少なくとも僕はその女性に見惚れていた。


「綺麗です! ルナさん」


 目を輝かせるフィオナさん。少し口角を上げたマリアさん。


「ハルはどう?」


「すごく似合っているよ」

 

「あ、ありがとう……」


 ルナの頬は朱に染まっていた。

 

「全部試着してくれたマリアさんのおかげだね!」

 

「本当に……」


 マリアさんのやつれた声がその壮絶さを物語っていた。


 なるほど、そういうことかとマリアさんのやつれた顔の原因が分かった。単にフィオナさんに振り回されていただけなのだ。

 

「ありがとう、私こういう服初めて着る。穏やかな服って言うのかな? 一度着てみたかったんだ」


 その場でドレスの裾を翻しながらくるりと回って見せたルナは、幸せに満ちた笑顔だった。



 大通りを歩く僕たちは周囲の注目を集めるだけ集めた。女性陣のおしゃれな服装は輝いて見え、平素な服装の僕はある意味輝いて見える。

 男性一人に傅く女性三人の組み合わせは注目を集めないわけがなかった。


 こんなことはあってはならないと高鳴る胸を押さえつけ、煩悩をねじ伏せる。そして、周囲から浴びせられる視線に動じない強靭な心を養えと己に命じる。しかし、慣れない環境にどうしたら良いのか、結局はルナに助けを求めるに至っていた。

 

「どうされましたか? 

 

「……ふぇ?」


 思いがけない返答に素っ頓狂な声が出てしまった。ルナまで一体全体どうしてしまったのだろう。

 僕は反対側を歩くフィオナさんとマリアさんに顔を向ける。

 

「「どうされましたか? 」」


 すると、今度は二人揃って言われた。本当にどうしてしまったのだろう……。


 僕が戸惑いを隠しきれずにあたふたと辺りをキョロキョロしていると、三人揃って微笑し、そして哄笑に変わった。


 やっぱり何がどうなっているのだろう…………。


 同じ時の中を過ごしているのに、一人だけ置いていかれたような、そんな気がしてならなかった。

 

「ふふっ、ハルさんって面白いですね」

 

「このような男性には初めて出会いました」


 僕みたい人そこら中に居そうだけど、と不思議に思った。だから、その意外な言葉にルナは尋ねていた。

 

「マリアさんってどういう男性となら出会ったことあるんですか?」

 

「商家や財閥、貴族の男性の方としか関わりを持ったこともありません。なので、その普通とやらが分かりません。お話する時も婚姻のことが論点となっていましたので、楽しいなんて思えることはありませんでした……」


「マリアさんはずっと女学園だったもんね」


 フィオナさんが付け足した。


「はい」


「ハルさんはどう?」


 フィオナさんが訊く。


「どうとは?」


 疑問がマリアさんの声から感じられる。

 

「人間的にとか、異性として」


 それは本人の居る前で訊くべきことではないはずだという僕の心配を他所に、マリアさんは普通に答え始めた。

 

「いえ、良いと思いますよ。どこかの資産や名声しか考えていない男性よりも、周りに愛されている普通の男性の方が、私は好みです」


 少しの沈黙を挟んでから、フィオナさんは叫んだ。

 

「あぁー! マリアさんそれってつまり……」


 フィオナさんが余計なことを訊こうとしている。そして、それにルナはなぜか参加していない。一番興味を持ちそうなことなのに、眉間に皺を寄せ、頬をぷっくりと膨らませているだけだった。

 

「告白ではないですよ。私には生涯守りたい人が隣にいますので」

 

「マリアさん……」

 

「フィオナさん」


 手を繋いで楽しげに話す二人の空気にまた飲み込まれそうだった。


 その時だった。ガシッと片腕を引っ張られ、体がルナの方へと傾いた。

 

「私たちもしよ!」


 なぜかその瞳は燃え盛っていた。まさか、同じことをしようとしている?

 ルナは引っ張った腕に沿うように僕の手を握った。そして必要以上に体を密着させて来る。これはいくらなんでも駄目だ。


「こんな人目のつくところで……」


 と、僕は小さく囁いたが、そんなことお構いなしと言わんばかりに、強く手が握られた。


 路地裏ではそこまで恥ずかしくなかったが、大通りはさすがに限界だった。


 何も考えられないと頭が沸騰する。最早正常な判断など僕にはできない。ルナの歩く速度に、微かに聞き取れるルナの言葉に、相槌を打ちながら時の流れに身を任せていた。




 それからどれくらいの時が流れただろう――


 気付けば宿屋の部屋にいた。今朝、頭の中で決意を固めて飛び出した部屋にはもうその決意はなく、大通りを歩いていた途中からの記憶がないことだけが今の僕の思考を形作っていた。


「ハル、大丈夫? ずっと上の空だけど……」


 それはルナのせいだよなんて言えない。


「疲れたね」

 

「そうだね」

 

「パン食べる?」

 

「食べる」

 

「はい」


 クロワッサンが差し出された。

 

「ありがとう」


 淡々と流れる会話に覇気がないことは体が物語っていた。


 口に運ぶパンは一口サイズに千切っていようと、噛み砕く顎は重く、飲み込む喉はもっと重かった。お腹は空いているのにそれに応えようとしない口と気持ち。疲弊した体にパンは重かったのかもしれない。

 

「ハル、ありがとうね」


 それはきっとあの時のお礼だろう。

 

「……うん」


 僕はこういう時、なんと言葉を返したら良いのか? それが分からず、ただ頷くことしかできなかった。

 

「そんなハルに朗報です! 次の目的地は妖精の森だよ」

 

「……えっ?」


 突如として言われた言葉に、僕は驚きを隠せなかった。いつかは辿り着く目的地、それが決まっただけの事なのに。

 

「私の親友が今、妖精の森に帰って来てるの!」

 

「そうなんだ……って言うかどうやって知ったの?」

 

「妖精は離れた仲間同士でもテレパシーを使ってコミュニケーションを取ることができるの。相手を強く思い浮かべて会話をする感じ」

 

「へぇーすごいね」

 

「あんまり興味なさそう……」

 

 じとりと僕を見つめるルナ。

 

「人間にはその感覚が分からなすぎて……」

 

「まぁ、そういうことだから明後日、妖精の森に行きます」

 

「僕が行っても本当に大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ。元々会ってもらう約束だったし、妖精の英雄さんとしても、私個人としても紹介したいからね」

 

「英雄……本当はそんな身分じゃないけどね。その個人的にもってのが分からない」

 

「それは……まだ言えないかな?」


 焦れったい。ニカッと笑うルナは嬉しそうにも企みを抱いているようにも見えた。


 部屋の空気はだいぶ軽くなり、のしかかるような重さはなくなっていた。淡々と流れていた会話も軽快なリズムを取っていた。


 手に持ったパンも残り一口となっていたことに気付く頃には、噛み砕く顎は軽く、飲み込む喉はもっと軽かった。


 少しの会話でもルナと話していると自然と疲れが吹き飛んでいた。ただ、足だけは鉄球の付いた足枷を引き摺っているみたいに重かった。


 僕はそのままベットに横たわると、沈み込む重力に身を預けるしかできなくなっていた。


「あれ、フィオナさんたちは……?」


 そう言えばと気になった。あれからは曖昧な記憶しかなかった。

 

「近くの宿屋に入っていったけど……そこから上の空だったの?」

 

「みんなにからかわれた辺りからかな……」

 

「それじゃあ、明日の約束も覚えていないの?」


 明日、約束? なんだそれ……全然、記憶にございません。

 

「覚えてないみたいだね……」


 若干の呆れ顔をした後に、簡単にあれからのことを話してくれた。


 二人は旅の途中で、明後日この国出立するそう。明日は特段予定がなく、早めに出立しようかと考えていたところで僕たちと出会った。そこで、折角会えたからと遊ぶ約束を交わしたそうだ。


 明日も明日でまた違った忙しさになりそうだと、一抹の不安が脳裏を過った。

 

「今日はもう休もうか……」


 最後のその提案には大賛成だった。あれだけの事が一日で起こったのだ。戦闘なんて初めて経験だ。精神的にも、肉体的にも味わった事のない疲労が体を支配していた。

 

「そうだね、結構疲れた……」


 隣のベットに倒れ込むようにダイブしたルナは、こちらを向くと、またニカッと笑った。空元気でもそれが嬉しかった。

 

「今日はありがとうね。ハルがいなかったら私はずっと逃げていたと思う」

 

「僕はルナの判断が間違っているとは思っていなかったよ」

 

「ありがとう」


 そしてまたニカッと笑うルナに、僕も笑って応えた。



 静寂な夜が終わり、喧騒な朝が始まる。



 カーテンの隙間から注ぎ込む陽光は、まるで明るい一日の始まりを示唆するように囁きかけていた。カーテンを開けると、窓辺に二羽の青い小鳥、互いに顔を合わせては時々小首を傾げている。飛び立つ前に落としていった囀りは、幸せのお届けものとして耳の奥に残った。


 窓を開けると朝の涼し気な風が一気に部屋に充満した。部屋の中を駆け巡る風を目で追うと、布団を深く被り、目を閉じているルナが視界に入った。


 ぐっすりと眠るルナを起こさぬように部屋を移動し、紅茶を注いだ。体は随分と軽くなり元気いっぱいだ。僕は椅子に腰かけ、紅茶を嗜んだ。


 昨日と打って変わって平穏な一日になることが目に見えていると言っても過言ではない。


 そう、僕は平穏な一日になると思っていた。


 しかし、現実はそこまで甘くなかったのだった……。


 ルナが起きるなり、「紅茶入れてー」とか「肩揉んでー」、「パン買ってきてー」となんだか急に甘えん坊さんになっていた。


 急にどうしたのと訊きたくて山々だったが、次々と降って来る仕事が訊く暇さえ与えなかった。


 一日の始まりから多忙を極めていた。そして今はルナとフィオナさん、マリアさんに付き合わされ、喫茶店で女子会に参加していた。


 僕が。


 僕がいる時点で女子会ではないのでは? と訊いても、女子会だからと頑なにその名称にこだわられた。


 というわけで、自分の心臓の音が鳴り止まぬ時の中を僕は過ごしていた。その内、破裂するのではと思うほどには緊張していた。


 なぜか不思議と、僕のいる女子会は淀みなく進んでいた。僕ただ一人を除いては……。


 聞いて良い話と聞くべきではない話が、縦横無尽に両耳の傍を駆け巡っている。

 特に恋話などはとても厄介だ。これは聞いて良い話か、聞くべきではない話かまるで検討がつかない。


 そんなだから、取り敢えず店員さんに必要以上の注文をして、常に口をいっぱいに食べること、飲むことに集中していた。

 

 もうお腹はパンパンだった。それでも、必要以上に注文してしまった料理の数々が地平線のように続いている。

 

「お金大丈夫?」


 それを見かねたルナが一言。後先考えずに行動した僕は後悔していた。それに見かねたマリアさんは一言。

 

「気になさらないでください。私が払います」


 なんとお優しいのだろう。僕は感動で目頭が熱くなった。そしておこがましいことこの上なく、「一緒に食べてくれませんか?」と身勝手に訊いていた。


 三人は笑っていた。思いがけない反応に僕はぽかんとしてしまった。

 

「食べてあげる、おいしそうだなって思ってたの!」


 三人は思い思いの料理に手を伸ばしていた。

 

「……ごめんなさい」

 

「あやまんないの!」

 

「食事の時に謝罪なんて言うものじゃないよ」

 

「ごめっ……そうですね」


 自然と口から出そうになった謝罪の言葉を押し殺した。目を細めたルナがこちらを伺っていた。また指摘されるところだった。



 そんなこんなで僕のいる女子会は終わりを迎えようとしていた。


 夕暮れ前の空は穏やかな色をしている。大通りを吹き抜ける涼やかな風は、喫茶店の前でお別れの挨拶をしている僕たちの間をすり抜けていった。

 

「今日はありがとう。とても楽しかった!」


 と、微笑むフィオナさん。

 

「またお話しましょう、ルナさん」


 と、期待を込めたマリアさん。

 

「はい!」


 それにしてもやはり、お金の件を多少は気にしているみたいだ。マリアさんはあれから僕の方を一度も見てくれていない。気にしなくても良いと仰っていたのは、きっと見かねた僕を気遣ってくれたに過ぎないのだろう……。

 

 ふと顔を上げるとマリアさんが僕に近寄って来ていた。

 

「お金のことは気にしてないから大丈夫よ」

 

「えっ……」

 

「貴族の財布はこういう時のために分厚いのよ。助けるのは当たり前でしょ?」

 

「……ありがとうございます」

 

 かっこいいと純粋にそう思った。

 

「あーなになに? ハルさんと何話してるの?」

 

 フィオナさんが見逃さず茶々を入れて来る。

 

「……秘密のお話」


 また要らぬ誤解を生むことを言うマリアさん。

 

「もしかして……」

 

 それから暫くの間、フィオナさんは一方的にキャッキャウフフと騒いでいた――



「そろそろ帰ろうか」


 切り出されたルナの言葉は、お別れの時間が迫っていることを暗示していた。

 

「それでは、私たちはこれで……」

 

「寂しくなるね……元気で」

 

「フィオナさんとマリアさんもお元気で」


 頷いた二人と挨拶を交わし、僕たちは宿屋への帰路を辿った。


 忙しくて、でも、それが楽しくてあっという間に過ぎ去った一日。


 この国では色んなことがあった。魔法の国と言われるだけある。もちろん魔法が国を動かす原動力になっている。街中を散策していると至る所で魔法を目にする。


 例えば、宙に物を浮かせて空を飛ぶ配達人。水仕事厨に魔法でページを捲り読書する人。魔法を上手いこと使った大道芸人。それが魔法の国と言われている所以なのだろう。


 しかし、それだけが魔法の国と銘打っているわけではなさそうだとも思っていた。




 翌日――


 宿屋をチェックアウトし城門へと向かった。開門までの数分間、門番さんが魔法で巨大な一本の閂を外し、巨大な扉を最低限の所作で開けた。


 その先では、開門を待ち望んでいた旅人たちが隊列を形成していた。


 その先頭にいたのは、僕たちの良く知る人物だった。


 一際目立つ白銀のマントと腰に携えられた長い鞘、その鞘の中には風をも切り裂かんとする切先のバックソードが収められていることだ。白を基調とした服装に、綺麗に整えられた黒髪、絵に書いたような王子様だった。


 風の勇者カルムさん。

 

「久しぶりだね。極悪人がいるって聞いて駆けつけて来たんだ」


 僕とルナは互いに顔を見合せ、よろしくお願いしますと頭を下げた。


 

 時々感じるのだ。不思議な力が体に働きかけている感覚を――


 それはこの国に入った時からそうだった。


 特別、身体能力が膨れ上がったとか、超能力を使えるようになったとか、そういう類いの話では決してないと思う。


 ただ、運命が定められたように時々感じるのだ。それは良い意味でも、悪い意味でも。

 

 邂逅遭遇――そんな魔法にこの国は犯されているのだと、僕は少なくともそう感じていた。


「どうしたの、なんか暗いよ?」


 考え込んでしまっていた僕をルナは不安そうに見ていた。

 

「いや、不思議な国だったなって」

 

「そうだね……私は、てっきり天候に左右される体質なのかと思ってた」


 その言葉通り、見上げた空は灰色の羽毛が敷き詰められたように続いていた。時折吹く風も冷たい。


 妖精の森、ルナの故郷を訪れる前に雲行きが怪しそうな空を見ることになるとは思いもしなかった。順風満帆な時間を過ごせそうにはなく、期待少々と不安一杯が僕の中でかき混ざられた。


「……そうかもしれない」


「変なこと言うね」


「天候に左右されるから?」


「そう、ならあれは?」


 ルナの指差す方、少し遠くの空には大地へと光の梯子が掛かっていた。それは、ヤコブの梯子だった。その希望のような光が、僕の中の期待と不安の配合を期待一杯と不安少々に塗り替えていった。


「ふふっ、なんだか祝福されてるみたいだね」


 光の梯子を見つめたルナは言う。それに僕は頷いた。


「それじゃあ行こっか、私の故郷へ」


「楽しみ」


 僕は肩を並べるほど近寄ると、ルナは淡い光の纏った掌を天へ向けた。


「《転移テレポーテーション》」


 足元に浮かび上がった光の輪は煌々と輝きを増す。それに伴い体はふわふわと宙に浮いた。


 目の前の景色が白一色に塗り替えられ、脱力する不思議な感覚に襲われた。


 その感覚は一瞬の出来事だった――

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