初めての人の国

 妖精の森にはお金なんて文化はないし、ルールも人の国みたいに多くはない。だから、人の国に入った時には驚いた。何もかも大抵ルールとして定められているからだ。


 入国前の手続きで色々と教えてもらった。食べ物を得るにはお金と交換する必要があること。衣服を手に入れる時も、家を手に入れる時もだ。家を手に入れるということは半永続的にそこに定住することを意味する行為であること。

 ただ人の国には宿屋という一時的に家のように利用できるサービスがあった。仕事柄定住をしない人や旅人はそこに住まうのだそう。


 時にお金が全てを決める原料となり、人は獲物を狩る目でそれを欲する。なんと野蛮な種族なのだろう。私たち妖精からしたらそんなものだ。

 でも、モノの価値を視覚的に表し、平等にモノを手に入れられる便利な道具は、人の国では常識だそう。困ったことに私はそれの入手方法が分からなかった。そこからだった。


 入国後、近くのベンチに座っていた眠たそうなお姉さんに訊いてみた。


「お金ってどうすれば手に入れられますか?」


 そう訊くに至ったのも、そもそも妖精界にはお金という文化がないから仕方がなかった。


 いきなりそんなことを聞かれるものだから眠たそうなお姉さんも重い瞼を持ち上げ目を瞬かせていた。


 数十秒間の沈黙が流れた。


「あなた、よその国から来たの?」


 眠たそうなお姉さんもとい目覚めたお姉さんは質問で返答して来た。


 仕方がないので私は軽く故郷の話をした。私の生まれ故郷にはお金という文化がなく、どうすれば良いか分からないことを。


「そう、それは大変ね……お金を手に入れるには働くしかないのよ。例えば、あそこのレストランで働いてみるとかね」


「レストランですか?」


「そう、ご飯を食べる処ね」


「あなたの故郷にはそういう場所はないの?」


「はい、自然と共に生活してる感じなので、そのような類のものはないです」


「そういうことならあなたにぴったりの仕事があるわよ」


 ちょっとついてきてと手招きをされた。私は未知の建造物が建ち並ぶ中を目覚めたお姉さんに連れられ、後ろを緊張しながら歩いて行く。初めての人の国で初めての人について行く。

 これから人の国での初仕事が待っている。目にするもの、肌で感じるもの、耳にするもの、何もかもが初めてだった。新鮮だった。景色を目に焼きつけるように歩いた。


 そうしていると、目的地に着いたのか目覚めたお姉さんが立ち止まった。

 ここよと指差す方向には半円型の屋根を持つ大きな建物があった。『冒険者協会』と看板いっぱいに書かれていた。ここは依頼を達成すれば直ぐに報酬が貰える。そんな夢のような仕事が多くある場所なのだそう。


 実際、人から聞いた話だからどんな感じなのかは分からないけれど、怪しいところじゃないのは確かとのこと。自然と関係する依頼が多いからと私に勧めてくれたそう。

 目覚めたお姉さんもとい親切なお姉さんに、私は頭を下げてお礼を言った。


「ここで働いてみようと思います」


 親切なお姉さんと別れ、冒険者協会という建物の中へと入った。開けたエントランスには深くフードを被り、長いローブを纏った魔法使い、腰に長剣を携えた剣士、屈強な大男、様々な人が入り浸っていた。


 その人混みを避けて受付へと向かい、私は冒険者になるための手続きである適性試験というものを終わらせ、その日に冒険者デビューを果たした。

 それからやる事と言えば明白だ。人の国に来てからまだ何も口にしていない。それにもうすぐ日が暮れる。ここまで野宿で来たのだ。宿屋というところでゆっくり休みたかった。


 なら欲しいものは決まっている。お金です。


 私は近くにあった依頼書を手に取った。そこには報酬金貨10枚と書かれていた。それってどのくらいの価値なんだろう? 金が10個の価値と同じかな?

 肝心の依頼内容は『盗難品を取り戻して欲しい。場所、地図参照』そう書かれていた。依頼者はイルグレスさん。


 私は金貨がどれほどの価値か受付のお姉さんに依頼書を持って訊いてみた。


「金貨10枚ってどのくらいの価値ですか?」


 受付のお姉さんは子供に教えるかのように、笑顔で10日は衣食住に困らない額よと教えてくれた。私はその言葉にすぐさま食いつき、依頼を受諾することにした。


 依頼書を片手に握りしめ、地図の指し示す場所へ足早に向かった。その場所は大通りから路地に入り、さらに入り組んだ路地に入った先の工場地帯だった。その中の1つ、もう使われていないであろう古びた倉庫を地図は示していた。


「不気味な感じ、危ないことに手を出しちゃったかな……」


 そう思うのも無理はなかった。日暮れの空と人っ子一人いない不気味な工場地帯とが相まって、恐怖という感情が引き出されていた。

 私は恐る恐る倉庫の中に足を踏み入れた。禍々しく後戻りは許されない、そんな雰囲気が漂っていた。心なしか空気がひんやりとしている。寒気が私を襲った。


「イルグレスさんいらっしゃいますか?」


 広い倉庫、奥まで声が届くように投げかけた。


「依頼を受諾したルミナティアと申します」


 私は歩みを進ませながら投げかけた。


 鉄同士が当たる音、木が軋む音、小さなものが地面に落ちる軽い音が倉庫奥から聞こえて来た。思わずビクッと体が震えた。寒気が私をまた襲った。音のする方へ目をやると三人がこちらを見ていた。


 一人目は鉄の鎧を全身に纏い、腰には鞘に収められた剣。バイザーをかぶっているため顔は分からない。

 二人目は軽装だった。上は真っ白なボタンシャツに下はピシッとした真っ黒なズボン。黒縁メガネをかけている。武器らしきものも持っていなさそうだった。

 そして最後の三人目は大柄で筋骨隆々、背中に大きな両刃斧を背負っていた。腰には鎖をぶら下げており見るからに凶暴凶悪。見た目で判断してはいけないが、判断材料としては揃いに揃っていた。


 そして真ん中に立つ勤勉な学生さんらしき人物が口を開いた。


「依頼を受諾してくれたんだ」


 優しそうな声だった。


「はい」


「ありがとう、助かったよ。僕の名前はイルグレス、そして左の全身鎧男がシャッゼオ、右の大男がデーガ」


 イルグレスさんは私に近づき、手を前に差し出した。

 シャッゼオさんは無言のまま抜刀し、華麗に振り回していた。挨拶なのかな? それにしては危険過ぎる。

 デーガさんは低くお腹に響く声で「よろしく」と一言、凄まじい眼圧で睨んで来た。


 イルグレスさんと私は握手を交わした。


「ルミナティアです。よろしくお願いします」


「ルミナティアちゃんね。良い名前だ」


 そう笑顔で接してくれたイルグレスさん。でも、いきなりちゃん呼びはやめていただきたかった。

 第一印象、イルグレスさんは優しそう。シャッゼオさんは危険人物。デーガさんは恐ろしい。まともな人はイルグレスさんしかいなさそうだなと思った初対面であった。


「早速依頼の方をお願いしたかったけど、盗難品は数時間前に取り返しちゃったんだ」


「えっ、そ、そうなんですね……初仕事でしたのに残念です」


「悪かった。だけど、初仕事が日暮れ前ってことはもしかしてお金がないのかい?」


 倉庫の屋根に空いた穴から紺青の空が見えた。夜の訪れにイルグレスさんは何もかも見透かしたように当てて来た。


「不甲斐ない事に……お金を持っていなくて、一晩過ごせる額だけ稼ごうと思っていました」


「それは悪いことをした。これを受け取っておくれ」


 イルグレスさんは私の掌に5枚の銀貨を置いた。


「これなら一晩は過ごせると思うよ」


「そんな、悪いです。私何もしていませんよ」


「今回は僕たちのミスだ。取り返した時にすぐ依頼を取り下げるべきだった。そうすれば君も他の依頼を受けられたからね。申し訳ない……」


「そんな、謝らないで下さい」


 あわあわと慌てる私。


「その代わりとは言ってなんだが、明日もこの場所に来てくれないか? 一緒にやって欲しいことがある。もちろん報酬も出す」


「分かりました。頂いた銀貨5枚分の仕事はしないといけませんから」


「それは心強いね。それじゃあ、また明日この場所で」


 そう言うとイルグレスさんは仲間の元へと戻っていった。私はお辞儀をし、その場を離れた。


 古びた倉庫を出ると辺りはより一層暗くなっていた。数メートル先もまともに見えないほどだ。紺青の空はおやすみと囁いているかのよう。


 この工場地帯には街灯というものが存在していなかった。建物の窓から零れる光を頼りにするだけでは危険が伴う。思いっ切り壁に頭突きを食らわしてしまう。元来た道は周りを建物に囲まれている細い路地。十分な街灯もなく、暗黒世界へと誘う一本道のようだ。


 私は片手に光属性魔法《閃光球フーラ》を出現させる。半径数メートルは忽ち明るく照らされた。暗黒世界を突き進む光の使者、光を嫌う暗黒が避けていた。


 私は長い路地を抜け、街灯の建ち並ぶ大通りに出た。光という光が街を昼間よりも明るく活気あるものにしていた。しかし、大通りを行き交う人々は活気ある街には目もくれず、家路を急いでいるようにも見えた。


「綺麗……」


 こんなにも光に囲まれた夜は初めてだった。妖精の森では日が落ちると家の中で日が昇るまで過ごすことが常識だった。それだから体内時計が狂ってしまった。光が生み出した新鮮な光景に、気分は高揚したのだ。もう夜だから気分を落ち着かせたいはずなのに。


 その光景に見惚れながら適当に近くにあった宿屋へ入り一晩を過ごすことにした。


 1泊2日一人部屋、銀貨3枚だった。残りの銀貨2枚は今晩の夕食と明日の朝食に使うこととした。お昼から何も食べていない私のお腹は背中と距離を縮める。正しく恋に落ちる寸前であった。


 私に割り当てられた部屋は一人部屋にしては広かった。


 私はベットにダイブすると一気に疲れが押し寄せ、急激に瞼が重くなった。初めてのことだらけで疲れたのだ。夕飯を食べたらもう寝ようと決め、チェックイン前にパン屋で購入した惣菜パンを頬張った。




 あれ? 私いつの間に寝てたんだろう。


 カーテンの隙間から白く輝く光が白いベットを照らしていた。その光が眩しく目をすぼめた。寝る前はパンを食べていた記憶しか思い出せなかった。けれど、服も着替えており、髪からは石鹸の良い香りがしていた。ちょっと一安心。

 疲れが取れ軽くなった足で洗面台へと向かい鏡を覗き込むと、気分の大暴落が起きた。


「なに、この寝癖……」


 クルクルと渦を巻いた髪があちこちに形成されていた。仕方なく手櫛で寝癖を抑えるように溶かした。


「むむむむ、これは、なかなかしぶといね君は」


 しかし、手櫛だけで寝癖が直ったら誰も苦労はしない。寝癖の力を甘く見てはいけないと誰もが実感することだろう。


「ふふふ、それにしてもこの寝癖少し気持ちいいかも」


 渦を巻いた髪はバネのように弾性力があり、それが気持ち良かった。少しの間なぜか高揚した気分で寝癖と戯れた。



 それから、我に返った私は身支度を済ませて宿屋をチェックアウトした。イルグレスさんとの約束のため、あの倉庫へと向かっていた。途中で昨晩と同じパン屋で別のパンを1つ購入した。


「これもまた美味しいね」


 お行儀悪く歩きながらパンを頬張り歩く。


 「《時計タイズ》」


 魔法で目の前に半透明な時計が浮かび上がった。時刻は午前9時、特段約束の時間は決めていなかった。明日とだけ言われたため、朝一で行けば問題ないよね? と深く考えず気楽でいた。


 朝だとは言え、高い建物に囲まれた路地には十分な陽光が届かず、暗黒世界が至る所に潜んでいた。


「おはようございます。ルミナティアです」


 古びた倉庫で挨拶をした時、カチャンと鉄同士の当たる音がした。昨日と何も変わらぬ光景が目の前にはあった。シャッゼオさん、イルグレスさん、デーガさんの三人が並んで姿を現した。


 イルグレスさんは私の前まで来ると、「おはよう」と気持ちの良い挨拶を返してくれた。


「まさか本当に来てくれるとは思っていなかったよ。優しいんだね」


「約束しましたから」


「それじゃあ早速本題に取り掛かろう。今日来てもらったのは頼みたいことがあるからなんだ」


「頼みたいことですか?」


 イルグレスさんは真剣な面持ちで話し始めた。


「あぁ、最近魔物が王国近くに出現し始めて安全な貿易路の確保が難しいそうなんだ。国直々の依頼でね。安全な貿易路の確保をお願いされたんだよ」


 詳しくその話を聞くと、近くに魔物の住処があるそうだが魔物の数が増え過ぎたため深刻な食糧難に陥っているそう。貿易路まで縄張りを広げた魔物たちは人間の荷車から食糧を奪い取り、対抗する人間を殺めているとのこと。


 これ以上の被害拡大を防ぐためにも王国の兵士には討伐命令、冒険者には依頼という形で協力をお願いしているのだと。依頼内容は無期限で魔物の討伐協力か縄張りの変更を促すものだった。


 報酬は魔物の一部である魔石か魔物の持つ武具、資源となる体の一部の買取金となっていた。貴重な武具や資源を1つや2つ獲得するために相手を見定めるよりも、片っ端から討伐した方が安定した報酬を頂戴できる。

 その方が私には分かりやすい。人間にとって何が貴重なものなのかまだ分かっていないから。


「分かりました。魔物退治ですね」


「そ、そんな軽く手伝ってくれるのか?」


 イルグレスさんは呆気に取られ目を丸くしていた。


「簡単な話、魔物をどこか別の場所に移動させちゃえば、魔物のいない安全な貿易路になりますよね」


「そ、そうだが、普通そんなことできないよ」


「私に任せてください。とっておきの道具があるんです」


 そして私は彼らと問題の貿易路まで来た。既に王国の兵士と少数の冒険者たちが魔物と衝突を繰り返していた。


 私は《魔法空間マーズ》の魔法を行使する。空中に指で円を描くと、そこに漆黒の穴が出現する。その中に腕を突っ込み、金色に輝く1つの鈴を取り出した。


「それは?」


 イルグレスさんが尋ねた。


統御とうぎょの鈴です。対象を念じて鈴を鳴らすと――」


 チリンチリン。クリアな音が響く。


 魔物は、兵士は、冒険者はその音に惹き付けられるように動きを止めた。


「このように少しの間だけ動きを止めることができます。そして、もう一度鳴らすと――」


 チリンチリン。クリアな音が響く。


 魔物が一箇所に集まり始めた。


「念じた対象だけマインドコントロールができます」


 私の目の前には魔物の大群が形成されていた。傍から見れば魔物の統率者のように見えることだろう。


 突然戦闘放棄した魔物に兵士と冒険者は唖然としていた。


「このように上手く扱えば大群をも意のままにコントロールできます」


「素晴らしい……素晴らしいよその鈴!」


「これで穏便に依頼達成です」


 私は魔物に命じた。ここは生活するには不向きな場所、どこか遠くに引越しなさいと。魔物は隊列を崩さず静かに移動を始めた。


 兵士の一人は「逃がすかー」と魔物の隊列に剣を振りかざした。


 私は振り下ろされる剣に魔法をかけ制止させた。


「う、うぅ、動かん……なんだこれは」


 剣が空中に固定されたように微動だにしなかった。


「ダメです。これから遠くに引越しするのですから」


 私は兵士さんに言った。


「引越し……?」


「はい、私がお願いしました」


「馬鹿なことを言うんじゃない! 嬢ちゃんの滑稽話に付き合っている暇はないのだ」


「滑稽ではありませんよ。現に敵意剥き出しだった魔物たちがこの場から去っていくではありませんか」


「た、たしかに……」


 魔物はそんな様子を気にも留めず、新しく安全な住処を求めて引越していった。魔物たちが貿易路から離れたのを確認し、私は兵士さんに行使した魔法を解いた。微動だにしなかった剣はそのタイミングで、地面に勢いよく振り下ろされた。


 ガッキッーン!


「嬢ちゃんの仕業だったな」


「それでは」


 と、兵士さんに頭を下げた。


 魔物は貿易路から去っていき、国直々の依頼は僅か数時間にして終わりを迎えたのだった。彼らは私を褒めてくれた。


「素晴らしいよ素晴らしい!」


 手を叩いて褒めてくれるイルグレスさん。


「やるなお前」


 普段の表情とは一変した柔らかな表情のデーガさん。


「統御の鈴……」


 感激したように小さく呟くシャッゼオさん。


「神具のおかげです」


 彼らの私に向ける視線が依頼前とは違うように感じた。それは決して良い視線とは言えぬ、品定めするような視線だ。

 取り敢えず私は「報告に行きましょう」と王国へと引き返した。

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