失態と出立
一方、妖精の部屋――
「はぁ疲れた」
ふわふわと左右に漂いながら部屋の中を進む。小人サイズの妖精からしたら、部屋の中の物は全て巨人サイズだ。人間サイズに作られているため不便でしかない。
「この体だとこういう時に不便なのよね……」
愚痴を漏らしながら床に降り立ち、魔法を1つ行使する。
「《
そう唱えると体が光の霧で覆われ、忽ち姿が見えなくなる。その霧はやがて天井にまで達する。
光が収まり霧も晴れると、妖精を人間サイズにした一人の女性がそこには立っていた。背丈は160センチくらいと言ったところ。違うところは妖精の象徴であり、命とも言える羽がなくなっていること。なくなっているというよりかは隠している方が適切だ。人間と外見的特徴が似ているだけで実際は人間にはなっていない。
「こんなところかな」
私は仰向けでベットの上に転がった。体重でふかふかなベットに沈み込む。
「ちょっと言い過ぎたかな……」
静寂な部屋の中、反省の呟き声だけが響いた。耳を澄ませば、針が無機質に時を刻む音だけが聞こえる静寂な夜だった。
カーテンの隙間から柔らかい陽光が暗い部屋を明るく照らす時、窓の外からの囁きは挨拶を交わす小鳥の声。自然の目覚まし時計で穏やかな朝を迎えた。
私はベットから起き上がり洗面台へと向かった。鏡に映る髪の毛はちょこちょことはねている。つまり寝癖がついている。
「かわいい寝癖めっ」
寝癖を抑え込むように手櫛を通すと、魔法にかけられたかのように寝癖は収まった……。
いやそれは束の間の出来事。ぴょこんと再び寝癖が立ち上がった。
「むむむむっ、しぶといなー」
もう一度手櫛を通した。
ぴょこん。
どうやらこの寝癖は負けず嫌いなよう。仕方なく髪を湿らせ櫛で丁寧に整えた。その最中、ぐぅーと朝からまあやる気のない空腹の音が聞こえた。
机の上に置かれた紙切れには、『朝食は一階レストランにて、午前6時から9時までの間にお召し上がりください』と書かれていた。部屋の壁掛時計は7時過ぎを指している。
身支度を済ませてから部屋を後にしようとしたところ、ドアをノックする音が聞こえた。誰だろうかと訝しむことなく、躊躇うことなく私はドアを開けた。ドアをノックしたのは私と同い年くらいで、私より身長が少し高い男性…………ハルでした。
その場の空気は硬直していた。眉間に皺を寄せて訝しんでいるハル、私を上から下まで流れるように視線を上下させている。吟味する顔で人をじろじろと見るとは失礼です。それに何だか変態です。注意してほっぺたでもつまもうかと思い、声を上げようとしたちょうどその時だった――
ハルとほぼ同じ目線であるにも関わらず、地に足が着いていることに気付いた。
そう、私は1つ失態を犯していた。ハルにまだ一度も見せていない人間の姿になっていたことを……。
外見は妖精の私をそのまま大きく成長させた姿、唯一異なるのは妖精の象徴であり、命とも言える羽が隠れていること。外見的特徴にほぼ変化はない。一目見ただけで私であると普通は気付くはずだ。
ただその光景は一般的に異常と捉えられるように、今まで小人サイズだった人が一晩で突然大きく成長を遂げてしまう。成長期として誤魔化せるレベルではなかった。
そんなことだからハルの顔には焦りの表情が浮かんでいた。さぞ驚いたことだろう。きっと『どうしちゃったの!?』とか『ルナだよね?』とか、驚きいっぱいの目で訊かれることだろうと思っていたが、どうやらハルは違っていた。
「すみません、間違えました!」
頭を下げその場を去ったのだ。
「あれ?」
見当違いな返答に、私は頭上の疑問符を拭いさることができなかった。普通はそう答えると思っていたのに……。
寝起きで注意力が緩慢になっていたドジな私がいたのも事実。けれど、それ以上にハルの鈍感っぷりが凌駕していたのだ。
部屋の壁に寄りかかりながら《
ちょうど妖精の姿に戻った時、またもやドアのノック音が聞こえた。ドアアイから覗き込むと腑に落ちない顔をしたハルが立っていた。
やっぱりこの部屋だよね、と言わんばかりの目をしていた。再度、自分の記憶と部屋番号を照らし合わせていることだろう。そしてこう思うはず。間違いなくここはルナの宿泊部屋だと。部屋番号は先程と同じだと。寝ぼけていたのかなと己の記憶を疑い始めると。
私は勝手にハルの思考を推察して楽しんでいだ。その最中でもドアをノックする音は続いていた。私は平然を装ってドアを開けた。
「あれ?」
呆気に取られたハルを一瞥し、「おはよう」といつも通りのテンションで挨拶をした。
「……おはよう」
どうしたの? と内心訳知り顔で私は訊いた。
なんでもないと首を左右に振っていたハルは腑に落ちていない顔をしていた。
「朝食行かない?」
私はいつも通りを演じ続けた。先程のことは忘れてもらおうと思っている。人間って妖精の姿の私を求めているみたいだから……。
「僕もそれを誘いに来た」
ハルは詮索しないと思っているのか話題には出さなかった。ハルもハルで恥ずかしいのかもしれない。
それから私たちは朝食会場へと向かった。朝食はバイキング形式だったため、各々が思い思いの料理をお皿に乗せて朝食を楽しんだ。
その間、なぜかハルは欠伸、欠伸、欠伸の連続。寝不足気味なのかな? と心配に思った私が訊くと寝過ぎて眠いそう。そうですか。ちなみにどのくらい寝たのと訊くと、21時から7時までの10時間だそう。そうですか。
欠伸が欠伸を誘った。ふわわわぁと私は呑気な声を漏らしてしまった。
「ルナはどのくらい寝たの?」
私の欠伸に気付いて訊いて来た。
「9時間くらい」
「そんな変わらないね」
朝食を済ませた僕たちは宿屋をチェックアウトすると、「いってらっしゃいませ」と受付カウンターのお姉さんがお見送りをしてくれた。
今日はカトライヤ王国に向けて出発する日。
初めて異世界で過ごした国、冒険者のサポート役として初めて依頼をこなした国(僕は何もしてない)、異世界の食べ物を初めて口にした国、兎に角初めての経験をした国であった。
「昨日はごめんね、強く当たりすぎた……」
ルナが突然謝って来た。きっと二部屋問題のことだろう。そんなこと僕は気にしていない。あれは僕が悪いのだから。
「大丈夫だよ、悪いの僕だし」
「やっぱりハルは優しいね、私は結構気にしてたよ」
「なら早く言ってあげれば良かったね」
「そうして欲しかった……」
あははっ。そんな会話が少し可笑しかった。
「こんなにも人間と楽しい話をしたのは初めてだよ」
ルナは微笑んだ。
「こんなにも妖精と話をしたのは初めてだよ」
僕も微笑んだ。そんな取るに足らぬ会話が宿屋入口前で交わされていた。
当然の事ながら、入口前で喋くっていた僕たちに「あのー、お客さま……入口付近での立ち止まりはご遠慮下さい」と、宿屋従業員さんに注意されてしまった。
「すみません」
頭を下げその場を一目散に離れる。まさか旅立ち前に謝罪をすることになるとは思いもしなかった。
大通りを城門に向かってそのまま進む。初めてこの通りを歩いた時は全てが初めて目にするものだらけだった。今はもう見慣れた景色となりつつあるが、細部にまで目を凝らすとまだ初めてがあった。
「出立ですか?」
噴水の広場を抜け、城門前へと辿り着いた僕たちが門の前に並ぶと、目を丸くした門番さんが背筋を伸ばし敬礼した。
「ほっ! 本日はお日柄もよくお足元の悪い中――」
右側の門番さんは長々と常套句を吐き連ねた。途中、「あ、えっとー」とまるで教科書の文章を暗記したてのように言葉に詰まっておられた。それは入国時のあの失礼な門番さんであった。
「お前って本当にどうしようもないやつだな……」
左側の門番さんはフォローできないと呆れ、死んだ魚のような目を向けていた。
その間も右側の門番さんはぶつぶつと何かを言葉にしていたが、最早聞き取ることは困難を極めていた。最新鋭の補聴器を着ければ、はっきりと聞き取れそうだった。
「あ、お気になさらずどうぞお進み下さい」
左側の門番さんは右側の門番さんの事など気にも留めず、にこやかにお通しして下さった。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ」
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