ネグロベルデの森、攻略
辺りは必要以上の陽光を拒むように鬱蒼とした木々で光を遮断し、薄暗かった森はより一層の暗さを帯びていた。木々が生い茂り、大小様々の苔生した岩々。森の深奥部に近づいて来たように思える。
「ここが一番危険なエリアかな」
ここまで来るのにもうクタクタになっていた。聞くところによるとここが折り返し地点なのだとか。信じられない。
途中、岩場やら崖やら足場の悪い獣道やらで大変だった。それよりもここが一番だと言う。ここを乗り切ったとしてこの森を抜けられるだけの体力は残っていないかも知れなかった。
「魔獣ネグロベルデがいるところね」
「そう、この森の主であり魔獣族トップクラスの能力を持っている厄介な魔獣」
何やら不穏な会話しか聞こえないのは疲れているからだろうか。
そうでありたいと願った直後――
まるで僕たちが来るのを待ち構えていたかのように、重低音の咆哮が響き渡った。四方八方から聞こえるそれの主は、僕たちを取り囲んでいるように思えた。獲物を逃がさないように。
「取り囲まれてる?」
僕が訊くとカルムさんとルナは首を左右に振った。
「無属性魔法《
ルナが説明してくれた。その間も咆哮は響き渡っていた。耳がおかしくなりそうだ。共鳴を使って精神的に内部から獲物を弱らせる作戦は良案だと思う。敵を褒めているわけではないが、さすが森の主なだけあった。
「ちょっとこっちから仕掛けて見るよ」
カルムさんはそう言うと、腰に携えられた鞘から一本の剣を抜き出した。手に握られたのはバックソード。風をも切り裂かんとするその切先には木漏れ日が注ぎ、煌々と輝いている。
「《
その言葉と共にカルムさんはバックソードを水平方向に一振する。すると、光る7本の長剣が姿を現した。それは見覚えのある光景。魔獣ネグロに襲われている僕たちを救ってくれたそれだった。
さらにカルムさんはバックソードを一振する。光る7本の長剣は一斉に深い森の中へと木々の隙間を器用に抜け飛んでいった。
数秒ほど沈黙が続き、再びあの重低音の咆哮が空気を統一した。またもや《
しかし、今回は咆哮だけではなかった。反撃とばかりに数々の黒煙の塊が四方八方から飛んで来た。これも《
「《
ルナが僕とカルムさんを覆うように展開した。黒煙の塊は《
「ただの煙?」
見た目からして危険な攻撃だと思っていたが、最後はただの煙なのではないかと思うほどにあっけない終焉を迎えていた。
「そんなことないよ。一見ただの煙に見えるけど、生物には有毒な煙なの。体を灰のように変えてしまうくらいにね」
「そういうことだから、ネグロベルデは僕たちのことを完全に敵視していると思うよ」
「そうだね。私はカルムさんのサポートに徹すれば良いかな?」
「そうだね、お願いするよ」
「了解。あと他の魔獣とか呼ばれたら厄介だから手っ取り早く討伐するか、降参させるかして欲しい」
「君が思っているのはそれだけじゃないよね? 彼のことを思って戦闘を長引かせたくないんだよね」
「もう、分かってるなら言わないで……」
「そういう優しさ結構好きだよ」
ルナはまたもや紅潮させた顔を隠すように俯いた。それを楽しそうに見つめるカルムさんはわざとからかっているのだろうか。
作戦会議は淀みなく進んでいた。そこに非戦闘員の僕が介入する余地はなかった。
「それじゃあ作戦開始で」
カルムさんの掛け声に合わせてルナは《
「《
カルムさんは飛び出すと1つの魔法を放った。小手先から薄緑の風が前方に向かって放たれ木々が激しく揺れる。それは先程の《
その時、咆哮は呻き声に変わった。《
「行ってみようか。今は身動き取れないはずだから」
木々の隙間を抜けた先、少し開けた場所に象以上の体躯で黒緑をした毛並みの獣が泰然と構えていた。唸る口からは鋭く尖った歯が顔を覗かせている。見た目は獅子のようで最初に出会った魔獣ネグロと非常に酷似した外見だ。どうやらこの獣がネグロベルデのよう。
カルムさんの仰る通り本当に身動きが取れないようで、唸る以外にできることがない状態だった。先程放った《
「君の縄張りに侵入してしまったのは悪いと思っている。でも、僕たちもここを通らなければいけない事情があってね。君に危害を加えるつもりは全くないんだ。見逃してくれるかな?」
カルムさんはネグロベルデに語りかけていた。果たして人間の言葉を理解しているのか。
ガルルルルルッ!!
ネグロベルデは急に抵抗を始めた。少しずつ《
森の主が人間一人にここまでやられては、示しがつかないというものだ。
「やっぱり話し合いはダメかな?」
ダメだと思う。獣と話し合いで解決しようとは平和主義者過ぎる気がする。獣通しでも縄張り争いになると話し合いなんてしないだろうから。内心そんなことを僕は思っていた。
「凶暴なネグロベルデに話し合いで解決しようとするところ平和過ぎだよ」
タイミング良くルナが代わりにつっこんでくれた。
「できれば激しい戦闘を避けて他の魔獣に気付かれたくなかったけど、無理そうかな」
「そうね、もう囲まれてるみたい。ハル、私のそばにいてね」
「う、うん」
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。どんなことがあっても守るって言ったでしょ」
僕は一体どんな顔をしていたのだろう。この状況から察するに不安な面持ちだったと思う。顔には出ぬよう気を付けていたが、隠しきれていなかったみたいだ。
それに比べて、ルナは自信たっぷりに胸を張っている。やはり頼もしい。
「僕はネグロベルデを止める。君には周りの魔獣をお願いするよ」
「分かった」
ネグロベルデの唸り声が少し変わったと思ったその直後――
木々の隙間、岩陰から魔獣が次々に飛び出して来た。少し変わった唸り声は突撃の合図であったようだ。
百近くの魔獣が四方八方から襲いかかって来る。カルムさんの方へも数十の魔獣が一気に襲いかかって来ている。
「《
ルナは右手で僕にバリアを作ってくれた。
「《
そして、左手に光が集まったかと思うとそれを魔獣たちに向けて放った。僕たちとネグロベルデを囲むように築かれたのは天まで届くほど高い光の壁だった。
その神々しい光の壁に一瞬尻込みした魔獣たちだが、強い信念を取り戻したのか、《
ドンドンと壁に当たる鈍い音が聞こえる。
しかし、《
「もう、大人しくしててよね」
ルナは諦めの悪い魔獣たちにうんざりしているようだった。
「さすが妖精だ。それじゃあこっちもケリをつけないとね。いくよネグロベルデ、ちょっと痛いけど我慢しようかっ!」
バックソードの切先をネグロベルデへ向けた。切先に集う緑光が凄まじい風を生み、周辺の草木を激しく揺らした。
「《
剣先から放たれたその巨大な風の弾は凄まじい速度で飛んだ。それは木々を、岩をも木っ端微塵にし、身動きが取れないネグロベルデはそれを為す術なく食らう。縛り付けていた《
甲高い呻き声を発して地面に倒れ、すぐさま弱々しい咆哮を上げたネグロベルデ。《
辺りは木々と風が奏でる自然の音が聞こえるだけになった。
「ごめんねネグロベルデ」
カルムさんはネグロベルデに近づき、頭を優しく撫でながら謝っていた。まさかここまで派手にやろうとは思っていなかったのだろう。
でも、魔獣たちは縄張りを守るために、僕たちは命を守るために、避けては通れない戦いだったのだ。
カルムさんが優しく撫でているその間も、動かぬ体に変わって抵抗するように唸り続けていた。
「治癒魔法をお願いしても良いかな?」
カルムさんはルナに頼んだ。
「もう、やりすぎだよ。ちょっとは手加減してあげないとー」
「《
ルナは横たわるネグロベルデの額に手を翳す。手から溢れる光の粒子がネグロベルデに吸い込まれていく。体全体を覆った光の粒子はやがて1つの光となりて輝いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
横たわったネグロベルデは元気よく立ち上がる。ネグロベルデは唸り続けてはいたが、攻撃して来ることはなかった。きっと分かってくれたのだろう。
同時にルナは《
ネグロベルデは僕たちを一瞥し、その場を去った。その後を追従するように他の魔獣たちも森の奥へと消えていく。
時間にしては短いが、緊張は長かった森の主ネグロベルデとの戦闘は勇者と妖精のタッグで見事に勝利を収めた。
「さあ先に進もうか。まだまだ先は長いよ」
カルムさんの一言でルナは後をついていく。そして、僕は一人壁の中。一体いつまでこの《
「ハルも早く行くよ」
隣にいない僕をルナは振り返って急かす。
いや、そんなに急かされてましても……。
「あっ……」
思い出したようにルナは振り返った。
このバリアを……。
「どうしたの?」
カルムさんも後ろを振り返る。
解いてくれないと……。
「いや、その」
ルナは頬を赤く染めた。
「なるほどね」
察したカルムさんは僕を見るなり微笑んだ。
未だに《
「ごめん、今解くね」
ルナは笑いを堪えながら《
その顔に少しむっとしながら言った。
「忘れられてるかと思った」
「……ごめん」
ルナは頬を赤く染めたままだった。それは笑いを堪えているのか、恥ずかしいのか。
「改めて出発だね」
僕たちは足並み揃えてその場を後にした。
ちょうど折り返し地点の深奥部を抜けた先には、岩場やら崖やら足場の悪い獣道がまたもや続いた。勘弁して欲しいと願うのも無理はなく、普段から運動不足な僕は限界に近づいていき、次第にカルムさんとルナとの距離が開いてしまった。
「大丈夫?」
と、数メートル後ろを歩く僕をルナが心配してくれた。
「はぁ……」
呼吸が荒くなっていた。
「休憩にしようか?」
カルムさんのその提案で小休憩を取ることにした。近くの岩場に腰掛けると、ルナは木製マグカップに入った水を差し出してくれた。
「ありがとう」
喉がカラカラの僕は一気に飲み干す。その様子を見たルナにもう一杯? と訊かれ、僕は正直にくださいと答えた。
飲み干したマグカップを差し出す。
すると、ルナは「ちょっと待ってね、今集めるから」と言い、手を前方に伸ばした。その手は一体何なのだろう。集めるとは? と小首を傾げた矢先、森の至る所からルナの手に向かって水滴が集まり始めた。
集まった水滴はやがて1つの球体となり、ルナはその球体をマグカップの中に落とした。パチャンと水音を立て、少しの飛沫を上げてマグカップに収まった。
「すごい……」
その一連の出来事にただただ感動した僕は水分補給を忘れて水の入ったマグカップを見つめていた。きっとこの水に見惚れているのだろう。
「そんなことないよ。魔法で綺麗な水分を分けてもらっただけだから」
それを僕からしたらすごいというのだ。
先程は勢いで飲み干した水も今度は味わうように飲み干した。それは天然水の味がした。
それからは談笑に花を咲かせた。小休憩は時間以上に充実していて足も軽くなったような気がした。
やがて小休憩を終えた僕たちは、オリーヴァ王国へ向けて歩みを進めていた。
途中、何体か魔獣が襲いかかって来たが、カルムさんがそのバックソードでいとも簡単に討伐しておられた。
そして1つ気になったこともあった。魔獣の討伐後に黒く半透明な石が必ず落ちていた。他の石ころと違うことは明白。決まって魔獣の討伐後に現れ、その度にカルムさんが回収していた。それが何なのか分からないままここまで来てしまっていた。
丁度、カルムさんは目の前で魔獣を討伐され、石を回収しておられた。絶好の機会だ。
「あの石って……? カルムさんは毎回回収してるみたいだけど」
と、隣のルナに尋ねた。
「これは魔石って言ってね。魔力の籠った石なんだ。見た目は綺麗だからアクセサリーにも使われるし、この魔力を使って装備にも使われたりする汎用性の高い石だよ」
その声に違和感が芽生えていた。それはルナの声ではなくカルムさんの声だったということ。僕たちとカルムさんは今、数十メートルは離れている。隣のルナに囁いた程度の声量ではまず普通は聞こえないと思う。ルナもそれには面食らった顔をしていた。
「ハル、もしかしたら聴力も勇者級なんじゃない?」
「……そんなことあるのかな?」
怪訝な表情でお互いに首を傾げる。まずは聞こえていたかを確かめなければいけない。
「聞こえていたんですか?」
僕が恐る恐る尋ねると……。
「風が教えてくれたからね」
頭上は疑問符だらけだった。拭い去っても、拭い去ってもそれは浮かび上がる。まるで疑問符のバーゲンセールだった。
「うーん、風に乗って聞こえたと言った方がわかりやすいかな」
訝しんでいる僕たちにカルムさんは説明してくれた。完全に理解できたわけではないが、少なくも僕たちはこう思い至った。
さすが、勇者だと。
ネグロベルデの森に射し込む陽光が強くなった。木々の数が減り、魔獣とも遭遇しなくなった。それは森の深奥部から抜け出したことを暗示していた。
「もう少しでネグロベルデの森を抜けるよ」
その言葉に思わず笑みが零れる。
木々の向こう側、白い世界が広がっているかのような景色が目に入った。そこに身を投じるように足を踏み入れた。眩しさに一瞬目を瞑らせ、再び開いた先に見慣れた木々はなく、空の茜色と地面の若葉色が何処までも広がっていた。
森を抜けた僕は陽光を吸収するように背伸びをした。それにしても、半日足らずで森を抜けられるとは思った以上に小さな森なのかもしれない。
「意外と小さな森だなって思ったでしょ」
ルナに見抜かれた僕は、ただ沈黙の驚きを貫いた。
「あははっ、図星だね。ネグロベルデの森は東西に長く伸びた森で、南北は数時間もあれば抜けられるほどに短いんだよ」
そうなんだと内心関心していた。
「そんなハルトも、あれを見たら声に出して驚くと思うよ」
あんまり声に出して驚いていない僕にカルムさんは思うところがあったよう。カルムさんは僕の視線を誘導するように手を伸ばし、僕の目の前から華麗に退いた。
その手の先には、巨大な茜色に染まった建造物があった。等間隔で物見櫓が立っているのも確認できた。若葉色の草原の中に佇むその建造物は恐らくまだ氷山の一角。遠くからでも感じられるその巨大さと初めて目にする異界の建物。
感動ともう1つ、体の奥底から湧き上がる気持ちがあった。確かに声に出したい。
「あれがオリーヴァ王国だよ」
「はい。やっと横になれます」
「えっ?」
「もうクタクタです」
疲労困憊な僕は足取りが重くなっていた。
「声に出して驚いたのは僕の方だったね」
疲れを知らない笑いがその場で起こった。
「ここまで頑張ったご褒美で最後は僕が王国まで連れて行ってあげるよ」
僕に掴まってとカルムさんは手招きした。
「それじゃあ行くよ」
その掛け声でカルムさんから発せられる光が腕を伝って全身に纏われた。カルムさんは地面を強く蹴り飛び上がった。
宙に浮き空を飛ぶ。鳥のように空を飛ぶのは勿論初めてだ。心躍る新鮮な感覚が五感を伝う。飛んでいる最中は風で目も開けられないと思っていたが、それは杞憂だった。全身に纏っている光がバリアのように守ってくれていたのだ。
茜色の空と若葉色の大地を眺めながら進む。隣では悠々自適にルナが飛んでいた。その表情からは気持ちの良さが滲み出ていた。
「どうだい? 空を飛ぶ感覚は」
「とても気持ちが良いです」
この世界にいたら嫌な事を全て忘れられそうで、もうこの世界で生きて行きたいと思ってしまうほどだった。
茜色の空を飛ぶ2つのほうき星は、王国へと一直線に流れていった――
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