優しさと幸せ
妖精から話を聞くにつれて眠っていた思い出が目を覚まし始めた。それは眠らせてはいけない大切な思い出だった。
そう言えば、あの時のそよ風は神様からのお礼だったのかも、と今になってそう思えた。
「思い出したみたいね」
妖精は僕の小さな表情の変化からそれを察したようだった。
「あの祠はハーデンベルギアとこの世界を結ぶ唯一の掛橋で、初代妖精神ニンファーレ様を祀っているのです」
「あっ、ハーデンベルギアって言うのは、私たちの住む星の名前で、こっちの地球と同じ意味だよ。ニンファーレ様は私たち妖精のひいひいひい――おばあちゃんかな?」
星の名称に詳しくはないが、初めて耳にした名称だった。それだけ宇宙は広いってことだろうが、まさか掛橋となる存在がこれほどまで身近にあるとは、一言驚きだ。それにひいひいひい――おばあさんが祀られているということはかなり歴史のある祠だということ。それを守れたことに、今少しばかりの誇らしさを抱いていた。
そして柔らかな笑顔と声色で妖精は続けた。
「君は
「ありがとう」
その言葉はまるで干からびた僕の心を潤すオアシスのようで、空っぽの心が満たされていくのを感じた。
そして僕からもお礼を言った。大したことをしていないのにわざわざをお礼を言いに来てくれてありがとうと。
妖精はにこやかに微笑んだ。
ただ1つ気になることがあった……。
「それでね、君にはハーデンベルギアに是非来て欲しいの。現妖精神様にも会っていただきたいし、一緒の観光もしたいなー。それに――」
妖精の口からは溜めていたであろう言葉が続々と溢れ出ていた。そんなに予定を入れたら休む暇もない。ハードスケジュールの予感しかなかった。
「ちょっと待って、1つ気になることがあって、訊いてもいいかな?」
妖精は急に不服な表情を浮かべたが、何かを思いついたのかケロッと表情を変えた。
「あ、そっか。どうやって行くか説明してなかったよね。あといつ出発するかも決めなきゃだよね。ちょっとうっかりしてたよ……あははっ」
「いや、そのことじゃなくて……ハーデンベルギアには行けない……」
「……あっ、そうだよね、急過ぎたよね。私一人で浮かれちゃったみたい。会えたことが、嬉しくて、本当に嬉しくて…………わたし……」
揺れる妖精の瞳からは一滴の水が頬を伝っていった。部屋の灯りに照らされて時折キラキラと光りながら。
僕は妖精の気持ちを考えられていなかったとその涙を見て後悔した。出会ってからずっと自分の思いだけで喋っていたと。
「ごめん……」
そう一言謝ることしかできなかった。
「ううん、私の方こそ取り乱しちゃってごめんね。今までのこと思い出したらちょっと感極まっちゃって……」
妖精は指先で軽く涙を拭いながら言った。
「そんなに僕を探してくれていたの?」
「そうだよ、2、3年前くらいから」
そっか、そんな前から僕を探してくれていたのか。その長い時間を費やしてくれていたことに心の奥底から込み上げてくる熱い想いがあった。
「色々と大変だった。名前も分からない上に、どこに居るかも分からない。覚えているのは顔と声と君って感じだけだったから」
「君って感じ?」
それは一体どんな感じなのだろうか。雰囲気的な感じと捉えて良いのだろうか。自分に特別な雰囲気などはないと思っている。
「んー、なんて言えばいいんだろうね。雰囲気かな、その優しい雰囲気。顔も、声もあの時とは変わってるし、当てになったのはその雰囲気だけだよ」
それは10年前から優しさの雰囲気を纏っていたということ。初めて客観的に聞いた自分の雰囲気は、このままでいたいと思うものだった。
「本人じゃ気付けないものだからね。そうだ! 質問があるんだっけ?」
妖精は思い出したように手を叩いた。
「うん、1つだけ。私を救って神様を守ったって話だけど、君もあの場にいたの?」
「私もあの場にいたよ。祠の扉の前辺りに座ってた。それと、私の他にも大勢妖精はいたよ」
「そうなんだ……ちょっと怖いかな。見えないから余計に恐怖を感じる」
「そんなに怖がらないでよ。みんな良い妖精だから」
「他にも妖精はいたのにどうして君だけが僕に救われたの?」
それはね、と真剣な面持ちで話し始めた。
「彼らが投げた石の下敷きになっていたんだ」
「えっ、そうだったんだ……」
「うん、その時はまだ幼くて力もなかったから脱出できずにいた。かと言って仲間が石を動かすと何もないのに突然石が動くことになるから、君たちが不思議に思うかもしれない。だから『人気がなくなった時に助けるね』、『それまで辛抱してね』、『頑張って』そう話をしていたの。でも、まだ幼かった私はその重みに耐えうるだけの体力がなかった。そんな時、君が石を持ち上げてくれたおかげで私は助かった。今こうして君の目の前にいられるのも全部君のおかげなんだよ!」
「ありがとう」
柔らかな笑顔と声色の妖精だった。
その話に僕は覚えがあった。確かにあの時石を持ち上げたと思う。でも、持ち上げたってよりかは、退かしたという気持ちが強かった。ぶつけられた石が目の前にあるのは神様にとって失礼だと思ったから。でも、それが結果的に妖精の命を救うこと繋がった。
「本当に良かった……」
自然とそう言葉が漏れ出た。
「それでね、あの時と同じ状況が今回も起こったの」
それから妖精は今回の事を簡潔に話してくれた。
看板の下で一休みしていたら、急に倒れてきて、運悪くその下敷きになった。魔法で動かそうにも、馬のいない馬車が頻繁に通っていたらしく、身動きが取れなかったそう。恐らく車のことだろう。それで結局、僕が助けるまで下敷きになっていたとのことだった。
「また助けられちゃった。同じ人に二度も助けられるなんて運命感じちゃうね!」
妖精はニコッと微笑んだ。その何事もなかったかのような笑顔に、ドキッと心を揺さぶられる感じがした。
僕のことをヒーローだと言ってくれた。
優しいと言ってくれた。
会いに来てくれた。
それは何よりも嬉しかった。
だけど、僕とはこれ以上関わらない方がいい。僕といても不幸になるだけだから、ハーデンベルギアにも当然行けない。
申し訳ないけど、これで終わりにしようと思った。
「ごめん、君の想いは本当に嬉しい。だけど、ハーデンベルギアには行けない。これ以上誰かと関わりを持つことが怖くて……」
「えっ……それってどういう?」
それはそうだ、そうなるはずだ。ずっと僕のことを探してくれていた。なのに僕はその気持ちを無下にしようとしているのだから、これは話すべきだ。
僕が行けないと言ったその理由を。ちゃんと話すべきだ。
全てを誰かに話すのは初めてだった。いじめられていること。誰かを不幸にしてしまっていること。これ以上誰かと関わりは持たない方が幸せだと思っていること。これまでのことを話した。
僕という存在がいることで誰かが不幸になり、僕も不幸になる。折角話しかけてくれた人も被害者の一人にさせてしまった。加害者も僕がいたから加害者になってしまった――全て、僕がいなければ、関わりを持たなければ、もっと別の運命を辿っていれば、誰も苦しまずに済んだのかもしれない。
「だから、僕といたら君まで不幸にしてしまう……」
「そ、そんな……ことないよ」
小さく呟く声が聞こえた。僕が首を傾げると――
「そんなことないって言ってるの!」
強く放たれた言葉に僕の体はビクッと痙攣した。
「どうしてそんなこと言うの? 君は何も分かってない!」
何も分かっていない? 自分のことだから一番よく分かっている。分かっていないのは君の方だ。
「逆に問うけど、君に僕の何が分かると言うの?」
「分かるよ。その間違った思いが。君は不幸したって言うけど、君一人が不幸にしたんじゃない。全員がそうしたんだよ」
全員がそうした、確かにそう思うこともできる。だけど、それは僕がいなければこんな思いもすることなかった。誰も無意味に傷つかなかった。
「だとしても、僕がその原因だから」
妖精は少し柔らかな表情で、だけどどこか呆れた表情だった。
「もう頑固だね。自分がいたから誰かを不幸にするとかやめよう」
やめられないくらい現実が惨くて、苦しくて、悔しいくらい悲しいんだ。
優しい人にはなれそうにない。優しい雰囲気はきっと見た目だけだろう。
「誰かを幸せにできなきゃ優しくなんかないさ……」
「何言ってるの? 十分優しいよ」
妖精はその小さな手で目を逸らした僕の頬をパチンッと挟んだ。軽いビンタのように。
「私がいるじゃん。君の優しさで幸せになった私が。辛い時も、苦しい時も、君がいたから頑張れた。だから君はもう私を幸せにしていたんだよ、ずっと前から」
心の中で天変地異が起きそうなくらい巨大な何かが蠢いた気がした。
「僕が君を……」
「そう、君が私を幸せにしたの。君が周りを不幸にすると言うなら、私は君といると幸せになると言うよ」
蠢いたそれは心の中で弾けた。揺れた瞳から流れた涙がすっと頬を撫でていた。初めて誰かに認められたようで、どうしようもなく嬉しかった。
目の前に僕がいたから頑張れた、幸せになれると言ってくれた妖精がいる。今の僕にはその言葉だけで十分すぎる幸せだった。
それに分かっていないと言った君の気持ちが分かった。僕といると不幸になると言ってしまったら、君の気持ちを踏み躙ることになってしまう。君のこれまでを否定することになってしまう。君は間違っていない。抽象的で見ることのできない幸せに踊らされていた僕が、不幸になると勝手に決めつけていただけだった。
「ありがとう、こんな僕でも君を幸せにできたならすごく嬉しいよ」
僕は妖精との出会いで何かが変わった気がした。いやこれから何かが変われる。そんな気がしてならなかった。
「ハーデンベルギアに行っても良いかな?」
それは今まで考えもしなかったこと。一生言うことがないだろう言葉だった。
この絶望に染まった運命の中でも、僕に希望を見せてくれた。この希望は10年前が紡いだ運命だったのかもしれない。
運命を変えたい。本能的に感じた思いだった。
それに、妖精との関わりをここで終わらしたくないとも思っていた。それは妖精の期待に応えるためだけではなくて、この幸せをもっと感じていたかったからかもしれない。
「ありがとー! すっごく嬉しいよ!」
その無邪気な笑顔には敵わない。
「そうと決まれば明日出発ね。初めましての祠の前でっ!」
嬉しそうに妖精は言った。
「明日……いきなりだね」
「ごめん、また急かしちゃった。いつなら大丈夫そう?」
予定という予定はないし、それに明日は土曜日だ。
「明日で大丈夫だよ」
結局はそう言うのであった。
妖精は嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「それじゃあ、私は準備があるからこれで一旦お別れね」
妖精は部屋の窓に向かって飛んでいく。
分かったと僕は頷く。最初から最後までいきなりだったなと思いながら。
窓から身を乗り出した妖精はくるりと僕の方を振り向いた。
「やっぱり君は優しいね」
そう言い残し、窓から夜闇の中へ飛び込んでいった。すかさず窓辺に駆け寄り、目で後を追うが、目に映るのは黒一色だけだった。
静寂に戻ったいつもの部屋。取り合えず湯船に浸りながら、これまでの事をゆっくりと思案することにした――
思い出したのは、
そこはあの時の公園。まだ小学生で漢字も手掴み程度しか知らない時、クラス全員が読み間違え、先生に訂正された記憶が薄らとあった。
湯船に浸かって記憶の引き出しを開け続けていたら思い出した。
翌朝――
時刻は午前8時。燃え滾るような陽光も懐かしく、落ち着いた柔らかな陽光が大地を包み込んでいた。白と青のプロポーションが美しい晴れの日。
欠伸をしながら支度を済ませる。土曜日らしい朝を迎えた。
家を出て駅に向かう途中でふと違和感がした。何か大切なことを忘れているような……。
昨晩からの記憶を辿っていると重要な記憶がないことに気が付いた。
集合時間を決めていなかった! 焦る気持ちが心臓を鼓舞し、血液の循環を早めた。
電車が定刻よりも早く過ぎ去ることはないと知っていても焦りが早足にさせた。
周りを田畑に囲まれた駅のホームに着くと、遠くから軽快なステップを刻む音が聞こえて来た。それは近づくにつれ大きな音を放ち、ブレーキ音が響く。
乗り込んだ車内は伽藍堂だった。
暫く電車に揺られながら車窓からの景色を眺めた。田畑、住宅地、田畑、トンネル、緑が次第に増えていくにつれ山に近づいていることを感じた。
何でもない景色が続く。傍から見ればずっと景色を眺めている人に見えるだろう。
しかし、実際は異世界のことで頭が満たされていた。異世界ってどうやって行くものなんだろう? 祠の扉を開けたら吸い込まれるとか、魔法の力で異世界にテレポートするとか、考えているだけで心が躍った。
30分ほど電車に揺られ最寄り駅まで着いた。駅前にあるのはちょっとした駐車場のみ。そこからさらに30分ほど歩くと、『
ちょうど紅葉の季節。あの時と同じように森が赤く染まっていた。公園の中を一人ゆっくりと歩く。久方ぶりの光景は昔と何も変わっていなかった。学校の裏山で見る紅葉とは全く違う美しさがある。
記憶を頼りにあの小さな祠まで歩き森の中へ入ると、四方八方を赤一色に囲まれた赤の世界のお出ましだ。
それはとても懐かしい場所だった。昔と比べてかなり弱っているように見える祠は今にも崩れ落ちそうで、でも芯はしっかりと感じられる小さな祠だった。
僕は祠の前で正座し挨拶をした。すると、挨拶を返してくれるかのように秋風が優しく頬を撫でた。
「おはよう」
隣から昨日ぶりの声がした。ただ振り向いても誰もいない。僕も「おはよう」と隣に向かって挨拶をした。
出会った時と同じような眩い光と共に妖精が姿を見せた。
僕はまず妖精に一言謝った。
「ごめんね。遅くなって」
「遅くなんかないよ。集合時間決めていなかった私にも非はあるからね。でも、ずっと不安でドキドキしてたのは確かだよ」
「同じだね。僕もずっと不安でドキドキしてた」
最初はどうなることだと思ったが、最後はお互いに笑い話となった。
僕は祠を一瞥し、その場から立ち上がった。
「そうやってくれる人は君だけだよ。きっとニンファーレ様も喜んでいると思う」
その言葉からは、まるで祠に合掌する人はいないと言っているようだった。確かにこの公園に来たとて、この祠にお参りするかと言えばそうは思わない。まずここに祠があることすら知らない人が大多数だと思う。
「この世界の人は意外と誰も知らないのかもね」
「寂しいな。この祠も忘れさられて壊れてしまったら君とは一生会えなくなるね」
寂しそうに呟いたその言葉を聞いて僕は心の中である決意が芽生えていた。
この祠を守らなければと。
妖精と出会えたのも僕の大切な思い出ができたのもこの場所があったから。そう強く思った。
「今日は来てくれてありがとね」
妖精は優しく微笑みかけてくれた。
「むしろ誘ってくれてありがとう。楽しみだよ」
「そう言ってくれて嬉しいよ。じゃあ行こっか」
妖精はもっと近くに来てと手招きをした。
妖精のすぐ隣に立っていたと思ったが、それは妖精からしたら近くではなかったらしく、さらに手招きをされた。
少しでも動いたら肩が当たりそうなほど近くに立った。こんな近くに寄ったけど、ハーデンベルギアへ行くのに関係があるのかなと素朴な疑問が生じた。
「ところでハーデンベルギってどうやって行くの?」
ずっと電車で考えていたことを訊いてみた。
「まあ見ててよ」
ルナは淡い光の纏った掌を天へ向けると、足元に浮かび上がった光の輪は煌々と輝きを増す。それに伴い体はふわふわと宙に浮いた。
「魔法だ……」
それはファンタジーの世界にしかないと思っていたもので、感想とか求められても「すごい……」の一言しか絞り出せないものだった。
目の前の景色が白一色に塗り替えられ、脱力する不思議な感覚に襲われる。
その感覚は一瞬の出来事だった――
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